3-5:始まる
八月二十五日、水曜日。
三週間前のアプデ直後と同じくらい、一層はたくさんのプレイヤーでごった返している。
ヨフゥフロアへのエレベーター前は長蛇の列になっている。ポータルでもイベント参加者は参加申請とか書類への署名とかいろいろと手続きが必要だった。エレベーター付近で職員が話していたが、参加者は五千人以上らしい。
「人が多いな。開始に間に合わなけりゃ、ほ、ほ、ホンマツテンドンだ」
「(イリウスは言えたのに)あと四人来るから、合流したら列に並ぼう。助っ人二人と賑やかし担当二人」
「そうだったな。タイショーにそんなカイショーがあるとは」
「ディスりで韻を踏むな」
そうこうしているうちに、助っ人その一がやってくる。その白い尻尾を振りながら、そのでかい乳を揺らしながら(凝視不可避)。
〝白狼〟こと直江ミリヤ。人類最高峰のレベル7。【フェンリル】の狼女。装備はいつもどおり、ぴったりとしたバトルスーツの上にTシャツとショートパンツ、腰にはバトルメイス二本。
「……ギンチョ、今日も可愛いね……がんばろうね……栗毛の男女、足を引っ張るなよ……」
千影には顔を一瞥して舌打ち。別にいい。こいつには仕事以外はなにも期待しない。
「ミリヤおねーさん、よろしくおねがいします。タマゴほしいです」
「……おねーさんに任せといてね……報酬はギンチョの卵s」
「言わせねえよ」
テルコ絡みでタマゴを手に入れようかと悩んでいたとき、真っ先に協力を仰ごうと思ったのは直江だった。とはいえ、その危険に報いるだけのものを与えられる保証もなく、ギンチョをダシにするのも違う気がして、なかなか声をかけられなかった。だから彼女のほうから共闘を持ちかけられたときは驚いた。
――今回のイベント、レベルや能力よりもむしろ、運が鍵になる。
それが直江の見解だった。レベルや能力でトップを張る彼女だからこそとも言えるが、広大なイベント開催エリアの中で四十七個しかないタマゴを見つけなければいけないわけだから、確かに運という要素もかなり重要になるだろう。
エリア7の塔で直江に救われて以来、ギンチョの情報は彼女に与えることが義務になっている。エリア16の一件のあとで【ザシキワラシ】についても共有済みだった。ギンチョがイベントの成否の鍵を握っていると推測したわけだ。
「……約束どおり、一つ目のタマゴは貴様らにくれてやる……それが済んだらギンチョを借りる……時間がなければ二人っきりで二つ目をさがさせてもらう……」
彼女の表情はいつになく真剣だが、後ろからギンチョにハグして身体をまさぐっているのでおまわりさんこいつです。
その数分後、来ても来なくてもどっちでもいい賑やかし担当の二人がやってくる。
「いよー、早川のあんちゃん。準備万端って感じだな。俺らもビビ……武者震いで身体がうずうずしてるぜ」
「俺らもビビ……興奮して徹夜気味でよ。まあ〝赤羽の英雄〟にはちょうどいいハンデだぜ」
金髪の中野と黒髪ロン毛の奥山。二人ともレベル2の【ナマハゲ】コンビ。外殻の黒いプロテクターでガチガチに武装して世紀末的な格好になっている。
千影が呼んだ――わけではなく、二人から売り込みがあった。「俺らだけでも余裕なんだけどさ、せっかくだから一緒にイベント回らね?」、なんか音楽フェスにでも行くようなノリだった。
レベル2以下のみのチームや個人は参加を自粛する要請が公式から出ている。強制力はないが、半ば有名人である二人にとっては対外的面目を保つためのチームアップなわけだ。ちなみにガチャコインでスキルシリンジがほしいらしい。
タマゴを見つけたら千影たちが優先、過程で入手したアイテムなどは折半、という条件になっている。タマゴを狙う道中で危険が伴うことは承知の上らしいが、同行する助っ人二人のビッグネームを聞いているせいか意気揚々としている。
「よしよし、直江ミリヤもマジで来てる……奥山、このチームガチだぞ……」
「ああ、これはもう圧倒的勝利不可避だな……これで俺らもスキル持ちだ……」
案の定の煩悩が小声でささやかれているが、ばっちり全員に聞こえている。まあ、ギンチョの壁役くらいやってもらえればいい。
それから十分後、遅れて最後の一人がやってくる。
「ひゃほほ、若者でいっぱいじゃがな。老いぼれも仲間に入れとくれじゃ」
中野奥山がびくっと身をこわばらせ、さすがの直江も神妙な顔になっている。テルコも初対面だが、「リアルサムライ!」と興奮気味だ。
「芦田よしきさん。レベル5。もう一人の助っ人」
あのヘアサロンではいかにもな柄物シャツだったが、スポーツサングラス(遠近両用)をかけ、胴着と袴という剣術家スタイルになっている。足袋も含めてダンジョン素材を使った最高品質らしい。腰には大小の二振り。
こんなよぼよぼな老女なのに、威圧感がすごい。うかつに近づいたら斬って落とされそうな気がしてくる。見据えられるだけでどきっとする。これが本物の〝剣匠よしき〟。
「チハゲに土下座までされちゃ、一肌脱がずにはいられんじゃな」
「おばあちゃん、千影ですよ。土下座してませんよ」
「孫娘の生涯専属顧客になる約束、忘れんじゃよ。その虫の息の毛根が果てるまで、うちに貢ぎ続けるじゃよ」
シリンジガチャにもシモベにも興味なし、という欲のない実力者に協力を仰いだ代償は、「死ぬまでずっと散髪はバババーバ・バーババで」というものだ。金額換算すると破格の安さだし、あと何年貢献できるかと考えると気が重……いやできるから。何十年通ってやるから。
「孫娘も喜んでおったじゃ。『末永くよろしくお願いします』じゃと」
「はあ」
ボコッとすねを蹴られる。またもギンチョがそっぽ向いて口笛を吹く真似。この野郎、お前も専属カット契約に入っているんだからな。
「タイショー……ドゲザまでしてたのか……一生に一度しか使えない、二度使えばセップクなのに……」
「してないし違う」
「……もしかして、オレのためか?」
「いやまあ……」
よしきに同行を依頼したのは、西口の公園でイリウスと話した直後だった。タマゴを狙う動機でいろいろゴタゴタしていた真っ最中だ。
「でもまあ、どっちみち僕らにもメリットのある話だったし……条件つっても、髪切ってもらう行きつけを決めただけだし……」
「無粋だな、あんちゃん。メリットだのなんだの、男の吐くセリフじゃねえぜ?」
「ああ、女にそんな風に言われたら、『お前のためだぜ』って言ってやらなきゃな」
「……一生童貞でいろ、クズめ……」
「ハゲ、童貞じゃが。うちの孫娘はどうじゃ?」
「気にすんなよタイショー、一生ドーテーなやつなんていないからさ」
「ちーさん、どーてーってなんですか?」
「……ギンチョ、めっ……口が腐る……」
自分の尊厳を犠牲に結束が深まることを喜びつつ、エレベーターのほうに向かう。
今回の特別イベントの対象エリアは、一層へのエレベーター付近を含むおよそ直径十五キロ程度の範囲内に限定されている。マップも公式サイトで公開されている。
どうにかイベント開始一時間前にはヨフゥフロアに降りる。エレベーターホールの洞穴の周囲にはものものしいバリケードが完成されている。
出入り口に人が殺到することを想定してか、すでにその外に出て待機している人たちもいる。他にもいくつか拠点があるので、そっちに移動している人も大勢いるだろう。
参加者想定は五千人以上という公式の発表があったが、一層のエレベーター待ちの人たちも含めてもっといそうな気もする。そのぶんライバルも増えると見るべきか、ガチャコインを得られる確率が上がることを喜ぶべきか。
バリケードの内側には、機動隊の防護服に腕章をつけた職員らしき人、十字マークのついたヘルメットとベストを身につけた救護班らしき人たちもいる。明智や中川もどこかにいるのだろう。
あたりにはじりじりと肌を削るような緊張感が漂っている。慌ただしく行き交うプレイヤーはいつもより入念に武装し、かたい表情と血走った目をしている。エレベーター前の浮かれた空気はかき消え、さながら戦場のような重苦しさが漂っている。
どこから現れたのか、セーフルームにいるような機械生命体も何体かいる。胸に電光掲示板がついているやつもいて、現在の時刻を知らせてくれている。
空は少しずつ夕方の色に近づきつつある。腕時計を見る。ちょうど十五時半だ。
「えっと……あと三十分だから、陣形とかやることとか、話し合っておこう」
「オレはタイショーとギンチョを守ってタマゴを見つける。それだけだ」
「……タマゴとギンチョを守りきって両方持ち帰る……それだけだ……」
「わしゃ、若いもんに任せるじゃよ。報酬はもらっとるからのう、ハゲくん」
「せせせせ背中はおおおお俺らに預けろよ! きっききっききっちり守ってやるからよ!」
「おうおうおうおうともよ! ああああ赤羽のええええ英雄様のがいがいがいがい凱旋だぜ!」
「ちーさん、おなかすきました」
「さっきおやつ食べたでしょ」
改めて思い知らされる。このメンツをまとめる人材の不足。それを自分がやらなければいけないという苦境。
命を懸けてまで、という気概で挑むわけではなくても、この緊張感の足りなさはやばい気がする。
福島に同行を断られたのが悔やまれる。
まだソロでやっていると聞いていたので、それとなく電話で話を聞いてみた。福島もタマゴ狙い勢のようで、「俺は一人でやる。一人でやらなきゃいけねえ」とのことだった。
あの威圧感と頼りがいの塊みたいな人がいてくれたら、このメンツでもぴりっとまとまったかもしれない。
一番強い直江は文字どおりロンリーウルフの変態。一番年長のよしきは若者見守りモード。テルコはやや脳筋で楽観的、残りは論外。
となると、やっぱり自分しかいないか。
まあ、こうなるってわかってた。自分で誘ったんだもん。
でも実際にこうなってみて、改めて自覚させられる。ただでさえ柄でもない、器でもない、リーダーという重責。
「……えっと、ごめん、うまく言えるかわかんないけど……」
慎重に言葉を選びながらしゃべる。
「他の人とかチームはどうかわかんないですけど、僕らは絶対なにがなんでもって感じではないんで。タマゴも見つかったらいいなって方針なんですけど……」
一度改まってしまうと、なかなかみんなを目を見られない。それでも言葉を続ける。
「でも、危険には違いないし、覚悟も必要だと思います。本気でやります。安全最優先なのは当然で、適当にってんじゃなくて慎重にって感じで、油断せずに行こうっていうか……」
一応みんな、耳を傾けてくれている。それを確認して続ける。
「タマゴはほしいけど……ここにいるみんなの命優先です。それが前提で。頼りないと思うけど、つーか実際頼りにならないかもだけど。がんばって頭働かせます。それくらいしかできないんで。だから、よろしくお願いします」
中野奥山が「おう!」とうなずき、千影の肩を叩く。テルコとよしきもうなずいている。ギンチョがぎゅっとしがみついてくる。それを見た直江が鬼の形相になっている。
よし、と千影もてのひらで顔を叩き、唇を噛みしめる。
もうすぐ始まる。
ダンジョン初の特別イベント、なんだっけ?
ああ、〝真夏の夜のヨフゥ〟。
4章3話、これで終了です。
引き続き4話、イベント本番をお送りします。
ここまでの感想評価など、よろしくお願いします。




