5-8:本当のオレ
八月十一日、金曜日。
ショートカット用エレベーターは一層と三層、四層をつないでいる。テルコが倒れていた茂み付近にある看板の案内に従って進むと、入り口を岩に囲まれた洞穴があり、その奥がエレベーターホールになっている。
イベントフロアのほうに人が集中しているので、周りには十人もいない。それなりに装備の整ったプレイヤーだ。
「三層のエリア11は洞窟、四層のエリア16は峡谷地帯のエリアだ。そのどっちかからテルコは来たんだと思うけど……」
テルコはなんらかの事情で記憶を失い、ショートカットエレベーターを使って一層に戻り、あの茂みに倒れた。
あくまで推測だが、現地に行ってみればなにか手がかりがあるかもしれない。
なぜ裸だったのか――それを考えると昨日のアレを思い出しかけるのでいったんストップ。チャージすんな。
「うーん……」テルコは数秒考え、首を振る。「言葉だけじゃわかんねえかな。実際行ってみないことにゃ、なんも始まんない気がする」
「うん、じゃあまずは三層から行ってみよう。ギンチョ、見ず知らずのおにーさんたちにジャンケン挑んでないで戻っておいで」
エリア11のエレベーターホールはだいぶ狭い部屋で、そこを出ると街灯のない夜のように数メートルくらいしか先の見えない暗闇が広がっている。
ここは光源がほとんどない暗闇のエリアだ。他の洞窟エリアのような、照明代わりの光る石や生き物が少ない。なので、インスタントトーチなどの照明道具が必須になる。
棒の先にカートリッジ式のカプセルをセットすると、カプセルが赤白っぽく発光する。触っても大して熱くないし、火傷や窒息の心配もないので重宝する。ヘッドライトを使うプレイヤーも多いが、千影としては頭を狙われるのが怖いので片手を犠牲にするほうを選んでいる。加えてギンチョにも懐中電灯を持たせておく。
そういえば、「暗闇でもよく見えるメガネ」というアイテムがあるらしい。五層以降のレアクリーチャーから獲れる素材が必要で非売品らしい。ほしい、けどなんか犯罪臭がする。
「夜目が利くようになるアビリティとか、手が蛍みたいに光るアビリティとかもあるらしいけど、こういう場所で便利かもね」
「てがひかったらジャンケンつよくなれますか?」
「お前はどこに向かおうとしてるの?」
とりあえずセーフルームに向かうことにする。ほとんどプレイヤーが長居しないこのフロアで、一番というか唯一人が集まる場所だ。
それにしても、ここは人気がない。ひとけもないし、にんきもない。「現役プレイヤーが選ぶ一番嫌いなエリアランキング」でもエリア9と並んで不動のツートップだ。
暗いし広いしカビくさい。クリーチャーは直近のエリアと比較しても弱めだけど、いきなり暗がりから襲われる危険がある。そのわりにあまりおいしくない。ほとんどのプレイヤーが全力で素通りするエリアだ。
「よりによってあそこにショートカット接続するとか」「嫌がらせかよ」「サウロン、エアプすぎて草」「エリア10だったら温泉ツアーで盛り上がったかもな」、そんな批判がツブヤイターでよく見られた。
千影は未だにこのエリアの地図が完全に頭に入っておらず、セーフルームに行くまでに三度も道を引き返し、五度もクリーチャーと遭遇するはめになる。片手でしかも見通しの悪い戦闘は正直怖い。相手が格下だとしても。
「ぎゃわー!」
ギンチョが小さな落とし穴にはまりかけて、危うく殿のテルコが襟を掴んで引き戻す。下にはなんかくさい泥水が溜まっている程度の嫌がらせレベルのトラップだが、予想外の不幸にギンチョは必要以上にへこむ。【ザシキワラシ】の効果が効いていないと見るべきか、それとも【ザシキワラシ】があったから落ちずに済んだと見るべきか。考えるのはあとにして、とりあえずギンチョにおやつのビーフジャーキーを与えて落ち着かせる。
ようやくたどり着いたセーフルームは、このエリアに不似合いな清潔で小ざっぱりとした空間だ。そういえばセーフルームに来ること自体、結構久しぶりかもしれない。
他のエリアと比較して、ここは少し狭い。三十人くらい入ったら窮屈になりそうな休憩所とトイレがあるだけだ。シャワーも温泉もない。別に今は困りはしないけど。
休憩所に人はまばらだ。全部で十五人ほど。千影たちは隅っこのテーブルに座る。ギンチョが三人ぶんのお茶をとりに席を立つ。
「テルコ、ここまででなにか思い出した?」
「……なんつーか、あんまりここは好きじゃねえかもな。胸がざわざわするっていうか、いろいろ複雑な感じがして、自分でもよくわかんねえ……」
ざわざわするという胸をちら見、はやめておく。真面目な話だし。
ふと、こちらを見ている人たちがいる。三十代くらいの男二人組だ。立ち上がり、こちらに近づいてくる。
「……………………(英語)」
男たちがテーブルに手を置き、気さくな感じでテルコに話しかける。
「……………………(英語)」
テルコが顔を上げ、なにか返事をする。
男たちが顔を見合わせる。そして首をかしげる。なにか笑う。
「……………………(英語)」
「……………………(英語)」
「……………………(英語)」
三人が矢継ぎ早に言葉を交わしていく。千影にはなにを話しているのか全然わからない。少なくとも二人組はフレンドリーというか友好的な感じだ。こないだのエレベーター待ちのときのようなトラブルには発展しないだろう。
テルコの知り合いだろうか? 記憶を失う前のテルコを知っている人?
男たちは千影のほうもちらちらと見ている。首を振り、そして少し残念そうに笑う。「グッラック」と手を振って元の席に戻っていく。
「……テルコ、あの人たちは……?」
「うーんと……オレもよくわかんねえんだけど……」
がりがりと頭を掻くテルコ。
「あいつら、一年以上前、このエリアの付近でオレにちょっと似た女に命を助けられたとかなんとか……そんで挨拶に来たみたいだけど……」
「マジで?」
やっぱり知り合い? なにか手がかりが?
「いやいや、雰囲気も見た目もちょっと似てたけど、でもやっぱり別人っぽいって。その女もジャパニーズの男を連れてたらしくて、タイショーといるオレを見てそう思ったみたいなんだけど、タイショーもそのジャパニーズとは全然違うって。もっとイケメンだったって」
「(言わなくてよくね?)」
でも、テルコと似た人がこのあたりで活動していた? 日本人と一緒だった?
テルコ自身、これまでに日本人の知り合いがいるようなそぶりを何度か見せてきた。これは偶然だろうか?
「でも……そうだとしたらさ、いいやつだったのかもね。記憶を失う前のテルコも」
「へ?」
「あの人たちを助けたんでしょ?」
テルコは照れくさそうに苦笑する。
「でも……そうだといいな……」
「え?」
「なんか少しだけ……ここ、懐かしい気がする。よく通ってたような気が……」
頬杖をついて目を細め、周りを眺めるテルコの横顔は、なんだか少し別人に見える。豪快で陽気な彼女とは違う、もっと繊細で儚げな――。
「ちーさん! ちーさん!」
お盆を持ったギンチョがとたとたと駆け戻ってくる。危ないから走っちゃダメよ。
「みてください! おちゃ! これがでんせつの!」
お盆には紙コップが三つ載っている。緑茶と思われる緑色の液体がたぷたぷ揺れているが、そのうちの一つに垂直に立つ葉の茎のようなものがある――うん、茶柱。
「これこそが、こううんのしょうちょうってやつです! えへん!」
腰に手を当ててドヤるギンチョ。これが【ザシキワラシ】の真骨頂だとしたら、どうしよう。
テルコは自分の頬をぱちっと叩き、「うしっ」と気合を入れる。
「タイショー、もう一つのショートカットにも行ってみようぜ。あっちでもなにか思い出せるかもしんねえからな」
うん、と千影はうなずきつつ、少し不安に思う。明智の言っていたことが思い出される。
――彼女の記憶をとり戻すことが、本当に彼女のためになるんだろうか。
さっきの横顔を見て、そんな風に思っている自分がいる。
いったん一層まで戻り、今度は四層行きのエレベーターに乗る。再びドアが開くまでにたっぷり三分くらいかかる。
エリア16は屋外のエリアだ。切り立った崖に囲まれた広大な峡谷の迷路になっている。別名、〝赤羽のグランドキャニオン〟。
「すごいです……うえにのぼったら、もっとすごそうです……」
日本ではまず見られない壮大な景色に、ギンチョもあんぐりと口を開けて見渡すばかりだ。
【スプリガン】というアビリティがある。指を吸盤みたいに平面にくっつけることができる能力で、ビルの壁面とかも米国のクモ超人みたくすいすい登れるようになるらしい。
それを使って崖の上まで登ろうとしたプレイヤーがいて、飛び回っている翼竜や怪鳥に危うく食われかけたという話をダンジョンニュースで読んだことがある。以来、崖上のどこかになにか隠し要素があるのではと、まことしやかにささやかれている。超レアなお宝とか、スーパーモリオの裏面に行く隠しルートみたいなものとか。
「ここってさ、隠し洞窟とかあるし結構稼ぎどころではあるけど、ちょっと怖いんだよね」
まれに出没するレアクリーチャーがいる。
怪鳥ヘルファイア。体高十メートル近い巨躯、二対の翼と四本の足を持つ巨大な鳥で、戦いの際には呑み込んだ大量の石を体内で着火して吐き出すという。その姿はさながら戦闘ヘリのようだと言われている。
このあたりでは別格の想定レベル5以上。千影はまだ遭遇したことはないが、絶対会いたくない。
「あんまり長居はしたくないけど、このフロアかなり広いし、どこからさがそうか」
このエリア、セーフルームあったっけ? なかった気がする。スマホで地図を確認する。
「……たぶん、こっちだ……」
ぼそりとつぶやいたテルコが、千影が尋ねるより先に歩きだす。二人もあとを追いかける。
足元には細い川が流れていて、奇抜な色をしたカエルっぽいのとか小魚っぽいのが見かけられる。まばらに灌木があり、小さな果物が生っていて、ギンチョが食べたそうにするのを「ああいうのは全部毒らしいよ」と言って脅かしておく。全部がというのは嘘だけど、そう言っておけば事故は起こらないだろう。
「来ただけでなにか思い出せたなら、もっと早く来ればよかったかもね」
「……どうかな。タイショーたちとの時間がなかったら、なんにも気づかずに素通りしてたかもな……」
このあたりはまさに迷路だ。岩盤に入った細かいひびのような迷路。道幅は一車線くらいになったり二車線くらいになったり、あるいは向こう側にもっと広い道が見えたりする。途中、空を飛ぶ鳥型クリーチャーの姿を見かけるが、灌木や岩陰に隠れてやりすごす。
ダンジョン四層、ここから下が主に〝中層〟と呼ばれている。プレイヤー歴数年の中堅たちの主戦場の入り口だ。出没するクリーチャーは主にレベル3相当。戦わずに済むならそれに越したことはない。
「あとはヘルファイアに会わなきゃいいんだけど……」
「このへんは……出ねえんじゃねえかな……なんとなくそう思う……」
自信なさげなテルコだが、記憶が戻りつつあるのは千影の目にも明らかだ。
マーカーをつけてこなかったから、どこをどう曲がったか全然わからない。十分くらい歩いたところで、ふとテルコが足を止める。
「……ここだ」
特になにもない。ただの隘路だ、その奥は岩壁に阻まれて行き止まりになっている。岩壁からじゃばじゃばと水がこぼれ、細い水の流れをつくっている。
「……あそこだ」
テルコが指し示した場所だけ、岩壁が少し奥にへこんだ形になっている。テルコはそこに近づいていき、そして、ぺらっと岩壁をめくる。「ふぁっ?」とギンチョが驚きの声をあげる。
「ステルスキルト、だっけ……?」とテルコ。「周りの風景にギタイ? する布。結構高かったんだけど……どうやって買ったんだっけ……?」
カーテンの奥には天然の洞穴がある。ギンチョがちょうど入れるくらいのサイズで、千影とテルコは腰を屈めてそこに入っていく。
通路も狭い、頭をこすってちょい痛い思いをする。間もなく開けた場所に出て、ようやく頭を上げられる。
千影のアパートの二部屋ぶんと同じくらいの広さだろうか。天井はそう高くなく、地面もごつごつしている。
木組みに薄いマットを敷いただけのベッドがある。
ペットボトルが数本転がっていて、ビニール袋も落ちている。
水を溜めるバケツがある。真っ黒に汚れた衣服が隅で丸くなっている。
簡素で牢獄のような部屋だが、妙に生活感がある。
テルコが部屋の真ん中あたりで立ち止まり、ぺたんと座り込み、胸を押さえてうずくまる。
「テルコ!」
「テルコおねーさん!」
必死に空気を求めるように、何度も荒く息をつく。横顔には涙がにじんでいる。
千影が身体を支え、ギンチョが背中をさする。彼女の頬を涙が伝い、乾いた地面に落ちる。
「……ここだ、オレはここで……暮らしてた……」
「え?」
テルコはふらっと立ち上がり、ベッドの下をごそごそと漁る。
とり出したのはプレイヤータグだ。千影やギンチョのものとは色も形も違う。
IMODで発行される外国人向けのものだ。そこに名前が記されている。
「……ケイト・ルコ・カエーニャ。チェーゴ共和国出身……それが本当のオレだ」
これで3章5話、終了です。お付き合いいただきありがとうございます。
ここまでの感想、評価などをいただけると幸いです。
次回から3章の大詰め、6話に入っていきます。
引き続きよろしくお願いします。




