34:マコちゅん事件の犯人
前回までの赤羽ダンジョン
・イヌまんの必殺技は非殺傷型音響攻撃
・命名、【ギャンほー】
今回の赤羽ダンジョン
・それとは別に、マコちゅん事件が進展した模様です
帰り際、宮本と言葉を交わしたあと、ロビーで待っていたギンチョたちと合流する。
「タイショー、なんの話してたんだ?」
「いや……まあ、ちょっと……」
「ちーさん、かおがこわいです……」
「いやいや、なんでもないって」
外はやや強めの雨が降っていて、ギンチョとイヌまんはレインコートを着込み、千影とテルコはビニール傘を差す。
「今日の夕飯、ちょっと季節外れだけど、鍋でもやろうか。いろいろ疲れちゃって、ちょっとほっこりするもんが食べたい」
「なべ! テルコおねーさんのボルシチとちがうです?」
「えっと……まあ汁物だし、いろいろ煮るって意味では一緒だけど――」
ポケットの中でスマホが振動する。傘を肩で固定して電話に出る。
「……あのさ、ちょっと用事ができた。先に帰っててくれる?」
「ようじって?」
「あの、えっと……明智さんから。マコちゅんの件だと思う」
彼女らには今川真琴宅で千影が見聞きしたことは共有済みで、特にギンチョは大きなショックを受けていた。その名前が出て、今も不安げな顔になっている。言わなければよかったかもしれない。
ギンチョの頭に手を乗せる。なぜかイヌまんが低くうなる。お前じゃねえよ。空気読め。
「なるべく早く帰るから、今日のぶんの勉強と日記とやっとくように」
「はう!」
「あと時間があったら引っ越しの準備もね。とりわけお前の荷物(というか捜査課の人たちがくれた荷物)は多いから」
「はう! おかたづけします!」
「鍋の準備もしといて。日本の鍋は野菜とキノコがたくさん必須だから、ネギと春菊と白菜は帰りにスーパーで買っといて。あと人参としいたけも……なぜ返事しない?」
*
テルコの件で訪れた捜査課のビルに再訪。
前と同じ小さな会議室(取調室?)に通される。ほどなくして三人――明智、若い女性、それと中年男性が入ってくる。
「お待たせしました、早川さん」中年男性が言う。「お会いするのは初めてですよね。プレイヤー犯罪捜査課課長、佐久間です。お見知り置きを」
男性が名刺をテーブルに置く。佐久間賢一。銀縁メガネでオールバック、高級そうなグレーのスーツ、糸目だがスマートでいかにもエリートっぽい。オミシリオキヲをリアルで口にする人は初めてだ。
「初めまして、同課新人の服部ふたばです! よろしくお願いします!」
その隣の女性が続いて名刺を差し出し、しかも千影の手を握ってくる。握手。赤面不可避。キョドリ必至。ボブカットで利発そうな、いかにもドラマの新入社員役という感じの初々しい人だ。
「早川さんのこと、明智先輩から聞いてますよ! 便利ないn……すごく頼りがいのあるプレイヤーさんだって」
犬だ。今絶対犬って言おうとした。悪魔の言葉だとしてもこういうきらきらした人から聞きたくなかった。しょせんは公務員だ、ちくしょうめ。
佐久間課長が千影の正面に座る。彼の隣に明智、テーブルから離れて明智の斜め後ろに服部。なんだろう、バイトの面接でも始まるのかという状況だ。
「先日の今川真琴の件、うちの明智にご助力いただいたようで、上司としてお礼申し上げます。ありがとうございました」
「いえ、そんな……」
【スプリガン】について話したのは千影だが、それを元に推理したのは明智だし、おそらく彼女もその可能性を先んじて察していたことだろう。
「部屋の天井や壁から、指紋や皮脂以外にも【スプリガン】使用者特有の分泌物も検出されました。犯行の手口については早川さんと明智の推論で間違いなさそうです」
以下、推測される犯行の手口。
・犯人は【スプリガン】を使用してマンションの外壁を登り、ベランダから侵入した。窓を開ける際は指紋を残さないように留意した模様。
・その後は床に極力足跡を残さないように【スプリガン】で天井に貼りつき、天井や壁を伝って移動し、ベッドの上で待機(【スプリガン】は一分以上連続使用できないらしい)。ベッドから彼女の衣服とは異なる繊維片が回収された。
・彼女の帰宅を見計らい、部屋の入り口の上に足で吸着して身体を固定し、部屋に入ってきたところでロープで首を吊り上げた。これなら真上から吊った痕跡も吉川線も説明できる。
・殺害後は手袋や彼女のスリッパを着用し、自殺に見せかけるための偽装工作をするつもりだったが、彼女はまだ死亡しておらず、さらに父親がやってきてしまった。
・彼女のスマホのみを持ち出し、再び【スプリガン】でベランダから逃走。
但馬刑事らの「だからプレイヤー犯罪は嫌なんだ。じゃあなにか、世の中の事件全部いちいち超能力のトリックを疑えってのか?」という愚痴もごもっともだ。彼らがダンジョンやD庁を疎ましく思うのもうなずける。
「あの……訊いてもいいですか?」
「なんでしょう?」と佐久間。
「犯人ってプレイヤーなんですよね? マコちゅん――今川さんとどういう関係の人だったんですか?」
一瞬、明智の顔が険しくなる。眉根をひそめて鼻にしわを寄せる鬼のような形相。千影は率直に怯む。僕なんか悪いこと言った? 今日生きて帰れますか?
「捜査中の案件ではありますが、容疑もかたまったことですし、お教えしてもいいでしょう」
「あ、いや……」
そんな風に言われると、別にそこまで知りたいわけでもない。なんてまごまごしているうちに、服部が写真をクリップした紙をテーブルに置く。写真には四十前後くらいの真面目そうなスーツの男が映っている。
「飯田浩二、三十九歳。プレイヤー兼会社従業員、デイザー日本支社、嘱託社員」
「デイザーって、プレイヤー向け製品のデイザー?」
「さすがですね。そのとおりです」
千影愛用のサムライ・アーマーと並ぶ、プレイヤー向け装備品などの製造販売メーカーの大手企業だ。米国の会社だが、ダンジョンの本場である日本支社のほうが社員が多いと聞いたことがある。確か千影の元同級生の大和完介が使用していた。
「彼はそこで現役のプレイヤーとして製品開発部門に籍を置き、製品の試用、素材調達、市場調査、社員への実戦指導などに協力していたそうです。【ベリアル】のレベルは3。仕事ぶりは真面目で人柄もよく、部下上司とも関係良好。二年前に同社女性社員と結婚、子どもはなし。公私ともに順風満帆といったところでしょうか」
そんな地位も家庭もある人が、なぜマコちゅんを? そもそも二人の関係は?
「容疑者は天井から採取した指紋と皮脂からすぐに特定できました。D庁のデータベースと照合できたので簡単でした。外国人――IMOD側のプレイヤーだった場合はもう少し時間がかかったでしょうね。犯行の動機や被害者との関係については、昨日ようやく情報が入ってきたんですが――」
「課長、それは――」
「明智さん、まだ私が話している途中です」
佐久間課長は微笑みを絶やさずにやんわり制止する。千影は驚愕。すげえ、階級社会って一言しゃべるだけで魔封波撃てるのか。
「スマホから彼との連絡に使っていたらしきフリーアドレスがわかりました。ちょうど去年の今頃に知り合い、何度か会っていた模様なのですが、いわゆる『下書きでのやりとり』でデータを残していなかったようですね。おそらく飯田側の入れ知恵なんでしょうが」
「もしかして……不倫的な……?」
「その可能性が高そうですが、まだなんとも。最近まで音信不通になっていたようですが、九月に入って何度か彼女のほうから実際にメールを送っていたようです。そこでなんらかのやりとりが発生し、事件につながったのではないかと」
痴情のもつれというやつだろうか。だが一年前に関係が終わっていたのなら、なんで急に今頃になって、しかもこのタイミングで?
「一方で彼女の裏アカウントには、彼に関する明確な記述は残されていませんでした。彼女自身、つぶやくことを意図的に避けていたのかもしれませんね」
「裏アカウント?」
「ツブヤイターの鍵アカウントですね。フォローもフォロワーもゼロ、自分一人が閲覧するための、日記というか雑感というか。日々のとりとめもないことをぽつぽつとつぶやくのが習慣になっていたようです」
意外だ。そういう隠れたマメさがあるとは。まあ、吐き出したいことが溜まっていたのかもしれない。
「ともあれ、犯人は状況的に間違いなく飯田です。逮捕状も発布されました。二人の関係や動機については、逮捕すればはっきりするでしょう――と言ってしまうと簡単なことのように感じられるでしょうが、実は少々困ったことになりまして」
「はあ(なんか嫌な予感)」
「飯田、実はもう地上にいないんです」
「へ?」
「罪を悔いて空の上に旅立った、というわけではありません。むしろその逆、罪から逃げて地に堕ちた、という表現するのが正しいでしょう。つまり、彼は今、ダンジョンにいるんです」
 




