32:プラネタリウム
「あのよ……そもそも論いいか?」
「なんでしょう、但馬さん?」
「プレイヤーが人殺しをするなら、ダンジョンでやったほうが効率的じゃねえのか? クリーチャーのせいにできるし、死体だってクリーチャーに食われたり時間経てば勝手に分解されんだろ? もうそれだけで完全犯罪じゃねえか」
まったくもってそのとおり。そういう目的でダンジョン内PKが横行していた時代もあったらしい。千影もテルコ関係でそんなのに巻き込まれたばかりだ。
「そうなんですけど……彼女、最近はほとんどダンジョンに行ってなかったみたいです。元々トラウマがあって、動画も伸び悩んでて……だから犯人も、そこを狙うってのもできなかったのかなと。無理やり連れ込むのも無理だし……」
もちろんそんな人がいて、プレイヤーだったらの話だが。
「よし、じゃあまずは侵入経路から考えよう」と明智。「父親の証言が事実なら、ドアには鍵がかかっていた。エントランスにも階段にも怪しい人物の出入りはなかった。監視カメラで確認済みだ」
「このマンションの住民は? 怪しい人はいないんですか?」
「ここは女性の単身者専用のマンションだからな」と但馬。「出入りしていたのも全員女性だ。さすがに人一人をまったく痕跡を残さずに自殺に見せかけて殺す、なんて芸当は不可能だろう。プレイヤーも彼女以外にはいない」
「早川くん、話を戻すよ。仮に犯人が彼女の帰宅を待ち伏せしていたとしたら、鍵を開けて部屋に侵入する必要がある。そんなプレイヤー能力があると思う?」
「いや……鍵開けのアビリティなんてなかったかと……ダンジョンの宝箱を開けるピッキングツールが結構優秀で、家の鍵とかも開けられるって聞いたことあるけど(僕も持ってるけど)……鍵穴に傷とか残ったりする気が……」
「そんなものはなかったよ、当然」と但馬。
「じゃあ、仮になんらかの方法や理由で合鍵を持っていたと仮定しよう。プレイヤーの能力で、監視カメラに見つからずに五階のこの部屋までたどり着けると思う?」
千影は頭をひねる。明智の質問は、きっと彼女自身がすでに考え、彼女なりに答えを出しているものだろう。そんな気がする。千影の役目はその答え合わせに付き合うこと、あるいは違う目線を提案することだ。
「えっと……たとえば、マンションの廊下は外に剥き出しになってますよね? プレイヤーの脚力と腕力なら、脚立とかなくても二・三階くらいならよじ登れるし、そこから階段を使うとか?」
「そもそも玄関から誰かが侵入した形跡はなかった」と大森。「鍵を開けられない限り、部屋に先回りはできない。彼女が帰宅して鍵を開けたタイミングを狙う? だとしても一切抵抗した痕跡もないのは不自然だ」
ほら、無理だって。素人に推理なんて。
「じゃあ……ベランダから入ったとか? 窓の鍵は……?」
「開いていたよ」と但馬。「父親によると、普段からそこに鍵をかける習慣はなかったらしい。でも五階なら別に不自然なこともない。君らプレイヤーなら五階まで登れるのか?」
ベランダに出て確認してみる。広くはない、洗濯物を干すだけでいっぱいくらいのスペースだ。手すりの下にはスモークガラスが貼られている。隣のベランダとはせり出した壁で仕切られている。
なんというか、よくある配管的なものが剥き出しなら、映画みたいによじ登れそうな気もする。けれどそれはベランダの内側に通っている。身を乗り出して外壁を見てみても、よじ登れそうなとっかかりはない。
「二階の人のベランダに登って、その上の階にジャンプして……は無理かな。さすがに派手なアクションすぎて目立つし住人に見つかるかもだし、手すりのガラス割っちゃいそうだし」
「お前マジでノリノリだな。そういうのに憧れる年頃か?」
あーあ。明智にそんな風に言われて、とたんにやる気がなくなってくる。男の子のハートは意外とセンシティブなのに。とりあえず部屋の中に戻る。
「えっと……【レギオン】とか【ジャック】とか、ジャンプ系のアビリティがあるけど、さすがに五階までは届かないかと……。あとは【スプリガン】とか。手足を壁に吸着させてよじ登れるやつ。こないだ直江さんがガチャで当ててたやつです。五階くらいなら余裕で登れるかと……思いつくのはそんくらいです」
「……そうだな、あたしも同意見だ……」
と言いつつ、明智が口に手を当ててなにか考え込んでいる。
「うーん、まあ――」と但馬。「プレイヤーなら侵入は不可能じゃないって話かもしれないが、結局は証拠がないことにはなんとも言えんな」
「争った形跡がないのは?」と大森。「首を後ろから上に持ち上げるように絞められていた。まったくの無抵抗でそんな状況をつくり出せるか?」
「えっと……寝込みを襲ったとか……?」
「それはないな」と但馬。「彼女の帰宅時間と父親の通報時間はそう離れていない」
「ちなみに、睡眠薬などの薬物なども検出されなかった」と大森。「プレイヤーには相手を眠らせるような魔法があったりするのか?」
「アイテムはありますけど、たぶん検出されるだろうし……あ、【マドロミ】ってスキルがあります。ダンジョン光子の麻酔薬的なやつを投与して、相手を眠らせるやつ。それなら検出されないかも……だけど……口とか傷口とかに直接触れないといけないらしいし、眠らせるには時間がかかるらしいんで……」
「彼女には吉川線――絞められた部分を引っ掻いた跡――が多少あるくらいで、その他に外傷はなかった。効くまでに時間がかかるなら、間違いなく抵抗しただろうな。爪に相手の皮膚や服の繊維なんかが入っていてもおかしくないが、調べてもなにも出てこなかった。もちろんそれを洗い流したような痕跡もなかったし、首を引っ掻いた際の彼女自身の皮膚もちゃんと検出された」
千影はむーんと目を閉じる。
だから無理だって。推理ものなんてマンガでちょろっと読むくらいだし。
なにか他に考えることはあるだろうか。スマホでウィキを開く。幾度となく見てきたスキルやアビリティの一覧ページを舐めるように見る。なんかないか、なんかないか――。
「但馬さん、鑑識を呼んでください」
しばらく黙っていた明智が口を開く。二人が首をかしげる。
「なんだ唐突に、なにを調べるってんだ?」
「部屋の壁です。主に天井。指紋と皮脂がとれるかもしれない」
いつになく真剣というか、殺気すら感じられる鋭い眼差し。ベテラン刑事二人が気圧されるくらいだから、千影もビビってちびりそうになるのは誰も責められない。むしろちびらなかったことを褒めてもらいたい。
そのあと、テレビドラマで見たことのある青い作業着の男たちがやってきて、「狭いから」と明智ともども部屋の外に出される。明智は手すりにもたれてタバコを吸い、千影はスマホをいじる。ちーさんはおなかすきました。そろそろ帰りたい。
しばらくして、「なんじゃこりゃあ!」と但馬らしきさけび声が聞こえる。腹でも撃たれたのかと一瞬疑う。
がちゃっと玄関のドアが開き、大森が丸っこい頭がひょこっと出てくる。その顔は青ざめて引きつっている。手でちょいちょいと招き入れる。
再び入った部屋は、電気が消されている。カーテンも引かれて薄暗い。ベッドに腰を下ろした但馬が顔を上げ、投げやりに首を振る。
「……こんなもん……どうすりゃいいんだっての……」
千影と明智が顔を見合わせる。大森が鑑識の人に「ライトを、もう一回見せてください」とお願いする。
鑑識の人は千影と明智にオレンジ色っぽいサングラスを手渡す。二人がそれをかけるのを待ってから、懐中電灯のようなものを頭上に向け、かちっとスイッチを押す。青っぽい光が天井を照らす。薬液を散布した箇所の指紋を反射させるやつだ。
「……うぷっ……」
千影の口からうめき声が漏れる。吐き気と涙が同時にやってくる。背筋の冷たさと肌の粟立ちを抑えられない。
「……最悪のプラネタリウムだな、こりゃ……」
明智が呆れたようにつぶやく。このおぞましい光景を前に軽口を叩ける神経がすごい。
千影は改めて見上げる。
天井、その付近の壁。白い壁紙をびっしりと埋め尽くす、無数の指紋と掌紋の光。まるでホラー映画の忌まわしい亡霊の痕跡のようだ。
邪悪な執念と殺意。それが彼女に注がれた結果がアレなのか。そんな問いが吐き気を膨らませて、千影は慌ててトイレに駆け込む。
「お手柄だ、ダンジョンヲタ」明智が千影の背中に言う。「これは【スプリガン】を使用した痕跡だ。侵入経路はベランダから。窓を開けるときだけ指紋をつけないようにして、天井と広げたままのベッドを行き来する。床に足紋などの痕跡を残さずに済むからな。計画的には自殺に偽装としようとしたんだろう、帰ってきた彼女を天井から襲い、上から釣り上げるようにして首吊りに近い状況をつくろうとした。父親が来なきゃそうなってたかもな」
「……じゃあ……」
「決定だな。今川真琴を襲ったのは、プレイヤーだ」
 




