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23:猫耳トレーニング②

 島津はその場で屈伸をし、アキレス腱を伸ばす。手首をストレッチし、肩を回し、そしていきなり千影に向かって突っ込んでくる。

 素手での格闘技術など、千影のそれは【アザゼル】を前提とした対クリーチャー向けの我流にすぎない。とにかく距離を詰めてきた島津を牽制するように前蹴りを放つ。島津が右手ではじき、逆に千影の顔面めがけて回し蹴り。


「んがっ!」


 間一髪で回避。寸止めどころか首を刈る勢いだった――と思ったらバチン! と頬に衝撃を受け、思わず頭がぐらっと揺らぐ。尻尾の一撃をくらったらしい。千影が体勢を整えるまで、島津は余裕の表情で待っている。


 千影は戸惑う。

 なんなのこれ? なんでこんな感じになってんの? スキルの話じゃなかったの?

 だが――こんなときこそうずく、負けず嫌いの虫。

 相手は同じレベル5。せめてもう少し食い下がらないと、ギンチョたちに示しがつかない。


 今度は千影から距離を詰める。右腕の連続ジャブをかわし、ローキックをすねで受け(痛い)、逆に【ヤタガラス】ありきのトリッキー後ろ回し蹴りを放つ。

 ガッ! と鈍い音とともに島津が後ろに吹っ飛ぶ。腕を交差してきっちりガードしている。


 今度は島津が突っ込んでくる。ショルダータックル――を千影は横に転がってよける。ああ、寝間着が汚れた。ちょっと萎える。というか島津が動くたびにサラサラヘアーが躍り、ふんわりとしたシャンプーの香りが放たれる。だいぶ萎える。


「――もういいかニャ」


 島津が足を止め、座ったままの千影に左手を向ける。え、マジで――。

 次の瞬間、白い光が拡散し、シュパッ! と銀色の矢が放たれる。千影の横を通り抜け、背後の地面に命中する。その場所だけドカッ! とえぐれ、白っぽい霜に覆われて冷たい蒸気を立たせている。


「十秒ちょっとの【バルムンク】ニャ。大した威力じゃないけどニャ」


 島津はにかっと笑う。


「んで、早川くん。俺がいつチャージしたか、わかったかニャ?」

「え、あー……」


 彼の行動を思い出す。おもむろにストレッチを始め、いきなり突っ込んできた。攻防、そしてスキル使用。あれ、いつ溜めてたの?


「えっと……尻尾で僕の顔面ぺちってやって、僕がくらくらしてたときから?」

「ブブーだニャ。俺がストレッチを終えてお前さんに突っ込んでいった瞬間からだニャ」

「……マジで動きながら、チャージしてたってことですか?」

「ピンポンだニャ。にゃぴょんっ」


 千影は思わず息を呑む。変なかけ声とともに腰をしならせて招き猫ポーズするおっさんの神経にではなく、彼の語る事実について。


「思い出してみるニャ。俺は一度もお前さんに左手は使わなかったニャ。左手だけは動かさずにチャージしていたニャ」

「でも……止まってないとチャージできないんじゃ……」

「誰がそんなこと決めたニャ? 厳密に言うなら、人間はまったく身動きしないなんて不可能ニャ。チャージ中でもなんでも、身体は呼吸もするし振動もしてるニャ。要は『チャージしながらでも許容できる可動範囲』というのがあるって話ニャ」

「そりゃまあ、わかりますけど……」

「それが事実ニャ」


 ふと冷静になる。猫語のおっさんと夜の森で二人きりで話している自分。会話が成立しているこの状況。それが事実ニャ。じゃねえ。


 考えてみると確かに、千影も以前、「片手でチャージしつつもう片手でバッグを漁る」ということをしたりした。あのときは「こっそりバッグを漁る程度の動きなら許容範囲」と思っていたが、要はその範囲を個々人の技量? 度量? で広げられるということか。


「まあ、こういうのは個人の感覚値だからニャ。才能ないやつは何度やってもダメだし、逆にできる人は動きながらでもフルチャージまで持っていけるニャ。さすがに格上とか同レベルの相手ってなるときついけどニャ」

「なるほど」


 直江なら当然「できるやつ」に入るのだろうが、黒のエネヴォラ相手にそれを使わなかったのはそういうことか。


「ダンジョンウィキにも書いてほしいっす、こういうこと……」

「ウィキに書いてないことなんていくらでもあるニャ。深層のマップだって完成されていないし、アビリティやスキルだって人類が発見したものがすべて網羅されているわけでもないニャ。しょせんはネット主体で情報集めてるだけだからニャ」


 そもそもダンジョンウィキは、D庁が民間へ委託する形で運営されている。編集に関わっている実際のプレイヤーは十人に満たず、D庁や一般プレイヤーから共有された情報などが主なソースになっている。プレイヤーのツイートがそのまま引用されるというようなこともよくある(もちろん許可をとった上で)。

 初心者や中級者には金言とも呼べる各種データ的情報は豊富だが、それより先の「上級者の冒険のコツ」や「スキルなどの使い道」といったテクニカルな情報はそれほど充実していない(それでもじゅうぶんありがたいが)。


「これって、みんな最初から気づくもんなんですか……?」


 だとしたら、改めて自分はボンクラだと思わざるをえない。


「まあ、自分で感覚的に気づけるやつはごく少数と思うけどニャ。俺やお前さんみたいに先輩プレイヤーに教わって初めて知るやつがほとんどじゃないかニャ。俺も可愛い盛りのスキル初心者だった頃は、棒立ちの地蔵状態でしかチャージできなかったから、まさに目からウロコだったニャ。いや、目から猫っ毛だったニャ」


 千影はてのひらに目を落とす。自分もずっとソロのままだったら、直江や島津に会わなければ、いつまでも気づかないままだったかもしれない。

 【ラオウ】について福島に訊いたときもそうだった。ネットの情報量は確かに有意義だが、それがすべてというわけでもない。通販サイトのレビューが自分には当てにならないことだってあるし、こうやって先輩に直接尋ねることで初めて教えられることだってある。

 人とのつながり――その大事さを思い知る。コミュショーなりに。


「いろいろと訓練してきた結果、今は肘から先を動かさずに固定した状態でならチャージできるニャ。もっとも、さっきくらいのある程度セーブした動きの中でしかチャージできんし、ほんのちょっとの力加減や意識の差で失敗することもあるニャ。強い相手と戦っているときなんかまさにそうだニャ、焦ってチャージ失敗させがちニャ」


 それでもじゅうぶんすぎる。応戦、牽制、逃避、サポート……棒立ちの状態よりもやれることの数が段違いだ。


「身体を動かしながら、固定した腕にパワーと意識を集中させる……口で言えば簡単だけど、誰にでもすぐにできるようなことじゃないニャ。さっきも言ったけど、感覚は人によってさまざまだからニャ、俺ができてもお前さんができるかどうかはわからんニャ。たとえばお前さんは『手首から先だけ固定してたら全然オッケー』かもしれないし、逆に『どうしても足を止めてないとチャージできない』かもしれないニャ。そこは訓練と試行錯誤、そして実践あるのみニャ」

「ぶっちゃけ、努力って言われるより、検証とかトライアンドエラーとかに言い換えると結構好きだったりします」

「現代っ子ニャ。ゲーム脳ニャ」


 スキルの強弱は使い手の質で決まる。【ラオウ】を使いこなせるかは自分次第。

 〝ながらチャージ〟が可能になれば、その幅をさらに広げることができる。


「……さっそく、明日から試してみたいと思います」

「それもいいけどニャ、プロならクエスト優先だニャ。そっちをおろそかにしたら氷漬けニャ」

「わかりました。ありがとうございました」

「お礼はいらないニャ。ただし……一つ対価をもらうニャ」

「対価?」


 金? まあ情報料ということならしかたない。あんまり手持ちはないが。

 島津はポケットからスマホをとり出し、ぽちぽちと操作する。そしてそれを千影に近づける。


「このスマホに向かって証言するニャ。俺がどれくらい可愛いのかを。俺の可愛いと思うところすべてをニャ」


 森に風が吹き、木の葉のこすれる音がさらさらと流れる。

 画面に表示されている「録音中」の文字。いつになく真剣な表情の島津。


「ちょっとなに言ってるかわかんないです」

「エビデンスってやつニャ。言質をとるニャ。俺が可愛いという証明を集めることが、趣味というか使命なのニャ」


 背筋が凍る。エビデンスとはそんな地獄用語だったのか。


「すいません……日本語よくわかりません……」

「照れなくてもいいニャ。カワイイは世界の共通語ニャ。可愛いものを可愛いと口にすることは、むしろ世界に誇るべき日本の文化なのニャ」


 千影は空を仰ぐ。木々の屋根に遮られた狭い夜空に、星帯の光が遠くにじんでいる。


「さあ、早川くん。恥ずかしがらず、お前さんの本当の気持ちを口にするニャ――」


 本当の気持ちをそのまま口にした自分の氷漬けにされた姿を想像し、改めて救いはないと思い知る。




 セーフルームに戻ると、イヌまんが外国人のプレイヤーとわいわい遊んではしゃいでいる。いつの間に仲よくなったのか、スマホから流れるBGMに合わせて、金髪のお姉さんや黒人のイケメンの足元で踊るようにぴょこぴょこしている。ギンチョも混じって楽しそうだ。

 遠巻きに眺めていたテルコが振り返り、千影に手を振る。


「どうした、タイショー。シマヅのオッチャンと外にいたのか? ていうか、なんで泣いてるんだ?」

「……なんでもないよ……」


 楽しそうな二人を見て、大事ななにかが損なわれた自分が、もう元に戻れない自分が悲しくて、涙が止まらなくなっている。

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