1-6:ケイトの記憶⑥
「これから零時に、アプデの準備のためにメンテナンス開始。全エレベーターが使用不可能になる。んで、朝十時にアプデ開始。すぐに終わるらしい」
アップデートの影響を考慮し、他のプレイヤーはすでに退去済みだという。だが、彼女は地上に戻るわけにはいかない。もっと上層やセーフルームに向かうことも考えたが、どこにいても同じだろう。
「で、ノブはなんで来たの?」
なにが起こるかもわからないそのときを一人で迎えようと思ったのに、ノブはいつものように食料を持って隠れ家に来ていた。
「いや、一人じゃ寂しいと思って。タブレット壊れて修理中だし、暇かなって」
「別に、大抵の時間はオr……私一人だし」
「そう言うなって。むしろさ、イベント会場の裏側にいられるって、結構レアな体験じゃね? お前に独り占めさせねえよ?」
そんな軽口を言っていても、ノブは私のことが心配なんだ。くすぐったくて、彼に見えないように少し笑った。
午前零時を回っても、特になにも起こらなかった。外に出てみると、いつもと同じ疑似的な夜空が広がっていた。クリーチャーの気配も感じられず、空気はひっそりと沈み、なんの物音もしなかった。
こんなにも静かなのは初めてだ。時間が止まった世界に残されたみたいな。試しにノブが「あーーーーっ!」とさけんでみた。音は岩壁に反射し、こだまし、消えていった。彼女が試しても同じことだった。
「クリーチャーもメンテ開け待ちってことか。行儀いいな」
「ノブ、どうする?」
「どうするって、下手に動いて変なことに巻き込まれるのも嫌だし、家でじっとしてようぜ」
眠くなるまでくだらない話をして、午前三時くらいに並んでベッドに横になった。
その頃には地面から「ごうん……ごうん……」と小さなうなりのようなものが断続的に響くようになっていた。この地中のどこかで工事でもしているのだろうと思った。眠りにつくまで時間が必要だった。
ずうん、と地面から突き上げるような震動で、目を覚ましたのは午前十時だった。
「ノブ! ノブ!」
ずうん、と震動するたびに天井からぱらぱらとかけらが落ちてきた。「ノブ、生き埋めになる、逃げよう!」、目を覚ましたノブを引きずるようにして、慌てて外に出た。
揺れは十回ほど続き、最後の揺れの余韻がすうっと消えていくと、なにごともなかったかのように静けさが戻ってきた。
「いやー、今のがアプデか……このエリアもなんか変わったんかな……」
「私が起こさなかったら……そのまま寝てたでしょ……」
「日本人は地震慣れしちゃってっからな。中に戻ろうぜ」
洞穴に戻ると、ノブはそのまま外出の準備を始めた。防具を身につけ、リュックの中にアイテムを詰めていった。
「出かけるの?」
「ああ、うん。このエリアにショートカットエレベーターができるって話だろ? 場所を確認しとかないとって思って」
「今から?」
「なるべく早いほうがいいだろ。万が一、それがここから近くて、ひょっこり〝ワーカー〟が現れるようなことがあったらさ」
そうなったら――この隠れ家も引っ越しを余儀なくされる、ということか。
一年をここですごした。つらいこともたくさんあったけど、それ以上にたくさん思い出もできた。ずっとはいられないとわかっていたけど、でも――。
ぽん、と頭を軽く叩かれた。ノブは心配するなという風に微笑んだ。
「まあ、こんだけ広いエリア16だからさ。離れた場所にあれば問題ねえし。あ、その前に朝メシ食おうか。ちょっと遠出になるかもだしな」
少し時間をかけて準備をして、十一時すぎくらいに隠れ家を出た。
地図を確認しつつ、とりあえずはヘルファイアの出没地域を外してさがしてみることにした。
「ていうかさ、ノブが一層まで上って、ショートカットでここに戻ってくればいいんじゃない?」
「あっ……いやいや、まあ、一層まで丸一日以上かかるしさ。今日見つからなかったらそうするわ、うん」
アプデでどんな変化があるかも未知数なので、二人は慎重に歩を進めていった。
飽きるほど相手にしてきたザコ敵と遭遇したり、丸焼きにしたらごちそうな小動物を捕まえたり、遠くのほうでヘルファイアの羽ばたきが聞こえて慌てて隠れたりと、道中は普段とそう変わらなかった。
一時間ほどうろちょろしたところで、ノブがその看板を見つけた。岩壁にぽっかり開いた洞穴の前に、「ショートカットエレベーターはこちら」と日本語と英語で書かれた看板。
「うーん……結構遠回りしてきたけど、俺らの隠れ家とそんな離れてないよな……」
「たぶん……十分くらいだと思う……」
微妙なところだ。隠れ家方面は目立たない行き止まりのルートとはいえ、この距離だと他のプレイヤーが迷い込んでくる可能性はこれまでより大きくなるだろう。
「……とりあえず戻ろう。他の人が来る前に……」
そうして二人は隠れ家までの帰路についた。異変が起こったのはその途中だった。
「……あれ?」
遠くのほうでプレイヤーらしき人たちが走っているのを見た。二人のいる道を横切るようにして、別の道に飛び込んでいった。
次の瞬間、ざっざっと重い音が聞こえたかと思うと、ふっと空の光が遮られ、二人そろって顔を上げた。頭上には二体の怪鳥が翼をはためかせていた。一瞬にして彼女の中の血が凍りついた。
「――ヘルファイア」
こんなところで遭遇したのは初めてだった。緑色の羽毛、二対の翼、二対足。エリア16の王者・怪鳥ヘルファイアが、甲高いおたけびを重ね、二人に狙いを定め、燃える石つぶてを吐き出した。
混乱し、それをかわすことで精いっぱいの彼女は、それでも状況を呑み込もうと必死だった。
こいつらが複数体同時に現れるはずないのに。それも縄張りとはほど遠い場所で。
なんで、どうして? 今までこんなこと一度もなかったのに。
アップデートのせい? 地震で混乱して縄張りを飛び出した?
それともさっきのプレイヤーたちが引き連れてきた?
わからない。わからないけど――今はそれどころじゃない。
二体による攻撃は、ただ純粋にがむしゃらに、その場にいる自分以外の者を食い殺すことだけをめざしたものだった。焼けた石が降りそそぎ、鋭い嘴が行く手を遮り、蹴り上げた足が土砂を巻き上げた。この世の終わりかと思えるほどの、救いのない暴力が渦巻いていた。
「ああああああああっ!」
ノブがヘルファイアの脚に剣を食い込ませ、力任せに薙ぎ払った。恐竜じみた鱗のついたそれが、血を撒き散らしながらくるくると飛んでいった。ヘルファイアの甲高い悲鳴が響いた。
「ケイトっ! あそこにっ! 飛び込めっ!」
ノブの示した先、岩壁沿いの灌木が茂っているその奥に、小さな穴が開いていた。
二体のわずかな隙間を縫い、彼女はその入口へ向かって走りだした。その後ろからヘルファイアが嘴を開いて襲いかかった。
ばつん、という音とともに血しぶきが舞い、彼女の顔にかかった。
気がつくと彼女は、ノブを抱えてその洞穴の中にいた。
さっきのは悪い夢だったのか。そう思おうとした。だけど、現実として、ノブの身体は真っ赤に染まっていた。
ヘルファイアに背中から食いちぎられる寸前、ノブが彼女を突き飛ばした。代わりに彼がその嘴に――。
「……ノブ、ノブ、おい、ノブ……」
ノブは右腕がなかった。右胸もなかった。肩から腰にかけて、弧を描いてえぐられていた。乾いた地面に赤黒い血の海が広がっていた。
「……はあ……いてえわ……」
カバンの中身をひっくり返し、銅色のシリンジを掴んだ。【フェニックス】、二本持っていたそれを、ノブの身体に打ちつけるように投与した。それでも血は止まらない、失われた肉体は戻ってこない。
なんで? どうして?
昨日まで普通にすごしていたのに。さっきまで普通に隣にいたのに。
なんでこんなことになった? アップデートがあったから?
自分が地上に戻らなかったから? この場所を離れなかったから?
国の連中から逃げ出したから? ノブと離れなかったから? ノブに出会ったから?
私と出会わなければ、ノブは死ななかった?
ノブ、死ぬの? いなくなっちゃうの? なにそれ、怖い。無理、考えられない。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
「ノブ! ノブ!」
しがみついて揺り起こした。眠ったらそのまま二度と目を覚まさないと思った。
泣きさけぶ彼女の顔を見て、ノブは力なく笑った。
「……まえがないt……ひさ……ぶりにみ……」
ふざけんな。こないだアニメ見て一緒に泣いただろうが。
「……おまえ……いきr……」
ふざけんな。お前も生きるんだよ。
「……これが……さいごdk……」
ふざけんな。最後ってなんだよ。
「……おれ……まえのk……すk……だかr……」
ふざけんな。何度でも言うって言ってたじゃないか。
そうしている間にも、彼女の腕の中で、ゆっくりと、その身体から温かみが失われていく。
彼女の足に、こつん、とシリンジが当たった。ぶちまけたカバンの中に入っていたものだ。
最初にあの隠れ家に入ったとき、毒虫の罠に守られていたシリンジだ。箱はすでに捨て、銀色のシリンジだけをカバンの中に仕舞っていた。
なんだっけ、【キメラ】? 「他の動物と融合する」とか書いてあった。亜人化のアビリティみたいなものじゃないかとノブは推測していた。
頭の中に浮かんだ問いが、彼女の目にかすかな温度を与えた。
ノブと融合したら、どうなるんだろう?
私とノブが一つになる?
「ノブ……これを使おう。【キメラ】」
ノブの目がかすかに動き、彼女を見上げた。
「あなたと私で、一つになろう。そうしたらあなたは死なないから。二人で一つになれるから、ずっと二人で生きられるから」
ノブの口の端が少しだけ持ち上がった。笑みのように見えた。
そうは言っても、可能なんだろうか? 箱には確か「Animal」としか書いていなかったけど。
人間もアニマルだとして、可能だとして、実際どうなるんだろう?
女と男、混ざり合って変テコな身体になったりする?
ノブの意識や意思は? 記憶は?
私の記憶は? 感情は?
想像もつかない。あるいは私が消えて、ノブがこの身体に転生したりして。
思わず苦笑した。万が一そんなことになったら、ノブは驚くだろうか。悲しむだろうか。
「ケイトとノブテル……ノブト? ケイテル?」
くく、と今度こそノブはちゃんと笑った。喉が震え、かすかに血を吐いた。
彼女は服を脱いだ。ノブの服も脱がせ、まとめてそのへんに放り投げた。そういうところが見かけによらずガサツだよな、そんな風にたしなめられたのを思い出して、また苦笑した。
「――ずっと一緒だから。死ぬまでずっとね」
文字どおり、二人で一つになる。そうすれば、その思いは、願いは――。
胸のところにシリンジを当て、ノズルを押した。冷たい液体が体内に注入されると、間もなくそこにうっすらと痣が浮かんできた。ハートに似た形だった。
冷たくなりつつあるノブの上体を起こし、抱き寄せた。
「ああ、それか――ケイト・ルコだから、テルコとか?」
彼の手を引き寄せ、その痣に触れさせた。
次の瞬間、目の奥で真っ白な光が放たれ、世界が真っ白に覆われていった。
なぜだか身体が温かくて、ノブが抱きしめてくれているような気がした。
「ケイトの記憶」はこれが最後になり、本編とつながります。
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