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16:千影vsモンペ②

 ショートカットで小柄、華奢な身体つき。自称二十二歳、でも千影には年下にも見える。小振りな顔は整っているが、美人というより可愛い系だ。

 黄色ベースのカラフルなプリントのついたTシャツに緑色のジャージパンツ。この部屋着感満載の格好をユニフォームにして、彼女は日々動画をユーチャンネルに投稿している。現役プレイヤーにしてユーチャンネラー。その名もマコちゅん。本名は知らない。

 ともあれ、突然の闖入者に唖然とする一同。


「あなた、誰よ? いきなり出てきてなんなの?」


 いち早く食ってかかるのは母親だ。


「通りすがりの正義の味方です。今お子さんたちが揉めている件、実はこのスマホでばっちり録画してたんですよ。動かぬ証拠ってやつ?」


 千影と前田が顔を見合わせる。「えっと……とりあえず見せていただいてもいいですか?」と柔軟に対応する前田。


「もちろん。ではでは、レッツプレイ!」


 きいんと耳をつくソプラノ声とともに、彼女は机に置いたスマホをぺちっとタップする。動画が再生される。

 画面の映像は左右にゆらゆら揺れている。荒川の土手らしき場所を背景に、女の子とリードにつながれた犬が歩いている。ギンチョとイヌまんのようだ。


「これ、どうしたんですか?」と千影。

「撮ってたの、たまたま」とマコちゅん。


 嘘つけ、なにがたまたまだ。ギンチョを尾行して、盗撮していたに違いない。


 画面の中のギンチョは、ときどき立ち止まって水筒の麦茶を飲んだり、イヌまんにも麦茶を飲ませたり、イヌまんのフンを拾ったりしている。特になんてことのない場面が続く。

 マコちゅんが指を滑らせて時間を飛ばす。と、二人の前に男の子が現れる。遥斗少年とその友だちらしき二人。


「こっからだね。さあ、なにが出るかな? なにが出るかな?」


 千影はちらっと遥斗本人のほうに目を向ける。彼の顔は今、かなり引きつっている。


 ギンチョが足を止める。少年たちがなにか話しかけている。会話の音声までは録れていない。

 ギンチョが首を振る。そして踵を返して立ち去ろうとする。イヌまんもそれに続く。


「ここだね」


 よく見ると三人ともかなり体格がいい。母親の話からすると、柔道教室の仲間かなにかだろうか。その彼らがギンチョたちに駆け寄る。そして二人が後ろからギンチョを羽交い締めにする。


「あ――」


 千影と遥斗少年の声が重なる。彼がとっさにスマホに手を伸ばそうとして、先に千影がそれを彼の腕の範囲から遠ざける。


 ギンチョはじたばたとしている。イヌまんの『わふっ、わふっ』という抗議の吠え声が聞こえる。そこに遥斗少年がゆっくり近づいていく。

 次の瞬間、イヌまんが後ろ足で立ち――『ギャォオオオンッ!』、ペット犬のそれとは思えない咆哮が放たれる。スマホのスピーカー越しでもはっきりとその威圧感を感じられる、まさに怪物的な絶叫。

 遥斗少年がのけぞって尻餅をつき、そのまま土手を転げ落ちていき、画面から姿を消す。友だち二人が慌てて手を離し、拘束から解かれたギンチョはイヌまんに抱きついて制止する。


「……ここまででいいかな? はい、ご視聴ありがとうございました。以上、マコちゅんによるスクープ映像でした!」


 千影は大きく息をつき、椅子の背もたれに寄りかかる。

 前田は困り顔で薄い頭を撫で回している。

 遥斗少年はうつむいて汗だくになり、その横で母親は顔面蒼白で歯を食いしばっている。


「えっと……」と千影。「とりあえず、けしかけた、はなさそうですよね?」

「そうですね……」と前田。

「そんでもって、襲いかかってきたってのもないですよね? 飼い主がいきなり羽交い締めにされて、うちの忠犬が助けようとしたというか、自分に近づいてきたクソg……立派な教育を受けたお子さんを威嚇して追い払おうとしたというか。それでお子さんはビビって転んで土手から落ちて、足をひねったと。柔道やってるのにろくに受け身もとれなかったと」


 母親はなにも言い返してこない。平静を装う千影の頭の中では「空前絶後のざまあ! 超絶怒涛のざまあ!」と数百種類の「ざまあ!」が花火のごとく打ち上がっている。


「おまわりさん、これってうちの子とうちの犬、なんか悪いですかね?」

「うーん……映像を見る限り、ちょっかいを出してきたのは遥斗くんたちですね。寄ってたかって女の子を後ろから羽交い締め……うーん……あの子ら、先に帰すんじゃなかったな……」

「でも……そいつプレイヤーじゃん。バケモンじゃん、そのクリーチャーも」


 遥斗少年の化けの皮が剥がれる弁明。煩悩の数だけその尻を叩いてやりたい。


「いくらプレイヤーつってもね、相手は君より小さい女の子でしょ? それを三人がかりなんて、ほんとに情けない……私も小さい頃から武道やってたけど、今どきは礼節とか教えてないのかねえ……」


 母親は沈黙している。遥斗少年の肩を掴み、「それ以上なにも言うな」的に制止するだけだ。


「ギンチョ、なんで言わなかったんだ? こんな風にいじめ? イタズラ? ちょっかい? 出されたって」


 ギンチョはぐすっと鼻を鳴らす。


「……イヌまんはわるくないです……でも、ケガしちゃったから……わたしがわるいから……」


 彼女の言わんとしていることはわかる。自分たちプレイヤーは歩く凶器であり、一般人相手への暴力行為には法律以上に重い道義的責任が伴う。

 千影も普段から「普通の人には迷惑かけちゃいけないよ、プレイヤーを続けられなくなっちゃうよ」と言い聞かせてきた。そのために彼女は反抗しなかったし(柔道少年三人くらい本気を出せば蹴散らせたろうに)、意図せずとはいえ相手を負傷させてしまったことに責任を感じていたのだろう。


「ちーさん……ごめんなさい……でも、イヌまんはわるくないから……」


 涙を溜めて、すがるような目。「シモベの件で問題が起きれば、地上で飼うこと自体難しくなるかもしれない」、そんなことを宮本たちと話したのを憶えていたのだろう。


 だから、だからか。


 ひたすらに「イヌまんはわるくない」と。自分についての弁明は一つも口にしなかった。自分が責任を負うことでイヌまんを庇おうとしていたのか。自分のためではなくイヌまんのために、なにを言われてもじっと堪えていたのか。


 千影は頭を掻く。保護者失格かもしれない、かける言葉が見つからない。


「……だいじょぶだよ、イヌまんは悪くない。お前も悪くない。だいじょぶだから」


 かろうじて言えたのはそれだけだ。あとはただ彼女の頭を撫でてやることしかできない。もう片手でイヌまんの頭も撫でる。低くうなられる。空気読め。


「すいません、お腹すいたんで……帰っていいですかね?」


 あ、その前に誠意とか見せてもらっていいですかね? とか腹いせに言ってやろうかと思ったが、手負いのモンペの逆ギレほど怖いものもないのでやめておく。

 最後に親子からは一言ずつ一ミリも誠意の感じられない謝罪を受ける。誠意ってなにかね。

 前田に挨拶をし、しょんぼりしたままのギンチョを連れ、イヌまんのリードを受けとり、交番をあとにする。


 そのまま帰路につくところだが、マコちゅんも当然とばかりについてこようとする。千影は交番から少し離れたところで足を止める。


「助かりました。ありがとうございました」


 こんな女に助けられたのは癪に障りまくりだが、一応礼は言っておく。助けられたのは事実だし、あの映像のおかげで「痛快! スカッとアカバネ!」という大逆転につながった。いや別に、スカッとはしていないか。なにも得していない。


「いいってことよ! あたしと早川くんの仲じゃない!」

「念のためにさっきの動画、もらってもいいですか? つーか、こんなこと言うのもなんですが、もっと早くというか最初から出てきてもらってれば……」

「そんなん、早川くんが来るまで待ってたに決まってんじゃん」


 そう言って、マコちゅんは背伸びをして、千影の耳元に顔を近づける。


「あたしに借りができたよね。()()()、受けてくれるよね?」


 千影のイライラゲージが一気に上昇していくが、今は拳を握りしめて堪える。胸元のわずかな膨らみをちら見して溜飲を下げる作戦。



   ***



「おう、おかえりギンチョ、イヌまん。遅かったな、ちょっと心配してたんだぞ。あれ、タイショーも一緒か」


 テルコは台所で夕食の準備をしている。まな板の横に立てかけたタブレットで開いているのは、レシピサイトではなくアニメ動画だ。こないだ百均で買ったエプロンを着けている。エロい目で見る前に言うことがある。見るけど。


「テルコ、ギンチョと一緒に留守番をお願いしたと思うんだけど」

「ああ、留守番してたよ」


 ギンチョは家に上げる前にイヌまんの足をタオルで拭いている。


「ギンチョとイヌまんが二人で散歩に行ってたみたいなんだけど」

「ああ、オレは夕メシの下ごしらえしてた」

「だからって、二人だけで外に行かせたの?」

「なんだよタイショー、怒ってんのか? そんな過保護な、そこらへん散歩するだけじゃねえか。この国じゃギンチョよりちっこい子だって一人で学校通ったりしてんだろ?」


 千影は言葉を重ねようとしてやめる。テルコに事情を説明するのを後回しにしたのは自分だ。目を離すなと口酸っぱく伝えなかったのは自分だ。


「……なんかあったのか?」


 夕食――テルコの新作・エメラルドボルシチを堪能し(パープルを超える舌触りとコク)、そのあとで今日ギンチョとイヌまんに起こったことをテルコに話す。すべて聞き終えたテルコは血の気の引いた顔でふらりと立ち上がる。


「そのガキんちへ行こうぜ……久しぶりに……キレちまったよ……」


 寝室から槍を持ち出そうとするのでギンチョと二人がかりで制止する。


「まあ、さすがにD庁にクレームが行くようなことはないと思うけど……でも管理課に報告しないわけにはいかないかな……」

「……ごめんなさい、ちーさん……」

「いやいや、もう謝んなくていいから。ギンチョは悪くないから」


 まあ、一人で外に行くなという約束を破ったわけだから、そこはしかったほうがいいのかもしれない。でも、イヌまんと一緒だから一人ではないということになるのか。ルールというものは厳密にしないといけない。


「ちーさん、マコちゅんさんはなんでわたしのどうがをとってたですか?」

「ああ、それは……僕にもよくわからないんだけど……あとでちゃんとお礼を言っておくから」

 ギンチョを自分のユーチャンネルに出演させるためにストーキングしていた、なんてことは言えない。今はごまかしておく。あとできっちり話をつけておかないと。




 夜、元気の戻らないギンチョが少し早めに就寝したのを見計らって、テルコとイヌまんを居間に集合させる。ベッドのかたわらで船を漕いでいたところを引きずり出してきたので、イヌまんはだいぶ不服そうだ。触ってもいないのに千影を睨んで低くうなっている。


「こないだの話、ギンチョのこと、話しておこうと思って。イヌまんも、どんだけ理解してくれるのかわかんないけど、お前にも聞いてもらう。仲間だから」


 ギンチョと出会った経緯、ギンチョの境遇について、なるべくわかりやすく、あまり感情を込めすぎず、千影は淡々と語る。


 ギンチョがピンクのエネヴォラのクローン体であること。米国所属の研究施設出身であること。そこで人体実験を受けていたこと。その果てに事故を起こし、D庁に保護されたこと。そして、明智の眼鏡に適った千影が彼女を引きとることになったこと。


 テルコは口を挟まずに耳を傾けてくれる。イヌまんも伝わっているかは不明だが、上目遣いにじっと目を向けている。

 最後まで話し終えると、居間に十数秒の沈黙が訪れる。うつむいて身体を震わせていたテルコが、ぱっと顔を上げ、ちゃぶ台に手をかける。まさか、と千影が思ったときにはちゃぶ台が空中で半回転している。プレイヤーの反射神経でキャッチ。顔面に激突しながらもキャッチ。けれど飲みかけの麦茶がぶちまけられる。


「――っざけんな、クソダラ――」


 彼女がさけびかけたところで無理やりてのひらで口を塞ぐ。


「頼む、深夜だから。ギンチョ寝てるから、近所迷惑だから」

「もがもが」


 テルコのじたばたと猛獣並みの大暴れ。千影は全力をもって抑え込む。シモベクリーチャーもドン引きのガチンコプロレス。ようやく観念した頃には千影もテルコも汗だくになっている。ギンチョが起きてこないか心配だ。この状況を釈明できる自信がない。


「……なんだよそりゃ……あの子は……生まれてからずっと、オレなんかよりも百万倍ひでえ目に遭わされて……あんないい子が……なのになんで、あんないい子なんだよ……」


 畳の上にぽたぽたと、テルコの涙が落ちていく。


「僕よりも一億倍いい子だよ、赤羽でもきっと屈指だ。うちの自慢の子だよ、野菜も食べてくれれば言うことないし。あと脂っこいもの好きすぎなのと、にんにくに抵抗なさすぎるのと、洗濯物を丸めてぽいっとしがちなのと……」

「オカンかよ」

「そんな感じでいろいろあって、僕はあの子と一緒にいて、あの子を守るって決めた。ってか、悪いね、仲間になったあとでこんな面倒なことを打ち明けちゃって。知っちゃった以上、もう後戻りできないっていうか……」

「なに水入らずなこと言ってんだ!」

「水くさいかな?」


 テルコはぐいっと涙を拭う。でも同時に垂れている鼻水のほうには気づいていない。とりあえず無言でティッシュを渡すと、びーん! と勢いよく鼻をかむ。


「そんな話聞かされたからって……ビビってトンズラこいちまったら、オレん中にいるノブもゲンナリ萎え萎えってもんだ。オレだってあの子のことはもう大好きなんだ、あの子がなんであれ、あの子になにがあったって、オレは絶対にあの子を見捨てたりしねえ!」

「……テルコがそう言ってくれてよかった。ありがとう」


 あれ、と千影は思う。

 なんだろう、少し身体が軽くなった気がする。

 抱え込んでいたものを吐き出せたからか。自分が背負っていたものを少しだけ受けとってもらえたからか。テルコの言葉が思った以上に心強かったからか。たぶん全部だ。


「あの子を狙うやつは、いつかまた現れるかもしれない。そう言った人がいた。ほんとかどうかなんてわかんないけど、でもなにがあっても僕は、あの子を守りたいと思ってる。テルコとイヌまんにも力を貸してほしいんだ。頼りないリーダーで申し訳ないけど、仲間として、あの子を守ってあげてほしい」

「当たり前だろうが! つーか言っとくけど、タイショーのことも守るかんな、オレは。ギンチョと同じくらい、オレはお前のことも好きなんだからさ」


 二・三秒置いて、マックス照れて顔が歪む。テルコがマックス引くくらい、イヌまんがマックスぎょっとして首を引っ込めるくらい。


「いや、まあ、あの、ありがとう。僕も……テルコのことは……あの……すすすす好きだから、なななな仲間として」

「あんだよ、恥ずかしがんなよ。セックスするか?」

「だから直球やめろや」

「わふわふ?」

「あ、もちろんお前も大好きだぞ、イヌまん。お前のこともちゃんと守ってやっかんな」

「わふぅ」


 テルコに頭を撫でられてご満悦のイヌまん。


「うん、僕も好きだよ、イヌまん。お前も大事な仲間だからね」

「…………」

「わふって言えや」


 テルコが手を差し出してくる。千影は少し躊躇ってから、そこに手を乗せる。温かい。柔らかい。


「誓いってやつだな。オレらでギンチョを守る。それがこのチームの裏の目的ってやつだ」

「うん、それでいいよ(表の目的って?)」

「わふっ」


 千影の手の甲に、イヌまんがぺたっと前足を乗せる。はふはふと息がくさいが、こいつなりに理解して、意思を示してくれている。偶然でなければ。


「お前もギンチョを守ってあげてくれよ。よろしくな、イヌまん」

「わふっ」


 共通の目的を持って、ようやく飼い主とシモベの絆が生まれた。千影はもう片手で頭を撫でてやる。イヌまんは低くうなり、ジャッ! と千影の手の甲を引っ掻く。文字どおりそれを皮切りに、飼い主の威厳を守るためのガチンコプロレス第二幕が開演する。

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