3-2:ギンチョ、初ダンジョンへ
初めてもらった祖父のキャンディーのごとく、プレイヤータグをうっとり眺めるギンチョ。彼女とともにエスカレーターで地下階へと下りていく。
たっぷり三階ぶんくらいある長いエスカレーターの先は、がらんとしたコンクリート打ちっぱなしの空間だ。エレベーター前の広場。物々しい装備をしたプレイヤーたちが絶えず行き交っている。
プレイヤー用エレベーターのあるこの階は、一般人や観光客は下りてこられない。任務課などの窓口だけでなく、トイレや自販機、休憩スペースや喫煙スペースなどもある。
広間を進んだ先にあるエレベーターは強化ガラスの仕切りに囲まれていて、その出入り口には守衛がいる。ハンドスキャナーを手にプレイヤータグの提出を求めてくる。タグには電子チップが入っていて、プレイヤーの出入りの記録はすべて管理されている。
いかつい顔の守衛はギンチョを見てぎょっとし、首にかけたタグを見てさらにぎょっとする。スキャナーでぴっと読みとって本物と判断されると、もはや苦笑いするしかなくなる。
「お気をつけて、お嬢ちゃん」守衛がギンチョに敬礼する。
「はう! いってきます!」ギンチョも彼に敬礼で返す。
彼女の顔は興奮で上気している。不安よりもドキドキワクワクが強そうなのは、かねての憧れのせいだろうか、それとも無邪気な子どもだからだろうか。
この子がダンジョンに行きたいと強く願う理由――それはまだはっきりとは聞けていない。
自分がダンジョン由来のウイルスを持っていること、もう普通の人間ではないということを、この子は理解している。それが無関係とは思えない。
となると――その質問で、彼女の過去のことに無暗に触れてしまいそうで、なんとなく疑問を口に出せずにいる。
「ギンチョ、準備は大丈夫?」
「はう!」
「トイレは?」
「おうちでしてきたです!」
そんな大声で答えないで。みんな見てるから。
エレベーターは最大六人乗りで、ホールには三台ある。一階にも一台あり、そちらは観光客用になっている。
列に並ぶ。それほど混雑していないので、他のチームと相乗りになることもなさそうだ。ほどなく一番前に出る。
女性職員が数人、手際よく開いたエレベーターへの誘導係をしている。
右側の扉のランプが赤から緑に変わり、ガーッと大げさで古典的な音をたてて扉が開く。中はあまり明るくないが、天井は【トロール】の人でも頭がぶつからない程度に高い。
「じゃあ、行くよ」
「はう!」
お気をつけて、と女性職員にいつもの言葉をもらい、千影とギンチョはその箱に足を踏み入れる。
中には右側に開閉ボタンと▲▼のボタン、あとは使えないらしい「緊急時の通話ボタン」がある。築三十年くらいのマンションにありそうな骨董品的な威容だ。
千影が▼と閉じるボタンを押すと、またガーッと扉が閉まる。
一瞬の静寂。そしてゆっくりと下降を始める。一瞬だけ腹がふわっと浮き上がる。この瞬間はいつになっても血が冷たくなるような感覚がある。ごくん、ごくん、と箱がなにかにこすれる音がする。
扉が開くまではおよそ一分ほど。計算すると分速十キロ――時速六百キロで上下しているわけで、普通ならGとかかかってエグそうなのに、胃のあたりがふわっとする程度の違和感しかない。
この箱が今、どのような道を下っているのか、それは誰にもわからない。実際の地下の空洞を通っているわけではない、重力も音も偽物だという説が有力らしい。どこか別次元のトンネルを通っているのではないか云々。なにせ宇宙空間をワープしてきたという、地球とは比較にならない科学文明による転送装置なわけで。
なんにせよ確かなのは――この扉が開いたとき、その先は地上から十キロ離れた広大な地下空間だということだ。
横にいるギンチョに目を向ける。真正面をじっと見据えたまま、さっきまでとは真逆の青ざめた顔で、唇をぎゅっとかたく結んでいる。
「……緊張してんの?」
ギンチョはびくっと肩を跳び上がらせ、ぶるっと首を振る。
ここへ来てようやく、認識が現実に追いついたのだろう。この扉の先がどういうところか、これから自分たちはなにをしに行くのか。危険のひしめくダンジョンへ、楽しいピクニックなどではなく命がけの冒険をしに行くのだ。
「だいじょぶだよ、エレベーターホールは安全地帯だし、出てすぐのエリア1は好戦的なクリーチャーもほとんどいないから」
はう、とギンチョは小さく返事する。それでもまだ、顔は引きつったままだ。
ギンチョの目の前に、手が差し出される。目を丸くした彼女に握り返されてから、千影はその手が自分のものだと気づく。無意識だった、自分でも驚いている。
「ありがとう、ちかげおにーさん」
ギンチョがにぱっと笑う。
――なんだ、早川。緊張してんのか?
プレイヤーになって初めて、このエレベーターに乗ったときのことを思い出す。もう一年半も前だ。
――さあ、冒険の始まりだ。
あのとき、あの人はそんな言葉を千影にかけて、他のメンバーに苦笑されていた。
同じセリフを口にしようかしまいか迷っているうちに、チーン、と到着の音が鳴る。うん、別にいいか。キャラじゃないし。
「じゃあ、行きますか」
「はう!」
ガーッと扉が開く。一歩目は、「せーの」と、二人で並んで踏み出す。




