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5-7:チャイムの音

 ぷすぷすと空気の抜ける音とともに火が収まっていく。焼け焦げて光沢をなくした黒ムカデの身体は、完全に沈黙し、身じろぎすらしない。


 千影は左手に握りしめていた灰色の石をぽとりと落とす。とたんに身体を覆っていた靄が霧散し、同時に全身に痛みが戻ってくる。それを忘れる前よりもずっと激しい、すべての思考を吹き飛ばすほどの激痛を引き連れて。


「……ああ……いってーわ……」


 膝から崩れ落ち、前のめりに倒れる。

 穴の開いた腹から、血は容赦なく流れ出ていく。ちょっとやばい気がする。早く血を止めないと。でも【フェニックス】もないし、応急手当キットもギンチョのところだし。


 ここからどれくらいだろう。そんなには離れていないと思うけど。そこまで戻る力も残っていないけど。


 ってことは、あれだな、たぶん。

 正直厳しい。ここまでってことかな。


 死んだらどうなるんだろう。

 ふとまた、そんなことを考える。


 死後の世界は信じられない。こちとら無神論者の日本人現代っ子だから。異世界なんてもっと荒唐無稽だ。向こうの世界でも絶対髪をいじられる。いやハゲてねえし。

 生まれ変わりだって――人口動態や地球上の命の総数を考えると腑に落ちない。惑星ペイロはどうなるのか。他の星の生き物にも生まれ変われるのか。神の手はこの宇宙のどこまで届くのか。


 いや――なにも起きない。それが正解だろう。

 脳細胞が壊れて、意識がなくなって、記憶がなくなって、自我がなくなって。

 ずっと眠ってるような感じ? 夢のない、真っ暗な眠りの中にいる感じ?


 怖いと言えば怖い。けれど、少なくともその先に苦痛はないだろう。

 今は身体中痛すぎる。苦しすぎる。そっちの水は甘いと言われたら、悪くはないのかなと思えてしまう。


 自分が死んだら――ギンチョたちはタマゴを使うだろうか。


 死者の再生。

 ダンジョンが来て以来、一番ネットを騒がせた案件かもしれない。なにせ人間の命なんていう、倫理的に不可侵な領域に、とうとう踏み込んできたのだから。


 けれど――蘇生ではなくて再生だ。

 サウロンもウィルも認めたわけだ。それはコピーにすぎないと。


 まあ、他人から見れば関係ないのかもしれない。世界から見たら個人の連続性は(完璧にではないにせよ)保たれる。あるいは周りの人たちからすれば一種の救いになるのかもしれない。

 だが、再生される本人からすれば、それはあくまで自分ではない。


「……やだなあ……」


 再生された自分を想像してみる。

 人生がリスタートして、またダンジョンのプレイヤーをめざして、ギンチョやテルコに会って、また一緒に冒険をして……。


 それは僕じゃない。その身体の中にいるのは僕じゃない。

 なんつーか……そんなのは嫌だ。


 いやいや、嫌つっても、死んじゃえば結局なにも考えられなくなるんだから。そのあとで自分のそっくりさんがあいつらと一緒にいたとしても、嫌もなにもないだろうに。

 だけど……生きているうちは思う、思わざるをえない。そんなのは嫌だって。


「……はは、らしくないわ……」


 二カ月前だったら、ずっと一人のままだったら、そんなことは思わなかったはずなのに。

 あいつらと会って、一緒にメシを食って、笑い合って。

 あんまりケンカはしなかったけど、冒険して、危険を乗り越えて。

 そんなことをしたせいで、早川千影は変わってしまった。ある意味それこそ別人みたいに。

 だけど、悪くないと思ってる。それでいい、それがいいと思ってる。


 ――死にたくない。


 腕を動かす。身体を起こす。膝をつく。立ち上がろうとする。


 ――帰りたい。二人のところに。


 約束したんだ、ギンチョと。テルコと。

 少なくとも今は、ただ死んでる場合じゃない。

 空がやけに暗い、星の光を感じられない。風を感じられない、音も聞こえない。

 それでも。


「………………帰らなきゃ」


 足を引きずって歩きだす。

 どこまでもつかわからない。


 やがて力尽きるだろう。やがて倒れ落ちるだろう。

 それでも――それまでは歩き続ける。あがき続ける。

 命がなくなるまでは――それまでは、あくまでも僕なのだから。


 やがて、そのときが来る。力尽き、倒れ落ちる。

 仰向けになる。頬に水滴が落ちてくる。温かいと思う。


「……約束、したもんな……」


 目を閉じる。その前に最後に目にしたのは、女の子二人の泣きじゃくる顔だった。


    *


 ぴんぽんぱんぽーん。


 遠くのほうで鳴り響くチャイムの音で、千影は夢のない眠りから引きずり起こされる。

 機械っぽい声がなにかを呼びかけているが、全然頭に入ってこない。


「……おい、おい! タイショー!」


 後頭部が柔らかくて温かい感触を捉えている。

 重いまぶたを持ち上げる。最初に目に飛び込んできたのは覗き込むテルコの顔だった。


「ああ……よかった! チカゲ! ほんとに、マジで……」


 ぎゅっと頭を抱えられる。ものすごい肉の圧力が首と肩のあたりに感じられる。おっぱい、となんのひねりもなく思う。

 ああ、テルコに膝枕してもらっているのか。やった、これで美女の膝枕スタンプラリー記念すべき一人目ゲット。


「……なんか重い……」


 胸から足にかけてずっしりと重い。あのPゴキの毒が残っているのだろうか。と思いきや、ようやく気づく、千影に覆いかぶさるようにして眠っているギンチョに。


「さっきまでびーびー泣いてたんだ。ようやく静かになったとこだ」


 自分の剥き出しの腕や身体を見て、上半身裸になっているのに気づく。ああ、血まみれだったから脱がされたのか。それでこいつが布団代わりになっているのか。よだれがローションのごとく広がりまくっている。

 横から視線を、というか殺気を感じる。直江のものだとは気づかないふりをしておく。


「タイショーがいなくなったあと、ナオエのネーチャンとフクシマのアニキがドラゴンとゴキブリぶっ倒して、ギンチョがみんなの手当して、全部片づいてからタイショーをさがしてたんだ。そんなに離れてなくてよかったよ、ギンチョなんかずっと泣きじゃくってて大変だったんだからな」


 テルコも泣いていた気がする。よく憶えていないが。


「……僕の傷は?」


 身体中の裂傷は包帯や絆創膏で手当てされているし、腹に開けられた穴もすっかりふさがっている。


「フクシマが【ウロボロス】をくれたんだ。初めて見たけど、すげえんだな、あれ。あっという間に腹がふさがって、顔色もナスビからゾンビに戻って」

「そっか(ゾンビがデフォなの?)」

「フクシマは今、タイショーの刀をさがしに行ってくれてる。ナカノとオクヤマも」


 首をもたげて見回すと、直江とよしきが座っている。目が合うと、よしきはにんまりとうなずく。


「いやはや、腰をやっちまったとはいえ、弟子に守られるようじゃ、師匠の面目がないじゃな。わしもいい修行になったじゃ、ダンジョンは剣術のようにはいかんじゃな」

「いえ……こっちこそ、今回はすごい助けてもらって……」

「ハゲには皆伝くれてやらんといかんじゃな。あとうちの孫娘も」


 そんな、正式に新善流に入門したわけでもないし、月謝も払っていないし、ついで的にお孫さんをいただくわけにもいかないし、ハゲじゃねえし。


「あーー! あんちゃん起きてんじゃねーか!」

「おーい! だいじょぶかー? 気持ち悪くねーかー?」


 中野奥山が駆け寄ってくる。その後ろから福山も。


「あ……福島さん――」

「先に言わせろ、早川。よくやったな、さすがは織田の認めた男だ」

「いや、むしろ……助けてもらってばっかで……」

「いや、だとしても、お前はさんざん死にかけても最後には生き残った。それが事実だ。ダンジョンってのは結果がすべての場所だって、織田もよく言ってたしな」

「……【ウロボロス】……エネヴォラのときももらっちゃって……」

「ははっ、気にすんな。命より高えもんなんかねえからな」


 やだもう、惚れ直しちゃう。中野奥山の目も乙女になっている。


「あんちゃん、刀とってきたぜ。あのドラゴンの死骸もきっちり回収済みさ」


 かたわらに置かれている中野と奥山のリュックは、ドラゴンから剥ぎとった鱗、爪、牙、皮膜やらでぱんぱんになっている。あとで山分けしてくれるというので、素直にわくわくする。これぞプレイヤーの醍醐味だ。

 肉も少しだけ持ってきたそうだ。千影が寝ている間にみんなで試食してみたらしい。ライターで軽く炙って食べてみたところ、ギンチョの食レポによると「たしかなだんりょくのなかにはじけるやせいのうまみ」。お前ずっと泣きじゃくってたんと違うんか。


「あとさ、刀拾ったところにこの変な色の石もあったんだけど、これもあんちゃんのか? あんちゃんの血がついてたし」


 身体を起こそうとするが、ギンチョがまだ眠っているのでどうしよう。と、直江がひょいっと抱え上げ、自分のものだと言わんばかりに抱っこする。千影は上体を起こし、奥山から石を受けとる。

 それをてのひらに載せてまじまじと覗き込む。スキルを使うみたいに、それと触れている部分に意識を集中させてみると、ずず、と例の黒い靄がしみ出してくる。おお、とみんなが目を丸くする。


「この石……これがなかったら、タマゴを守りきれなかったかも。つーか死んでたかも」


 ムカデ戦の顛末についてみんなに話す。トッププレイヤーの福島や直江でも、こんなアイテムは見たことがないという。

 福島、中野奥山、テルコと、代わる代わる手にとって試してみる。千影と同じように黒い靄を出すことはできない。


「所有者にしか力を引き出せない類か、それとも他の条件があるのか……」

「……ハゲか変態かロリコンしか使えないんだろう……」

「直江さんもやってもらっていいですか?」


 すると、直江の手に載ったそれが反応し、黒い靄が湧き出る。おー、と一同から驚きの声があがる。ということは、ロリコンが濃厚……違うし。ロリコンじゃねえし。


「使えるやつだけの共通点みたいなもんがあるってことか。もっと試したいところだが、そろそろ戻らねえとな」

「戻る……?」

「ああ、アナウンス、聞こえなかったか?」


 ぴんぽんぱんぽーん。


 遠くのほうにキャタピラつきの機械生命体が走っている。頭がまるごと拡声器のようなデザインで、そこから大音量が流されている。


『……特別イベント〝真夏の夜のヨフゥ〟は終了しました。十二個以上の〝ヨフゥのタマゴ〟が最後まで守られ、クエストは成功となりました。エリア内にいるプレイヤーのみなさんは、エレベーターホール前で成功報酬を受けとってください……』


 千影は腕時計を見る。


 八月二十四日、木曜日。

 日付が変わっている。午前零時二十三分。


 身体から力が抜けて、その場に大の字になる。

 終わった。生き延びた。タマゴを守りきった。


 星帯の光が眩しいほどに感じられ、少しだけ目を閉じる。

 勝利の余韻に浸ろうとして、「……寝てんじゃねえ……」と直江に頭を踏みつけられる。


4章5話、これで終了です。

お付き合いいただきましてありがとうございます。


次回から4章6話、ちょっと短めの予定です。

引き続きよろしくお願いします。

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