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25:黒のラーテル

「……わふっ、わふっ」

「……いるニャ、先生、この先ニャ」


 イヌまんと島津が同時に反応する。一同は足音を殺し、身をかがめ、慎重に歩を進める。やがて先頭の二人が足を止め、合図する。

 振り返ったテルコが、目尻に涙を溜めて身体を震わせている。


「ようやく会えた……すげえよ、タイショー。あんな綺麗な生き物、初めて見た……」


 茂みの陰から垣間見える。開けた暗い色の草地に映える、炎と黄金を混ぜたような美しい赤橙の毛並み。わずかな身じろぎのたびに煌めき、ふるる……と息をつくたびに光の加減で濃淡が変わって見える。

 鼻先の尖ったイヌ科の顔、右側だけ先端の欠けた耳、サファイア色の瞳。背中に生えた白毛混じりの翼。その立派な体格とたくましい脚を見るに、それほど長距離や高高度を飛べるわけではなさそうという北畠の推測は当たっていそうだ。

 その足元に、赤い毛玉が三つまとわりついている。あれが幼体か。頭は丸っこく、翼も小さい。きゅーんきゅーんと親を見上げて鳴いている。


 千影は胸にこみあげるものを抑えるのに必至だ。

 いやいや。ちょっとこれ、やばい。

 テルコじゃないけど泣きそう。

 なにこの光景。美しすぎる。景色とか見て感動するタイプでもないのに、ちょっとグッときてる。これまでの苦労が全部ここに詰まってる、そう考えると余計泣けてくる。

 なんだよ、フェニックスウルフってどこの厨二命名だよとか思ってたのに、もう正解じゃんそれ。それ以外呼びようないじゃん。こんな綺麗すぎるクリーチャー初めて見る。感動が止まらない。


 どうしたものかわからなくなって、とにかくスマホで撮影する。なにも考えずにシャッターボタンを連打する。別に誰に見せるでもないが。あとで家で見てにやにやしようと思う。


「イヌまん、ありがとうです。グッジョブです」


 ギンチョもイヌまんを抱きしめて涙ぐんでいる。イヌまんは「いいってことよ」とでも言いたげに彼女の顔を舐める。

 一眼レフカメラで一心不乱に写真を撮りまくっていた北畠が、ふと、カメラを下げて訝しげな顔をする。千影も同時にその異変に気づく。


「……あの親、もしかして……」

「……はい、怪我をしているようです」


 親の身体が呼吸のたびに大きくはずんでいる。疲労しているのか、苦痛に悶えているのか。傷口は見えないが、その足元に黒ずんだ液体がこぼれているのが見える。まとわりついている子どもたちはじゃれているのではなく、心配して声をかけているようだ。


「……ていうか、ほんとに僕らに気づいてないんですかね……?」


 千影は目を凝らして彼らを観察する。親は茂みに隠れているこちらを向くことはない。千影たちとは別の方向をじっと凝視したまま頭を動かさない。なんというか、それが不自然な気がする。この距離でまったくこちらの気配を気にするそぶりがないなんて。こちらを察しようとすることすらしないなんて。

 いや、たぶん気づいている。こちらに敵意がないことにも気づいている。

 そして、だから放っておかれている。としたら、あの視線の先になにが――

 ばたばたと慌ただしい羽音とともに、頭上を鳥が飛び去っていく。


「……なにか来る……」


 千影は【ロキ】で音を拾う。ここから右手の奥、すす、すす、すす……と近づいてくる、押し殺されたかすかな物音。ここから五十メートルも離れていない。そして速い。

 やがて木々の隙間から、黒い外殻の鈍い煌めきが垣間見える。八本の脚を小刻みに動かし、するすると地面を滑るように迫ってくる。


「ぎゃw――」

「わf――」


 ギンチョとイヌまんがさけぶのを察知して、千影とテルコで口を押さえる。ナイスチームプレイ。

 そいつとの距離が縮まってきて、その姿がはっきりと見えてくる。


 体高はフェニックスウルフと同じくらいだろうか。足の生えた黒い鮫、というのが第一印象だ。

 顔先は尖った鼻、開いた口から青い牙がガチガチと不ぞろいに伸びている。口の上に白っぽい目らしきものがぶつぶつと無数にあり、その上にちょこんと耳らしき突起もある。首は細長く、胴体はずんぐりと太く、尻尾はまた細長い。八本の脚は短いが歩調は軽く、足音はほとんど聞こえない。

 しかも、それが二体だ。左右から足並みをそろえて進んでいる。片方は赤い目、もう片方は青い目をしている。


「……Pラーテルニャ……」


 島津がつぶやく。いつになくこわばった表情で。


「ラーテル?」

「中東やアフリカに分布する、スカンクとアナグマを混ぜたようなやつニャ。雑食性で毒蛇なんかも普通に食うし、そんな大きくないのにライオンにとかケンカ売ったりして、世界一怖いもの知らずって言われてる猛獣ニャ」


 うちのテルコをケモノにした感じ? なにそれ怖い。


「ちなみに……想定レベルは……?」

「レベル5~6……この山一帯の最強クリーチャーの一つニャ。俺も初めて見るが、間違いなくそれくらいはありそうニャ。さすがの俺も勝てる自信はないニャ、可愛さ以外で」


 はい終了。全力退避準備。

 Pラーテルはまっすぐにフェニックスウルフのほうに向かっている。フェニックスウルフもすでに視認できているのだろう、そちらに顔を向けたまま、「グルルル……」と牙を剥いて喉を震わせている。

 フェニックスウルフの負傷はあのPラーテルによるものなのだろうか。

 天敵から逃げ回っている、という島津の言葉――あいつがその天敵なのだろうか。まれにクリーチャー同士が争ったり食い合うことがあると聞いたことがあるが、実際にその現場を目撃するのは初めてかもしれない。

 フェニックスウルフはなぜ逃げないのだろう。もう飛べないほど手負いなのだろうか。いずれにせよ、このままだと両者はここで殺し合うことになる。それだけはわかる。


「先生、どうするニャ?」

「ちょ、どうするって」と千影。「まさか助けに入るとか?」


 無理無理。安全優先。クリーチャー同士のイザコザなんかに巻き込まれてたまるか。


「でもさ、このままじゃ――」とテルコ。「あいつら、あんなちっこい子どもごと食われちまうぜ。せっかくようやく見つけたってのに、それでいいのかよ?」

「かわいそうです!」とギンチョ。「たすけてあげたいです!」

「いやいや。つっても、それが自然ってやつだろ? 食おうとしてるクリーチャーだって、生きるためにそうしてんだから。僕らはまったくの部外者なんだから」


 ぶっちゃけそんなことはどうでもいい。方便だ。とにかく戦闘だけは避けたい、それが本音だ。

 島津もいるとはいえ、レベル6前後が二体、それに抗うフェニックスウルフも(好戦的ではないとしても)かなり強いと思われる。そんな化け物どもの殺し合いにわざわざ首を突っ込むなんて、超大型台風の日に「おっしゃ、川の様子見に行ったろ!」レベルの自殺行為だ。ギンチョとイヌまん(と北畠)を守りきれる自信がない。

 北畠は目を閉じて眉間にしわを寄せ、首を横に振る。


「……早川さんの言うとおりです。あまりに危険が大きすぎるし、彼らの争いに我々が介入する理由は――」

「ギャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

「ギュァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 Pラーテルの咆哮が北畠の言葉を遮る。すでに足を止めている、フェニックスウルフとの距離は二十メートルほど。子どもを足元に隠しながら、親がゆったりと立ち上がる。露出した腹の下が黒ずんだ体液でぐっしょり濡れている。


「……けがしてるです……」

「あいつらでやり合ってたんだろ……たぶん黒いほうが勝つ。残念だけど、つったら黒いほうに失礼かもだけど」

「……あかちゃんいるのに……」

「気持ちはわかるって。だけど僕ら、いつもクリーチャーを殺してる。お前だってその肉を食ったり、ドロップアイテムでメシ食ってる。かわいそうかもだけど、あいつらだって腹が減ればプレイヤーを襲う。今だけあいつらだけ助けるなんてのは筋が通らない」


 いつもの千影なら、ここまで強い口調で断定的な物言いをすることはない。今は悪者になってもいい、あとで薄情者と罵られてもいい。フェニックスウルフ発見という仕事はすでに果たした、そこから先のことなんて知ったことではない。安全第一、命最優先。一秒でも早くここを離れたい。それだけだ。


「ギャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

「ギュァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

「グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」


 互いに目を血走らせ、咆哮をぶつけ合う。一触即発の図説にぴったりの状況。

 ダメだこれは、ないない。そもそもこっちの存在なんて眼中にない。のこのこ出ていく理由はない。危ないない。おっかないない。

 ――のに。


「えっ?」


 ばさっと茂みから飛び出していくクリーム色のぼってりボディー。あまりにも意表をつかれ、千影も一瞬ぽかんとする。


「イヌまん? なんで? じゃない、戻れ!」


 立ち上がってさけぶ。イヌまんはそれでも止まらず、短い脚をフル回転させて対峙する三体の間に飛び込んでいく。なんで? なんだー? なんですと?


「ふ――ざけんなボケェーーーッ!」


 千影の中に湧いたのは、驚きのち怒り。普段めったに出さない怒声と同時に駆けだす。一拍遅れてテルコとギンチョも。テルコはともかくギンチョは来るな、これ以上やめてほんと。

 イヌまんはざざっと滑り込むように静止し、Pラーテルに頭を、フェニックスウルフにまん丸な尻を向ける。やはりと言うべきか、ギンチョの言葉を理解していたのか、フェニックスウルフを庇う気だ。


 フェニックスウルフは突然の加勢に戸惑っている。Pラーテルも同じだが、ちっぽけな闖入者の意味不明な敵意を察知し、「ギャァアアアアアアアアアッ!」と威嚇のおたけびをあげる。真正面から受けたイヌまんは――いつもみたいに泣きだして尻を見せたりせず、身を屈めて低くうなっている。


 いやいや。無理だって。向こう怪獣でお前パグだから。

 明らかに生きてる世界違いすぎるから。朝のニュースの〝本日のワンコ〟とディスカバリー猛獣チャンネルくらい違うから。


 あと少し。あと数メートル。手を伸ばせばあの背中を鷲掴みにできる。だがPラーテルも臨戦態勢に入っている。

 やばい、やばい。間に合え。


 ――と、イヌまんが後ろ脚で立ち、大きく頭をのけぞらせ、ぶくっと胸を膨らませる。カエルかフグかというように。ベストの胸のボタンがはじける。そして――


「ギャオンッッッッッッ!!!!」


 爆発的な咆哮。一息ぶんの短いその咆哮が、衝撃となってあたり一帯を打ちつける。

 脳みそを殴るかのような音の暴力、反射的に顔を背けずにはいられない。なんだだだだ、あががが、なにがががが――。


「ギャァアッ! ギャギャギャッ!」

「ギュァアッ! ギュォアアアッ!」


 なにが起こったのか。Pラーテルが頭を上下左右に振って身悶えている。よだれを撒き散らし、八本の足をばたばたさせている。毒でもくらったかのように。


「くそ、なんなんだよもう!」


 事態は呑み込めない。まだ耳鳴りが残っている。

 けれど千影はすぐにイヌまんの前に滑り込み、二振りの小太刀を抜く。


「ギンチョ! イヌまんと一緒に先生のところまで下がれ! 早く!」


 息を荒らげたPラーテルが、それでも悶絶状態から立ち直り、千影たちを睨みつける。千影の隣には短槍を構えたテルコと、わずかに遅れて島津も並ぶ。


「実はこっそりチャージしてたんだけどニャ……イヌまんの声で吹っ飛んじゃったニャ」

「……すいません、耳鳴りでよく聞こえなくて……」


 ともあれ、これで千影たちははっきりと敵認定されてしまった。こうなればやるしかない。こいつを倒して生き延びるしかない。


 千影は手の震えを握りつぶし、敵意と殺意に満ちた十数個の目と睨み合う。頭の中で「ちくしょうアホ犬デカ犬」と百回くらい呪詛を唱えながら。


本日20時より新作「糸繰りの国、メトロの狩人」を公開します。

ご一読いただけると大変嬉しいです。よろしくお願いします。

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