6-2:待ち伏せ
「……悪い、外に出ていいか?」
「え?」
「もう……ここにいたくない」
外に出ると、テルコは近くの水場で嘔吐する。涙目になって何度も身体を揺すり、胃が空になるまで吐き出す。その背中をギンチョが心配そうにさする。
「テルコ、だいじょぶ?」
テルコは小さくうなずく。
「自分が誰なのか、どんな人間だったのか。それはちゃんと思い出した……だけど、肝心なとこがまだ……ぽっかり穴が開いたままなんだ……」
「肝心なところ?」
「記憶を失う前後、なにがあったのか。オレの身体はいつ、こんな風になったのか。それに……あいつのことも……」
「あいつって、日本人の男、だよね?」
「一緒にいたはずなんだ、このダンジョンで、あの部屋で。それなのに……」
テルコは胸元を押さえ、目を閉じる。
「……思い出そうとすると……なんつーか……変な感じになる。頭が痛む。腹がキリキリする。胸が締めつけられて、目の奥が熱くなる」
ギンチョが心配そうに見つめている。テルコはその猫耳ヘッドギアをぽんと叩く。
「……行こう、タイショー。悪いけど……ここから少し離れたい」
まだ謎は残っているみたいだが、少なくとも彼女の身元は判明した。
一度地上に戻り、明智たちに報告しよう。
帰路もテルコが先導する。言葉のとおり、このあたりをねじろにしていただけあるのか、地理を熟知しているようだ。
「テルコは……いわゆるダンジョン内定住者だったのか」
「あそこに住んで、ダンジョンの中をうろうろして、地上には帰らなかった」
「プレイヤータグがあるってことは、脱走した観光客とかじゃないわけでしょ。地上に帰れない理由とかあったの?」
「それは……あのアケチのネーサンに話さなきゃ――」
テルコが足を止める。一瞬遅れて千影はギンチョを背中に近づけ、【ロキ】を発動する。
あたりはごつごつとした岩場になっていて、身を隠せる場所が多い。ほんのかすかな、ひっそりと隠された気配を耳に感じる。一つや二つではなく、もっといる。なにかが――いや、誰かが。
*
「――記憶は戻ったのか、ケイト」
ケイトはその声がしたほうに目を向ける。岩陰から男が出てくる。長身、ヘッドギアの隙間から覗く白髪交じりのブロンド、口元と鼻はマスクで隠されている。
男が手を上げる。岩陰、灌木の陰、岩壁の窪み。同じマスクのやつらがケイトたちをとり囲んでいる。五人か。武器を持っているのがちらっと見える。
チカゲがギンチョを庇うようにぴったり背中に貼りつかせている。ケイトは目配せして、うなずいてみせる。
「俺が誰だかわかるか?」
男の英語は訛りが強い。ケイトたちよりだいぶ前の、旧時代の教育の賜物だ。母国語を使わないのは、一緒にいるチカゲたちに聞かせたくないからか。
「……顔隠してても、そんくらいわかるよ。久しぶりだな、教官」
「そうか。よかったよ、お前が生きててくれて」
顔を合わせるのはいつぶりだろう。思い出す必要もないか。
「オレが生きてるって、どうやって知ったんだ?」
「見当はつくだろ? IMODに記憶喪失の女の身分照会の問い合わせが来て、その情報が少し遅れて我々にも流れてきた。人相も雰囲気もだいぶ変わっていたが、俺はひと目でお前だって確信したよ。いや、そう思いたかっただけかもな。どれほど変わり果てていようと、お前は絶対に生きているってな」
「そんで、オレたちをつけてきたってか」
「地上でお前たちの動向を見張り、ダンジョンに入ったあとから尾行していた。そっちの男がなかなかやりそうだから、気づかれない距離を保つのに苦労したよ。我々の立場は地上では弱者もいいところだからな、ここでどうにかするしかなかったんだ」
「へっ、相変わらずヘッタクソな英語だな。聞きとりずらくてしゃーねえわ」
「お前こそ、しゃべりかたに知性を感じられないな。前はもっと聡明な子だったのに、まるで中身まで別人だ。一緒にいたという日本人の影響か? その男がそれか?」
「……違うよ。こいつらは関係ねえ」
あたりを窺う。ケイトの兄弟、姉妹たち。もちろんそんな絆を感じたことはない。彼らのマスクで隠した顔の下に、無機質な昆虫じみた殺気を感じている。教官の合図一つで、彼らは躊躇なく襲いかかってくるだろう。
「それにしても、ほっとしたよ、ケイト。なにも思い出さなかったなら、別人だろうと念のために始末しなきゃならなかった。これで安心して連れて帰れる」
「殺しに来たんじゃないのか? 仕事ほっぽり出してとんずらした裏切り者を」
「お前のような人材は貴重だからな。国に戻ってきちんと再教育を受けて、反省してくれればいい」
教育。洗脳の間違いだ。
「この一年、ダンジョンの中で生きぬいてきた経験と力を、俺の補佐として、後輩たちに伝えてやってほしい。彼らの生存率も上がるだろう」
「そいつらの命を背負わせて、贖罪意識でも植えつけるつもりか? これまであんたの下で何人死んだよ?」
「大義のためのやむをえない犠牲だ。現実として、我が国を救うために賭けられるチップは、その臣民たち自身しかない。俺も含めてな」
「そういうの、日本のアニメじゃ悪役のテンプレのセリフだぜ」
「いかにもこの国の人間らしい発想じゃないか。産まれただけでその身の安全を保証され、飢えることも撃たれることもないこの国で、命の真の値段などわかるものか。命よりも尊いものがないなんて戯言は、命くらいしか資源のない国の人間には通用しない」
話が通用しないのはわかっている。
別に彼らを否定するつもりはない。勝手にすればいい。ただもう、それに付き合うつもりはない。自分のやりたいよう、生きたいようにこの命を使う。それだけだ。
「こっちの二人はどうするつもりだ?」
「この国の領土内でこの国の人間に手を出せるほど、我々の立場は強くない」
「ダンジョンは日本の領土じゃねえんだろ? つまり、そういうことかよ」
教官はそれ以上答えない。それが答えだ。
「あのう」
ケイトが振り返る。後ろでチカゲが、なんとも頼りなくおそるおそるといった風に、その手を挙げている。
「えっと……よかったら、日本語で話してもらっていいですかね……?」




