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24:イヌまんトレース

 九月十八日、月曜日。フェニックウルフ追跡二日目。

 迷彩服を身にまとった北畠は、年のせいかやや疲れを残している感じを見せつつも、イヌまんの右へ左へ脈絡のない足どりに文句一つ言わずついてくる。リュックが重そうなので少し持とうかと提案しても、「戦う力のない老いぼれの役目ですから」と気丈に振る舞う。仕事のためとはいえ、大変なことだ。


「……あの、北畠さん……」

「はい、なんでしょう?」

「……ダン生研の人も、ていうか北畠さんも、島津さんのアレ……やらされるんですか……?」

「……なんのことでしょう……」

「……北畠さんの声も、あの人のスマホに……」

「……やめましょう、その話は……」


 北畠の今までにない苦悩の横顔を見て、千影もそれ以上言葉を継げなくなる。

 噂の本人は千影たちの前を歩いている。茶トラ柄のファーのアームバンド、ストッキング、ショーツ(ビキニパンツ)、そして胸当て(ブラジャー)という装備で、それ以外の部分は素肌剥き出しだ。ここまで露出の多い挑戦的な装備は初めて見る。願いが叶うなら前を歩かないでほしい。


「……僕らを巻き込んだのって、あの人と二人きりが嫌だったから……」

「そんなわけないでしょう。イヌまんくんの能力に期待した上でのことですよ、もちろん」


 けれど目を合わそうとしない。頑なにこちらを見ない。

 山中で軽い昼食をとった十数分後、イヌまんが地面から顔を上げ、いきなりリードを引っ張りはじめる。


「インダイレクト――ここまで地面に残ったにおいをたどっていたイヌまんくんですが、顔を上げましたね。においが近いようです」


 やがて小さな水辺のほとりに出て、イヌまんがそこに穴を見つける。茂みの奥に隠れた横穴だ。ちょっと通りかかっただけでは見落としていたかもしれない。入り口は直径で千影の背丈よりもわずかに小さい程度で、奥行きはそれほど深くない。なんだか変なにおいがする。


「巣穴ですね。縁に掘ったような爪痕がある。ここで子育てをしていたのでしょう」

「……ちなみに、母親のフェニックスウルフって、どんくらいの大きさなんですか?」

「雌かどうかはわかりませんが、幼体と一緒にいた成体は体高にして二メートルから三メートルほどだったと聞いています」


 でかい。想像してちょっとビビる。


「にしても……この巣穴はすでに放棄されているようです。今も使われているような痕跡はない。となると、妙ですね。子育て中なのに他の巣に移動したなんて」

「でも……目撃証言がほんとなら、もう巣立ち? してるってことじゃないですか? 母親と一緒に外にいたんですよね」

「相手もクリーチャーなのでこちらの常識どおりとは限りませんが、個人的に推測する限りでは、まだ巣立ちには早い幼子ではないかなと。でもこの巣穴、目撃されたどの場所からも離れているし……単に飛翔できるという点で縄張りが広いということか、それともまるっと別の巣穴に移動したか……うーん……子育て中の引っ越しというのは、あまり考えられないですが……」

「天敵がいて、逃げ回っているとか」


 そうつぶやいた島津のほうをみんなが振り返る。島津は表情を変えず「……ニャ」とだけ付け加える。




 巣穴の発見という大きな収穫はあったものの、やはり本物を見つけるには至らず、午後五時前にセーフルームに帰還。二日目の調査を終える。


「……結構難しいな、動きながらチャージ……」


 道中、千影は昨日の多大なる代償を埋め合わせるように、「歩きながらのチャージ」を何度も試してみた。片腕を動かさないように意識して、そこに力を集中させていく。

 ……うん、全然無理。

 ちっとも蓄積されていく感じがしない。

 ちなみに、チャージ方式のやや先輩であるテルコにも確認してみた。


「マジで? 全然知らなかった、そんなんできるなんて考えもしなかった」

「〝ワーカー〟の仲間とかイリウスさんとか……はスキル持ってなかったんだっけ」

「ノブもチャージ持ちだったけど、ソロでやってたしな。面白そうじゃねえか、オレも練習してみる!」


 というわけで、二人してぎこちない歩きかたになり、「うはっ! むじーなこれ!」とかテルコがはしゃぎだし、「仕事に集中するニャ」と島津に怒られる始末。まったくもって正論ながら、それでも千影はタイミングを見つけてこっそり試したりした。何度か半秒ぶんくらい、歩きながらでもチャージすることに成功したが、それが精いっぱいだった。


 うん、知ってた。

 最初からうまくいくわけないって。才能なんてないんだから。


 わかっている。このままでは全然使い物にならない。だがしかたない。凡人はあれこれと頭をひねり、何度も試行錯誤するしかない。

 せめて島津と同じくらいできるようになれば、きっともっと【ラオウ】のポテンシャルを引き出せる。ギンチョたちを守る大きな力になる。

 焦らずに、でもなるべく早くものにしたい。

 なんとなくだが、コツさえ掴めばそこからは早そうな気がしている。ここからは知識やメンタルではなく、人それぞれ身体の感覚の問題だ。何度も試して掴んでいくしかない。


「……イヌまん、すっかり人気者になってる……」


 他のプレイヤーからおやつをもらい、撫でられ、抱っこされ、肉球を揉まれ、一緒に踊ったり、一緒に写真撮影したりしている。すっかりここのマスコット状態、イヌまんもちやほやされてご満悦。あの愛嬌を十分の一でも真の飼い主に向けられないものか。


「ギンチョちゃんもそうですが、イヌまんくんの人気っぷりのおかげで、ここにいる研究者同士のつながりもできました。おかげで貴重な情報を交換することができましたよ。木に登って観測を続けていた者が、警戒するように低空で飛行するフェニックスウルフを何度か目撃したそうです。まだこのあたりにいるのは間違いないですね」


 わいわと賑やかなイヌまんの輪に、北畠は温かい目を向けている。


「不思議なものですね……生まれも言葉も違う人同士を、人語を介せない動物が結びつけてくれる。この大きな地球という星で、人という種は孤独では生きていけないという証左です。我々のよき隣人の命を学び、我々もまたよき隣人として共存の道を模索する。それが動物学の道を選んだ者の使命であると私は考えています」


 とても高尚な志だが、あのデカパグが愛想を振りまいているのは女性とおやつをくれた男性のみという事実に千影は気づいている。


「僕らは明日、余裕があればそのままエレベーターに向かいます。ギンチョたちが疲れてるようなら一泊して、明後日に帰ります。見つからなかったら申し訳ないですけど……それ以上はここにもいられないので……」

「気にすることはありませんよ。イヌまんくんや早川さんたちのおかげで、我々の調査の何日ぶんに匹敵する成果を得られたことか。これまでの働きだけでも、感謝こそすれ、文句など言う余地は一つもありません。ただ……いったん地上に戻ったあと、また可能であれば、お手伝いいただけると助かります」

「それについては……危険性とか他にやることとか、そのへんチームで話し合って、また検討させていただいて……」

「承知しました。条件など諸々含めて、改めて相談させていただければ」

「早川くん、そういやお前さんたちのチームって、名前決めてないのニャ?」


 言われてみれば。すっかり忘れてた。

 D庁にもチーム結成の申告をしないといけない。帰ったら第三回早川家会議を開催するか。


「我々も早川さんたちと一緒に地上に戻るつもりです。泣いても笑っても明日が最後……悔いのないよう、たった一目でも彼らに会えるよう、精いっぱいがんばりましょう」




 九月十九日、火曜日。調査三日目にして最終日。


「うは……こいつはすげえな……」


 テルコが額に手を当てて、感動の面持ちで眼下の光景を眺めている。

 イヌまんのあとについてたどり着いた山頂。ついに拝めた山頂からの景色。そんなに標高――エレベーター前の地点基準――の高い山ではないが、千影たちがやってきた南側が見渡せる。初めて見る北側の、ちょっと不思議な景色も。

 麓の森の先に見える大きな湖はピンク色だ。さらにその先に続く広々とした平原の中になにか青っぽく地面が光る一帯があったり、黄色っぽい岩がごつごつと立っているところもある。そして遥か遠く、フロアを仕切る巨大すぎる断崖の岩壁――。【バロール】があればもっとよく見えるのに。と思ったらギンチョが北畠から双眼鏡を借りて覗いている。


「ここからは見えませんが、〝黒の庭園〟と呼ばれる一帯には、かなり強力な頂点捕食者がうようよとしているそうです。私には縁のない場所ですがね」

「うちにも縁はないですね、絶対」


 断固たる意思表明。フラグなんか立っていない。

 イヌまんはそこから北西側に下りていく。森の様相はそれほど変わらないが、下り坂が続くと足に疲労が溜まりやすい。プレイヤーでも歩きすぎると靴ずれを起こすものだが、そういえばギンチョがそれを訴えたことはない。


「かわがべろっとしていたくなったりしますが、すぐなおっちゃうからだいじょぶです」


 そうか。【グール】で多少の傷はすぐふさがるのか。羨ましい。

 そこからほどなくして、イヌまんが顔を上げる。と同時に――


「――ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 みんな一斉に身をこわばらせる。

 どこかから響いたそのさけびは、なにか怒りのようなものを感じられる。鳥が一斉に羽ばたいて去っていく。虫も混乱するようにやたらめったら飛び回っている。


「……そんなに遠くないニャ。声からして、見つかったらいきなり襲いかかってくるニャ」

「今の……フェニックスウルフの声でしょうか……?」

「断言はできませんが……違うと思います。クリーチャーの声というのは、爬虫類なのか哺乳類なのか、タイプ的に判別がつきづらいですが……少なくともイヌ科の声とはかけ離れていたと思います」

「わふっ、わふっ……」


 イヌまんがリードを引っ張り、声を殺して吠えたてる。翻訳機能がなくてもなにが言いたいのかはよくわかる。


「……近いってことみたいですね」

「先生、どうするニャ?」

「……行きましょう。ただし、安全第一で。危険を感じられたらすぐに撤退できるように」


 改めてフォーメーションを確認する。イヌまんとギンチョの前に島津とテルコ。ギンチョの後ろに北畠、殿が千影。イヌまんと島津の【テング】で前方、千影の【ロキ】で後方を常に警戒する。

 千影は自分の頬を叩く。念願の相手とのお目見えよりも、迫りくる脅威のほうが頭を占めている。鼓動が速くなっている。


 集中しろ、備えろ、捉えろ。

 どんな異変も聞き漏らすな。仲間の命がかかっているんだから。

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