1-7:連れてってくんね?
主にテルコと千影がしゃべり、中川が軽く補足するような感じで、かれこれ二十分以上通話している。
『……なるほどね……』
電話口のサウロンはそれだけ言い、しばらく黙り込む。スマホはスピーカーモードにして、他の四人にも聞こえるようにしている。
『……〝ダンジョンの意思〟の野郎……そんな重大なこと、黙ってやがって……』
「え?」
『ああ、いやいや、ごめんね。サウロンくん、珍しくおこモード入っちゃったわ。あひゃひゃ』
「なににおこなの? さっきウィルって……」
『いやまあ、こっちの話だからね。忘れてちょんまげ。んで、【キメラ】の話だよね』
うえっほん、とわざとらしい咳払いをするサウロン。いつもの軽薄なノリが戻ったようだ。
『実際に人類が入手済み、使用済みのアイテムとはいえ、その説明を僕がしちゃうのはあんまり好ましくないんだけど……サウロンくん、今ちょっとだけやさぐれモードなんで、ついつい口が軽くなっちゃうなあ』
「(まだおこなんだ)」
『つーわけで白状しちゃうとね……【キメラ】は他の肉体変異型――いわゆる亜人化アビリティの基礎みたいな能力なんだよね』
「基礎?」
『ご存じのとおり、【フェンリル】なら狼、【ネコマタ】なら猫、【ガルーダ】なら鳥といった具合に、肉体変異型は投与した人間に他の生物の遺伝子を融合させて、その生き物の特性を発現させるアビリティだ。そのほとんどが生存戦略的に有利というかプラスになる特性で、副作用として見た目もユニークになっちゃったり、暑さ寒さに弱いとか多少のデメリットもあったりするけど』
「【トロール】の巨人とか、【アシュラ】の多手腕人とかは?」
『それはまあ……話すと長くなるからまた今度。他にもまだまだ未発見の肉体変異型があって、僕も早く発見されてほしいと願わずにはいられないっすわ』
「【キメラ】は、自分でその生き物を選べるアビリティってこと?」
『そのとおり。トランプでいうワイルドカードみたいなもんだね。地球上には百万種以上もの多様な生き物がいる。その中で任意に選んだ生き物と融合できるアビリティさ。当然、肉体変異型の中では一番レアだから、ゲットしたのはその子が初めてかもね。あるいはこっそり使ってる人もいるかもだけど、そこは僕の口からはなんとも』
「ダンジョンのクリーチャーとかも?」
『それは無理。当然エネヴォラも無理。あくまで地球上の生き物ね。あと細菌とか微生物とか、原始的すぎるやつとかちっちゃすぎるやつも無理かなと』
中川は顎に手を当てて考え込んでいる。テルコと明智もきちんと話を聞いているが、ギンチョはテルコにしがみついたまま若干うとうとしている。
「じゃあ……その【キメラ】で、他の人間と融合することも?」
『……問題はそこなんだよね。〝ダンジョンの意思〟じゃないから明確な回答はできないけど、たぶん【キメラ】って異種間での融合を想定した能力のはずだと思う。同種――というか人間同士では不可能なはずなんだ』
「え、でも実際……」
『しかもね、もう一つ不可解なのは……【キメラ】で融合するには動物の死骸が必要になるんだ。仮に人間との融合が可能だとしても……生きている他者をとり込むなんて、本来はできないはずなんだけど……』
「でも、あのときまだ、ノブは生きてた。息をして、笑ってた……」
テルコ――ケイトとしては、そこは譲れないのだろう。二人が生きて融合して、一人になった。でなければ――。千影としても……テルコの記憶違いを疑いたくはない。
『まあ……そもそもの前提からしてイレギュラーだからね。実際そうなったってことなら、もうなんも言えないっすわ』
「サウロンさん、いいですか?」と中川。「では、仮に人間と融合できたとして、DNA型鑑定上の別人になったり、記憶をなくしたりとかは?」
『うーん……まあ実際、人間と融合しちゃったわけだから、そんくらいのことは起こったりするんじゃないかと……』
「記憶や人格が混ざったりとかは?」
『うーん……脳みそが混ざるわけじゃないからなあ……でもやっぱりそうなってるの? ならそうなのかもねえ』
「なんか頼りないっすわ、宇宙人」と千影。
『悪いけどね、ぶっちゃけ僕が一番真相知りたいのよ。今すぐ〝ダンジョンの意思〟を小一時間問い詰めたい。つっても、あいつも完璧に把握できてるかっつったらわかんないけどね』
「なんで? ダンジョンの支配人? ゲームマスター? なんでしょ?」
ちっちっちっ、とサウロンはもったいぶった舌打ちをする。おそらく電話の向こうで指を左右に振っていることだろう。
『確かにね、〝ダンジョンの意思〟はダンジョンの隅から隅までを熟知している。とはいえ、彼はあくまで赤羽ダンジョンのマスターであって、全知全能の神じゃない。そこにイレギュラーな運命が生じないとは限らない。彼の預かり知らぬところで理解可能な事象が起こっても不思議じゃない。あ、別にあいつを擁護するわけじゃないけどね、ぷんぷん』
「まだおこなんだ」
『僕が動画とかで常日頃から口にしているワードだけど、「ダンジョンに地球の常識は通用しない」って。だけどね、実際はこうも言えるんだ「命や意思とかいう計り知れない存在を前に、ダンジョンごときの常識は通用しない」ってね』
今度はこちら側が息を呑む番だ。それを悟ってか、『ふふん』とサウロンは得意げに鼻を鳴らす。
『まあ、僕もそういうのが見たくてこんな仕事やってるんだけどね。だから僕個人としても、【キメラ】では通常ありえない同種間との融合も、それも生きたままでの融合も、その二人の意思がつながり、二人で望み願ったことで起きた奇跡……なんて風に思いたいわけですわ。お、なんか綺麗にまとまった。頼りない宇宙人疑惑解消しろよ、少年』
というところで、サウロンはこれから明日公開予定の動画撮影をするとかで忙しいらしく、即席説明会はここでお開きとなる。「情報料はとつぜんステーキ赤羽店の一番高い肉三百グラムでいいからね」だそうで、ちらっと中川を窺うが目を逸らされる。代わりにギンチョがこっちを凝視している。こっち見んな。
「ともあれ、これで諸々の謎が解けたわけですね。テルコさんの身体はアビリティ【キメラ】によってノブテル・ナガオ氏と融合した。そのせいでDNA型鑑定の照合結果は不一致だったと」
確かに今のテルコには、写真のノブテルの面影も混じっている気がする。一番ぴんとくるたとえとしては――ケイトとノブテルの娘、というところか。さっきノブテルに感じた既視感も、彼が混じった子が目の前にいたからだろう。
「記憶に関しては……推測ですが、おそらく融合時のショックと心因性、合わせ技一本というところでしょうか。融合後に目を覚まし、朦朧とした意識の中で外に出て、近場にあったショートカットエレベーターに乗り込んだ。そして一層で力尽きたところで早川さんたちに会った」
裸で横たわる彼女の姿が脳裏に浮かぶ。慌ててかき消すような無粋はせず、この際だから自分の記憶力の確認をしておく。
「そこは全然憶えてねえけど、たぶんそんなとこだろうな。素っ裸でダンジョン徘徊とか、よく生きて戻れたもんだ。無意識とはいえ、オレすげーな」
「ノブテル氏の記憶を引き継いでいる、ということはないんですね?」
「……うん、たぶん。断言はできねえけど……あくまで自分では、オレはケイトだと思ってる。でも……」
テルコは言葉を選ぶように間を置く。
「前のオレは、ここまでブッキラボーな言葉遣いじゃなかったし……人間嫌いで、人付き合いなんて理解不能で、全然笑ったりとかしないし、なにかあるとすぐキレるし、同胞とも全然うまくいってなくて……つーか世の中全部嫌いで、一番クソ嫌いなのは自分だった。信じられるのはノブだけだった。なのに……」
顔を上げ、照れくさそうに苦笑する。
「今はさ、チカゲもギンチョも、アケチのネーサンもヘビィも、みんな好きなんだよな。前のオレじゃあ、こんな風にはならなかったと思う。きっと、あいつと一緒になったからなんだろうな。あいつがくれたもんなんだろうな、こういうの。悪くないなって思うよ」
千影は照れる。キモ顔を見せないようにうつむいておく。というか隣で中川も照れている。耳まで真っ赤だ。
「つまり、今のケイトさんは、遺伝子的にも人格的にもノブテル氏と融合して、テルコさんという一つの新しい存在に生まれ変わったと……こう思うのも何度目かわかりませんが、ダンジョンってのはとんでもないところですね」
「そういえば、テルコって名前……」
「それは……IMODで訊かれたとき、なんとなくそれがいいって思ったんだ。ノブテルが頭の隅に引っかかってたんだな、きっと。ヒントはずっと目の前にあったってわけだ、あはは」
テルコは千影に、ギンチョに笑いかける。
「サンキューな、タイショー、ギンチョ。これで全部終わりだ、二人のおかげだよ」
五人で部屋の片づけをする。それが済むと、外まで見送る、とテルコも一緒に出る。
「えっと……これからテルコは……?」
明智にそっと耳打ちする。
「それについては、あたしたち大人が考える」
それだけ? 表情で先を促すと、明智は頭をがしがし掻きむしる。
「……記憶が全部戻ったなら、ここまでの情報で話を進めていくしかない。D庁とIMOD、そして日本とチェーゴ。シラの切り合い、落としどころのさぐり合いだ。ぶっちゃけ日本にはメリットの薄い話だが、うちのシマでいつまでも好き放題されんのもな。あたしらも証拠がために動いてるし、中川や外務課、外務省だって黙っちゃいないさ」
「……でも……」
「ここまでの協力、感謝するよ。報酬は払えないけど、口で言うだけならタダだからね」
つまり、もうこれ以上、千影たちにできることはないということか。
「……でも……」
「でも?」
「……いや、なんでもないです」
マンションのエントランスで、テルコは「おほんっ」と一つ咳払いし、姿勢を正す。
「今度こそこれでお別れだな。タイショー、ギンチョ」
そして、千影に抱きつく。背中をばんばんと叩く。痛みよりも胸の感触のほうに意識が向いてしまうのは罪深い性だ。同じようなハグをギンチョにもする。
「オレを見つけてくれたのが、お前らでよかった。この先どうなるかわかんないけどさ、また会えたら――……」
そこで言葉を止め、首を振り、「じゃあな」とだけ言う。そしてマンションの中へと消えていく。彼女の背中が見えなくなると、奇妙な感覚に襲われる。ほっとしたような、胸に穴が開いたような、泣きたいような。
ぐすっとギンチョが鼻をすする。千影が頭を撫でると、ぎゅっと腰にまとわりついてくる。Tシャツが鼻水べっちょりのパターンだなと思う。
二度と会えない(かもしれない)。そう思うと内臓がずうんと重くなる。
慣れろ、忘れろ、と自分に言い聞かせる。
あんな風に言ってくれたけど、彼女は別に本当の仲間というわけではなかった。たまたま短い間、一緒にいただけのことだ。
すぐに慣れる、すぐに忘れられる。
元々自分はそういう人間じゃないか。友だちなんて一人もいないし、仲間もギンチョ一人で精いっぱいだ。他の人間を気にする余裕なんてない。そう思うしかない。
翌日、八月十八日、金曜日。
ギンチョが部屋にこもったまま返事もないので、そのまま家ですごすことにする。
食事だけお盆に載せて置いておくと、いつの間にかお盆ごと消えていて、また気がつくと料理の空になったお盆が元の位置に戻されている。妖怪か。ちなみにこんなときでも野菜だけはきっちり残されている。
トイレに行くときも、居間を通らずに直接ダイニングのほうに出ていく。一度も顔を見せない、一言も発しない。そんな感じのまま、夜になる。
ぴんぽーん。夕食をつくっている最中、呼び鈴が鳴る。
ドアを開けると、テルコが立っている。
「よう、タイショー。悪いんだけど……ダンジョンに連れてってくんね?」
ちょっとバツが悪そうな顔で、そんなことを言う。千影は途方に暮れるしかない。
4章1話、ここまでです。
引き続き2話をよろしくお願いします。
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