5-4:黒竜
その巨体を揺らし、足音を響かせ、黒竜たちがクレーターから這い出ていく。
まっすぐにこちらに向かってくるやつらもいる。十数体。ずずん、ずずん、と地面の揺れはしだいに激しくなっていく。
「どうする!? 逃げるか!?」
「結構はええぞ! 一時間もあんなのとマラソンする気か!?」
「やれんのかよ、あんなの! 戦車でも持ってこねえと無理だろ!?」
十四体、と千影はつぶやく。
そばにいた竹中がこっちを向く。同じことを考えたのだろう。
「待ち伏せしましょう。身を隠してスキルぶっ放しです、あの陣地でやったときの要領で」
竹中が通る声で指示を出す。
「タマゴ持ちと奇襲不参加組以外の人は、後ろに集まって敵を引きつけましょう。スキル持ちは岩場に隠れて、通過する竜に横合いから全力でスキルぶっ放し。倒しきれればそれで終わりです。こいつらはおそらく、タマゴ一つにつき一体ずつだから」
クレーターの中に残っているのが十一体。外に出たのが三十数体、うち十四体がこっちに向かっている。この集団のタマゴ所持数と一致する。あそこで動かずにいるやつらは、すでに破壊されたものか、未発見のものか、どちらかの担当なのだろう。
「いざとなったらタマゴを放棄すればいい。出てこないやつらを見る限り、それ以上襲ってこなくなるはずです。たぶん」
そうしよっか、と思ってしまう。だってあんなのに勝てる気しないもの。
いやいや、まだそうと決まったわけでもないし。タマゴを手放しても近くにプレイヤーがいれば襲ってくるかもだし。とにかくやれるだけやるしかない。倒せるなら倒して、倒せないならタマゴを捨てる。それが最善策だ。
一同は竹中の提案に従い、竹中の指示でそれぞれの配置につく。
どっ、どっ、どっ。距離が縮まるにつれ、振動は身体を突き上げて胃を圧迫するほどに激しくなっていく。迎撃組の八人は左右に分かれ、ほんのわずかな岩場に身を隠す。その奥の数百メートルほど離れたところには、逃亡準備組とタマゴ所持組――ギンチョと中野奥山がいる。
仮にあの黒竜たちがタマゴのみを感知するとしたら、千影たちを素通りして囮のほうに向かおうとするだろう。その横っ面を思いきり殴りつける。あとはすぐに解散。それぞれチームごとに動くことにする。それが竹中のプランだ。
黒竜はもうすぐここにやってくる。丘を駆け上がってくる。足音が近づいてくる。地響きが近づいてくる。もう他のなにも感じられないくらいだ。
ていうか、これでやれるの? 近づいてくるとよくわかる。マジででかい。たぶん十五メートル以上ある。怪鳥ヘルファイアよりでかい。
たかが人間の力で、あんな化け物を倒せるの? 神話やおとぎ話の英雄でもあるまいし。倒せなかったらどうなるの?
あと五十八分、あんなのと鬼ごっこ?
無理。絶対無理。死ぬ。噛み砕かれる。踏みつぶされる。粉みじんにされる。
黒竜の足が地面を踏みしめる。それだけで地面が揺れる。
負けじと千影の心臓が肋骨を叩いている。振動するたびに視界がぐらつき、吐き気がする。息が荒くなり、それを押し殺そうと震える指を噛む。
「……タイショー」
千影の手を、隣のテルコが握る。その手も震えている。千影をまっすぐに見て、涙の浮かぶ目で、それでもうなずく。
不思議と、たったそれだけで、千影の中のなにかが腹の奥にすとんと収まってくれる。震えが弱まり、息がしだいに落ち着き、顔が熱くなる。チャージしている腕よりも。
『オギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアゥッ!』
音でビンタするかのような咆哮。もうすぐそこまで迫っている。もはやその大きさは疑いようもない。十四体の巨竜の突進。まさに怪獣総進撃。
最初に口火を切るのは千影たち遠距離スキル持ちだ。先頭に当てる。そうして進軍を止め、テルコや直江たちの追撃ととどめにつなげる。
タイミングは任されているが、二手に分かれた攻撃組を結ぶライン上――それより少し前がいい。そこでやつらがもんどり打ってくれれば、ちょうど千影たちの目の前で倒れ込み、追撃を与える絶好の機会になる。
いやいや、そんなうまくいくか? つーか、マジで効くの、【イグニス】?
いやいや、こんだけチャージしたスキルが効かなければ、こいつらもう絶対倒せないし。
『ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアゥッ!』
近づいてくる。もはや足音が絨毯爆撃みたいだ。つーかビルが走ってくるみたいなあのバカでかさ。はは、笑えてくる。
タイミング。ちゃんと当てろ。外すな。コントロールは自信がないけど、これだけでかけりゃ外しようもない。
ベストは頭か足。でも先端部分は狙いづらい。万が一外したら――くそ、また心臓が――身を隠しながらじゃ狙いが――。
「タイショー、撃て!」
テルコの声で、千影はびょんと跳び上がり、岩場から躍り出る。黒竜がぴくっとこちらに顔を向ける。
「ああああああああああああああああああああっ!」
無意識にさけんでいる。左腕を構える。
そして、頭の中でさけぶ――【イグニス】。
放たれた一筋の火の矢は、暗闇に赤と白の線を描き、先頭の黒竜の胴体に突き刺さる。爆音とともに炎が燃え上がり、悲鳴とともに黒竜が横倒しになる。
一体が倒れると、その後ろにいたやつもつまずき、さらにはその後ろも――黒竜たちが絡まり合い、土埃を巻き上げて一塊になっていく。
「わ、私も!」
千影の隣に出てきた〝アマコーズ〟の女性プレイヤーが右腕を突き出す。【イグニス】よりも低威力ながら連射の利く【ブレイズ】。炸裂音とともに次々と火球が撃ち込まれていく。
千影たちの逆側で、二筋の光が放たれる。別のプレイヤーの【イグニス】、指向性を持った雷を撃つ【ヴァジュラ】。黒竜の群れのどこかに当たり、炸裂し、さらに土埃で視界が悪くなっていく。
「らああああああああああああっ!」
テルコが岩場から飛び出して、やつらに突っ込んでいく。直江もそれに続く。遠距離攻撃のあとに続くのは、それよりも威力の高い具現化系×チャージ方式のスキルだ。
刀を生み出す【マンジカブラ】。
ハンマーを生み出す【ミョルニル】。
チャクラムを生み出すよしきの【エンゲツリン】。
ドリルを生み出す直江の【コルヌリコルヌ】。
鞭と鎌を生み出すテルコの【グリンガム・ナイトメア】。
爆発に似た音、肉のつぶれる音、断たれる音。土埃の中で派手な破壊音が響き、同時にやつらの悲鳴もあがる。
やがてテルコと直江がこっちに駆け戻ってくる。息が切れている、二人にエナジーポーションを渡す。
「わりい、仕留めきれなかった! ギンチョのところに戻るぞ――」
テルコの言葉を遮るように、激しい怒りを帯びた咆哮が、立ち込めた土埃を払っていく。
ギンチョたちのいる後方に合流し、やつらの姿を正面から捉える。
七体はその場から動かない。死んでいるにせよいないにせよ。だが残り半分、七体は身体のあちこちを欠けさせながら、それでも血走った目をあたりに這わせている。ぐるる、と好戦的な声が喉の奥から漏れている。
うは、こわ。無理。身体がすくむ。あんなの、どうしたら――。
「――散開!」竹中がさけぶ。「そんでもって解散! 各自がんばりましょう、グッドラック!」
〝炭酸水の昼〟は「またねー」と一目散に駆けていく。感心したくなる。尊敬したくなる。
「ぼぼぼ、僕らも行こう!」
千影がギンチョをおぶり、他の五人と合わせて丘を駆け下りていく。他のチームも同様だ。それぞれ別々の方向に、まさに蜘蛛の子のように散っていく。
背後で聞こえた黒竜の怒声は、「逃がすものか」と言っているように聞こえる。
さっきの総攻撃で千影たちのタマゴ担当が死んでいれば、もうそれでこのイベントはゴールも同然だ。これまでのように適当に残り時間をやりすごせばいい。あれを見たあとなら、大抵のザコ敵なんてダンゴ虫みたいなものだ。
そう、黒竜が死んでいればだ。確率は二分の一。五十パーセント。いや、直江も一緒だから二体とも死んでいる確率は二十五パーセント? いや計算違わね? うん、どっちにしても微妙。こういうときの運には自信がない。
「ギンチョ、じゃんけーん――」
「はわわっ」
「ぽん(千影グー)」
「ぽん(ギンチョチョキ)」
また勝ってしまった。幸運の【ザシキワラシ】に。そしてこれはどういう意味になるんだろう? 千影に運が来ていると解釈していいのか、それとも【ザシキワラシ】の効果が効いていないと解釈したほうがいいのか。いやいや、全然わからない。つーかやるんじゃなかった、数秒無駄に――
「オギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアゥッ!」
走る速度は緩めずに、ギンチョと二人そろって振り返る。
黒竜の姿がある。一体、巨体を揺らし、地面を踏みならし、まっすぐに千影たちを追いかけてくる。
案の定という気持ちと、認めたくないという気持ちが綯い交ぜになって、「ぬあああああっ!」と言葉にならない悪態を吐き出す。
今日これまでの最大級の実感を更新して思う、マジでイベント、甘くない、と。
熊は下り坂に弱い、と聞いたことがある。身体がでかくて前足が短いかららしい。
ちらっと振り返って確認する。黒竜は意外とすらっとしたおみ足を持っている。首も細い、あまりずんぐりとしていない。一歩ずつ的確に身体を支え、軽快に距離を詰めてくる。
「ああああああんちゃーーーーーん!」
「どどどどどどうすんだーーーーー!」
先頭を走る中野奥山が泣きさけぶ。
わかっている、追いつかれるのも時間の問題だ。
あの見晴らしのいい丘にいたことが災いした。森林地帯にいたら、さすがにこの巨体での進軍は鈍ったかもしれない。あるいはアナグマの巣窟のような狭くて入り組んだ場所なら、湖のほうなら、隠しステージの上の台地なら。ていうか自分たち以外はみんなそういうところに隠れてたりするんじゃね?――ってああもう、たらればばかり思い浮かぶ。
「タイショー、もう……」
隣を走るテルコが言う。その瞳が揺れている。
どうする。考えろ。
いや違う。選べ。決断しろ。
「……おい、ゴキカスキモハゲ……」
いつの間にか隣を直江が走っている。
「原型ないけど僕のことですかっ!?」
「……二手に分かれるか……?」
走りながらとはいえ、こんなにきっちり直江と目が合うのは記憶にない。
一拍遅れて気づく。どちらに転んでも、直江は戦うつもりだ。
二手に分かれる――つまりギンチョの持つタマゴと直江の持つタマゴを離し、やつのターゲットを明確にする。
ターゲットが直江の場合、彼女は一人で戦う覚悟を決めるだろう。
ターゲットがギンチョの場合、彼女はギンチョを守るために千影たちと一緒に戦うつもりだろう(守るのはギンチョだけかもしれないが)。
その提案を、千影にしている。
直江らしくない。気を遣うなんて。
だけど、直江らしい。あくまでも孤高だ。
千影はばりっと歯を食いしばる。そしてさけぶ。
「ひひっ、必要ないです!」
踵を返し、ずざああっと地面を滑って急停止する。
「みんな、逃げろ! 僕と直江さんでやる! ギンチョ、いつでもタマゴを捨てられるように!」
ギンチョを下ろし、小太刀を抜く。十秒と経たずにここに到達するやつを迎え撃つために。
後ろを振り返る。全員が足を止めている。テルコもギンチョも、直江も。よしきも、中野奥山ですら逃げようとせず、剣鉈を抜いている(腰が直角に引けているが)。
「やれるだけやろう! だけど、命最優先で!」
熱いものが身体を流れていく。
変な感覚だ。最近、というかギンチョと出会ってからか。こういうのが増えたのは。
だけど、悪くない、とも思う。
「みんな、これがしゃいごだ!」
思いきり噛んだ。




