4-4:ゴリラとコルク栓
林の奥の闇が濃くなる。それはそいつらの身体の色だ。真っ黒な外殻に覆われた、二足歩行の巨大な猿。前肢というか腕が異常に発達している。
「……Pゴリラ……」
殺傷能力は推定レベル3――そいつらが数十体。
いや、それだけではない。
ネットにはPゴリラの体高は二メートル前後と紹介されていた。
そいつらの後ろに、明らかに倍近くでかいやつらがいる。目が赤く光っている。
同じ種族の強化種? 変異種? それとも別種?
どれでもいい。明らかにそれらは通常のゴリラたちとは格が違う。
それが――目につくだけで十体。
「これ……やばくね?」
中野のつぶやきに千影は内心うなずく。たぶんみんなもうなずいている。
ダンジョンで最も危険なトラップの一つ、クリーチャーズハウス。発動と同時にクリーチャーが部屋中にわんさか現れるアレだ。屋外エリアで発生するケースは聞いたことがないが、今の状況はさながらそれだ。
「中野さんと奥山さんはギンチョを! 前に出ないで!」
前方から目を逸らさないまま、千影はさけぶ。声が裏返っても気にするどころではない。
Pゴリラとやり合ったことはない、ネットで見ただけだ。
密林や荒野のエリアでたまに遭遇する。身の丈二メートルの巨体、見た目どおり発達した前腕の膂力は、人間の四肢を輪ゴムのようにたやすく引きちぎるという。知能も高く、意外と足も速い。そして肉食――もいだ人間の腕をフライドチキンみたいに貪る姿が確認されている。
しかも、その後ろに十体の大型個体。
戦うか逃げるか、それとも諦めて降参か。
最後のは論外として、個人的にはできるなら逃亡を選びたい。こんなやつらと正面切って戦うなんて怖すぎる。直江とよしきに退路を切り拓いてもらい、一気に森の外まで駆け抜ける。それが一番被害を最小限に抑えられそうな気がする。
――いや、無謀か。
意外と速いという追い足がどれほどのものかわからない。森の外まででも追いかけてくるかもしれない。それに大型個体の想定レベルも未知数だ、万が一直江たちでも抜けないようならそこで囲まれてゲームオーバーだ。
「……あー……」
詰んだかも、と口に出しそうになってつぐむ。一人だったらそうつぶやいていたところだ。
今、自分たちの後ろには岩壁がある。背後をとられる心配はないが、登って逃げようにも、ゴリラ相手にロッククライミングで勝てるかどうか。
とはいえ、逆に言えば背後をとられる心配がないということだ。おあつらえ向きというか、応戦するなら優位を活かせる地形だ。つまり、ここで戦えということか。
ちくしょう、やるしかないのか。
「直江さん……前でやってもらっていいっすか?」
「……しかたない……ギンチョ、そこでボクを見てて……濡れるよ……」
「その余裕さすがっすわ」
テルコはさすがに青ざめている。よしきは平然としているが、大小の両方を抜くのは今日初めてだ。中野奥山は半笑いでガクガクブルブルしている。ギンチョはおろおろしつつ〝ながれぼし〟のポーチに手を突っ込んでいる。
「ギンチョ……危なくなったら投げていいから」
「は、はう……」
大型個体の中に、片目がつぶれたやつがいる。頭から肩にかけて若干色褪せて灰色っぽくなっている。猿系クリーチャーにありがちなシルバーバックとかいうやつで、雰囲気的に群れのボスのようだ。
「ホウッ! ホウッ!」
ボスゴリラが空を仰ぎ、おたけびをあげる。
どん、どん、とそれに合わせて胸を叩くやつがいる。ドラミングとかいうアレだ。ちなみにグーでなくパーで叩くらしい(豆知識)。
「ホウッ! ホウッ!」
おたけびが重なっていく。士気を鼓舞し、相手を追い込む合唱。
「ホウッ! ホウッ!」
千影は右手の刀を握りしめ、左腕は抜刀せずに意識を集中させている。
正直ビビりまくっている。一人だったら絶対涙目になっている。いや、たぶん今もなっている。
だってさ、レベル3の群れって。しかも後ろに強そうなのもオマケされてるし。
これなら怪鳥ヘルファイアとか黒コウモリが出てくるほうがマシだ。
あーもう、これあかんやつや。ひょっとすると死ぬ。結構な確率で死ぬ。
頭の中でさっきの虹色馬を五回くらい馬刺しにしている。なんだったのあれ? マジでただのトラップだけ? これで近くにタマゴなかったらコントローラーぶん投げてふて寝だ。
テルコに視線を送る。彼女はうなずく。あいつらがバカ騒ぎをしている間、二人のチャージは進んでいる。
「……まず僕とテルコが一発ずつ撃ちます。そのあとは崖を背にして応戦、退路が開けるようなら逃げましょう」
よしきが「んじゃ」とうなずき、千影たちの横に並ぶ。直江も無言でそれに倣う。
ボスゴリラが胸を反らし、大きく息を吸う。ぴたっと止める。前列のやつらはクラウチングスタイルのように前傾姿勢になり、最後の合図を待つ。
「――ホォオオオオオオオオウッ!」
開戦を告げるおたけびがあがり、軍勢が牙を剥いて突進を始める。
その出鼻を挫くように、千影とテルコのスキルが放たれる。
ちくしょう、こっちが本物の合図だ。
一分近くチャージした【イグニス】――轟音とともに放たれた火の矢は、命中と同時に爆ぜ、爆風とともに直撃した一体を火だるまにする。
くそ、やられた。
真っ先にボスゴリラを狙ったのに。直撃コースだったのに。
あの野郎、手下の頭を持ち上げて盾にしやがった。しかも燃えてるそいつを他の手下のほうに投げ捨てやがった。
お前ら怒れよ。相当ブラックだぞ。
理不尽な労働環境もお構いなしに率先して突っ込んできた数体を、テルコの【グリンガム】――巨大な鞭が薙ぎ払う。後ろのやつらも巻き込んで林のほうまで引き下がらせたものの、大きなダメージを与えられたのはニ・三体というところか。
奇襲から漏れ出たやつらが迫ってくる。千影が一歩後退する。ちょっとふらっとする、目いっぱいのスキルをぶっ放したせいか。
「リハゲ、任しとけじゃ」
よしきと直江が一歩前に出て、間近に迫る黒ゴリラたちと対峙する。
「ちーさん!」
すかさずギンチョがエナジーポーションを投げてよこす。テルコのほうにも一本。
指示なしでこっちの様子を見て判断したのか。偉いぞギンチョ。でも中身の入った缶を顔面めがけてライナーで投げるのはやめような。
微炭酸の極甘の液体が喉に流れ込んでいく。翼が授かる。
その間に直江とよしきの足元にはすでにそれぞれ三体ほど倒れている。ちょっと目を疑う。いやいや、そんなレベル3以上をザコみたいに。
五・六本の腕が我先にと、彼女らの四肢をもごうと伸びてくる。それを直江は華麗なステップで、よしきは最小限の体捌きでかいくぐり、すかさず反撃に転じていく。
左側と正面は二人に任せておけばいい。あの二人でダメなら、もうなにをしてもダメだ。
「テルコは普通のやつメインで。でかいのは僕がやる」
「優しいな、タイショー。キチガイは無用だぜ」
「気遣いね」
テルコがふっ飛ばしたやつらが体勢を立て直し、威嚇と怒りを示すようにかちかちと歯を鳴らしている。
千影とテルコが並び、そいつらに切っ先を向けて構える。
やれる、やるしかない。腹をくくれ、早川千影。
プレイヤーレベル相当。プレイヤーの基礎アビリティ【ベリアル】の成長度を目安にしたクリーチャーの殺傷能力の度合いは、公式に上がった討伐報告やプレイヤーの被害状況などから推定で設定される。
案外適当なところもあるし、個人の技量や能力や装備によって感じかたも違う。とはいえ千影としては、プレイヤー歴の浅さを補うため、その情報を前提として戦う癖がついている。
相手はレベル3相当。一体ずつだとしても、決してなめてはかかれない。
耳元をすぎていくぶ厚い拳。風圧で頬がたわむ感触に、背筋がひやりとする。
千影がそれをかいくぐり、Pゴリラの懐に潜り込み、同時に腕を斬りつける。肘関節に半分以上食い込んだところで、隣の個体が腕を伸ばしてくる。そいつのこめかみに横からテルコの槍が刺さる。振りかけた刀はテルコを後ろから襲おうとしたやつに叩き込む。
二人でバックステップで距離をとる。間髪入れずにもう一体が迫ってくる。
攻撃手段は殴る、掴む、払う、引っ掻くくらいか。前傾姿勢のせいで蹴りは出しづらい。あと警戒するのは噛みつきくらいか。
「ふっ、ふっ、ふっ……」
二秒で息を整える。背後に回られない限り、その横幅のせいで相手は同時に三体くらいまでしか襲ってこない。とはいえもたもたしていればどんどん押し込まれる。ギンチョたちのところまで行かせるわけにはいかない。
「ふっ――」
息を吸い、今度はこちらから距離を詰める。低く低く、速く速く――群がる腕をかいくぐり、ぶ厚い胸に左の小太刀を突き刺す。腕の動きを妨げないためか、胸筋には外殻をまとっていない。突き刺したままねじり斬る。斜め後ろから迫る別の腕をかわし、右でその指を斬り落とす。怯んだ隙にテルコが首を貫いてとどめを刺す。
やれる。やれている。
一撃一殺とはいかなくても、複数体相手に渡り合えている。
相性のせいかもしれない。相手は千影やテルコよりも一段遅い。
武器のおかげかもしれない。黒コウモリに感謝だ。
さすがにリーチ差と腕力差、それに数の暴力でじりじり押されてはいるが、あっちで直江とよしきがかなり数を減らしてくれている。というか無茶苦茶だ、足の踏み場もないくらいゴリラが転がっている。そして今は大型ゴリラと対峙している。
大型が見かけ倒しなら、二人があっさり倒せるレベルなら、二人のところに戦力を集中させて囲みを突破できるかもしれない。そのためには背後側になるこっちの数を減らさないと――。
「テルコ、右だ!」
死角から槍を掴んだPゴリラが、テルコの顔面を殴りつける。
地面にはずんで倒れ落ちるテルコに、Pゴリラが槍を捨て、頭を踏み砕こうと足を上げる。
「らあっ!」
とっさに右の小太刀を投げつける。それはPゴリラの肩に刺さり、わずかに相手を怯ませる。
すぐにカバーに入り、その隙に中野と奥山がテルコを介抱するのを横目で見届けてから、千影が向き直る、そのとき、目の前がぬっと暗くなる。
腕が伸びてくる。千影の頭を鷲掴みにしようと。あの大型だ。
とっさに右手で庇う、その腕を握られる。
折られる――そう思うのと同時に脳のスイッチを入れ、【アザゼル】で腕を硬質化させる。
ぎりぎりと金属の軋む音がする。大型が一瞬顔をしかめる。その隙に左の小太刀で相手の腕を斬りつけようとしたとき、身体がぶわっと浮き上がる。
うわ、マジか――。
ずどん、と腹から地面に叩きつけられる。目の前が真っ暗になる。地面に埋もれているから当然だけど。
ごぽっと胃液が口から溢れる。右肩に激痛が走る。肺が呼吸を拒んでいる。もう一度振り上げられた瞬間、不安定ながら身をよじって小太刀を相手の手首に突き刺す。空中で放り出され、猫のごとく着地する。【アザゼル】と【ヤタガラス】に助けられた。
しかし――対峙した感じ、この大型は結構やばい。
動きも速い、パワーも段違い。圧力からしてレベル4以上、下手したら格上だ。
そいつが手を広げ、またも掴みかかろうと迫ってくる。
「ちーさん!」
ギンチョがさけび、嫌な予感がして顔を伏せる。ぼうん、と頭上で鈍い破裂音がする――煙玉だ。
「ヒャ・ア・ア・ア・アッ!」
悲鳴と地団駄を踏む足音が重なる。思った以上の阿鼻叫喚。頭を踏みつけられないように地面を転がってギンチョたちのところまで後退する。
「ギンチョ……もしかして……」
「にんにんけむりだま!」
またあれか。一万円。普通の煙玉もあるのに。グッジョブだけど。
この隙に直江とよしきのほうを窺う。
さすがの二人、大型を一体ずつ仕留めている。
それでも、よしきの背中は最初の頃よりも余裕がなさそうに見える。新手の大型の迫力ある攻撃をかわし、しがみつこうとする通常個体をかわし、やつらを突き放すように剣を振るっている。その動きは明らかに鈍っている。刀が重そうだ。
直江も同じだ。二体同時に襲ってくる大型に打撃を与えて下がらせているが、他のやつらに邪魔をされてとどめを刺すには至っていない。肩で息をしている。
やばくね、これ? ジリ貧じゃね?
煙が晴れていき、効果範囲外にいたやつらが前に出てくる。千影は慌てて応戦する。
伸びてくる腕をかいくぐりながらテルコの槍を拾い、後ろに投げる。次に〝相蝙蝠〟が刺さったままのやつを見つけ、引き抜きざまに頭をかち割っておく。
数は減っている、それでも向かってくるやつらは引きも切らない。そろそろ煙玉が直撃した大型も復活してくるかもしれない。
一人でやれるか? もう詰みかけてる気がする。
いちかばちか逃げるか? もうそれしかない気が――。
「ちーさん! コルクせんが!」
横目でちらっとギンチョのほうを窺う。
千影の脇をくぐり抜けた一体を中野奥山が連携して食い止めている。短槍を支えに起き上がろうとしているテルコの横で、ギンチョは地面にしゃがみこんで指をさしている。
「コルクせんが!」
なんだよコルク栓って。珍しい花でも見つけたの? 今それどころじゃないんだけど――と思ったのと同時に、記憶に甦る。ずいぶん前のことのように感じられる、あの隠しステージの冒険。
思わず笑いそうになる。
このタイミングで変なもん見つけやがって。さすがはうちの【ザシキワラシ】。
「ギンチョ、抜け!」
「は、はう!」
「みんな! 岩壁のほうに走れ!」
ギンチョが地面を掴み、勢いよく引き抜く。
きゅぽん、と音が聞こえた気がする。




