1-2:千影vsヘルファイア
やれるはず。何度もそう自分に言い聞かせる。
想定レベルだけを見れば、相手は格上。けれどあくまで想定だ。レベル差だけで結果は決まらない。現実の命のやりとりは足し算引き算とは違う、いろんな要素が掛ける割るされる。
昨日の荒川河川敷での運動で、ここまでのザコ敵戦で、【ヤタガラス】の試運転は済んでいる。思ったとおり、その感覚はウイルスの投与後から「まるで生まれつき備わっていたかのように」自然に心身に馴染んでいる。ダンジョンウイルスのすごすぎる一面というか、むしろ怖いくらいだ。
先手はとれる。武器も能力も準備されている。あとは――的確に、冷静に、そのすべてをぶつけるだけだ。
まあ、最悪なにかあっても直江がどうにかしてくれるはず――ですよね? ギンチョさん、そこの性悪狼女が渋ってたらお願いね。
やがて、重苦しい羽ばたきとともに空高くから現れた緑色の巨鳥が、灌木に隠れる千影たちに気づかず、二・三十メートル先に着地する。クリーチャーの死骸を見下ろし、千影と同質量くらいのそれを一口でくわえ、がっがっと丸呑みにする。
もっと近くに罠を置いてもよかったが、においでバレる可能性があったのでしかたない(身体中に泥や草を塗り込ませてあるとはいえ)。まずはあいつを地面に下ろした。あとは手持ちの手段で挑むだけだ。
スキルのチャージはすでに一分を超えている。左腕がかなり熱くなっている。骨の代わりに熱々のおしぼりを突っ込まれたような。早くぶっ放してしまいたい。
一般的にスキルは、レベルと連動して威力が上がるらしい。体力が高いほうがその力を発揮しやすいからだという(【ムゲン】や【ギュゲース】など、レベル差の恩恵のないスキルもある)。
直江の【コルヌリコルヌ】はあのエネヴォラのスーツを破壊するほどの威力だったが、千影の【イグニス】はそこまで強力でもない。
Pカイマンの頭は吹き飛ばせたが、遥か格上のこいつを一撃で仕留めきれるだろうか。
そもそもちゃんと当てられるだろうか。あんまり離れた目標だと、メンタル的にも技術的にもコントロールミスしやすいタチなので、正確に当てられるか不安だ。
といっても、やってみるしかないわけで。
よく狙え、集中しろ。
「――うしっ」
チャージを止め、灌木の隙間から左腕を突き出す。異変に気づいたヘルファイアの首がすぐにこちらを向く。構わずに頭の中でスキルの名をさけび、放つ――【イグニス】。
ゴウッ! と空気を爆散させて火の矢が放たれる。高速で一直線に飛んでいくそれが、ヘルファイアの頭――から逸れて右の翼に刺さり、爆ぜるように燃え上がる。「ビャアアアアッ!」と甲高い悲鳴があがる。
あーあ。頭を狙ったのに、やっぱり外した。
なんというか、完全に外れたとも言えない微妙なところが自分らしい。
気をとり直し、〝えうれか〟の刀を抜く。そしてダッシュで一気に距離を詰めていく。
「ビャアアアアアアアアッ!」
と思ったら、ヘルファイヤが翼を羽ばたかせ、飛び上がる。飛べんのかよ。羽に当たったじゃん。残り三枚あるけどさ、ルール守ってよ。
一気に二十メートルくらいまで上昇し、その場でホバリングする。こっちの攻撃が全然届かない高さだ。
立ち止まる千影に狙いをつけ、ヘルファイアはもう一度散弾を吐き散らす。さながら隕石の雨のように降り注ぐそれを、全速力で左に回避。それでも小さいかけらが肩や足に命中する。耐火性能の高いジャージな上、そのまま水辺に滑り込んだので延焼も火傷もないものの、当たった箇所は結構痛い。骨は無事そうなのが幸いか。
ヘルファイアは下りてこない。あくまで上をとったまま、一方的に嬲るつもりのようだ。
「ビビャアアアアアアッ!」
勝ち誇るようにおたけびをあげ、火の石つぶてを撒き散らす。軽く世紀末的な光景だ。
それでも千影は、目を見開き、歯を食いしばり、的確にそれを回避していく。
身体ごと倒れそうなほど横に振り、その体勢のまま後ろに飛び退く。
横に転がり、起き上がりながら【アザゼル】ではじく。
あるいは片手での側転、バック転。足場の悪い水辺でのステップ。
すげえ、と自分でも改めて驚く。
これが【ヤタガラス】か。
ここまで無茶な動きができるようになるなんて。
いやまあ、実際結構ゴツゴツ当たってるのは内緒だけど。
こんだけ雨あられ的に降らされたら、さすがに全弾かわすとか無理だし。
だけど急所はすべて外れているし、身体にもジャージにも大したダメージはない。それでもって、直江の話が本当なら――そろそろ弾切れのはずだ。
案の定、ヘルファイアの爆撃がぴたりとやむ。「ゴアッ、ゴアッ」と頭を上下させてえずいているが、嘴の端から唾液的な粘っこい液体が飛び散るだけだ(絵面的にはそっちのほうがくらいたくない)。
燃やして吐き出す石を貯蔵する袋? 内臓には当然容量があり、空になれば吐き出せるのは唾液か胃液かというくらいになる。肝心の飛び道具を撃ち尽くしたヘルファイアは、これで肉弾戦に切り替えざるをえなくなる。
千影は荒らげた呼吸を整えつつ、刀を握りしめる――ここからだ。
ずしん、と地面を揺らして再び降り立つヘルファイア。血走った目が千影を見下ろしている。ブルル……と喉の奥で剣呑な響きがする。唇を噛んで腹の底の震えを押し殺しながら、千影は目を見開いて神経を研ぎ澄ませていく。
「ビャアアッ!」
短いおたけびとともに嘴が降り下ろされる。千影の立っていた地面をえぐり、小石が跳ね上がる。翼の叩きつけで突風が巻き起こり、巨大な足による踏みつけと蹴り上げで地形が変わる。
――白兵戦に持ち込めば、そんな苦戦する相手でもない。
なんて、嘘つき。直江の嘘つき。
そりゃあんたからしたらそうかもだけどさ。レベル4の凡人からすりゃ、もうほとんど災害だよ。大怪獣総進撃だよ。
降り落ちる土砂の中、舞い上がる土埃の中、それでも千影はめまぐるしく駆け回る。足を止めず、目を離さず、刀を握りしめたまま。
絶えず降りそそぐ悪夢のような猛攻。速く重く、一撃でもくらったら確実に持っていかれる。
けれど、攻撃自体はどれも大味で雑だ。図体ばっかり大きくても鳥頭は鳥頭か(失礼)。そしてそういう攻撃を見切り捌くのは早川千影の十八番だ。
翼をかいくぐり、刀で羽を斬り払う。踏みつけの脇に飛び込み、足を覆う鱗を切り裂く。伸びきった嘴をぎりぎりのけぞってかわし、そのまま刀を振り上げて顎下を斬りつける。
ここでも【ヤタガラス】の効果を実感できる。回避からの迎撃、そのテンポと安定感はこれまでと段違いだ。
いける。このまま肉弾戦でくるなら、ちまちまとせこせこと、相手の体力が尽きるまで削りきってやる。こっちの粘っこさなめんなよ。
「ビィイイイイッ!」
足下をちょこまか動くネズミをうっとうしく思ったのか、再びヘルファイアが飛び上がり、一気に高度を上げる。ぼたぼたと血が雨のように降り落ちてくる。
そして、真っ逆さまに急降下。地面すれすれを滑空し、爆風を撒き散らして突進してくる。
大きく嘴を開け、「ビャアアアアアアア!」と吠える。その目はぴたりと千影を捉えている。丸呑みにする気か食いちぎる気か。
千影は覚悟を決め、正面からぶつかるように突っ込んでいく。
嘴が千影の身体を捕らえる――その寸前でスライディング。
「んんんんっ!」
下に潜り込みながら刀を立て、下から胴に突き刺す。相手の勢いでそのまま肉が裂けていく。歯を食いしばり、持っていかれないように【アザゼル】を使って握りしめるが、相手の勢いと肉の重さに耐えかね、バキィッ! と甲高い音とともに刀身が折れる。
ヘルファイアが地面に落ちて滑り込んでいく。滝のような水しぶきがあがる。初めて〝えうれか〟を折られたショックを味わっている余裕はない。千影は立ち上がり、すぐに槍を抜く。両手で握って突っ込んでいく。
腹を裂かれたヘルファイアは、それでも血まみれの身体を翻し、長い首をぐるりと千影に向ける。
来る、もう一度、燃える石つぶて。まだ残弾あったの?
いや――さっき嘴で地面をえぐりながら、河原の石を補充していたのか。鳥頭とか思ってごめん。
やばい、かわせるか? 横に跳べ、だいじょぶ間に合う――ガコッ! と鈍い音とともにヘルファイアの頭が大きく揺らぐ。横合いからバトルメイスが直撃した。視界の端にそれを投げつけた直江の姿がある。
「あああああああああああああああっ!」
棒高跳びの選手のように槍を構えたまま走り、ふくらはぎがはじけるほどに踏み込んで跳躍する。相手の頭を踏み、さらに高く。全身の力と質量をその穂先に込め、その背中の真ん中――ヘルファイアの急所に突き刺す。
空をつんざくほどの悲鳴。その巨体が存分にのたうち回る。千影は槍を抜かずに慌てて距離をとり、ばたんばたんと岩と水を撒き散らすヘルファイアを尻目に、左腕に力を溜めていく。
二十秒あれば、頭に当てればいけるか?
息切れを起こして動きを鈍くしたヘルファイアの頭めがけて、千影は左手を向ける――【イグニス】。
轟音とともに放たれた火の矢は、今度こそその頭を炎に包む。
敵が完全に動かなくなると、あたりに静けさが戻ってくる。千影は自分の身体を確かめてみる。多少の擦り傷と打撲程度だ。絆創膏と湿布でなんとかなる軽傷。ほっと一息つく。
二人のところに戻ると、直江が小さく舌打ちし、「……次の刺客こそは……」と悪の総統のようなセリフをつぶやくのを聞き逃さない。「あざっしたー」と一応最低限の手助けをしてもらった礼だけは言っておく。
ギンチョが涙目で千影のみぞおちにタックルする。その手には例の〝にんにん煙玉〟が握られている、彼女なりに加勢する心づもりだったのだろう。使わせずに済んでよかった(一万円)。
「ちーさん……ぶじでよかったです……」
「ああ(そこはけがないじゃないのね)」
落ち着き払ってギンチョのヘッドギアの頭を撫でているが、頭の中では早川千影を模した巨大な神輿がわっしょいわっしょいと担ぎ上げられている。サラシを巻いたお祭り男たちの背中で〝日本一〟の文字が躍っている。
すごくね? ほぼ一人でレベル5倒しちゃったわ。【ムゲン】なしでもやれちゃったわ。
まあ、相手の攻撃パターンを事前に聞いていたからこそだけど? 【ヤタガラス】によるパワーアップもあってだけど? ですがなにか?
いやいや、最近へこむことばっかでアレだったから、ちょっと自信回復したわ。今すぐもっかいやれって言われても勘弁だけど。来月以降でお願いしたいけど。
「……おい、あれ……」
直江が指さす。怪鳥の緑色の羽毛がぶすぶすと音をたてて融けていく。【イグニス】で焦げた目玉が飛び出てどろりと地面に落ちる。細胞自殺だ。つまりレアドロップキタコレ。人生の最高のご褒美はレアドロップです。
死体が液状化してしまう前に、直江がひょいっとその上に跳び乗り、羽を一枚むしりとる。おそらくクエストの証拠品だろう。三人が見守る中、巨体がどろどろに融けてスライムみたいに広がっていく。アイテムが出てくるのは、だいたい胴体部分が融けたあとだ。そわそわと待ち遠しい。
液体が地面や川にしみ出していき、やがてその中心にぽつんと、まさかの二連続で来ましたシリンジの小箱――ではなく、なんか黒っぽい血まみれの内臓みたいなものが落ちている。バスケットボールくらいある。え、レアドロップ? 単に内蔵が残っただけじゃないの?
「……なんすかね、これ……?」
「……ヘル砂肝……ものすごく珍味で、ありえないほど滋養強壮……一口食ったら三日三晩、超絶絶倫になるって噂……」
内蔵って。普通に腹をかっさばいたら出てくんじゃね? なんかルールおかしくね?
つーか、さすがにアビリティ二連続はないか。そんなに甘くないとは思っていたけど、その代わりが砂肝って。別に絶倫になりたい願望もないし。用事もないし。
「……ちなみに……資源課でアホみたいに高く売れるらしい……」
よし、許してやろう。
一応媚びへつらった表情で揉み手をする。直江が顎でしゃくって許可してくれる。「へへえ」と遠慮なく携帯用真空パックに仕舞う。
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