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5:ダン科研での実験

 八月二十八日、月曜日。

 シモベクリーチャーが誕生する一週間前。


「はーい、じゃあバンザイしてくださーい、リラックスしてー」


 機械の台に寝かされ、CT検査の輪っかをくぐらされる。


「はーい、オデコ拭きますねー、緊張しなくていいですからねー」


 頭にぺたぺたと管をつながれ、脳波を測定される。


「次こっちですねー。次はこっちー。はい次ー」


 早川千影は白衣の研究員に促されるまま、次々と検査をたらい回しにされている。体温と血圧を測られ、視力検査、聴力検査、認知力の検査、言語検査は見知らぬ医者と会話させられるので緊張しかしない。平常時のコミュニケーション能力がアレなので参考になるのかどうか。


 ダンジョンプレイヤー向けの人間ドック――とかではない。検査中もずっと灰色の濁った石を握らされている。

 先日のダンジョンでの特別イベントの際、満身創痍で死にかけの千影を救ったのが、この正体不明のアイテムだった。握った先から黒い靄みたいなものが出てきて全身を包み、千影に不思議な力をもたらした。


 ダンジョン案内人のサウロンの動画によると、他にも幾人かが同様のアイテムを入手し、似たような不思議現象を体験しているらしい。あのネタバレを嫌う宇宙人が石についての説明を回避したことで、自身のツブヤイターアカウントにヘイトが溜まりつつある。「もったいぶんじゃねえハゲ」「だったらわざわざ触れんじゃねえハゲ」「詫び石よこせハゲ」。難癖か自業自得かの判断は難しいが、ひとまず彼の毛根の健康が危ぶまれる。


 千影としてもその効果を確かめたいと思っていたところで、プレイヤー管理課の丹羽に紹介され、ダンジョン庁所属機関のダンジョン科学研究所、略してダン科研の北赤羽分室を訪れることになった。

 石の効果検証のため、今日が二度目の研究所訪問だ。

運動能力測定――動体視力テスト、反復横跳び、ダッシュ、藁人形相手に木刀の打ち込み、投げられるピンポン玉の回避などなど。

 そして、前回はなかったプレイヤーとの模擬戦闘をすることになる。

スポーツチャンバラ的な柔らかいスポンジ刀とプラスチックの面を手渡される。同じものを持って実験室に入ってくるのは、ジャージを着た一回りくらい年上の男性だ。ダン科研お抱えの嘱託プレイヤーらしい。


「どうも、お手柔らかに」


 レベル4ということだが、千影よりもがっしりとして背も高い。千影を見下ろす目は格上に臨むとは思えない余裕を湛えている。

明らかに見た目で侮られている。レベル一つぶんくらいいいハンデだとでも思われているように感じられる。


「すいません……その前にエナジーポーション飲んでいいですか?」

『どうぞ。外のベンチに置いてありますので』


 承諾を得ていったん廊下に出る。腰に手を当てて激甘のエナジーポーションを注入、うっしと頬を叩く。

 被害妄想かもしれない。それでも、こういうときに出てくる負けず嫌いの虫が千影の胸で疼いている。模擬戦闘だとしても、ギンチョの前で無様な姿は見せたくない。

 千影は額やこめかみについた脳波測定のシールを剥がさないように面をかぶる。向かい合う男もそれに倣う。


『じゃあ、十本勝負。奇数回で石の使用、偶数回で素面のままで。異常を感じたらすぐにおっしゃってください。よろしいでしょうか?』

「はい」

『ちーさんがんばってください。おわったらおひるごはんです』


 ギンチョの声だ。エールにも「はよ終わらせてメシにしよう」という催促にも聞こえる。


『じゃあ――お願いします』


 開始の声、ビーッと短くアラームが鳴る。

 左手に握った石に力をこめる。黒ずんだ靄が現れ、身体を包み込んでいく。

 相手の男はそれを見届けてから、スポンジ刀を構え、ダンッ! と鋭く床を蹴る。

 がっしりとした巨体が迫ってくる。刀を振りかぶるその動きも、千影の目にはコマ送りのように映る。


 石の効果――知覚の高速化。


 かつて失ったスキル【ムゲン】と少し似ている。自分以外の世界がスローになっていく感覚。

 ただし、その中で自由に動けた【ムゲン】と異なり、あくまでも感覚だけだ。【ムゲン】と同じ要領で対応しようと思っても身体はついていかない。使い勝手は劣ると言わざるをえない。

 それでも、このダン科研での実験のおかげで、徐々にこの感覚に慣れつつある。


 相手の攻撃の起こりを捉えることが重要だ。動きの予測とタイミングの前倒し。

 相手が左から袈裟で面を叩きに来ている。

 ほんの少し、五センチほど頭を後ろに下げ、空振らせる。

 同時に千影のスポンジ刀も走りだしている。ぱしん、と相手の左頬を薙ぐ。

 そのくぐもった音を聞いてから、千影は意識を弛緩させる。身体を覆っていた黒い靄がふうっと空気に融けていく。

 時間感覚が正常に戻り、その切り替えの瞬間に頭が重くなるのを感じる。石の使用は疲労が大きい。


『はい、それまで。では一分後、二本目に行きます。次は石は使用せずにお願いします』


 結局、十本勝負で九勝一敗。石を使った奇数回はすべてとった。

 レベル差で考えれば順当な結果だが、やはり向こうは多少自信があったのか、若干しょんぼりしている。内心ドヤる千影。


『お疲れ様でした。検査は以上です。ご協力ありがとうございました』


 運動場を出たときには全身汗だくで濡れ鼠状態になっている。精神的にも肉体的にもくたくたで、今すぐおうちに帰ってお風呂に入りたい。


「せっかくだからお昼、食堂でいかがですか?」


 研究員の宮本が声をかけてくる。千影の案件の担当者ということで、この人が最初から最後まで検査の指示を出していた。

 メガネにぼさぼさの長髪に無精ヒゲという研究第一感のすごい人で、だるそうなしゃべりかたや仕草には一ミリもやる気が感じられないが、ブラック企業の中間管理職のごとくあれやれこれやれと指図する声はまったく手加減無用だった。


「しょくどうにラーメンはありますか? なにラーメンですか?」


 労うように千影の汗を拭っていたギンチョがめざとく問いただす。


「今は夏限定の冷やし中華がオススメですよ」

「こいつ、ギトギトコテコテ系のほうが好きなんで」

「じゃあ、一部の職員に絶大な人気を誇る、〝科学の限界を超越した特製スタミナラーメン〟がいいかもですね。にんにく背脂マシマシで、吐息で微粒子の測定に支障が出そうなほどガッツリコッテリです」

「ちーさん、いそぎましょう」

「あんまりくさくなったらおやつは息ケアだからな」


 食堂は意外と広くて開放的だけど、若干所帯じみているというか床やテーブルの汚れやしみが目立つ。ダンジョンのセーフルームっていつ行ってもほんとに綺麗だなと思わされる。あの機械生命体を雇えたら清掃業界の革命になりそうだ。AIとロボットが人の雇用を奪うとかいう社会問題が加速しそうだけど。


「はふはふ! みそのなかにひそむとんこつのおくぶかいハーモニー! ピリからのひきにくとちぢれめん、ごはんにのせるとディステニー!」

「韻踏むのがマイブームなの?」


 スタミナラーメン、にんにく背脂トリプル増し、しかも店員のおばちゃんにこっそり耳打ちして野菜抜きにしていた。むかつくのでおやつに野菜ジュースを強制しようと思う。

 千影は普通にAランチ。チキンカレーとサラダ。まあ可もなく不可もなく。でも四百五十円にしてはコスパがいい。


 宮本も一緒に食べるのかと思いきや、千影たちを食堂まで先導したところで踵を返し、「さっきのデータを精査したいので」と駆け足で戻っていった。今はギンチョと二人だ。


 白衣や背広の人たちに囲まれた中でのアウェーな食事、あまり胃によくない。ただでさえこんな場所に不似合いな九歳の女の子、というか外見的にもギンチョは人の目を引く。

 銀髪に褐色の肌、深紅色の目。主に大人の女性を猛烈に魅了する愛嬌。日本人離れしているし、マンガに出てきそうなカラー設定。日本人どころか遺伝子的には地球人でもないからしかたないが。


「……あのさ、ギンチョ」


 食事を終えてぷーっと息をつくギンチョ。鼻が曲がりそうなほどのにんにく臭が噴出される。

 こんなことをここに来て訊くのもどうかと思うけど、確認せずにはいられない。


「その……だいじょぶなの? こういう場所?」

「しょくどうはごはんをたべるところです?」

「いや、違くて。いや、そうだけど、そうじゃなくて。えっと……研究所ってさ、嫌なこととか思い出さないかって……」


 ギンチョがすごした研究施設での日々は――詳細はまた聞きした話を想像で補うしかないが――少なくとも彼女にとってその大半は幸せな記憶ではないはずだ。設備や調度などが似通っているかどうかまではわからないが、研究所という場所が彼女にとって心地いいところだとは思えない。


 もしもそうなら、来週に控えたシモベクリーチャーの誕生の際も、ダン生研の施設内でなく自宅ですごすほうがいいかもしれない。


「昨日は僕一人で来たし……今日も直江さんと遊びに行ってもよかったのに……」


 そんなことに思い至らず、深く考えずに彼女を同行させてここに着いてから気づいた自分がボンクラだったわけだが。


「えっと……わたしがけんきゅうじょにいたから、けんきゅうじょにきたくなかったんじゃないかってことですか?」

「うん」

「だいじょぶです……ここは、あのけんきゅうじょじゃないから」


 とはいえ、ここに来た当初は白衣姿の人たちが通りすぎるたびにびくっとしていたことに、千影は気づいている。というかそれで自分の思慮の浅さに気づいたのだ。


「でも……」

「だいじょぶです。ちーさんがいるから」


 千影は目を丸くする。ギンチョがにぱっと笑うのを見て、水を飲むふりをして顔を背ける。どういう顔をしていいかわからなくなったから。




 食器を下げて食堂を出ようとしたところで、宮本が駆け足で戻ってくる。


「すいません、早川さん。このあとのことを相談するのを忘れてました。昨日今日のデータをガッチャンコして、さらに石の解析データとガッチャンコします。結果を出せるのは、早くても二時間後くらいになりそうです」

「がっちゃんこ!」

「はい、ガッチャンコです。どうされますか? ここで待っていただくか、後日またお越しいただくか、こちらとしてはどちらでも構いませんが」

「えっと……明日から少しバタバタしそうなんで、今日聞いて帰りたいかなって……」

「承知しました。休憩室までお連れしますので、そこでお休みいただければと。いろいろと制約の多い施設ですので、できればあまり歩き回ったりしないよう、ご注意いただけると助かります」

「はい、だいじょぶです」


 休憩室はおしゃれなラウンジのような広々した部屋で、テーブル席もあるし昼寝用の畳のスペースもある。研究所っぽい専門誌だけでなく雑誌やマンガ本、巨大なテレビ、卓球台やビリヤード台、無料のドリンクサーバーや菓子まで完備されている。研究者に甘いものは必需品なのだろう。


「少し昼寝しようか。夜ふかしにならない程度にね」

「はう!」

「すごい、歯ブラシセットまで置いてある(ここに寝泊まりする人もいるんだろう)。寝る前に歯を磨こう。少しはその半端ないにんにく臭も和らぐから」

「はう!」

「だから、その腕いっぱいに抱えてるお菓子はいったん戻しとこう…………なぜ返事しない?」

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