3:命名
「これは……パグですね……」
「にしては……でかいですけどね……」
パグ。古代中国原産の愛玩犬。ラテン語の拳が由来という説があり、その言葉どおり握りこぶしのようなくしゃっとした顔が特徴。短毛の短吻種で、暑さにも寒さにも弱いので飼育には要注意。以上、ウィキプリオより。
九月七日、木曜日。
千影たちのアパートに、ダン生研の北畠とダン科研――ダンジョン科学研究所の宮本が訪ねてくる。
宮本は二十代半ばのヒョロガリヒゲメガネのぬぼっとした男で、千影の持つジェムというダンジョン産の不思議な石の分析を行なってくれた研究員だ。先月末に何度かダン科研に通った際に連絡先を交換し、この度「早川くん、シモベ見せて!」と押しかけてきた形だ。
その宮本と北畠が、身を寄せ合うようにしてシモベを覗き込んでいる。二人はダンジョンクリーチャーの合同研究会で面識があるらしい。
シモベはちょっと怯えるように耳を伏せて身をこわばらせている。
孵化直後で二センチ程度だった全長は、今では六十センチを超えている。さすがに口から食事をとるようになってから成長のスピードはだいぶ鈍化しているが、それでもまだじりじりと一晩ごとに大きくなっている。
「体高、体長ともに四十センチ超ですか……普通のパグの五割増しですね……」
「角と大きさ以外は普通のパグのように見えますが……早川さん、ちょっとだけ触っても大丈夫でしょうか?」
「あ、はい……そいつが嫌がらなければ……」
北畠がシモベに触れようと、「よしよし、いい子だねーだいじょぶだからねー」などと声をかけつつ慎重に手を伸ばしていく。さすがは獣医師免許保有者だ。
「北畠先生、どうですか? できれば僕もモフりたいんですが……」
宮本が辛抱たまらんという感じに指をわしゃしゃと動かす。
「見てのとおりの短毛ですので、そこまでモフモフというわけにはいきませんが、触り心地のいい毛並みですね。それに――ふむふむ……」
そっと撫でるように額の角の部分にも触れる。円錐形だがまったく鋭角ではなく、むしろちょこんとした出っ張り程度にしか伸びていない。こんな形のイチゴチョコがあった気がする。
「唾液と体毛とフンはダン生研でもいただきましたが、今日は追加で血液をいただければと思っています。できれば角の部分も頂戴したいですが、ほんの少しカリカリッと削るというのは……なしですよね?」
「あ……なしでお願いします」
角に触れるとシモベは不機嫌になる。引っ掻くとなると余計だろう。
「先生、なにかわかりましたか?」
「いやあ……触った感じ、後ろ足がかなり発達してますね。もしかしたら将来的に二足歩行できたりとか……」
ちょっと想像してみる。二足歩行するビッグサイズのパグ。まさにクリーチャー。
「それと、前足の形も独特ですね。狼爪――犬の親指に当たる部位ですが、それが異常に発達しています。犬の祖先とされる狼の時代からの名残で、犬種によってはまったくなんの意味もなしていないとされる部位です。成犬になって走り回った際に怪我をしたりするリスクもあるので、仔犬の頃に切除されたりすることも多いんですが……」
「せつじょ? なんですか、きっちゃうですか?」
ギンチョが千影の手をぎゅっと掴む。痛い。握力レスラー並みだから。
「ああ、いえいえ。この子の場合、普通の犬とは違うということです。その部位の位置が肉球に近く、しかもきっちり指のように育っています。他の指も長めだし、わしゃわしゃ動いてるし……もしかしたら、なにかものを持ったり掴んだりできるようになるかも……」
想像してみる。後ろ足で立って前足で武器的なものを持つデカパグ。どんどんクリーチャーっぽい。逆に地上で見たらビビる。
「あとは……早川さん、採血をしても?」
「あ、はい」
千影がシモベの身体をそっと押さえる。シモベのくしゃっとした顔が急に不安げになり、「きゅうん、きゅうん」と切ない声で同情を誘う。普段は千影に対してはもっとふてぶてしいのに、こういうときだけ仔犬的特権を使いやがる。
「ごめんねー、ちょっとだけチクっとするからねー」
針が刺さる瞬間、「ひぃんっ!」と甲高く鳴く。ギンチョも泣きそうな顔をしている。血は少し黒ずんだ赤で(クリーチャーにありがちな色だ)、注射器の中にちゅーちゅー吸い込まれていく。
「はい、偉かったねー。早川さん、なにかご褒美的なものを」
「あ、はい」
とりあえずお気に入りのおやつを持ってくる。バウちゅ~る。犬が狂ったように舐めだすというアレだ。案の定、千影がその封を切ろうとするのを邪魔するがごとく食らいついてくる。落ち着け、そんなとこギンチョに似るな。
「今この子に刺した注射針ですが、ダン生研の特注の針です。ダンジョン由来の金属素材でできています」
「従来のものは使えないんですか?」
「クリーチャーの死骸に薬物を注入する際、従来の針ですと刺さりづらかったり折れたりするケースが多くあったりします。クリーチャーの肉体は地球上の動物の何倍も強靭ですから。この子に針を刺したときも似たような感触でした」
「僕もこないだ入院したとき、普通の注射針だと折れたりするって看護師さんに聞きました」
「プレイヤーも同様、触った感じは普通の人とそう大差ないんですが、皮膚の弾力や傷つきにくさは段違いです。従来のままの肉体では超人じみた運動量についていけませんからね。そういう意味ではこの子も同じです。見た目はちょっと風変わりな犬ですが、まぎれもなくダンジョンクリーチャーだと思いますよ」
三日前、一夜にしてパグっぽい姿にまで成長したシモベを見て、さすがになにかの間違いかと千影は思った。ダンジョンはなにかの手違いでクリーチャーではなくパグをタマゴに閉じ込め、自分たちに渡したのではないかと。なのでサウロンにLIMEで画像を送った。
『パグな件』
『草』
あのドグサレ宇宙人はそれ以上なにも返信してこなかった。手違いじゃないよということなのか、それとも手違いだったけど今さら言えないわごめん許して的なことなのか。後者だったら今後やつのツブヤイターアカウントに犬のフンの画像を大量にDMしまくってやろうと思っていた(捨て垢で)。
「ちなみに早川さん」と宮本。「D庁からはなにか言われましたか?」
「あ、はい、えっと……特定動物? 的な措置は不可避だって……」
シモベクリーチャーに関する法的なルールづくりは、まだ正式には整っていない。ダンジョン庁側の設けた暫定的な規則として、特定動物――人に危害を加えるおそれのある、飼育時に行政側の許可を得る必要のある動物――のように、D庁への届け出・登録が必須になった。成長過程の随時申告と、あとは専門家のカウンセリングを受けることも協力要請された(というかほぼ強要)。すでに北畠が担当になっているので問題ないが。
「GPS搭載機器の装着は必須になるとか。それと……シモベが人を傷つけたりとか、なにか問題が起きれば、地上で飼うこと自体難しくなるかもって……うちのやつだけじゃなくて、他の人のシモベも……」
「お役所としても辛いところでしょうね」と北畠。「人語を理解する愛玩動物、忠実で頼もしいパートナー動物、アニメの世界の肩乗り生物……そんな幼少期の誰しもの憧れが実現するかもしれないと、ネットでも大騒ぎになっています。その半面、仮にシモベクリーチャーによって人やものが傷つけられるようなことがあれば、世間はてのひらを返してその潜在的危険性を訴えることでしょう。街中で猛獣を飼育するなんてどういうことだ、と」
「シモベ全部を一括りってのもどうかと思いますけどね」と宮本。「ただまあ、そう言って連帯責任的な意識を煽ることで、少しでもリスクを減らしたいんでしょう。早川くんたちは全人類に先駆けてクリーチャーとの交流という機会を得たわけだから」
「煽ってますね」
「煽ってるよ。僕もほしいもん、シモベクリーチャー。ダンジョン因子があればぜひ職員プレイヤーになりたかったところだけど、ほんとに自分の遺伝子が恨めしいところだね」
「実は私、免許持ってるんですよ」
「ああ、でしたっけ、北畠先生! いーなー、羨ましいなー。そのお年でよくぞって感じですね、失礼ながら」
「いやいや、この年でバリバリのダンジョン通いも辛いので、かれこれ一年以上レベル1のままですがね。それでもプレイヤーの検体の確保はとてもスムーズになりました」
「はあ(自分由来か)」
「本業のほうが忙しすぎてなかなか行けていないんですが、今度ヨフゥフロアにも調査に行けることになりまして。あわよくばタマゴを持って帰れたらなんて、淡い期待を抱いているところです。いやいや、そんな甘くはないってわかっているんですがね」
「いーーなーー、いーーーなーーー」
話が逸れたが、ともあれ今日の「専門家へのカウンセリング」はこれにて終了。と思いきや、北畠がまた注射器の準備を始める。
「あの……まだなにか……?」
「ああ、いえ。そういえばまだやってなかったなと思って、念のために持ってきたんですよ。狂犬病ワクチン、予防接種です」
ギンチョとシモベの顔がそろってこわばる。
「犬の場合、法律で接種を義務づけられています。この子はクリーチャーですし、そもそも犬かどうかもわからないですし、そんな必要もないのですが……念には念を入れて、この子のために一本打っとくのをお勧めします」
「うーん……そうですね……」
ギンチョとシモベがそろって涙目になる。
「仮に副反応などが出ても、軽いものなら問題ありませんから。はい、怖くないですよー、いい子にしててねー」
鋭利な針が近づいていく。ギンチョとシモベ、そろって「ひぃんっ!」と鳴く。
ワクチン代は向こうが持ってくれる。スマホで調べたら数千円らしい。
北畠と宮本が帰ったあと、千影とギンチョとシモベは居間でちゃぶ台を囲む。
「ではここに、第一回早川家会議を開くものとする」
「はう!」
「議題はそいつ、シモベクリーチャーの名前決めだ」
宮本にも指摘されたが、まだ名前を決めていなかった。「早いうちに『お前の名前はなになにだよー』という風に憶えさせたほうがいい」と北畠にもアドバイスをもらった。だいぶパグっぽくかたまりつつあるということで、千影とギンチョとシモベ、三者が満足する名前を検討していきたい。
「はい、ぎちょー」
「ギンチョ議員、発言を許可します」
どうでもいいが議長とギンチョでまぎらわしい。
「なまえってどうやってきめるですか?」
そのへんは千影も初体験ということで、ペットの命名方法的なものをあらかじめググール先生に質問してみた。みんな思い思いに名づけていた。終わり。
「こいつを見て、こいつっぽいと思った名前。こいつが喜びそうな名前。僕らがこいつをそう呼びたいと思った名前。そうやって決めるしかないよね」
「うーん……」
「そうだな、まずはギンチョの好きな言葉とかから始めてみるとか」
なにチビっこに先に言わそうとしてんだよ。お前先に言えよ。という天の声が聞こえる気がするが、議長なのでしかたない。ごめんなさい。
ギンチョは十秒くらい眉間にしわを寄せて押し黙る。ふわあ、とシモベがあくびをする。お前の名前決めてんだぞ、と千影は睨む。他人事じゃないぞ。ひどい名前つけられても文句言えないぞ。
「はう。ラーメン」
「うん、お前の好きなものだね」
「やきにく。ステーキ。ハンバーグ」
「好きな言葉だから。好きな食べものから離れろ」
「おかわり。たらふく。たべほうだい」
「メタボ用語からも離れろ」
またもやうーむと頭をひねる。そこに詰まっているのが食い意地しかないのなら、この会議はきっと不毛に終わる。それではまずい。ここはリーダーとして議長として、自分がなにかびしっと出さないと。
「アーサー……レオン……太郎丸……ダメだ、厨二ネームしか思い浮かばない……パグぞう、パグた……うん、厨二から離れるととたんにベタになる……自分の命名センスのなさが呪わしい……」
当の本人はくるんと丸くなり、ぱたんと尻尾を垂れる。数秒後には「ぐうう」といびきをかきはじめる。
「ちくしょう、当事者のくせにやる気なしかよ。肉まんみたいなフォルムしやがって」
「……イヌまん」
ギンチョがつぶやく。シモベの耳がぴくっと動く。
「イヌまん」
ギンチョがもう一度つぶやく。シモベがむくっと起き上がり、ギンチョに顔を向ける。
「イヌまん」
「わふっ!」
「イヌまん」
「わふっわふっ!」
ギンチョが目を輝かせて千影を見る。
こうして会議はあっさり終了する。
まさかの命名、イヌまん。
ちなみにその日、夕食の準備中に千影は気づいてしまう。おたまを握ったまま、とてつもない虚脱感に襲われ、膝から崩れ落ちる。
シモベクリーチャーはダンジョンに連れていけるペットである。ともに戦い、ともに命をかける頼もしい仲間となりうる存在である。
強敵クリーチャーを前に、シモベに指示する自分を想像する。
命がけの死闘の場で「イヌまん!」とさけぶ自分を。呼応するパグを。
時系列が前後しますが、宮本とジェムの話は後ほどやります。




