3-1:自由の糸
ウィルにサウロンにノブと、いろいろてんこ盛った夜が明けて。
八月二十日、日曜日。
テルコは朝十時すぎに起きてくる。寝不足かお疲れか、目がとろんとしている。
「おはよう。昨日はまた面倒かけて悪かったな……タイショー」
「……テルコ?」
「え?」
ノブの言っていたとおりだ。一晩でケイトに戻ったようだ。
「昨日のことって憶えてる? サウロンと会ったあと」
「いや、なにも……オレ、あそこで気失ったんだっけ……?」
これも予想どおり。昨晩のノブ化については記憶にないらしい。
「じゃあ、朝ごはん用意するよ。そのあとでちょっと見てもらいたいものがあるんだけど」
昨晩、ノブにこれまでの経緯をかいつまんで話して聞かせた。千影のたどたどしい説明でも、シャンプーの香りを漂わせた中川がやってくるまでに、ノブはおおよその事態を把握した。むしろ理解が早すぎて本当にわかっているのかと疑問に思うほどだった。
「いやまあ、二人が一人に融合して、今この身体に二つの人格があるってことでしょ? アニメでもわりと鉄板シチュっていうか」
アニヲタの順応力すげえ。こちとらまだ半信半疑だというのに。
「つーかさ、そんな荒唐無稽な展開でもなきゃ、このおっぱいはついてこないと思うんだよね」
「はあ(揉んでる)」
「でもさ、俺とケイトが融合して、なんでケイト以上のおっぱいになるんだろうな。俺のほうに巨乳遺伝子でもあったんかな? 母親は普通だけど、父方の遺伝? だとしたらうちの妹歓喜じゃね?」
「はあ(まだ揉んでる)」
テルコが自分をそう思い込んでいるだけの可能性もゼロではない。あるいはテルコがショックのあまり別の人格を……いや。そんな風に疑いだしたらキリがなく、真偽を確かめる術もない。
「そっか……ケイト、国のやつに見つかっちゃったのか……つーかD庁にもいろいろバレちゃったのか……大変なことになっちゃったなあ」
あぐらをかき、困り顔で頭を掻くノブ。元々テルコ自身が男っぽかったので、人格? がノブに交代しても大きな違和感はない。
とはいえ、注意深く観察すれば、仕草、しゃべりかた、表情の見せかたなどは明らかにテルコとは異なっていた。テルコとはまだ短い付き合いだが、目の前にいる彼女が確かに彼女でないことは千影の目にも明らかだった。
「早川くんにはケイトがだいぶ世話になったみたいだね。あ、もちろんギンチョちゃんも。こんな可愛い妹ができたら、ケイトも大喜びだろうな。マジありがとね、二人とも」
ぽふぽふとギンチョの頭を撫でるノブと、照れてもじもじするギンチョ。ノブは妹がいるからか、年下の女の子の扱いも慣れた風だ。イケメンの本人の姿で同じようにしてもサマになるだろう。
「確認させていただきますが――」と中川。「失礼ながら、永尾信輝さんとしての記憶はどこまでお持ちですか? ケイトさんは長らく記憶喪失が起こっていましたが……」
「えっと……ケイトと融合? 合体? する直前まではなんとなく。ケイトがみなさんに話した内容で間違いないっすね。ただ……自分のこととか家族のこととかは普通に憶えてますけど……うーん、なんか忘れてることもいろいろある気がする」
「というと?」
「うまく言えないっすけど……こうやっていざ思い出そうとしてみると、昔のこととか好きだったアニメのこととか、いろいろ思い出せないものがありそうな感じがして。なにを忘れてるかもわからないから、自分でもはっきり言えないんすけどね」
「なるほど……ケイトさんの例と同様、一時的に記憶障害が起こっているのしょうか。それとも、あくまで記憶というのが脳に宿るものだとして、ケイトさんとの融合の過程でいくらかの記憶が欠落したのか……あ、すみません、デリカシーのない発言でした」
「いえいえ、別に俺の記憶とかぶっちゃけどうでもいいっすよ。もうすぐ消えるし、俺」
千影と中川がそろって目を剥く。
消える? 今さらっと言った?
「自分でなんとなくわかるんすよね……なんつーか、今すっげー眠いんすよ」
「眠い?」
「いやなんか、普通におねむ的な感じとは違くて……意識が自分の内側に引っ張られてる感じっていうか。目閉じて横になったら秒で持ってかれる自信があるっすね」
「それは……ケイトさんの意識に、ということでしょうか?」
「……たぶんですけど、今の俺って、ケイトと融合する前に残った最後の自我のかけら的なもんじゃないかなって。んで、今の状況って、完全に融合する前の最後の猶予的なもんじゃないかって。あくまで推測っすけどね。出てきて早々申し訳ないですけど、ぶっちゃけあんまり時間がなさそうかも」
千影と中川が顔を見合わせる。
そう言われても、二人としては肯定も否定もできない。そもそもの現在がありえないというか、幽霊でも見ているような状況なのだから。だけど――。
「消えるって……怖くないんですか……?」
千影が思わず尋ねる。ノブは少し間を置いて、おどける風に首をすくめてみせる。
「うーん……まあ、マジで綺麗さっぱり消えるってなったら怖いけどさ……でもきっと、そうじゃないし。死ぬわけじゃないし。つーか普通なら、あのときヘルファイアにやられて死んでたわけだし、今のほうがずっとマシじゃね?」
そして、イタズラっ子のような顔で笑う。
「惚れた女と一つになるだけだからさ。チョウチンアンコウ的な? まあ、俺たちが望んだことだから」
自分だったら、あんな風に笑えただろうか。
たとえ本当に消えるわけではないとしても、自分がどうなるかもわからないのに、あんな風にあっさり受け入れられただろうか。
「愛の力だよ」などと彼はうそぶいていたが、千影としては「敵わんわー」と思わざるをえなかった。ルックスは元々くらべものにならず、しかも中身までイケメンすぎた。言葉の端々にアホっぽい残念感があったのも事実だけど。
「……ノブが……オレの中で、まだ……」
昨晩のことを話して聞かせると、テルコは呆然として、胸に手を当てて震えだす。
「まあ、結局本物だったのかどうかってのは、僕らには判断つかなかったけど。ていうかこのタイミングでノブさんが出てきた理由もわかんないし……」
ウィルやサウロンと会ったことがきっかけになったのか。それともテルコ自身が強く望んだ結果だったのか。今となっては確認のしようもない。
「んで、ノブさんは最後まで――いや、寝るまで、自分のことよりケイトのことを心配してた」自分が消えるかもしれないという瀬戸際まで。まさに似たものカップルだ。
「結局二時間くらいだったんだけど、いろいろ話をしてさ。ノブさんの提案で二本、動画を撮ったんだ。一つは家族宛て、もう一つはケイトにって」
テルコの隣に座り、スマホをタップする。中央に映るテルコの姿をしたノブが、「あー、えっほん」と咳払いするところから動画は始まる。
『やっほー、ケイト。おっす、オラノブ。
まさか自分が女の子になる日が来るとは想像もしてなかったなー。粗末なアレつきだからどっちなんだろうってのは置いといて。誰が粗末やねん、日本人平均やんけ。なんで乳はでかくなってんのにこっちはサイズ据え置きなのよってダンジョンの神様を小一時間問い詰めたいとこだけど――』
「ちょっと止めていいか?」
テルコが人差し指で画面を穿つ勢いでタップする。超強化ガラスだけど壊れそう。
「想像してたより緩すぎんだけど。こっ恥ずかしさを通り越して腹立ってくるんだけど、これマジでノブか?」
「むしろ僕らが訊きたいんだけど」
テルコは顔を赤らめ、ぎりぎりと歯を軋ませる。
「……ああ、こういうやつだった。四六時中アホなやつだった」
長く息をつき、観念したようにもう一度画面をタップする。
『――あんまり時間もなさそうだし、相変わらず四六時中アホだなって怒られる気がするんで、冗談はほどほどにして。ちなみに、俺が目覚めたってことをお前が知らない前提のアレだから、次にお前が目を覚まして「ばっちり記憶にあるわ」ってことならそっ閉じしてちょうだいな。
つーわけで、えっと……【キメラ】を使ったあとのこと、早川くんから大方聞いたよ。俺はずっと眠ってたっていうか意識がなかったんだけど、お前がいろいろとがんばってくれたみたいだな。
話に聞く限り、ケイトはずいぶん変わったみたいだな。早川くんたちともうまくやれてるみたいだし、今までの人間嫌いの陰キャなお前じゃ考えらんない変化だ。お前にお友だちができてお兄さんは嬉しいよ――つっても、半分は俺の手柄なんだろうけどね。
そう、俺とお前は一つになったんだから。
あのとき、俺が死にかけて――お前が俺を救ってくれた。
二人で一つになった、一人の新しい人間になったんだから。
これを見ているお前は、俺でもあるんだ。お前の変化がその証拠さ。お前だってわかってるだろ?
なのにお前、やいやい! それを無視して俺を再生しようって目論んでたんだってな。ダンジョンのスペシャルイベントの報酬ってやつで。
いやいや、ノブくんここに生きてますから。お前の中にいますから。
いやまあ、こうして俺が外に出てくるまでは、お前の中でノブみが足んなかったみたいだけどさ。それですげえ寂しい思いをさせたかもってのは申し訳ないけどさ。
俺はちゃんとここにいるよ? 眠ってなんかいませんよ? いや寝てたけど。
お前の中には間違いなく俺がいるんだからさ、もう一人つくろうってのはゼータクすぎね?
そうそう、ダンジョンの言う再生ってさ、ぶっちゃけクローン人間つくるみたいなもんだよな。そっくりなコピーロボットっていうか。
そりゃ、周りの人たちからしたら俺に違いないんだろうけど……俺本人からしたら俺じゃないわけじゃん? 俺以外俺じゃないのよ。
つーわけで、俺の再生プランはダメ! ノーサンキュー!
そんなことに使う労力があんならさ、もっとやるべきことがあんだろ?
だから、これから俺たちが取り組むべき強制クエストを言い渡します。
――テルコ、自由になろうよ。
異世界転生物のアニメ、隠れ家で結構見たよな。
お前、ぶちぶち文句言ってたっけ。「いきなり変な世界に連れ込まれて別人に生まれ変わって、そこで都合よく幸せになれるなんて」って。文句言いながら結構気に入ってたよな。
世界は変わってないけどさ、現実になっちゃったわな。
お前と俺とで、新しい人間に転生しちゃったわけだ。
だからさ、せっかくだから俺たちも、ご都合主義の幸せを手に入れちゃおうぜ。
本物の自由ってやつをさ。
お前が一番望んでたものだろ?
そのために日本に来たんだろ?
同胞から逃げて、死んでもほしいって願った自由だろ?
お前はそれを求めていいんだよ。俺たちはそれを手に入れていいんだよ。
まあ、どうやってって言われるとさ、俺たちだけじゃアレなんだけど。
そこはさ、さっき中川さんや早川くんたちと相談して、家族の件とセットでなんとかなりそうな感じだし。
でももちろん、なによりも俺たち次第だから。
俺たちが望まなければ叶わない願いだから。
だからこれからは、そのことだけを考えていこう。未来のことだけ考えていこう。
一蓮托生、比翼の鳥、チョウチンアンコウ。
なんでもいいけど、とにかく二人で一人なんだから、なにがあっても二馬力で乗り越えていこうよ。
あっ、言い忘れてたけど。たぶんこれが俺の最後のメッセージになると思う。
残りカスの俺はお前の中に吸収されて、いずれ完全に一人になっていくって、なんとなくそんな気がしてる。こうしてる今もお前の吸引力を感じてる。下ネタじゃないよ。
そうなったときに、俺の要素がどんだけ残ってるかはわかんないけどさ。なるべく少しでもノブみを残して、メイン人格? のお前が寂しくないようにしたいとこだけど……さすがにどうなるかは予想もつかないね。
だけどさ、俺はあんまり心配してないんだよね。
だってさ、テルコは一人じゃないもんな。
ケイトとノブでって意味だけじゃなくてさ。周り見てみろよってこと。
お前はいい人に拾ってもらったってことさ。
今のお前なら重々わかってるだろうけどな。
ってことで、もうだいぶおねむなんで、そろそろ終わりにしよっかね。
最後にこれだけ言わせて。
ケイト、愛してるぜ!
そんでもって、テルコとして、これからもよろしくね!
あっ、あと、パープルボルシチごちそうさん! うまかったぜ、意外とな!』
動画が終わると、テルコはぐしゅっと鼻を鳴らす。
「……なんかさ、もっと泣ける系かって予想してたんだけど、やっぱノブはノブだったわ」
そんな風に言いながらも、テルコの肩と声は震えている。
「……ぶっちゃけ、ノブみはまだ感じられねえわ。まだオレん中に残ってんのかな? また……出てきてくんねえかなあ……」
ギンチョが立ち上がり、後ろからテルコの首を抱きしめる。ギンチョの鼻もずびずび言っているので、テルコの髪にギンチョ汁べっちょりのコースだ。
これが一夜限りの奇跡だったのか。ノブの言うとおり完全に融合する前の最後の灯火だったのか、それともいずれまたひょっこり現れることがあるのか。千影にはわからないし、テルコにもわからないままかもしれない。
ともあれ、これでテルコの自棄は防げるはずだ。
昨晩、ノブに事情を説明していた最中、サウロンからLIMEが着た。ウィルに問いただしたところ、テルコの供述との食い違い、というか意図的に伏せられたと思われる部分があったと。
――オレが死ねば、ノブは再生の対象になるのか?
テルコはウィルにそう尋ねたという。そしてウィルはイエスと答えたそうだった。
実際にテルコが自分からそうする確率は低いと見ていた。仮にそうなったとき、千影たちにとって危険を冒してまでノブを再生させる義理や動機はないから。むしろ再生するとしたらテルコ自身を選ぶと、彼女もわかっているはずだから。
とはいえ、いざとなったら「自分の命を捨ててでも」という考えは残ってしまうかもしれない。だから千影はこのことをノブに持ちかけた。「アホなケイトが考えそうなことだな」と、ノブは多少強引にでも彼女を生きることに向かわせるメッセージをこめた形になった。
「自由、だって」
ノブが話してくれた。ケイトの人生は自由を求めてあがき続けてきた歴史そのものだったと。
〝ワーカー〟の中で自由な立場を得るために無茶を続けてきたと。脱走したあとのノブとの自由な生活が人生で一番幸福な時間だったと。
「ノブさんも言ってたけど……テルコをチェーゴから解放できるかもしれない」
そういう意味ではこれは、ノブからケイトへの最後の贈り物とも言えるかもしれない。
「中川さんたちにも協力してもらうけど、うまくいけば……」
ギンチョをそっと離し、テルコが振り返る。
「……いろいろとカミサンキューな、タイショー。だけど……」
その目は涙で濡れている。
「……オレ一人で、自由になって、どうすりゃいいんだろうな……」
「いっしょにいるです」
同じく涙目のギンチョがきりっとした顔で言う。その鼻からきらきらした糸が伸びていて、テルコの髪にひっついている。
「まあ、うちの子がそう言ってるから……うちで一緒にプレイヤー続けるとか? それこそテルコの自由だけど……」
千影はそんな風に言葉を継ぎながら、照れ隠しもこめてすばやくティッシュでギンチョ糸を巻きとっておく。
ふふ、とテルコは頼りなく笑い、涙を拭う。
「……サンキューな、二人とも」
そして千影とギンチョの背中に腕を回し、ぎゅっと抱きしめる。
「何度も言うけどさ――オレを見つけてくれたのがお前らで、カミよかった」
4章3話スタートです。
あと少しで4章大詰めのイベント本番へと向かっていく予定です。
ブクマ、感想、評価などお待ちしております。




