2-6:ホタル
約束どおり、夜に中川がやってくる。昨日よりはちゃんとした格好だが、顔ににじんだ疲れは隠しようもない。土曜日くらい休ませてあげたい、せめて半ドン(死語)。
「……なんですかこれ」
ちゃぶ台の上に出された料理を前に、中川がごくりと喉を鳴らす。スープが紫色なので、おいしそうのごくりでなく緊迫感的なごくりと思われる。
「テルコとギンチョの創作料理です。パープルボルシチ」
「新手のスタンドみたいな名前ですね」
「ダマされたと思って食べてみろよ、ヘビィ」
テルコに背中を押され、中川は訝しげな表情のまま、おそるおそる一口食べる。くわっと目を見張る。「これは……!」と一言つぶやいただけで、そのまますごい勢いでがっつく。千影が鍋からおかわりをよそると、中川は無言のままこくっとうなずく。
「……決してべらぼうにうまいわけじゃない。だけど見た目とは裏腹なあっさり風味にはどこか中毒性があり、遅れてやってくるコクに一度ハマるとなかなか抜け出せない……」
食レポマシン二号機か。ギンチョと比較すると理論派のようだ。
テルコ曰く、三番街の肉屋で買ったテンタクル次郎の触手が入っているらしく、それがいいダシを出しているとかなんとか。ていうかお前ら、買い出し行きやがって、外出るなってさんざん言ったのに。そのドヤ顔やめろ。中川さんもいい加減スプーン置いて。
「こふー、ごちそうさまでした。最近は菓子パンやカップ麺ばかりだったので、お腹も心も満たされました。やっぱり手づくりって大事ですね」
食事を終えた中川は、きちんと座り直し、テルコと向き合う。
「改めて意志確認とか説得とか、そういうのをしに参ったわけですが、その前に少しだけお話を。ご存じかもしれませんが、間もなくD庁とIMODにおいて、大きな発表があります」
「え?」
全然知らない。今日は全然ネットもニュースも見ていない。
「今回のスペシャルイベントにあたり、その報酬の一つとなる死者の再生。サウロン氏の告知によれば、『ダンジョン側が死亡を認知している人物』とのことで、その対象者のリストを提出することをD庁とIMODが要請しました。当然と言えば当然、失踪認定者や死亡認定者、つまり実質生死不明のプレイヤーはたくさんいますからね。再生可能な対象がはっきりしない以上、こちらとしてもプレイヤーを参加させるわけにはいかない……というのが建前上でして」
「建前」
「サウロン氏も当初は難色を示していたのです。『それも含めてイベントだ、再生可能かどうかはタマゴを守りきればわかる』と。それでも両公式の半ば強引な追及の結果、結局サウロン氏が折れることになりまして、そのリストが提供されるに至りました」
どちらかと言えば、両公式の狙いはリストそのものにあるのだろう。だからサウロンも最初は渋ったのだろう。それでも泣く泣く提供したのだとしたら、彼の毛根の元気が心配だ。
「というわけで、ダンジョンの一般開放から七年、思いがけないタイミングで『これまでの数千人にのぼる生死不明者の安否が確定する』機会になりました。公式やプレイヤー側だけでなく、そのご家族や知人らにとっても一つの転機になるのかもしれません。良くも悪くも、かもしれませんが」
「そのリストってのは……オレらも見られんのか?」
テルコの顔はこわばっている。
「はい。今日の午後八時に両公式サイトで公開される予定です……って、もう八時すぎてますね。ボルシチに夢中で時間を忘れていました、申し訳ない。ともあれ、まずはそのリストにノブテルくんがいるかどうかを確認してはいかがでしょうか」
ギンチョのタブレットでは見づらそうなので、久々に押入れから千影のノートPCを発掘する。「あっ……」と電源を入れたあとで背筋がひやっとする。
「タイショー、どした?」
「いや……なんでも……」
だいじょぶだ。プレイヤーという危険な職業柄、万一を考えて見られて困るファイルはだいぶ奥底に仕舞ってあるし、御用達のサイトもお気に入りには入れてないし、デスクトップ画面も変えてないし、あとは閲覧履歴さえチェックされなければ問題ない、はず。
まさかこんな不意打ちで他人にPCを見せる日が来るとは。普段の慎重な自分に内心グッジョブの拍手を送っておく。中川は状況を理解したのか、生温かい目でうなずいてくれる。なんだか絆が生まれた気がする。
「えっと、公式でしたっけ」
ブックマークしているD庁の公式サイトを開く。表示までに若干時間がかかる。アクセスが集中しているのだろうか。
「そこですね、『赤羽ダンジョン側より提供された殉職者リスト』」
リンクをクリックすると、なにやら「個人情報がどうのこうの」「プレイヤー規定がどうのこうの」で一般公開しています的な前置きが表示される。もう一つリンクをクリックすると、やはり表示までに多少時間がかかる。
簡素というか検索ボックスしかない寂しいページだ。名前かプレイヤーIDで検索しないと誰の名前も出てこないらしい。リストというよりデータベースだ。
「じゃあ……永尾信輝、だよね?」
「ああ……頼む……」
検索ボックスにぱたぱたとワードを打ち込む。三人に覗き込まれているせいで指の動きがぎこちない。そんな見つめないで、いつもはもうちょいうまいのよ。
検索ボタンをクリックする。じりじりと焦がれるような数秒のあと、ページが切り替わる。全員が息を呑む。
「……なんで……?」
――該当者数 0件。
「なんだよ……0件って……」
テルコは呆然としている。
「えっと……漢字だったから、かな……?」
カタカナ、ひらがな、ローマ字。名字だけ、名前だけ。
一つずつ検索していく。それでも――表示される該当者数はどれも0だ。
「……これ、ほんとに正しいやつなんですかね……?」
「そのはずですが……」と中川。「まだ正常に稼働していないのか、それともアクセス過多でデータを引けていないのか……」
試しに馬場の名前を入力してみる。黒のエネヴォラに殺された千影の元メンターだ。「馬場」の名字で該当者数は2件、そのうちの一つが彼だ。同じように他の〝チーム馬場〟のメンバーの名前で入力してみてもやはり表示される。
彼らの名前がそこに出るのは当然として、千影としては実際に目にするのは多少胸に来るものがある。でも今は置いておいて。
なぜノブの名前が表示されないのか。今はそれが肝心だ。
「……IMOD側のプレイヤーはこっちには出てこないとか……?」
「いえ……リストは両公式ともに同じように表示されるはずです。ということは……」
ということは――ノブの名前はリストにないということか?
ダンジョン側にとって彼は「死者」として認識されていない?
ケイトとの融合は、ダンジョンにとっては「死」とは解釈されなかった?
理由はわからない。けれど、リストが正しいとしたら――少なくともノブを再生させることはできないということだ。
「……テルコ……」
テルコの肩が小刻みに震えている。顔は真っ青で、目には涙が浮かび、彼女を見上げるギンチョも泣きそうになっている。
「なんでだよ……なんでだよ! じゃあノブは……ふざけんなよ!」
叩きつけるようにちゃぶ台に手を置き、テルコが立ち上がる。
「なんかの間違いだ……手違いとか入力ミスとか……きっとそうだ……行ってくる、IMODに!」
「ちょま、テルコ!」
千影の制止を振り切り、テルコは玄関を飛び出していく。ギンチョと中川に留守を頼み、千影が追いかける。
夜の赤羽の街中を、テルコはものすごいスピードで駆け抜けていく。追いかける千影のほうが足は速いが、狭い道幅では出せる速度に限界がある。簡単には距離を縮められない。
止めないと――あの沸点低い脳筋娘を。でないとあいつ、なにをするかわかったもんじゃない。
と、信号が赤になっている。北本通り、あそこを渡らないと東側にあるイワブチポータルには行けない。
しめた、と加速する千影。立ち止まり、数歩あとずさるテルコ。
「あ、ダメ! テルk――」
少し屈んだかと思うと、テルコは勢いよく前に踏み出す。そして――宙に舞う。
【レギオン】――跳躍力アップのアビリティ。まるで月面の幅跳び選手のごとく、彼女は高々と赤羽の夜空に浮かび上がり、夜空を歩くように足をばたつかせる。走り抜ける車の上を飛び越え、軽やかに向こう側の歩道に着地する。
「くそーー! 脳筋がーー!」
路上でアビリティ使っちゃダメでしょうが! つーか日本の道交法なめんなよ! バレたら免許剥奪じゃ済まねえぞ! ちょっとカッコいいとか思っちゃったけども!
かつてないほどもどかしい信号待ちが明けて、千影も追跡を再開。ただ、渡った先は入り組んだ住宅街のため、完全に見失ってしまう。こうなったらイワブチポータルまで最短のルートで向かうしかない。
隅田川(新河岸川)の新志茂橋を渡った先に、IMODのイワブチポータルがある。元は資料館やらお役所の施設やらがあった土地をIMODが借り受け、そこにやや景観にそぐわないギラギラした高層ビルを建てた。荒川と隅田川に挟まれた猫の額的な狭さのスペースには、他にもいろんなIMOD関連の施設がひしめいている。
新志茂橋周辺も今では区画整理が進み、子どもの頃に見たごく普通の住宅街は一変、コンビニや雑貨店やオシャレなバーが並び、タクシープールまでつくられている。見かけるのはほとんどが外国人というエキゾチック極まりない風情になっている。
その新志茂橋の途中で、テルコが立ち止まっている。Tシャツにショートパンツというプレイヤーにしてはラフすぎる格好の彼女は、道行く他の人に奇異な目で見られている。
息を切らした千影がようやく隣に並ぶ。テルコは胸をはずませて、呆然とイワブチポータルのビル――の先に視線を向けたまま、千影にも気づいていないようだ。
「……テルコ?」
「……そっちに行きゃいいのか……?」
「は?」
首をかしげる千影、そしてまた走りだすテルコ。とっさに掴もうとした腕もするんっと間一髪で抜けられる。ああ、もう!
そのままイワブチポータルのエントランスへ――と思いきやその前を素通りし、裏手にある荒川の土手へと上がる階段で再び【レギオン】で大ジャンプ。「ワーオ!」などと周りが歓声をあげる中、千影が土手まで上ったときには彼女の姿は消えている。
「あー、もう!」
脳筋の次は奇行かよ。なんだよ、イワブチに行くんじゃなかったのかよ。そのまま河川敷散歩かよ。
つーか、さっきの独り言はなんだったの? まるで見えない誰かと会話してたみたいな。
いや、考えるのはあとでいいか。まずはあいつを見つけないと――。
「――ん?」
小さな光が、目の前を通りすぎる。豆粒のようなサイズの、白い光の点が、ふらふらと左から右へ飛んでいき、夜闇の中でふっと消える。
なに、今の? 目の錯覚?
振り向くと、同じ光の粒がぽつぽつと、風に乗って千影の周りを流れていく。
ホタル?
嘘でしょ、荒川にホタルがいるわけないし。
両手で囲うようにして、その一つを捕まえてみる。手の中に収めたはずのそれは、手を開いたときには消えてなくなっている。
「……なにこれ……?」
なにが起こってんの?
つーか、テルコ、どこ?
*
赤水門の裏の橋を渡ると、小島のような狭い公園に行き着く。
街灯もなく、ビルの明かりもわずかにしか届かない。りんりんと鳴く虫の声が近く、草木や川のにおいが強い。あたりには彼女以外、誰もいない。
テルコはその奥へと歩を進め、やがて立ち止まる。
「……お前だろ? オレを呼んだの」
ひと目ですぐにわかる。明らかに普通ではないから。
夜光虫のような光の粒が柱状に集まり、ゆらゆらとたゆたっている。夜光虫の群れとも違う、なにか一つの意思を持った集合体のように見える。
幻想的で美しいとさえ思える光景。けれどおそらく、これは、地上ではあってはならないものだ。
テルコが見つめる中、光の粒が密集し、融合し、一つの形となる。
「――……なんで……」
テルコは息を呑む。
やがて目の前に、人の形をしたものが現れる。仄かな光を帯びた、四肢と胴と頭を持ったそれが、ゆっくりとテルコのほうに顔を向ける。
「……ノブ……」
それは、彼女の中に融けて消えたはずの彼と同じ姿をしている。
「ごめんね、この姿は君に合わせたものなんだ。ウィルはノブじゃない」
彼が口を開く。その声は先ほどの橋の上のときと同じ、頭の中に直接響くような聞こえかたをする。
「〝ダンジョンの意思〟はウィルって呼ばれてる。この名前、結構気に入ってるんだ」
活動報告にも記載しましたが、10/21に4章 「2-2:スペシャルイベント 概要」を下記のように内容修正しました。
・修正前「十七個のタマゴがあり、そのうち一つ以上を守ること」
→修正後「四十七個のタマゴがあり、そのうち四分の一以上を守ること」
※物語の規模として十七個は渋すぎるかな、というのが理由です。
それに付随する4章2-3、2-4内のセリフなども微修正しております。
しばらくは数日置きの更新とさせていただきます。
このへんを無事に書ければまたペースアップできるかも?
引き続きよろしくお願いします!




