4-8:〝ソシャゲ部屋〟③
奥に進む通路は一つしかない。なので、進むか戻るか、その二択しかない。
「ちょっと……困るかも……」
さっきのカエルがタマゴのフラグだとしたら、おそらく次のボスはよりいっそう手ごわいに違いない。はっきり言ってビビる。あのゴリラの大群もそうだったと考えると、あれと同じくらいひどい目に遭わされないとも限らない。
切実にタマゴを求める理由があるならともかく、今はタマゴよりもここを無事に出たい。無用の苦難は避けられるなら避けたい。
とはいえ、また戻って出口をさがす? 見つからなかったらまた一から〝ソシャゲ部屋〟チャレンジ? 大型とリベンジマッチとか心が折れる。
逆に言えば、次がラストのボスで倒したら報酬がタマゴ、出口があって隠しステージともおさらば、という流れも推察できる。外に出られる最短距離の可能性は高い。
でもなー。出口まで最短距離だとしても、天国までも最短かもしんないんだよなー。
あーもー、迷うわー。時間がないのはわかるけど。
「……タイショー、次がラストっぽいよな? んで、タマゴもありそうだよな?」
「あ、うん……」
テルコも同じことを考えていたようだ。
「オレもやる……開幕ぶっぱ」
「え?」
「二人でマックスまでチャージして、一気に倒しきろう」
「でも……」
できんの? その身体で?
「それで終わりだ……タマゴ持って胸張ってギンチョのとこに行こうぜ。な?」
真っ青で脂汗だらけの顔で、それでもにかっと力強く笑うテルコ。もうまぶしすぎて直視できない。まごまごしていた自分が恥ずかしくなってくる。
千影はぱんぱんと自分の顔を叩く。じんじんとする頬の熱が身体中に伝播していく、そんな気がする。錯覚でもそう思っておく。
「……わかった。それで行こう。これで終わりにしよう」
全員が通路に入ると、やはり扉が閉じる。これでもう後戻りはできない。
みんな無言だ。中野奥山にもさっきの流れは説明済みで、二人の目はまな板の上のカエルのように光を失っている。フライでもムニエルでも好きなようにして、と語っている。
進んだ先の扉に触れる。奥の部屋は、先ほどまでの殺風景ながらんとしたスペースとはまるで違う様相をしている。
まず広い。さっきの部屋のさらに数倍、学校の体育館くらいの広さがある。天井も高く、光る石のおかげでかなり明るい。
石床は凸凹としていて、水たまりが無数にできている。そして千影たちから見て奥側には滝が流れている。天井付近の穴から大量の水が流れ落ちて、そのあたりの床を水浸しにしている。
足場が悪そうだ。スキルで倒しきれなければ、結構面倒なことになるかもしれない。
中野が通路に残り、千影とテルコは一歩前に出てしゃがみこむ。
二分後、左手はもう暴発寸前まで高ぶっている。テルコを窺うと、彼女もうなずく。
中野がロボットみたいなこわばった動きで、部屋に足を踏み入れる。ごごん、と扉が閉まる。いよいよ始まる。
胎巣が生じる。滝のある水辺の近くだ。距離にして五十メートル以上ある。
千影とテルコが同時に駆けだす。
ずりゅっと黒い塊が排出される。明らかに胎巣よりも大きい、大型ゴリラとほぼ同じくらいだ。
距離にして十五メートルほど、千影が先に足を止める。ブレーキをかけると水しぶきが上がる。
テルコはもう少し近づく必要がある。千影の邪魔にならないように右に回り込んでいる。
相手がなにかを確認するより先に、【イグニス】を発射する。同時に黒い塊が立ち上がる。それは――タコ?
炎の矢が直撃する――その瞬間。
視界が真っ白になる。
轟音で耳が機能を失う。
身体が床に投げ出されている。
意識が明滅している。なにも考えられない。
――ちゃん、あんちゃん。
中野の声がぐにゃぐにゃと曲がって聞こえる。
上体を抱えられ、引きずられている。
目をこじ開けると、奥山がテルコを抱えて走っている。
頬を叩かれる。何度も名前を呼ばれる。
それで意識が戻り、思考が回りはじめる。
どうにか起きようとする。背中がずきずきと痛むし、顔がひりひりする。
「……今……なにが……?」
「目ぇ覚めたか、あんちゃん!」
すぐ頭上に中野のほっとした顔がある。
「爆発したんだ! あんちゃんのスキルが当たる瞬間、あのタコ野郎が水を噴いたんだ!」
「水蒸気爆発ってやつか? あんちゃんもねーちゃんもそれで吹っ飛んだ。あのタコ野郎もな」
身体を起こしてちかちかとする目を凝らす。
そう、タコだった。というよりタコの頭をしたやつだった。それが奥に転がっていて、もぞもぞと蠢いている。
そいつがゆっくりと立ち上がる。
これまでの動物然とした姿の頂点捕食者とは打って変わって、あの黒コウモリに近い、宇宙生物のような姿をしている。
巨大な丸い頭に切れ長の目が二つ、その頭から触手が無数に垂れ下がっている。Pゴリラのようなたくましい胴体と二本の足がある。腕は触手に隠れているのか確認できない。触手の先は黒い外殻に覆われていて、鋭く尖り、蠢くたびに鈍く煌めいている。
千影たちより近距離で爆発を浴びたせいか、頭が四分の一ほど欠け、触手がちぎれている。立ち上がったその足はふらふらとよろめいている。
――ちくしょう、防がれた。
渾身の開幕ぶっぱを、痛み分けの形で防がれてしまった。
テルコのぶっぱは爆発で未然に終わった。瞬殺計画は失敗だ。
テルコも目が覚めたようだ。顔や肌を見るに火傷はなさそうで安心する。
千影のほうも身体中ばらばらになりそうなほど痛いが、見たところそれ以上に相手のほうのダメージが大きい。
【イグニス】は使えない。けれど、とどめを刺すなら今しか――――?
立ち上がって刀を抜くのと同時に、千影は愕然とする。マジかよ。
へこんでいた頭がもにもにと復元されようとしている。
ちぎれた触手もにゅるにゅると丈をとり戻そうとしている。
「……再生すんのかよ……」
ずっけーわ。痛み分けどころじゃないやんけ。
そういうのやる気なくすわ。あーもう、これだから触手系とかスライム系嫌い。なんでもありなんだもん。そんなんお前らのさじ加減次第だもん。
どうする? って、そりゃやるしかないやん。
相手の力も特徴も未知数、完全にデータなし。しかも頭を吹っ飛ばしても治る鈍感系、ちくちく戦法が通用しない。千影にとっては最悪の相性だ。
それでもやるしかない。観察し、攻撃を見極め、弱点をさがしてそこを突く。再生される前に殺しきる。それしかない。
それしかないって。簡単に言うけどさ。絶対簡単じゃないよね、これ。
あーもう帰りたいを一秒で百回くらい唱えたとき、テルコが隣に並ぶ。
「……タイショー……」
テルコのこめかみと唇には血がにじみ、鼻血がタンクトップを赤黒く染めている。
「……一分くれ……もう一度チャージする……オレが決める……」
「いや、でも――」
「バォオオオオオオオオオッ!」
タコが天井を仰ぎ、胸を反らして盛大にさけぶ。びりびりと部屋中が震える。
と、左右の壁際にもぞもぞとしたものが現れる。以前千影が戦ったイソギンチャクに似ているが、よく見れば黒いタコだ。体高で五十センチほどもある。数はもう野鳥の会でも数えきれないほどだ。
「きめえ……」
「つーか多すぎ……」
再生系の上にザコ敵呼ぶ系かよ。持久戦させないつもりかよ。マジないわ、クリアさせるつもりないわこれ。
「……オレを信じろ、タイショー……!」
テルコの目の光は強い。意識ははっきりしているし、言葉にも力がある。
「……だいじょぶだ、ノブが力を貸してくれる……」
千影は息を呑む。彼女の目の奥にいる、もう一人の意思をそこに見る。
「あああああんちゃんよお、おおおお男なら女を信じるもんだぜ!」
「おおおお俺らも時間稼ぐからよ、たたたたた頼むぜねーちゃん!」
中野奥山が涙目で剣鉈を握りしめる。切っ先が残像を描くほどバイブしている。
千影は一秒ほど目を閉じ、首を振る。
「……一分じゃダメだ」
へ、と目を丸くするテルコの手に、エナジーポーションをねじこむ。
「二分。もう一回ぎりぎりまでチャージして」
「……お、おう!」
信じきったわけではない。
限界までチャージしたスキルの一撃、今のテルコにはそれくらいしか期待できないだけだ。
感傷的に了承したわけではない。
そうだろ? そう自分に言い聞かせる。
「あのタコ野郎は僕がやる。二人はテルコを守ってください」
「……(一分じゃないの?)」と顔で語る中野。
「……(二分って言った?)」と顔で語る奥山。
「……(そやで)」とうなずいてみせる千影。
再生を終えたのか、タコ野郎が一歩前に踏み出す。同時に千影も二振り目を抜く。
人生で一番長い二分間の始まりだ――そんなことを思って、いっつもそんな感じじゃん、と泣きたくなる。
次でソシャゲ部屋編、ならびに4章4話終わりです。
よろしくお願いします。




