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36:早川千影の自己満足的決意

 アマゾフで買った二千円のカセットコンロの上に、これまたアマゾフで買った千円の土鍋。醤油ベースの出汁の中で泳ぐ肉とキノコ、端っこのほうにほんのちょっぴりの野菜。野菜をおいしく摂取できるというアイデンティティーを失った鍋がくつくつと煮えている。


 もう一度レシートを確認する。春菊四分の一サイズ、白菜八分の一カット、ネギ一本。三人と一匹の野菜量ではない。その穴を補ってゲロ吐くほど余りある鶏肉豚肉計二キロ超。ライオンのエサか。


「はい、ちーさん。どうぞ」


 ギンチョがよそってくれたお椀にはなけなしの緑がごっそり放り込まれている。千影はありがたく受けとり、春菊をふーふーして適温に冷まし、ギンチョの口を鷲掴みにしてねじこむ。もがもがとうめきながら白目を剥いているが、これは決して虐待などではない。彼女の健康のため、成長のためと涙を飲んで次は白菜。


「はふはふ! こりゃうめえな、ジャパニーズナベ! このシイタケもシュンギクも、エリア16の野草より断然うめえぞ!」

「ほら、テルコおねーさんを見習え。次はネギを食え、味がしみてるぞ。自慢の食レポしてみろ」

「ぐじゅぐじゅ……やわらかしょっかん……」

「短えわ」

「あー、そういやタイショー。オレもうテルコおねーさんじゃねえから。今日から〝テルさん〟になったから」

「へ?」

「いやさ、タイショーがいない間に話したんだよ。テルコおねーさんじゃ長いしタニンギョーザだし。今日からオレはテルさんだ!」

「はう……テルさん……」

「他人餃子じゃなくて他人行儀ね」

「ぎょうざ……しめのぎょうざ……」


 肉二キロに加え、締め用らしきうどんや餃子も冷蔵庫に収納されているのは確認済みだ。今日だけでいくら食費使いやがったのか。


「はふはふ……おにく……うまい……」

「わふぃ……」


 念願の肉にありつけたチビっこ(とデカパグ)が涙ぐんでいる。千影も鶏肉を頬張る。あーうめえ。鶏もも肉ってなんでこんなにうまいの。牛より豚より鶏が好きかも。安いし。

 そういえば鍋、小さい頃に何度かやったくらいしか記憶にない。二人と一匹の恍惚の表情を見て、今年の秋冬はいろいろな味を試してみるのもありかなと思わされる。




 食後の片づけ中に話す内容ではなかった。例によって怒り狂ったテルコは皿を真っ二つに割り、箸を握りつぶして粉々にする。百均のやつでよかった。


「そのサクマって野郎……アケチのネーサンに代わってオレがぶっ飛ばしてやる!」

「気持ちはわかるけど落ち着いて。あと今掴んだ土鍋は百均じゃないから割らないで」


 あのあと、電話で明智に謝られた。


『イヌまんの件……課の連中にダン生研の話をしたのはあたしだ。いずれイヌまんが成長したときにこっちの捜査を手伝ってもらえたら、なんて下心があったことも否定しない。弁明はしない、あたしもあのクソ課長と同じ穴の貉だ』

「そんな、今さら……僕なんかボロ雑巾のようにこき使われてるじゃないですか……」


 悪魔は悪魔だが、千影は明智に対して一定の敬意を持っている。他人に対して手厳しいところもあるが、大人として正しいことを貫こうとする姿はカッコいい。意外と優しいところもある(主に女子ども動物に)。よく見ると美人だし、ときおりエロい目で見させてもらっている。千影が人見知りせずに会話できる貴重な人材だ。


『課長――佐久間が、あんたみたいなガキに頭を下げてまで利用しようとしたのは、犯人逮捕のためでも人命救出のためでもある。あれで人並みに捜査機関の長としての責任感もある。だがそれ以上に……ここからは愚痴になるな』

「自分の評価のため的な?」

『……そうだな。初動捜査を誤った警視庁に恩を売り、みすみす犯罪者をダンジョンに放してしまったD庁の失態をカバーし、なおかつ庁とも太いパイプを持つデイザー社にも貸しをつくる。そういう腹づもりだろう』

「すげてー……それっぽい……」

『前の課長なら、ギンチョの件を貸しとしようなんて真似はな。あの人もあの子のファンだったし、なによりこっちとしては大人たちの愚行をあんたに背負ってもらったわけだからね。そのへん、あの佐久間には関係なしってことさ。前長官の退官を機に、新長官が警察庁のキャリア組から引き抜いたクソ溜めの中のクソだからね』

「明智さん……辞めたりしないっすよね……?」

『はは、あんたに心配されるほど落ちぶれちゃいないさ。どうなったとしても、さすがに血なまぐさい案件に生後一月足らずのパグの力を借りるつもりはない。あんたは雑巾だからいくらでも絞り出してやるけど』


 心配して損した。


『佐久間の脅し文句については、あんたらが気に病むことは一切ない。自分らのことだけ考えろ。あんたはその子らの保護者(リーダー)なんだから』


 ギンチョとテルコには、彼女らをダシに使われたことは黙っておいた。とりわけテルコは今すぐ部屋を飛び出しかねないから。それでもこの怒りようだから、その判断は間違っていなかったと思われる。


「しっかしそいつ、マジで腹立つな。訓練施設にいた頃の教官どもを思い出すぜ。あそこもクソ野郎ばっかりだったからな」


 確かに、ドラマに出てくるテンプレ悪徳官僚みたいな人だった。民間人は行政に協力してナンボ、むしろ光栄に思え的な、そういう上から目線なのががっつり見えていた。


「……イヌまん、おてつだいさせるですか?」


 ギンチョが千影のTシャツの裾を握る。見上げる顔は不安げだ。


「そら、そのオクサンは心配つーか気の毒だけどよ……」テルコも眉間をひそめる。「だからって、ダンジョンにいる殺人犯のとこまでイヌまんに案内させろって、ヨフゥよりよっぽど危険だもんな。殺人犯なんてのはクリーチャーよりよっぽど怖いぜ、なにしでかすかわかんねえからな」

「まあ、犯人はレベル3だし連れもいるから、そう深くは潜れないかもだけど……やけくそで五層以降に逃げてたら、僕だってちょっと無理だし……」


 千影の最深到達記録は五層のエリア21だ。レベル5以上相当のポルトガルマンモスと出くわして速攻とんずらした苦い思い出。


「マコちゅんさん……もうめをさまさないですか……?」


 プレイヤーである以上、死というものが身近にあり続けるのは避けて通れない。とはいえ、幼いこの子に殺人未遂事件だのなんだのを正直に打ち明けたのは正しかったのだろうか。


「……目覚めるかどうかは五分五分、目覚めても障害は残るかもだって」

「ダンジョンウイルスはつかえないですか?」

「宮本さんに聞いたんだけど、医療上は頭に【フェニックス】や【ウロボロス】は使えないんだって。正確に言うと、使った事例がないからどうなるかわからない(表向きは)。腕や足を治すのとはわけが違うからね、そのまま生命に関わるから。彼女の意思っていうか、生命力次第だと思う」

「そいつがタイホできなけりゃ、その子も無念だろうけどな……チカゲ、ほんとは行きたいんじゃねえか? そいつを捕まえに」


 千影は自問する。

 そんな風に見えていたのだろうか。今となっては、自分でもよくわからない。


「まあ、僕にできることがあるならって思うけど……山狩り要員が一人増えたところで、そんな役にも立たないだろうしね……まあ、この話はここらにして、早く片づけちゃおう。ギンチョ、今日のぶんの勉強と日記、忘れてないよな?」




 夜にかけて雨は本降りとなり、窓の外にはさらさらと流れるような音が続いている。明日の朝には止むらしい。

 ギンチョたちが寝室にこもったあと、千影は寝袋に足を突っ込み、天井を見上げる。目を閉じても眠りはやってこないのはわかっている。


『あたしも――』


 ジュナサンで話をしていたとき、彼女がそう口にしかけたのを憶えている。そのあと、「あたしにもシモベクリーチャーちょうだい」、彼女はそう続けた。

 あのとき本当に言いたかったことは――本当は違っていたのかもしれない。


「……同じ、かあ……」


 天井に向かってつぶやく。


 マコちゅんのことを憐れむというか、見下すようなつもりはない。けれど――こう思わずにはいられない、自分も彼女のような境遇になっていたかもしれない、と。

 あのとき――〝チーム馬場〟が全滅し、自分だけが生き残ったとき、【ムゲン】がなかったら。

 黒のエネヴォラへの復讐のために牙を研ぎ続けた日々で、一度でも心が折れていたら。

 ろくにダンジョンにも通えず、プレイヤーとしても行き詰まって。将来への不安とか、日常への不満とか、そういうものに押しつぶされそうな日々を送っていたかもしれない。


 仮に――あのときマコちゅんが「仲間に入れて」とお願いしてきたら、なんと返事していただろう。


 きっと受け入れはしなかっただろう。

 チビっこたちのカバーだけで精いっぱいだから。なにより彼女のことが大嫌いだったから。

 でも、ギンチョたちがOKを出したとしたら?

 いや、考えてもしかたない。もはやそんな世界はどこにも存在しないのだから。


 彼女の無念、ということをテルコは言っていた。犯人をとっ捕まえようと半殺しにしようと、マコちゅんの容態が回復するわけでもないし、世界が平和になるわけでもない。

 拉致? された奥さんに関しては多少気の毒に思うが、あくまで赤の他人だ。気にしはじめたらキリがない。世界は自分たちの知らない悲劇であふれているのだから。


 だから――この思いは結局、自己満足だ。


 千影は上体を起こし、壁に寄りかかる。スマホを手にとり、ユーチャンネルのアプリを起動する。


 チャンネル名は〝マコちゅんTV〟。

 〝エリア1の原っぱでニシカナうたってみた〟、〝コスプレして駐屯地でプレイヤーさんに声かけてみた〟、〝ドキドキ! 一人でエリア3初進出!〟、〝サウロンに物申す! チューハイ飲みながら弱小プレイヤーの不満をぶちまける!〟などなど。


 飛ばし飛ばしで見たせいか、正直言って、一つも面白いと思えない。

 事件の報道によって再生数が増えたそうで、現在では最高で十万ちょっと。それが多いのか少ないのかもよくわからないが、コメントやヨクナイネの数を見る限り、動画自体の評価は散々だ。


 彼女の容態が報道されてからは心配する声や励ましのコメントもぽつぽつ寄せられているが、それ以前にさかのぼるとひどい書き込みが目立っている。「ちょっと可愛いだけのド素人」、「中身スッカスカで草」、「こういうやつがいるからプレイヤーがバカにされる」、「いいから脱げはよ」などなど……。


 確かにつまらないのかもしれない。

 くだらなくて、内容ゼロで、あざとくて下心満載で。

 それでも――千影にはわかっている。

 これは、彼女なりの戦いだったのだと。

 ヘタレなりに、カスなりに。

 必死に、あがいてもがいて、走り続けてきた証なのだと。


「……なにも知らないやつらは黙ってろ」


 文句言っていいのは、僕だけだ。


 自己満足で人助けなどするものではないとわかっている。

 自分はヒーローでも正義の味方でもないとわかっている。

 そんなのは性に合わないとわかっている。


 けれど、答えは決まっている。

 ――明日僕は、飼い犬に土下座する。


 上から順に動画を開いていく。誰がなにを書いていようと、「うっせえバカ」と思いつつ、一つずつイイネのボタンをタップしていく。

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