20:【ネコマタ】
それにしても、この森? 樹海? はいろんな生き物がうようよしている。
五十センチくらいあるトンボっぽい羽虫、空飛ぶタツノオトシゴ的なやつ。木に貼りついているのはキノコかと思ったら触手のあるクラゲっぽいやつだったり。
プレイヤーになる前、多くの日本人がそうであるように、千影も虫や気持ち悪い系は苦手だった。職業柄というか、この一年半の経験で、今ではキモくてもグロくても顔をしかめる程度で済むようになっている。
「うひゃ! イヌまんとおんなじくらいのイモムシ! キショ!」
「わひっ、ひぃん!」
チビっことデカパグはまだまだ時間がかかりそうだ。確かにキモいけど。
そんな感じでさらに歩くこと一時間、「なんか迷ってね? 行ったり来たりしてね?」と三人も薄々気づきはじめた頃、ようやくイヌまんが足を止める。そして周りをきょろきょろ見る。
「タイショー、もしかして、においがこのへん移動してるんじゃね?」
「でもタマゴのにおいを追ってるんだよね……移動すんのかな……?」
「わふっ! わふっ!」
イヌまんが後ろ足で立って吠えたてる。あまり大きな声を出さないでほしい、クリーチャーが寄ってくるから。と思いきや、前方の茂みのところに奇妙なものがある。
「……看板?」
地面に刺さった「この先、セーフルーム」と英語で書かれた赤い看板。地図を確認すると、確かに山の中腹にセーフルームのマークが書かれている。
「このへんのどっかに入り口があると思う。さがそう」
看板の矢印の方向へ歩きつつ、見落としのないように慎重にあたりを窺う。果たして、イヌまんが斜面の中にぽっかりと開いた大穴を見つける。その先はやや急な下り階段になっている。
「わふふっ! ふぉふぉっ!」
ここだ、この先だ。イヌまんがそう言っている(っぽい)。
だが――セーフルームの中にタマゴ?
「……とりあえず行ってみよう。疲れたから一休みして、おやつでも食べよう」
おやつという響きにギンチョとイヌまんの目がまばゆいばかりに煌めく。
長い長い階段を下りていった先に両開きのドアがある。テルコとギンチョが押し開くと、眩しいほどの光が溢れ出てきて、一同思わず顔をしかめる。
「…………なんだこりゃ」
たとえばエリア2のセーフルームは、オーソドックス(ダンジョン基準)なフードコートタイプ。二層のエリア10の温泉旅館のようなタイプはまれだが、ここも従来のセーフルームとは異なる趣になっている。
山小屋風というか、見渡す限り木造の内装。板張りの床、太い柱、木組みの天井。オレンジ色のランプが吊るされ、手前側が掘りごたつ風のテーブル席が並ぶスペース、その奥にはいくつか囲炉裏もある。
「ほー、いい雰囲気じゃね? アニメで見たロッジみてえだな」
「ろっじ?」
「おう、あそこの囲炉裏でチーズ焼いて食うんだよ。とろとろでカミうまそうなやつ」
「はわわ……」
「わふふ……」
「(チーズないけどね)にしても、意外と人が多いな」
ざっと見ただけで二・三十人はいる。もちろん全員プレイヤーで、装備やリュックをかたわらに置いてくつろいでいる。外国人のプレイヤーが多い気がする。さながら一休みしている富士山の登山客みたいだ。
イヌまんがすんすんと鼻を鳴らし、テーブルの間をずんずん進んでいく。すぐにシモベクリーチャーだと気づかれ、そのリードを握るギンチョを含めて、周囲の視線を思うさま集める。無駄な抵抗とは知りつつも、千影は少しうつむきながらついていく。
というか、イヌまんは本当にタマゴのにおいを追っているのだろうか。こんなところに隠されているとは思えないが。
壁際に受付があり、その脇に廊下が続いている。イヌまんはそこに飛び込んでいき、ギンチョとテルコもあとを追う。
「オキャクサン、オトマリデスカ?」
受付の機械生命体――セーターを着てニット帽をかぶった山小屋のおじさん風ロボ――が話しかけてくる。オトマリデスカ? お泊りですか?
「ベッドルームハイッパクイチマンエン、オオベヤハイッパクヨンセンエン――」
「あわわ、払います! 払いますから! あとで、ちょっと待って――」
機械生命体に目をつけられるのはごめんだ。泊まる際には払う意思があることを告げ、とりあえず三人を追いかける。
廊下を進んだ先、左側に大部屋がある。旅館の宴会広間のような畳の部屋だ。イヌまんはそこに入ろうとして、ギンチョにリードを引っ張られる。
部屋に上がる前にギンチョがイヌまんの足をタオルで拭く。偉い。そうしているうちに千影も追いつく。
「イヌまん、ここにあるの?」
「わふっ! わふっ!」
あくまでイヌまんの嗅覚を信じるとすると、どこかで見つけて持っている人がここにいる、ということだろうか。
「微妙なとこだけど……まあ、ほんとに持っている人がいたら、イヌまんの嗅覚はすごいってことになるよね」
「他の人のもんをゲットするってわけにもいかねえけど、まあ今後のタマゴさがしに役立ちそうではあるよな」
「はう、イヌまん。いいですよ」
四本のあんよを綺麗にしてもらったイヌまんは、そのままずかずかと上がり込み、他のプレイヤーたちが雑魚寝したり談笑したりしているところを横切っていく。そして壁際のほうで毛布にくるまっている人のところで足を止める。
「わふっ! わふっ!」
なにを思ったのか、いきなりその人にのしかかり、むしゃぶりつく。「うわあっ!」と悲鳴、千影も悲鳴。なに、え、なにしてくれてんの?
「ちょ、イヌまん! やめろ!」
慌てて千影とテルコが離しにかかるが、イヌまんはぺちゃぺちゃと顔を舐め回している。
「うはは、くすぐったい! ちょ、待って待って――」
毛布を放り捨て、その人が顔を現す。見憶えがある。
「……あれ、早川くんじゃないですか。というか、イヌまんくん……」
この人、イヌまんの名前を知っている?
その男がすちゃっとメガネをかける。白髪交じりの柔和そうなおじさん。あの人だ、ダン生研の学者兼獣医、イヌまんもお世話になった。
「あ、北畠先生……?」
「はい、北畠です。聞きましたよ、イヌまんくんって名づけたんですよね。はは、面白い名前ですね。この子にぴったりだ」
確かにプレイヤー免許を持っていると言っていた。だがレベル1とも聞いていた。なんでこんなところに? という疑問は置いておき、とりあえず千影とテルコでイヌまんを引き剥がす。
「で、ちょっと驚きましたが、私になんのご用で?」
「いや……あの……とりあえずすいません」
ここまで来た事情を説明すると、北畠はなぜか目を輝かせ、お返しとばかりにイヌまんの顔をぐにぐに揉みくちゃにする。これ以上の無礼を働かせないために千影が羽交い締めしているので、今のイヌまんは袋の犬状態だ。
「なるほど……そいつはすごい……短吻種で鼻腔の短いパグのような犬種は、他の犬種と比較して嗅覚が劣っていると言われますが……イヌまんくんは猟犬としても大変優秀なようだ」
「つーか……先生はタマゴをお持ちなんですか?」
「持っているというか……これですかね」
北畠はポケットからピルケースをとり出し、千影たちに開けてみせる。仕切られた小部屋の一つに、銀色の小さなかけらが入っている――千影が持っているのと同じ、イヌまんのタマゴだ。
「早川さんから譲っていただいたもののほんのひとかけら、お守り代わりにこっそり持ち歩いていたんですよ。あ、職場にはきちんと許可をもらってますよ?」
ほら見ろ、とでも言いたげにイヌまんは「ふふん」と鼻を鳴らす。いや、確かにすごいんだけど。確かに「同じにおいのものをさがせ」という命令どおりなんだけど。
「まあでもさ、別のタマゴは見つかんなかったけど、イヌまんのカミすげえ特技がわかっただけでオッケーじゃね?」
「イヌまん、がんばったです。すごいです。よしよし」
「わふぅ、わっふぅぅ」
ギンチョとテルコに頭を撫でられてご満悦のイヌまん。そろそろ静かにしないと、周りで休んでいる人たちに怒られる気がする。
「確かにすごい。そして早川さん、あなたのその発想が私たちの救いになる。これはまさに天の配剤です」
「はあ(なにが?)」
「ここで会ったのもなにかの縁、というわけで早川さん、イヌまんくん。ぜひとも我々の目的のためにご助力を――」
「先生、どうかしましたニャ?」
背後からの声に、千影たちは振り返る。そしてぎょっとして、開いた口がふさがらなくなる。
「……なんと……」と千影。
「……猫耳……」とテルコ。
「……おそろいです……」とヘッドギアを触りながらギンチョ。
猫の特性と外見的特徴を得る肉体変異型のアビリティ【ネコマタ】。投与したキャットピープルは耳が猫的に尖り、尻尾が生え、体毛や牙が備わる。敏捷性と勘に優れた性能だけでなく、見た目からもプレイヤーには人気で、そして実際に投与した女性プレイヤーは男性から絶大な人気を得る。要はみんな好きなわけだ、猫耳娘。
目の前にいるのはまぎれもなくキャットピープルだ。耳はキツネ色のふわっとした三角形で、背後には茶トラ模様の尻尾がうねっている。
ヒゲも生えている。ぴょんぴょんとした細い猫ヒゲ――ではなく、口と顎を円形に囲む立派なヒゲ。
おっさんのヒゲ。つまりおっさん。猫耳のおっさん。
「おう、おそろいだニャ、お嬢ちゃん」
彼は自分の耳を触りつつ、ギンチョににかっと白い歯を見せる。声がやたらとダンディーだ。ちなみに別件だが、さっきから「いい加減離せよ」という風にイヌまんが千影の腕に噛みついている。
次回から フェニックスウルフ編 になります。
ここまでの感想、評価などいただけると幸いです。




