13:トレード申請と【ラオウ】
ガチャ祭りから明けて翌日。九月十三日、水曜日。
赤羽テロ事件でポータルのエントランスが崩壊してからほぼ二カ月。急ピッチでの復旧は先日ようやく完成し、仮設事務所と地下階に移動していた窓口業務は一階に戻っている。
シリンジの売買はダンジョン内駐屯地でも可能だが、トレード手続きはダンジョン資源管理課の窓口で受付している。プレイヤー管理課のほうが略称・管理課なので、こっちは資源課だ。
「オレ、トレードって初めてだ。IMODでもやってるみたいだけど」
「向こうのルールはわかんないけど、そんな変わんないんじゃないかな」
と言っている千影も、実はトレード手続きをするのは初めてだ。受付の中年男性の職員に軽く説明を受け、出品申込書に記入していく。
「あ、ギンチョ。僕のアカウントでやっちゃっていい?」
「あかうんと?」
「プレイヤーアカウント。D庁公式サイトでマイページってあるでしょ。あれのアカウント」
「ほう」
「わかってないだろ。シリンジを出品すると他の人たちにネット上で公開されるんだ、こんなのが出品されてますよって。そんで僕らのところに申し込みが来る、自分たちはこんなの持ってますけどトレードしませんかって。そのやりとりをするアカウントを、僕のやつでやっちゃっていいかって」
「わたしのアカウントでもできるんですか?」
「できるけど……やってみる?」
「はう!」
せっかくなのでギンチョに申込書を書かせる。まだ難しい漢字は書けないので、名字以外のほとんどはひらがなになる。受付のおじさんも幼子の書いた申込書を受けとるのは初めてだろう。一周回って笑っている。
「では、高花ギンチョさん……でお受けしますね。プレイヤータグとシリンジをお渡しいただけますか?」
「わたさなきゃいけないですか?」
「タグのほうは本人確認などの手続き完了後、すぐにお返ししますよ。シリンジも出品をキャンセルされた場合、きちんとお返ししますのでご安心ください」
「ほう」
「わかってないだろ」
職員がシリンジの箱を受けとり、中身を確認する。シリンジにもアビリティ名が表記されているから、別物とのすり替えなどは通用しない。
「あのシリンジとそっくりなニセモンとかつくったりしたらどうすんだ? 注射して確認するわけにもいかねえし」
「そのへんはだいじょぶ、ちゃんと鑑定してくれる。今の地球の科学力じゃ同じ材質のものはつくれないらしいし。だから空きシリンジだけでも何万円とかで売れたりするし」
ギンチョのタグが返却され、シリンジも本物だと認められ、手続きはあっさり完了。「ワンコ連れのプレイヤーさんは初めてです」とおじさんは苦笑いしている。小さい角はあんまり目立たないので、犬にしか見えなくてもしかたない。それ以外のクリーチャーとしてのアイデンティティは「パグなのにでかい」くらいしかない。
「さっきも説明してもらったけど、サイトには最大三カ月くらい公開される。もちろんこっちの名前は表示されないからプライバシーは大丈夫。向こうの名前もわかんないけどね。トレードの申し込みがあればギンチョのアカウントに連絡が来るよ。ああ、メアド設定もしとかなきゃ」
「たのしみです。どんなのがくるですかね?」
「うーん、まあ……基本はダブリとかレア度の低いものが多いかな。向こうだっていらないと思うから交換してって言ってくるわけだから」
「でもこっちのは超レアなわけだろ?」
「そこはちょっと微妙なとこだけど。あんな感じってわかってて、レアでもほしがる人がいるかどうか。いいやつが来るのを願うしかないね」
「なあ、せっかくだからダンジョン行かね? タイショーの新しいスキル、試してみようぜ」
「思いっきり私服だしノー準備だけど……エリア1をうろつくくらいならだいじょぶか」
というわけで、またやってきました〝ハジマリ平原〟。
そよぐ風が涼しい。緑が眩しい。Tシャツ一枚という思いきりなめた格好だが、好戦的なクリーチャーが出てこないことを祈る。
「じゃあ、お注射タイムってことで」
「オレがやってやろうか?」
「いや、マジやめて……つーわけで……早川千影、スキルの上書きをします」
「おう! いけいけ!」
「ちーさん、がんばって!」
「ふぁーう」
イヌまんだけ無関心の大あくびだが、気をとり直してシリンジを握る。左手の前腕にその先端を押しつける。あとはノズルを押すだけだ。
――緊張する。押したらあとには戻れない。【イグニス】は帰ってこない。
つーかさ、ほんとにいいのかな、これで。
ほんとにだいじょぶなんかな、これで。レアスキルったって、未知数すぎて不安なんですけど。ほんとお試し機能がほしい。それかデモ動画とかアップしてほしい。そしたら一人で一万回くらい動画再生してやるのに。
「この期に及んで、まだ迷ってんのか? タイショーはまったくユージューフダンだよな。いいからさっさとやれって」
「あっ」
テルコが千影の右手を掴む。親指に当たり、ノズルが押し込まれる。
「あっあっ」
ぷしゅっと空気が抜ける音とともに、ひんやりした液体が血管に流れていく。
「ああ、ああ……」
呆然としている間にも、液体は身体中に広がっていき、内包されたレトロウイルスが身体をつくりかえていく。不可逆的に。
「……なんかごめんな、タイショー」
「……いや、いいよ……」
テルコは悪くない。本当はやってはいけないことだが、うだうだしていた自分が悪い。
というわけで、なんかぬるっとスキル上書き完了。こんなんばっか。
さようなら、ありがとう、【イグニス】。
こんにちは、よろしくね、【ラオウ】
「よっしゃ! 気をとり直して、さっそく試してみようぜ!」
テルコの横暴さえなければ気をとり直す必要もなかったわけで、そのへんの恨みは普段こっそりエロい目で見ていることと勝手に相殺させておく。これでイーブンだけどこれからもお世話になろうと誓う。
新しいスキルが備わると、その使いかたを頭というか身体が勝手に自覚できてしまう。不思議な感覚だ、知らないはずの知識や経験が、ウイルスによって脳みそにインプットされるような。箱にトリセツが入っていなくても、投与してしまえばちゃんと使えてしまうのだ。
福島に確認するのを忘れていたが、やはりというか、この【ラオウ】もチャージ方式だ。一定時間以上、力を集中させないと発動できないタイプのスキル。
クールタイム方式のほうが、前衛の場合にはいざというとき対応しやすい。まあ、前回のイベントで一秒チャージのコツを掴んだので、それほど目くじらを立てる問題でもないが。
「……じゃあ、ちょっと離れてて」
右手に意識を集中させる。目には見えないが、内側に熱というかエネルギーが蓄積されていくのが感覚としてわかる。
「――行くよ」
膝を下り、地面に手をつく。その瞬間――。
ズゴンッ! 派手な音とともに前方の地面が爆ぜ、巨大な腕が空に向けて突き上げられる。きらきらと白い粒子がこぼれる光の腕だ。
「……おお……」
それほど長くチャージしなかったが、高さにして五メートルほど、丸太のように太い筋肉質な腕だ。それは二・三秒そのまま居座り、その粒子が霧散してぱっと消える。あとには三人と一匹の驚いた顔だけが残される。
「……マジで出たな……腕……」
「……うん……出たけどさ……」
腕が生えた場所の草地が禿げている。衝撃で地表が吹き飛んだのか。こっちにも少し砂が飛んできて顔に当たった。
「……これ……真上にしか攻撃できないの……?」
「そりゃさ、そんなもんじゃね? 若い男なんだから、角度的に」
自分で言って、堪えきれずに噴き出すテルコ。チビっことパグは素直に驚いてくれているというのに。
「カッコいいです、ちーさん!」
「……ありがとね……」
ギンチョの純粋無垢な評価が嬉しい。涙が出そうになる。イヌまんは驚いた拍子にか、よく見るとおもらししている。
ともあれ、これは早急になんとかしないといけない。あらゆる角度から使いかたを検証しないといけない。地上に戻ったらダン科研の宮本に連絡をとろうと誓う。




