5-2:ケイトの記憶④
同胞との同行を命じられた翌日。エリア5の迷宮まで着いたところで、彼女は仲間の前から姿を消した。
全速力で下へ下へと潜っていき、エリア11に向かった。ノブと初めて出会ったエリア、そこにあるセーフルームは二人での探索の拠点としていた(人目を気にして同じテーブル座ることはなかったが)。レベル2一人ではそれなりに危険な道のりだったが、幸運にもほとんど無傷でたどり着くことができた。
ここまで来れば、レベルの低い同胞たちはすぐには追いかけてこれない。そこの隅に座り込み、ノブが来るのを待った。彼が顔を出したのはその翌日のことだった。
「私たちがなんて呼ばれてるか、知ってる?」
さらに先のエリアへと進む道中で、彼女はノブに尋ねてみた。
「他のプレイヤーから聞いたことがある。〝ワーカー〟、働きアリだっけ?」
「やっぱり知ってたんだ」
「噂程度だけどね。んで、お前はそこから逃げてきたってことか。だいじょぶなん?」
「だいじょぶじゃない。もう二度と地上には戻れない」
「マジで?」
「マジで」
「……一層の駐屯地とかも?」
「うちのボス、IMODとつながってる可能性もあるから。買い物とかしたらバレるかも」
「じゃあ……これから……」
「……完全に、ダンジョンで生きるしかない」
ノブが足を止めた。しかたなく彼女もそれに倣った。
「どうして逃げたんだ?」
「あなたと一緒にいたのがバレた。うち、他のプレイヤーとの接触厳禁だから」
「うへ、アイドルグループみてえ」
「〝ワーカー〟には秘密があるの。それが漏れればうちは終わりだから」
「なにそれ?」
「あなたにも言えない。巻き込みたくないから」
「つか、半分は俺のせいだし。こうしてじゅうぶん巻き込まれてるし」
彼女は首を振った。悪いのはすべて自分自身で、彼に落ち度はなにもなかった。
「面倒なことになる。ダンジョン内でならなんだってやる、あいつらは」
「うーん……IMODに告発するとか?」
「IMODの幹部にも協力者がいるらしいから。握りつぶされる可能性が高いし、私も逮捕されるか切り捨てられるか」
「じゃあ、やっぱり戻るしかねえんじゃね? 適当に謝って、俺と会ってたことも適当にごまかして、二度と会わないようにするとか……」
彼女はその場に腰を下ろした。ここで全部打ち明けておこうと思った。ここで最後にするために。
「あの場所にはいられないと思った。いたくないと思った。あそこが自分の居場所だなんて、思ったことは一度もなかった」
壁に寄りかかって膝を抱えた。思えばこれまで生きてきてずっと、この姿勢でいることが多かった。孤児院でも、あの訓練施設でも、赤羽のボロアパートでも。
「生まれてからずっと、自分の居場所なんてどこにもなかった。全部自分以外の誰かに決められて生きてきた。だけど、初めてダンジョンの映像を見せられたとき、そこに行きたいと思った。ここじゃないどこかに行けるならなんでもいいってずっと思ってた私が、初めて自分の行きたい場所を知って、やりたいことを見つけた。ここが私の望んだ世界だった」
石壁のひんやりした感触が背中に伝わっていた。それは夢の中でも本の中でもない、現実にこの身体で感じることのできるものだった。
「ダンジョンでの日々はほんとに楽しかった。見るもの、聞くもの、感じるもの、全部が私に生きてるってことを教えてくれた。【ベリアル】を得てレベル1になったときもすごく嬉しかった。ここでずっとプレイヤーとして生きていきたいって思った。だけど――母国はそれを許さない。私たちは働きアリ。巣に戻って餌を運ぶだけの兵隊。こんなにも自由な場所で、私たちだけがどこまでも自由じゃない。それが私にはなによりも苦痛だった」
二の腕をぎゅっと握りしめて、腕の中に顔をうずめた。
「そのうち冒険はどんどん楽しくなくなって、どんどん心もかたまっていって、ここで死ねるならそれでもいいかって思ってたときに――ノブと出会った。ノブが助けてくれた。恥ずかしいから一度しか言わないけど……それからの日々は、私の人生の中で、一番楽しくて一番幸せな日々だった」
隣の彼の顔を見るのが怖かった。というか彼に顔を見られたくないと思った。
「だけど、最後に残ったそれも、あいつらは私から奪おうとした。だから逃げたの。あなたのせいじゃない、あなたのためじゃない。私が自分の意思で選んだの。これからは一人で生きていく。このダンジョンで生きて、死ぬ。だから、これでお別れ。今までありがとね、ノブ」
しばらくの沈黙のあと、ノブが立ち上がり、よっしゃ、と声をあげた。
「じゃあ、家でも建てようぜ?」
「いえ?」
「マイホームだよ。ダンジョンにマイホーム建てんの。すごくね? 史上初じゃね?」
「いや、普通に無理だし。つーかなに言ってるの?」
「別に無理じゃないっしょ。確かダンジョンって誰の土地でもないはずだから、超合法だし」
「えっと、そのために大工でも連れてくるの? それともあなたが建ててくれるの?」
「いやいや、DIYとかやったことねえし、どうすっか……まあ方法はおいおい考えるとして、とりあえずはどっか部屋でも見つけて、そこでしばらく金でも貯めようぜ」
「部屋って、アパートとかマンションとか、ダンジョンにあると思ってんの?」
「そこら中にあるじゃん、人の住めそうなとこ。まずはそういうとこを拠点にして生活しよう。服とか食いものは俺が買ってくればいいし、あとは退屈しないようにタブレットとか持ってこようか。一緒にアニメ見ようぜ。ダンジョンで見る異世界アニメとか、ある意味すげえ贅沢」
彼女は顔を上げた。ノブはいつものように無邪気に笑っていた。
「話、聞いてた? 私と一緒にいると危ないんだけど」
「バレなきゃいんじゃね? ってことは、ちょっと危険だけど下の層に行って、人気のないとこをさがすのがいいか。隠れ家だな。いや、秘密基地だ。やべえ、上がるわ」
「だから――」
「まあ、俺は家族いるから、地上とダンジョンの往復になるけど……それでも、これからも、ずっと、お前と一緒にいるよ」
「なんで?」
ノブは顔を背け、がりがりと頭を掻いた。それから彼女に正面から向き合った。
「お前のことが――――」
彼女はぽかんとして、なんの反応も見せられなかった。その言葉の意味が脳みそにしみていかなかった。
「……ちくしょう、生まれて初めてだったのに。ぴんときてないようなら、俺は何度でも言ってやるからさ。ちょっとつーかだいぶ恥ずかしいけど」
ノブはイタズラっぽく笑った。耳まで真っ赤にしながら。




