6-1:宴のあと
二体目の黒竜を倒したところで、直江と福島はレベルが上がったらしい。
すなわち、公式人類最高、史上三人目のレベル8到達。
「すげえ……おめでとうございます……」
「へっ、織田に遅れること四カ月だったかな。俺のが歴は長いけどな」
「……貴様も頭皮の露出度はレベル8だけどな……」
「頭皮じゃないです。垂直までは額です」
新しい人類最強の誕生、しかも二人同時というのは、公式も世間も大騒ぎになるだろう。千影の超スピードでのレベル5昇格よりもインパクトは遥かに大きい、これで注目を浴びずに済むならとてもありがたい。
「つーかよ、今日一日であれだけの激戦だったんだ。タマゴを狙ってないやつだって相当な数のクリーチャーを相手にしたはずだ。俺らだけじゃなく、生き延びた連中にゃあレベル上がったやつも多いんじゃねえか?」
「……インフレが進むのか……」
情報やノウハウの蓄積、新たな武具の開発。徐々に短縮化されていくレベルアップまでの所要時間。加えて今回のスペシャルイベント――激戦によるレベルアップの促進に加えて数千人へシリンジ配布。プレイヤー全体の底上げというか、直江の言うとおり緩やかにインフレが進んでいる。
「黒のエネヴォラの討伐、アプデで新フロアやショートカット、そしてプレイヤーレベルの引き上げ現象か……ダンジョンの世界はますます加速してくわけだ。あの青クソエイリアンのてのひらの上な気がして、気に入らねえけどな」
サウロンはプレイヤーをどうしたいのだろう。地球人をどうしたいのだろう。
そんなことを疑問に思っても、彼は真面目に答えてはくれないだろうと思う。
ギンチョが目を覚まし、千影を見て「ぢーさんいぎでだー!」とまたびーびー泣く。再びギンチョを奪われたことで直江の目から殺意の光線が漏れ出てやばい。そんなこんなで一同は最初の拠点に向かう。
エレベーターを囲う拠点には大勢のプレイヤーたちがわらわらと集まっている。
「まだ全然減ってねえな。もう三十分以上経ってんのによ」
黒山より一メートル以上背の高い福島は限りなく目立っている。待ち合わせ場所に指定されそうだ。
さっきのアナウンスによると、ここにいる受付係の機械生命体にプレイヤータグを見せることで、参加報酬の〝ダンジョンガチャコイン〟がもらえるらしい(タグ紛失をした人もコッパーちゃん的に血液採取でも手続きできるそうだ)。受けとり手続きは数十本もの長蛇の列ができていて、職員がメガホン片手に整理している。進行は早く、それほど時間もかからなそうだ。
中野奥山が「お前ら、タマゴ守りきったんは俺らだぞ。俺らのおかげだぞ」と言わんばかりのドヤ顔を周囲に振りまいている。「タマゴの件はイベント終わるまで口外無用で」と事前に釘を刺しておいてよかった。
機械生命体の頭についたカメラが、千影の顔とタグを認識する。『報酬をお受けとりください』、胸に開いた受取口にコインが転がり出る。五百円玉くらいの、ゲームセンターにありそうな黄色がかったコインだ。片面はAFD-GACHA・COIN(赤羽ファイナルダンジョン ガチャコイン)と表記され、その裏は交差した注射器の後ろにドクロが型どられている。縁がギザギザなところが芸が細かい。
「ガチャマシンは来週以降、ダンジョン内のセーフルームに置かれるんだとさ」
「これで俺らもスキル持ちだ。ソシャゲで鍛えた俺のガチャ運が火を噴くぜ!」
中野奥山はほくほく顔だ。千影も周りに人がいなければコインにキスしてさけびまくっている。どっちにしようかなー。アビリティーかな? それともスキルかなー?
「ちーさん、にやにやがきもいです……」
「ごめん、お前にそう言われるってことはよっぽどだったか」
千影たち全員がコインを受けとって、いったんここで解散組とタマゴの儀式組に分かれることになる。よしきと中野奥山とはお別れだ。
「今日はほんとにお疲れ様でした。ありがとうございました。ほんとに助かりました」
「おう、俺らも楽しかったぜ。久々にこう、血湧き肉躍るっての? 全力を出す喜びっての?」
「アイテムもたんまり手に入ったしな。これで〝ナカオクロック〟は一つ先のステージへ進めるってもんだぜ」
「にーちゃんら、ちっと足と肩を揉んでくれじゃ。そしたらうちの門下に末席を用意してやってもええじゃぞ。出血大サービスじゃ」
ちなみに【フェニックス】はぎっくり腰にまで有効だった。ダンジョンウイルスすげえ。
「じゃあ、僕らはこのままタマゴのほうの儀式ってやつに行ってきます」
このあとタマゴ持ちのプレイヤーは〝目覚めの祭壇〟とかいう場所に行かないといけない。そこでタマゴをどう使うかを「選ぶ」作業が待っているらしい。
「おう、じゃあ俺らは先に帰るわ。分け前とか諸々あとで連絡するわ」
「……ってあれ、そういやテルコのねーちゃんは?」
奥山にそう言われて、彼女が近くにいないことに気づく。
「テルコ?」
周りが何人か振り返るが、その中に彼女はいない。
ガチャコインをゲットしたあとまでは一緒にいたはずだ。これだけの人ごみだ、そのあとここまで移動する途中ではぐれてしまったのだろうか。
「はう! わたしがさがします!」
ギンチョがぴょこっと挙手し、福島に目配せする。
「はう、マスター!」
「おう、パダワン!」
うなずく福島。いつの間に師弟関係が成立したのか。
そうして二人は合体する。福島がひょいっとギンチョを持ち上げ、肩に乗せる。ギンチョは座るのではなく、両肩に足を乗せて立つ。
バランスをとるためか、両手を広げている。それはまだいいとして、福島まで手を広げる意味がわからない。組体操みたいになっている。全方位からぱしゃっぱしゃっとシャッター音が響いている。絶対ツブヤイターで拡散されてテロップとか入れられてテンプレ画像に使われる。直江まで撮影に参加しているので収拾がつかない。
「いたです! テルコおねーさんいたです! あっちです!」
「よかった、本来の目的忘れてなかった」
ギンチョの目撃証言によると、テルコは拠点の外に出ていたらしい。他にも数人の男と一緒にいたという――外国人らしき男たちと。
「……チェーゴだ……」
彼らもこのイベントに参加していた。イリウスは「タマゴは狙わずにガチャコインの確保に集中する」と言っていたが――今さらテルコになにをするつもりなのか。
福島とはいったん別れ(彼のような有名人にテルコの事情を知られるのはまずいし巻き込むわけにもいかない)、千影とギンチョだけで追いかけることにする。となると必然的についてくる直江。まあ彼女は知っている側だし、人類最強の武力というのは正直心強い(それに頼るかどうかはともかく)。
人ごみを縫って拠点を出て、テルコたちが歩いていった方向へ。ほどなくして灌木の生い茂る人目につきにくいエリアに入り、【ロキ】を頼りに進んでいくと、テルコの声が聞こえてくる。
「……だからオレは、ケイトじゃねえ。永尾信輝だ。確かにあの子とは一緒にいたけどよ、記憶も意識も、今のオレにはねえんだよ……」
彼女は日本語でそう言っている。
「……シラを切る必要はない。イリウスやその部下数名が、エリア16でケイトであるお前の言葉を耳にしている……」
相手の男は英語で応じている。
「……オレはそんなに英語わかんねえからよ、ジャパニーズでしゃべろうぜ。ここは一応トーキョーだぜ? ゴーに入りてはゴーに従えってな、ゴウ! あれ、サウロンが昔やってたネタ知らね? ……」
なんだか不毛な会話になりそうな気もするので、遠慮なく割って入ることにする。
「テルコ」
「……あー、タイショー……」
テルコは気まずそうだ。他の男たちは不機嫌そうに眉をひそめている。
四人とも迷彩柄のミリタリーチックな服を着ている(あまり上等そうには見えない)。テルコと話していたらしき四十代くらいの長身の男が先頭にいて、二人は二十代くらいの比較的若そうな男で、一番後ろにいるのがイリウスだ。
「あのさ、勝手に離れんなよ。おかげでギンチョと福島さんが写真撮られまくったよ」
「おかげでの意味がわかんねえけど、ごめんよ、タイショー。ケイトの件で話があるってんで、オレ一人できっちりケリつけなきゃって思ってさ」
それでまた「メーワクかけたくない病」が再燃したわけか。そのへんはあとで話し合うとして。
先頭の男が千影の前に立つ。顔がいかつい上にでかいので怖い。軍人上がりとしか思えない。
「我々はチェーゴ共和国所属のプレイヤーです。あなたがケイトを保護していたハ、ハ、ハ……」
「や、や、や……」
「ハヤシダさん」
「早川です」
数秒無駄にした。
「私はグレゴルと言います。チェーゴ国のプレイヤーの代表をさせてもらっています」
「はあ」
〝ワーカー〟の元締め、イリウスの上司ということか。イリウスよりも日本語がたどたどしい。
「先日はケイトの件で少々行き違いがあって、うちのイリウスと少々揉めたとお聞きしています。その節は申し訳ありませんでした、上司としてお詫びします」
少々どころかナイフでぶっすりやられたわけで。それで済まそうとしているのか。テルコを日本人にしましょう計画でうやむやになったからと言って。
彼の後ろにいるイリウスが、しれっとした顔で小さく頭を下げる。それで千影は気づく、彼はその後の二度の接触やタマゴにまつわる(恐喝まがいの)交渉については上司に報告していないらしい。
まあ、そうか。彼は上にはまだ通していないと言っていた。それに一度目の交渉のときは千影の返事待ち、二度目の接触のときはすでにケイトはノブとして確定していたのだから。
いやでも、だとしたらなぜテルコはこんなところに連れ出されているのか。すでに彼女がノブとして日本人認定されているのに、それでもなぜちょっかいをかけようとするのか。
それに、千影たちがタマゴを持っているかどうかを彼らが知るはずはない。となるとやっぱり、これはタマゴとは無関係?
「チェーゴの民は、このダンジョンで得た富や技術を我が国と国民に還元する義務を負っています。それはここにいる我々四名も、このイベントに参加した他の者も同様です。なので、我々のかけがえのない同胞の一人であるケイト・ルコ・カエーニャにもその義務を果たしてもらうべく、声をかけさせてもらった次第です。つきましては、先ほど受けとったシリンジ交換のガチャコイン? を我々に納めてもらいたい」
なるほど。タマゴではなくガチャコインをせしめに来たのか。せこい。シリンジ一本何十万という価値については置いておいて、ガチャコインカツアゲという言葉の響きがせこい。小学生か。
「だから、オレはケイトじゃねえっての。ノブだっての。お前らに渡すガチャコインはねえ!」
「外務省からの共有事項によると、あなたはダンジョンウイルスによって瀕死のケイトと融合されたとか。であれば、あなたの内には我々の同胞の魂が宿っている。彼女が果たすべきだった義務をあなたが負う、それはいささかも不自然なことではないはずです」
「なんだそりゃ! 今日びチューボーでもそんな雑なカツアゲやらねえぞ!」
「カツアゲ? すいません、その日本語はわかりません。ポークをフライにしたおいしいやつなら知っていますが」
そう言って若手二人とくすくす笑い合う。上司のつまらないジョークに付き合わされる部下の図、こういうところもブラックだ。
ふと、千影は一番後ろにいるイリウスと目が合う。彼は自虐的な笑みを浮かべ、小さく首を振っている。
「……あー……」
それで千影は理解する。
これは茶番なのだと。
「あの……僕、いいですかね……?」
「はい、えーと、ハヤ……さん」
「(諦めんな)早川です。あの、実はなんですけど……僕ら、〝ヨフゥのタマゴ〟をゲットしてまして……」
グレゴルの顔色が変わる。若手二人も、そしてイリウスもぎょっとしている。
「おい、タイショー! なんで今それを――」
「失礼ながら、あなたはケイトのチームメイトということでよろしいでしょうか?」
「彼女――じゃない彼の、ノブのチームメイトです。一応僕がリーダーで……」
「我々にとってはケイトです。彼の肉体に一パーセントでもケイトが宿るなら。そしてそのチームメイトであるあなたがタマゴを保有している、と。そしてそれはケイトにも所有権があり、つまり我々――」
「いや、あの……そういうむちゃくちゃはもういいんで……なんとなくわかったんで……」
バカにされているように感じたのか、グレゴルがこめかみをひくつかせる。
「いいんですか? 我々はいつでもケイトを迎えに行く準備がありますよ。ダンジョンの中でも、なんならあなたたちの家にでもね」
にやりとするグレゴル。食ってかかろうとするテルコを千影が制止する。
「えっと、なにが言いたいかっていうと……タマゴ持ちの人を狙う超強いドラゴンがいまして、僕らそれを二体倒したんですけど……」
「はあ」
「僕らもプレイヤーなんで、その死骸から牙とか外殻とかいろいろ採取したんですけど、そいつめっちゃでかすぎて、僕らが持てるだけ持ってもまだ全然とりきれなくて、それが今放置されてる状態で……」
千影の言いたいことに気づいたのか、グレゴルの目の色が変わる。
「強さ的にはレベル7以上あったみたいなんで、素材もたぶんすげえ貴重なんじゃないかなって思うですけど……早く行かないと他のプレイヤーにとられたりダンジョンバクテリアに分解されちゃうんじゃないかなあって……あ、ちなみに僕レベル5で、後ろの直江さんはレベル8です」
抑止力としてさりげなくレベルをアピールしておく作戦。直江を勝手に引き合いに出したことは、あとでギンチョぷにさせて許してもらおう。
グレゴルは若手二人とひそひそと言葉を交わす。彼らの国の言葉らしい、まったくわからない。テルコのしかめっ面やイリウスの白けた顔を見るに、ろくでもない会話なのだろう。
「ちなみに、それはどこですか?」
「あっちです。あそこの丘を南西? に下りたあたり。でかいんですぐわかると思いますけど」
千影のスマホでマップを見せる。若手の一人がそれをメモ帳に控える。
「話の続きは後日、改めて。我々は急用がありますので」
そう言い残し、グレゴルたちは去っていく。テルコ――彼らが同胞と呼んだ彼女には一瞥もくれずに。これから同胞を集めてドラゴン漁りに向かうつもりだろう。
その場には千影たちと、そしてイリウスが残される。彼は長いため息をつき、首をすくめ、千影ににやっと笑いかける。
「……よくできました。七十点です」
「意外とからい」
「交渉をするならもうちょっとハキがほしい。レベル5と言われても説得力が皆無です」
「サーセン」
「ですがよく気づきましたね。これが茶番であり、単なる嫌がらせ、メンツのための憂さ晴らし、あわよくばのカツアゲであることに」
「いや……イリウスさんのサインのおかげっつーか……」
この状況、グレゴルの口ぶり、そしてイリウスのあの表情を見て気づいた。チェーゴはすでにケイトを奪還することを諦めている、と。その上で意趣返しというか、ダメ元でコインだけでもせしめてやろうという浅ましい根性で最後にちょっかいをかけてきたのだと。
最後の脅しも本気ではなかったはずだ。日本人となったテルコに対して手を出すことは、ダンジョン事業で食っている彼らからすれば本末転倒だから。逆にそれで千影は確信を持てたし、黒竜という別のエサを与えることでお互い損のない終わりかたを演出することができた。我ながら会心の気の利きようだと自画自賛。頭の中の全早川千影がスタンディングオベーションしている。
「実は外交レベルでもすでに決着はついているんですよ。正式発表はまだになりますが、そちらのお偉い方々や外務課の方々が我々のために骨を折って、多少無茶なことを通してくれましてね。だからさっきのも本気じゃない、ダンジョンの中でだけの威勢の弱いイチャモンです」
「へ?」
中川たちのことか。「小難しいことは大人に任せとけ」と言っていたが、そのことだろうか。
「やっぱりご存じないと。まあそうでしょうね、そのうちニュースで流れるでしょう。ともあれこれで、我が国も多少はまともな道に向かうはずです。最後の嫌がらせは、薄々更迭を覚悟している器のミニマムな上司の独断ですので、何卒ご勘弁を。ちなみに彼、偉そうにしてますがレベル1です」
見た目って大事だなあと千影は思う。
「それにしてもまさか、本当にタマゴを手に入れるとは……ジャパニーズ・コトワザの『ブタもおだてれば木に登る』でしたっけ?」
「合ってるけどブタかよ」
「悔しいですが、認めないといけないんですね。私の可愛い部下を、あなたのような冴えない男に奪われることを」
ふふん、とテルコが勝ち誇ったように鼻で笑い、ぐいっと千影の首を抱き寄せる。千影の肩に彼女の胸肉が密着するので以下略。
「なにもかも、あなたたちの勝ちです。今後我々から干渉することはないでしょう。お会いするのもこれが最後かもしれません」
「会うんじゃねえの、ダンジョンで。お互いプレイヤーやってんならよ」
イリウスはいったんきょとんとして、目を細め、苦笑する。
「ケイト、その命を粗末にするなよ」
「だからオレはケイトじゃねえ――テルコだよ」
「はは。元気でな、テルコ」
二人のそのやりとりは、彼らの国の言葉で交わされる。千影にはわからないが、テルコの少し寂しげな、少し誇らしげな顔を見るに、なんとなく想像がつく。
イリウスがニヒルな背中を見せて去っていくと、数秒、誰もなにも発しない時間が訪れる。ギンチョがタックル気味の勢いでテルコにしがみつき、腰に手を回す。
「ごめんな、ギンチョ。ナオエのネーチャンも」
「ひとりでどっかいっちゃだめです……」
「……男女、どうでもいいからギンチョを返せ……」
「テルコ、一人でカタをつけたいってのはわかるけど、一人で誘いに乗った時点でケイトみがあるって言ってるようなもんだよ」
「うーん……やっぱこういうの苦手だわな。昔は嘘とか演技とかへっちゃらだったんだけど、ノブのせいだなこりゃ」
あっけらかんと笑うテルコ。それでようやく千影も肩の重さがとれる。
これでテルコも、今度こそ自由だ。終わったんだ。
そして、半日どころか一カ月にも一年にも感じられたこの過酷なイベントも、あとはタマゴの儀式を残すだけだ。
「じゃあ、行こうか。えっと……〝目覚めの祭壇〟に」




