5-1:ケイトの記憶③
すみません、最後のほうの「ケイトの訓練期間」を間違えました。
正しくは、三年後→一年後でした。修正しました。
状況が変わったのは八月の半ば頃だった。
その日の夜、ケイトが一週間ぶりにアジトのアパートに帰ると、教官に腕を引かれて外に連れ出された。近くの狭い公園のベンチに座り、街灯に集まる虫を見つめながら、空気のぬるさを不快に思った。
「お前が同胞以外のプレイヤーとダンジョンで行動をともにしていると報告があった」
この薄暗い中でなければ、一瞬で顔色を失ったのがすぐにバレてしまっただろう。
「日本人の男と一緒にいるのを見たと、同胞の一人が言っている。弁明はあるか?」
「たまたま――」顔を上げず、声が震えないように慎重に答えた。「……ダンジョンで何度か顔を合わせただけの人です。知人と言えるほどの関係ですらありません」
「親しげに会話をしていたと聞いたが?」
「それはその者の主観です。多少言葉は交わしましたが、それだけです。証拠でもあるのでしょうか?」
「いや、ない。俺としても事実だとは思いたくない。一年以上に渡って祖国のために尽くし、特にここ数カ月はたった一人で他のチームよりも結果を出してきたお前だ。その忠誠心を疑うようなことはしたくない」
優秀な働きアリを失いたくないと言っているだけだ。
「ともあれ、しばらくはチームに入ってもらう。いい機会だ、他の同胞たちの手本となり、お前の技術を伝えてやってほしい」
つまり監視役だ。
「ケイト、お前には期待している。同胞がその命を落としていく中で、お前は誰よりもたくましく成長し、我が国と国民のために尽くしてきた。その才能は、いずれ俺の立場を継ぐためにあると思っている。その日までどうか生きぬいてほしい」
ありがとうございます、と返事した声は乾いていた。
物心ついたときには孤児院にいた。両親の顔も名前も憶えていなかったし、知る人も一人もいなかった。ケイトという名前はそこの院長がつけた。先日病気で亡くなった施設の子の名前を流用したとのちに教えられた。
施設での暮らしは貧しさと苦しさに耐える日々だった。ろくな食事も出ない。大した教育も受けられない。子どもたちは毎日のようにケンカして、大人たちは毎日のように子どもを殴った。毎週訪れる神父はなにもしてくれない無能な神について語るだけだった。
彼女はできるだけ誰とも関わらず、一人でいることを選び、寄贈されたカビくさい絵本や児童書を読んで日々をすごした。それが一番傷つかない、心が安らいだままいられるたった一つの手段だった。
ある日、役人と医者がやってきて、施設の子どもたちの血液を採取していった。それから数日後、今度は軍服を着た軍人が現れて、彼女を含む数人をトラックに乗せて連れ出した。荷台には他の子も乗っていた。ほとんど説明はなかったが、逆らう子はいなかった。
着いた先はたくさんの部屋が並ぶ二階建ての建物だった(元は学校の校舎だったらしい)。そこの一室に集められ、大人たちからようやく説明を受けた。
ニッポンという極東の島国に現れた、アカバネファイナルダンジョン。宇宙からやってきたその広大な施設は、クリーチャーと呼ばれる怪物が跋扈し、罠や気候などが行く手を阻む世界一危険なアトラクションとなっている。そこには未知の資源や人間を超人に変える薬など、地球上のあらゆるすべての価値に匹敵する富が眠っている。
その存在くらいは彼女も聞いたことがあった。新聞もろくに届かない施設では、ほとんど噂話とかおとぎ話程度の情報しか回ってこなかったけれど。
白い壁に、そのダンジョンの風景と思われる写真が投影された。彼女はそれを食い入るように見つめていた。
「諸君らは、我らの神により、その過酷な環境で生きぬくための才能を与えられたのだ」
一番偉そうな大人がそう言った。ダンジョン因子という、超人化の薬を受け入れる資質だそうだ。それさえあれば、ダンジョンで資源を回収する奉仕活動に従事することができる。
「建国以来、次々に訪れる試練に苦しむ我が国において、ダンジョン資源の獲得は救国のための最後にして最善の手となる。そのために、諸君らの力が必要だ。これから諸君らには、我が国民として海外で生活する上で恥じることのない教育と、ダンジョンで生きぬくための特殊訓練を受けてもらう。国のため、国民のため、その身を尽くせることを至上の栄誉とし、一日も早くダンジョンへ赴いてくれることを願う」
彼女たちにそれを拒否する権利はなかった。そうして新しい生活が始まった。
施設の住環境は孤児院よりだいぶマシだったが、勉強と訓練は過酷なものだった。頭の中で何度も教官たちを殺すことを妄想した彼女が、それでも文句一つ言わず最後まで耐えきったのは、プロジェクタで見せられたダンジョンの風景に心を惹かれたからだった。
孤児院で読んだカビくさい本、冒険物語。こんな生きる価値もない世界など今すぐ捨てて、本の中の世界に旅立ちたい。木の板に布を敷いただけのベッドで眠るとき、目が覚めたら自分はそんな世界にいることを願った。それが現実に現れたのだ。
行ってみたい。そこでならきっと、初めて生きていることを実感できる。きっとわくわくするような冒険が待っている。自分として自由に生きていける――。
一年後、彼女は同期たちよりも一足先に訓練を終えて、日本へと旅立った。IMODの免許取得試験をパスし、晴れてプレイヤーとなった。
初めて一層に足を踏み入れ、地中に広がる美しい空と青々とした平原を見渡したとき。
涙を流したのはいつぶりだろう、と彼女は思った。




