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2-4:公園にて、タマゴをめぐる思惑


10/21:イベントクエストのタマゴの数を「十七個 → 四十七個」と変更したため、それに合わせてイリウスのセリフなどを修正しました。


 明けて八月十九日、土曜日。


 遅めの朝食を済ませると、千影は二人に留守番を頼み、一人で外に出る。「家から出るなよ? 絶対出るなよ?」ときつく言い聞かせたが、フリだと思ってくれないことを願う。


 来週の特別クエストに備えてか、古田用品店はかなり混雑している。発注したものを受けとるだけなのに結構待たされる。しかもギンチョがいないので詩織も塩対応だ。「客を選り好みするとあとで泣きを見るぞ!」と心の中で怒鳴っておく。


「ちなみにね、早川くん。とんでもない武器できちゃった♪だよ。レベル5どころか6の人でさえなかなか持ってない品質だって、村正さんが。これで名実ともにトッププレイヤーの仲間入りね?」


 受けとりのサインをしたあと、詩織にそんな風に耳打ちされ、「こういう店だから長く繁盛してるんだろうな」と心の中で賛辞を送る。


 荷物を抱えてホクホク顔の千影は、そのまま次の用事に向かおうとする。早く試したいなーでも地上で抜いたらアウトだなーなどと考えていると、行く先に見知らぬ外国人がガードレールに腰かけているのを見かける。彼は千影のほうに顔を向け、立ち上がる。アラフォーくらいの長身ですらっとした白人男性だ。


「すいません、アカバネエキはどっちですか?」


 そんな風に若干たどたどしい日本語でフレンドリーに尋ねてくる。千影はしどろもどろになりながら、どうにか方向と道筋を説明する。


「オウ、サンキュー。助かりました――ハヤカワさん」


 名前を呼ばれ、そこで千影はようやく気づく。ダンジョンではマスクをしていたので、顔をちゃんと見るのは初めてだ。


 教官。名前なんだったっけ? いや、テルコからも聞いてない。


「少しだけお話、よろしいですか?」

「……え……」

「ご心配なく。このとおり丸腰ですし、むしろあなたの持っているその包み、武器ですよね?」

「はあ」


 近くの公園のベンチに並んで座る。平静を装っているが、いきなり襲いかかってきやしないかと心臓がバクバクいっている。聞こえていないことを願う。


「日本に来て四度目の夏ですが、この暑さには慣れませんね。セミの声も日差しの強さも」

「えっと……」

「ああ、ボイスメモとか録らないでくださいね。あくまでも道を訊いて、ついでにほんの少し世間話をしているだけなので。捜査課に通報されても私はシラを切りますよ?」


 千影は心の中で舌打ちして、スマホに伸ばしかけていた手を止める。


 教官は少しくたびれた白いシャツに黒いスラックスという出で立ちだ。三十代後半くらいだろうか、白髪交じりの金髪としわの刻まれた顔がニヒルで、まるで海外映画のベテラン刑事のようだ。


「幸せそうだ、この国の子どもたちは」


 目の前で小さな子たちがサッカーボールを追い回している。暑いのに元気だ。


「明日の食事の心配をすることもない、突然響く銃声に怯えることもない。きっと毎日清潔な部屋で眠っているんでしょう。屋根のないかたい石の床の上に布切れ一枚で眠ったことなどないんでしょう」

「はあ」

「連邦の崩壊、独裁政権の圧政、そしてそれが終わったあとに訪れた政治的混乱。この国では考えられないような貧しさと危うさの中で、私は生きてきました。お連れの女の子と同じくらいの年頃には、生きるために人も殺しました。あの頃と比較すれば、今の子どもたちの環境はかなり改善されていると言えますが、それでもまだこの国とは比較にならない。足りないんですよ、金も人も」

「えっと、だから、子どもを使う」

「彼らにも我々にも、他に選択肢はないんです」

「そのために、子どもが死ぬ」

「無駄に死なせようなどとは。実際、ここ二年で〝ワーカー〟の死亡率は激減しています」

「大人のプレイヤーは?」

「いますよ、もちろん。ただ――私の先輩に当たるチームは、五年前、エネヴォラらしきクリーチャーに全滅させられました。その後も不運な事故が続き、有能な人員は圧倒的に不足しています。同胞の中で最もレベルの高い私でもレベル4です」


 人材くらいしか資産がない的なことを言いながら、その人材への敬意も投資も足りていないように思える。理不尽だけど、こういうやつらがトップにいる国もリアルにあるということか。


「あ、そういや、赤羽テロの影響で免許の取得可能年齢が引き上がるって……」

「そうですね……そんな噂もありますが、そうなったら我々も困ったことになりますね。ますます今いる人材を手放せなくなるし……ケイトの力もますます必要になる」


 彼と目を合わせて、二秒ともたずに逸らす。気圧されたわけでなく単なるコミュショー気質。


「えっと……僕にそれを話して、どうするんですか?」

「今、あなたのアパートを我々の同胞が見張っています。ケイトがあそこにいるのは把握済みです」


 千影は思わず立ち上がる。彼は柔和な笑みを浮かべ、座り直すように促す。


「……D庁の職員も周りにいると思いますけど……」

「いえいえ、ご心配なく。白日の工作活動をもみ消せるほどの政治力など、我々の国は持ち合わせていません。ですから、こうしてお忍びで、あなたに個人的に相談したいことがありまして」

「相談?」

「あなたは――あの子のためなら、どれくらいの無茶を冒せるのでしょうか?」

「どれくらいって……」


 補足があるかなと思いきや、教官は黙って千影の回答を待っている。


「えっと……まあ、僕にできることなら、可能な範囲で手を尽くしてあげたい……ってくらいですかね……?」

「命は懸けられますか? あの子のために」


 命って。そんな軽々しく……でもないか。教官は真面目に尋ねているようだ。

 なので、真面目に考えてみる。彼女のことを思い返してみる。

 その声。仕草。笑顔。性格。言葉遣い。あと乳。

 一緒にいて感じた思い。触れて感じた温かさ。あと乳の柔らかさ。

 数秒考えて、もはや認めざるをえない。


「懸け……られる……かな……? 場合にもよるけど……」


 バシッっと言い切れないところは早川千影なので許してもらいたい。

 教官は千影をじっと見つめ、ふっと表情を緩める。視線の拘束を逃れた千影もふうっと内心ほっとする。


「……四日後のスペシャルイベントについてはご存知ですか? 我々も参加する予定です。レベル2以上のすべての人員で。さすがにタマゴを狙うのは無謀ですが、全員にシリンジが渡るなら、我々の苦境も大幅に改善できる可能性がある。タマゴをめざすトップランカーたちにはがんばってもらいたいです」

「いや……レベル2じゃ危ないんじゃ……」

「徒党を組んで自分たちの防衛にのみ注力すれば、最小限の被害で切り抜けられるという判断です。なんならエレベーター付近に貼りついていればいい。我々としても無駄に死なせるつもりはない」

「シリンジのために」


 彼は答えない。言い訳もしない。話していてわかる、別にこの人は極悪人というわけではないと。だからこそ腹が立つ。


「先ほどの相談の件です。ずばり、あなたにはタマゴを手に入れてもらいたい。そしてそれを、我々に譲っていただきたい。それがケイトを――あの子を救う最後の手段です」

「は?」


 真っ昼間の公園で並んでベンチに座り、向かい合う男と外国のおっさん。子どもたちの訝しげな視線が気になる。


「上層部では……あの子の処遇について、意見が割れています。彼女の優秀さに免じ、もう一度チャンスを与えよう。いやいや、もはや彼女には利用価値よりもリスクしかない、下手なことをしゃべられるより先に始末したほうがいい、という風に」


 顔は終始穏やかというかにこやかだが、まとう雰囲気が変わったのがわかる。


「私個人としては……優秀な教え子であり大事な部下である彼女と、もう一度志をともにしたい。だが、それが叶わないとしても……これ以上部下を失うようなことは……見過ごしたくない……」


 教官は目を細め、重ねた手を握りしめる。千影も膝の上で拳を握りしめている。

 それが本音だとしたら、テルコを自由にする道がある? それがタマゴ?


「えっと……それとタマゴと、なんの関係が?」

「別件ですが、上層部から『タマゴを確保できないか』と打診されています。どうやら本国はシモベクリーチャーとやらを欲しているようです。最初に手にできるのは最高でも四十七体までの超珍獣、研究対象としても愛玩動物としても莫大な金を生む、えーと……日本語でどうたとえるんでしたっけ?」

「金の卵を産むガチョウ?」

「そう、それです。世界中の研究機関、富豪や好事家が数億円以上の懸賞金を出すとの噂もあります」


 マジか。数億って。マジですか。よだれ出るわ。


 赤羽駅近のマンション購入、自動車免許取得と軽自動車購入、無駄にダブルサイズのベッドを買って冷蔵庫も大きいのに買い替えて、あとは寿々苑で梅コース食べていくら残るかな? ハフハフ。


「そうは言っても、おそらく防疫やら種の保護やら適当な理由をつけて、IMODがなんらかの流通制限をかけるでしょう。ウカツに流出させて社会に害悪をもたらさないとも限りませんし、その手のスキャンダルは今の公式が最も嫌う話題でしょうから、少なくとも表向きでは本格的なマネーゲームには発展しないでしょう」


 妄想をほぼフルに堪能してから現実に戻る。いやいや、生き物を札束に替えるとかどうかと思います。


「ともあれ、タマゴにはそれほどの価値があるわけですが……先ほど申し上げたとおり、我々は最高でもレベル4。高難易度に挑むには装備もアビリティも乏しい。下手に被害を出してシリンジを諦めざるをえなくなれば、ほ、ほ……ホンマツテントウ? です。ということで、おとなしくシリンジ狙いに徹するのがベターだと、私としては上申するつもりです。そこでハヤカワさん」

「あ、はい」

「あなたは意外と、と言ってはなんですが、顔が広いようですね。トップクラスのプレイヤーにも知り合いがおられるようですし、ひょっとしたらタマゴを狙えるのではないでしょうか?」


 トップクラス、直江のことか。


「あなたがもしもタマゴを入手できたなら、我々に譲っていただきたい。それをケイトの功績とすれば、上に掛け合うことが可能です。彼女を同胞としての責務から解放し、一人のプレイヤーとして活動を許可することができると思います。もちろん最低限の首輪と鈴はつけられるでしょうが」

「えっと……先に掛け合ってもらえないんですかね……?」

「まったくの正論ですが、先にこの話を通そうとした場合、鼻で笑われるだけでしょう。あるいは打診を拒否したことと合わせて私の裏切りさえ疑われかねない。ですが、実際にタマゴが手に入れば話は別です。約束は必ず果たしてみせますよ、我が祖国と我が神に誓ってね」


 千影はがりがりと頭を掻く。

 闇討ちを仕掛けてきた野郎の口約束を信じろというのも無理な話。

 なんだけど――この人の切羽詰まったような表情を見る限り、嘘をついているようにも見えなかったりする。

 まあ、工作員? 諜報員? の人を表情一つで測れるとも思えないけど。


「私としてもギリギリの選択ですが、本気であることは信じていただきたい。その証と言ってはなんですが、イベントが終わるまでは上に掛け合ってケイトへの干渉を抑えてみます。もちろん彼女がこのタイミングで告発などを目論んだりしなければ、ですがね。ああ、それと、もちろんこれは非公式なお願いですので、どうか他言無用で」

「タマゴって……相当難易度高そうなんですけど、もし手に入らなかったら……?」

「そのときは……語らずともおわかりいただけるでしょう?」


 こないだの続きが勃発するわけか。上層部とやらがどちらの選択をしたとしても、テルコに自由はない。


 ふーーっ、と千影は長く息をつく。額に浮かんだ汗をてのひらで拭う。

 仮に嘘や勝算のない絵に描いた餅だとしたら、こんな話を上に内緒でわざわざ持ちかけてくる意味もない。

 信じる価値はなくても、考える価値くらいはあるのかもしれない。


「あの……最初から気になってたんですけど……なんでそんな、僕みたいなガキに、丁寧な感じでしゃべるんですか?」

「私はあまり頭の出来がよくないもので、日本語の多様な言い回しを憶えるのも大変で。この感じが最も口に慣れているんです。別に敬意の表れというわけでもないので、そうお気になさらず」

「そっすか」


 敬意ないんかい。別にいいけど。


「名前、なんていうんですか? 彼女からは教官としか聞いてないんで」

「私ですか? イリウスといいます。イリウス・ハース・ゴースギィ。好きに呼んでください」

「えっと、じゃあ……(あれ名字なんだっけ)……イリウス? さん」

「はい、イリウスです」

「タマゴの件、考えてみます。だけど、もし無理そうなら、そのときは――――――――」


 千影が切った啖呵を受けて、彼はまたきょとんとして、今度は声をあげて笑う。背中をのけぞらせ、腹を抱えて。


「いやー……個人的にはとても興味深い提案ですが、我々にはなんのメリットもないじゃないですか。いやー、面白い……今年一番笑ったかもしれません」

「ですよね」


 知ってた的にさらっと言う千影だが耳まで真っ赤。


 イリウスは涙を拭きつつ、ちらちらとこちらを窺うサッカー少年たちに感じよく微笑みかける。なんでもないよという風に。


「あなたは……本当にケイトのことを想ってくれているようだ。前回見せていただいた素晴らしい技量といい、同胞でないのが心底残念でなりません」


 敵とはいえ、きっとお世辞とはいえ、褒められてキモ顔にならないのは早川千影の名折れだ。ハードな国の諜報員をぎょっとさせる程度の破壊力もある。


「では、タマゴの件、よくご検討ください。願わくばあなたにも、我が神の加護があらんことを」


 立ち上がり、軽く手を上げて、彼は去っていく。なんというか、そういう立ち振舞いまで絵になっているのが悔しい。


 千影はどかっとベンチにもたれかかる。目を閉じる。セミの声が頭蓋骨の中で乱反射している。


 なんであんなことを言ってしまったのか。


『――そのときは、もう一度僕と勝負しろ。僕が勝ったらテルコをもらう』


 完全に衝動的に口をついて出た言葉だった。まったくもって考えなしに吐いたセリフだった。


 なんだよ、もらうって。イケメンかよ。

 鏡見ろよ、その下の排水口見ろよ。抜け毛エグいぞ最近さらに。

 まだ三分も経っていないけど、めっちゃ後悔。なんであんなこと言っちゃったの? 早川千影の黒歴史ノートのトップ3に残る迷言だったよ。たぶん今日寝袋の中で思い出して身悶えるよ。


 ぱちっと自分の頬を叩き、気をとり直す。


 状況を整理しよう。


 テルコはノブを生き返らせるためにタマゴを欲している。

 イリウスはタマゴと引き換えにテルコを自由にしてくれる(かもしれない)。


 完璧な板挟み状態。ここまでのジレンマはハリネズミでも経験がないに違いない。


 でも、過程は一緒だ。どちらか一方でも叶えようと思うなら、タマゴが必要になる。


 あとは実際にそれが可能かどうか算段を立てて、実行するかどうかを判断するだけだ。


 それと、この話を事前にテルコにするかどうか。

 絶対ノブをとるよなあ、テルコは。自分の自由より。


 二つ手に入れば万々歳なんだろうけど、そんな超絶奇跡はギンチョが五人くらいいないと期待できない。五人いたらいたで食費で財政破綻だし五重の「ぎゃわー!」で耳がやられる。


 どうしたもんかなあ。


 とりあえず、イベントに参加することは間違いない。そのための準備というか訓練をすることにも変わりはない。


 まだ時間はある。もう少し考えてみよう。


 千影は荷物を持って立ち上がり、腰を伸ばす。イリウスを意識した歩きかたで、公園の出入り口に向かう。


 サッカー少年たちよ、これが大人の男の去り際だ。


 少し気だるさを残した背中で大人を語る。その尻にサッカーボールが直撃し、「すんませーん」と心のこもらない謝罪が聞こえる。


ちょっと長めになってしまいました。


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