3-1:特例免許
9/2:一部、ギンチョの交付理由に関する設定やセリフなどを修正しました。
六月二十日、火曜日。
気配を感じて目を覚ますと、居間にチビっこがいる。この光景も二度目だからか、頭は現実としてすんなり受け止めてくれる。
昨日とはいくらか様子が違っている。彼女はすでにジャージに着替えている。そして千影のそばで正座し、目を丸くして覗き込んでいる。座敷わらしか。
「はう、おはようございます! きょうははれですよ!」
「……おはよう、いつからそこにいたの……?」
「おきてからです!」
ケータイを見ると、午前六時と表示されている。ああ、と心の中で大きくため息をつく。目覚ましより二時間以上早く起こされるというのがこれほど苦痛とは。世のお父さんはたびたびこんな理不尽を味わっているのかと思うとつらい。
できればうつぶせになって二度寝してやりたいところだが、こんなに目を爛々とさせているキッズを寝かしつけるのも不可能な話だ。観念して寝袋を出て、朝ごはんの支度を始める。
八時には二人して家を出る。ポータルは二十四時間稼働しているので、別に何時に出発でもいいのだが、この時間はそれなりに混む。つまり、たくさん人がいる。
つまり、千影の予想どおりなら、それ以上の面倒が待っている。
「きゃああああああああああああ――!」
「いやああああああああああああ――!」
「可愛いいいいいいいいいいいい――!」
杞憂は現実となる。
ポータルに足を踏み入れたとたん、ざわざわと集まってくる視線。そして誰かがギンチョに声をかけはじめる。
そこから昨日の古田スポーツ店の二の舞になるまで、そう時間はかからない。
人々が近寄ってくる。女性職員、女性プレイヤー、はたまた物見遊山の観光客まで。ギンチョが「はう!」と無制限に愛想を振りまくと、黄色い阿鼻叫喚。なでなでされ、ぷにぷにされ、勝手に写真まで撮られる。率先して抱きついているのは丹羽だ。
「おじょうさん、お名前は?」
「はぷぷ、たかはなギンチョともうします」
「いやああああ! 可愛さがとどまることを知らない!」
「サムライ・アーマーのジャージなんて着ちゃって、プレイヤーみたい!」
「はう、きょうはちかげおにーさんとダンジョンにいきます!」
一瞬、空気がかたまる。そしてゆっくりと、視線が千影のほうに移っていく。
はい、最悪の予想その二、実現。
「こいつ、こんな小さい子をダンジョンに連れてこうとしてんの……?」
「いや、普通に無理だろ。子ども同伴とか……」
「つかなんでこいつほぼ手ぶらで、この子にリュック背負わせてんの……?」
「つかこいつ誰だよ……」
なにこの視線の温度差。
「えっと、早川くんの妹さん?」と丹羽。「ポータルに連れてきたの?」
「えっと……妹じゃなくて、遠い親戚? みたいなもんで……その子は特例免許を持ってて……プレイヤーとして登録されているはずで……」
「え、特例免許?」
「これ、書類です。免許――タグ受けとりの。もうポータルに来てるって……」
どよどよする野次馬。彼らの前で個人情報を記載した用紙を渡すのも気が引けるけど、しかたない。
受けとった丹羽が窓口の奥に引っ込んでいき、上司らしき年配の男性になにやら耳打ちする。一分もしないうちに上司と一緒に戻ってくる。
「ええっと、高花ギンチョさん」
〝北条〟とネームプレートを胸につけた猫背の男性が、孫の顔でも見るようにギンチョを覗き込む。見た目は五十代後半くらい、白髪にべっ甲縁の眼鏡、ワイシャツに毛編みのベストが似合いすぎている。いかにも温厚そうな、テンプレ的事務のおじさん。
「はう、こんにちは、おにーさん」
「はは、こんにちは。お兄さんなんて呼ばれたのは何十年ぶりだろうね。管理課の北条と申します」
「こんにちは、ほうじょうのおにーさん」
「おじさんでいいですよ。いやはや、特例免許の制度ができて以来、あなたが初めての適用例ですな。通常の免許の年齢制限は十五歳以上ですが、それ以下でもダンジョン探索能力と素質を認められた場合、庁長官の権限で特例免許を交付できる」
「マジか……義務教育どうなってんだ……」
「そういう時代なんかなあ……」
「ダンジョンできてから世の中こんなんばっかだなあ……」
千影の背中には冷や汗がにじんでいる。彼女に関する事情についてはD庁のほうで
「えっと……」丹羽が北条の持っている書類を覗き込む。「素質としてプレイヤー免許取得者に並ぶ知能を有し、また諸般の事情により体内にアビリティ【ベリアル】を保有している。本人の強い希望を汲み、特例としてプレイヤー免許を交付するに妥当と判断し、同庁はこれを認む』だって……え、【ベリアル】って、じゃあ……?」
「このチビっ子……レベル1……?」
「前に流行った【ベリアル】流出ってやつか……?」
「諸般の事情って……大人に無理やり投与されたのか……?」
「前にも何度かそういう事件あったよな……【ネコマタ】投与された女の子とか……」
「こんなちっちゃい子が……ひどい……」
ざわめきとともに憐憫や義憤の視線が殺到する。丹羽のせいで個人情報が筒抜けになってしまったが、逆に千影たちにとっては周囲への説明が省けた形になる。丹羽もそれを狙っていた、というのは考えすぎか。
「でも、ギンチョちゃん……ほんとにプレイヤーになりたいの……?」
丹羽がしゃがみこんで尋ねる。
「はう、わたしはプレイヤーになって、ダンジョンにいきたいです」
ざわめきはさらに強くなる。「でもそんな……」「だからって……」という怒りや戸惑いの声に混じって、「強い子……」「なんてけなげな……」という声も聞こえる。涙ぐんでいる人もいる。
こほん、と北条が一つ咳払いをする。
「ただし、実際のダンジョン進入にはレベル4以上のメンターの同行が必須になります。あなたがメンターということでよろしいですかね、早川さん?」
「……はい、僕がメンターです……」
千影が名乗り出ると、周りの空気がざわっというかむーんというか、変な感じになる。
「おいおい、こいつがレベル4ってマジかよ……」
「嘘だろ、顔も存在感もレベル0のくせに……」
「デコの広さだけはレベル8のくせに……」
「つかこいつ誰だよ……」
千影の頭の中で懐中電灯を鉢巻きでくくった千影が刀を振り回している。
「はい、高花さん。これがプレイヤー免許証、通称プレイヤータグです。ダンジョンに入る際に必要になりますので、なくさないようにね。再発行はちょっとお高いですから」
ギンチョのちっこいてのひらに、鎖つきの認識票が載せられる。強化プラスチック製の銀色のプレートには、アルファベット表記の名前とプレイヤーIDが彫られている。
プレイヤータグ。千影たちにとっての免許証であり――もしものときには殉職を知らせる識別情報になる。
「まさか、九歳の女の子に適用されることになるとは、ここに出向してきて六年、一度も想像だにしませんでした。仕事とはいえ、本人の希望とはいえ……気がひける思いです。いやはや、こんなこと課長に聞かれたらまた怒鳴られてしまいますが。年下の上司に怒られることほど、男としてハートを打ちのめされることはありませんから」
野次馬の何人かがうなずいている。
「高花さん。ダンジョンはとても危険な場所です。私どもに朝の挨拶をしてダンジョンに赴いたプレイヤーが、後日タグだけになって戻ってくるということは、幾度となく経験してまいりました。あなたは子どもですから、本当はこんな不安がらせることを言うべきではないのかもしれないけれど……初めて潜るプレイヤーの方には、いつもこう声をかけることにしているのです。どうか……なによりも命だけは大切に、と。わかりますか?」
「はう。きをつけます。おにーさんもいっしょだから、だいじょうぶです」
こちらを見上げてにぱっと笑うギンチョを見て、千影は――肩にずっしりと、重いものが寄りかかるのを感じる。
わかってはいたけど、改めて認識させられる。
――この子の命は、僕にかかっているのか。
「そうですか。どうか、お気をつけて。お兄さんの言うことをよく聞いて、離れないようにね」
「はう! ありがとうございます、ほうじょうのおじさん!」
小さく拍手をする人、「気をつけてね!」「がんばれ!」と激励を飛ばす人、涙を流してうなずく人。丹羽が名残り惜しそうにぎゅっとギンチョの肩を抱き、野次馬の輪はようやく解散していく。「てめえ、その子ちゃんと守れよ」とか「毛筋ほどでも傷つけたらSNSで晒し者にしたるからな」などと言われて何度も肩をどつかれる。こっちの心はすでに満身創痍なのに。
「それにしても、あの子……誰かに似てるんですよね。誰だったかな……」
背中を向けた北条のつぶやきが、千影の耳に残る。
 




