4-5:黒コウモリ
その後も何度か行き止まりの部屋にぶつかり、宝箱から【フェニックス】を一本ゲット。切らしていたので非常に嬉しい。特にトラップもクリーチャーの襲撃もなくてほっとするが、「じゃあさっきの微妙な石はなんだったんだ」とむしろ疑念が脳裏をよぎる。
他には特に収穫や発見はないものの、別の部屋でいくつか空の宝箱を見つける。最初からダミーだったのか、それとも――。
「……他の誰かがここに来たのかも……」
フロア解禁から二日目だし、まだ情報が出回っていないだけで、すでに誰かが足を踏み入れた場所なのかもしれない。そう思うと若干テンションが下がるが、まあ世の中そんなもんだよな、前人未到の名誉がほしかったわけでもないし、と気をとり直す。もらえるならもらいたかったけど。
ともあれ、すでに発見済みのステージなら、その人たちは無事に帰れたのだろうか。千影たちが洞窟に入ってからすでに二時間以上経過している。いい加減、外の空気を吸いたい。ていうかおうちに帰ってお風呂入りたい。
「……出口、どこにあんだろうなあ……?」
つぶやいたテルコも、その後ろをとぼとぼ歩くギンチョも、やっぱりちょっとお疲れ気味だ。こうなったら最初の場所に戻って【イグニス】での天井破壊に賭けてみようか――そんな風に思いはじめた頃、千影はふと足を止める。
「……空気が流れてる……」
左側の分岐路からだ。とりあえずそっちに進んでみる。
「お、明かり……」
十分ほどうろうろと迷った末に、道の先に明るい光を見つける。もしかしたら外に通じているかも、と三人の足が自然と速まる。
がらんと広くて天井の高い、円形の広間に出る。外の光かと思いきや、あの光る石や夜光虫の群れが天井や壁に密集しているようだ。
ぴちゃ、と足元で水がはねる。よく見ると黒ずんでいて、ちょっとねばっこい。懐中電灯で照らしてみる、までもない。転がっているものが目に入ったからだ。
気づいたギンチョが「ひっ」と声を詰まらせる。
散らばっているのは、武器や道具、服。人間の手、足。肋骨の開いた胴体。半分だけになった頭。先にこの部屋を訪れたプレイヤーだ。
「やばい、戻r――」
突如、背後でガゴンッ! と重い音が響く。部屋の入り口が石壁の扉のようなものでふさがれている。
「くそっ、マジか!」
やられた、またトラップだ。侵入者を逃さないための〝一方通行の扉〟。
「ちくしょう!」
洞窟エリアで広すぎる部屋に出るときは、当然トラップを警戒するのが定石なのに。外に出たいと気が逸りすぎた。学習能力ないクソリーダーでみんなごめん。
慌てて入り口に駆け戻り、無駄だとわかりつつ扉を押す。びくともしない。【アザゼル】の拳で思いきり殴りつけても表面がちょっぴり崩れただけだ。フルチャージの【イグニス】でもぶっ壊せるかどうか。
解除スイッチは普通なら部屋のどこかに隠れているか、もしくは、あるいは、考えたくないけど――。
「……あれ、なんだ?」
テルコが部屋の中央を指さす。白い光の中に黒い楕円の球体が一つ、オブジェのようにぽつんと置かれている。それがゆっくりと開いていく。ぴきっと縦に割れ、広がり、立ち上がる。
二本足で立つ姿勢は人型に近いが、その風貌はコウモリに近い。全身真っ黒、太く巨大な三本の鉤爪を持つ腕と、その脇腹の間に膜のような薄い羽がある。外殻に覆われた頭には目も鼻もなく、大きく裂けた口にはびっしりと牙が生えそろっている。足は大型獣のように太く、その先にも三本の鉤爪。ゆらゆらと揺れる細く尖った尻尾。
あれに似ている。古い映画に出てくる宇宙生物。
「……はは、こりゃ……おっかねえな……」
テルコの横顔が笑みの形に引きつっている。槍を前に構えるが、その切っ先が震えている。
千影もその身体の芯を震わせるものを感じている。恐怖。はは、やばいよやばいよ。ほんとにやばい。こいつは間違いなく――自分たちより強い。
〝一方通行の扉〟の先にいるボスキャラ。つまり、あいつ自身が解除スイッチだ。
つまり、あいつを倒さない限り、あの扉は開かない。
どうする? 他の出入り口をさがすか? どこかに逃げ道がある可能性はゼロではない。だけど、あいつがそれをさがすのを黙って見ていてくれるだろうか。頼んだら一緒にさがしてくれないだろうか。
「タイショー……やるしかねえ感じ……?」
「……っぽいね」
ふるる、ふるる、と吐き出す息が白くなっている。呼吸に合わせ、三メートル以上の巨体が揺れている。黒ワニとかとくらべれば小型なのかもしれないが――目のない顔で千影たちを見据えるその隙のなさも、隠そうともしない殺気も、これまで見てきた他の頂点捕食者とは比較にならない。
――おそらく、この隠しステージへの入り口は他にもあったのだろう。そしてどこから入っても、分岐路はすべてここへつながっている。千影たちより先に来た人たちは、出口を求めてこの広間に迷い込み、今、足元に転がっている。
自分たちもかなりの確率でこうなる。千影は本気でそう思っている。
ぶっちゃけ生きて帰れる自信がない。おっかない。足が震える。
ふるる、と黒コウモリが一歩踏みだす。無意識か、テルコが一歩あとずさる。千影は背中ににじむ滝のような汗を感じつつ刀を抜く。
「ギンチョ、扉のところまで下がって。絶対に前に出でてくるな、なにがあっても」
振り返る余裕はない。もうすぐ来る。
「ギャギャギャギャッ! ギャァアアアアアアアッ!」
黒コウモリが口の端まで広げてさけぶ。部屋中が震えるほど爆発的で、耳をつんざくほど甲高い声。
ずち、ずち、と足裏を鳴らして近づいてくる。やつまでの距離はあと十メートル。
あいつが姿を現したときから、千影は左手にチャージを始めていた。すでに二十秒を超えている、いつでも撃てる。
この距離なら――と思った瞬間、ほとんどモーションなく黒コウモリが跳躍している。遥か頭上、千影とテルコに食らいつこうという軌道。
アホか、空中ならかわせない。そう思って左手を突き出す。
【イグニス】――ゴウッ! と火の矢が一直線に放たれた瞬間、アホは自分だと思い直す。
「ギギャアッ!」
黒コウモリが奇声とともに膜の羽をぶわっと広げ、羽ばたく。寸前で火の矢をかわす。そうだよね、やっぱり飛べるよね。そのまま夜光虫の群れをかきわけて壁に到達し、蹴って直線的に再度突っ込んでくる。
「テルコ!」
千影が彼女を突き飛ばし、自分も横に転がってかわす。足元で岩が砕ける。破片が巻き上がる中、それらが落ちるより先に、やつが地面を蹴っている。マジか、次の動作速すぎ――
ギィンッ! 鉤爪が千影の刀とぶつかり合う。身体ごとぶつけるような一撃にあっけなく後ろへ吹っ飛ばされる。
「アアッ!」
追撃させないようにテルコが横から襲いかかる。槍の軌道はすばやく正確だが、黒コウモリは頭を振るだけでそれをかわし、胴への突きは鉤爪ではじく。空いたほうの鉤爪がテルコの顔面めがけて振り下ろされる――
完全に後ろをとった。完璧なタイミングだった。千影の兜割りが横合いからその側頭部に吸い込まれる――寸前、脇腹にハンマーで殴られたような衝撃を受けて、千影の身体は地面に叩きつけられる。
やばい、呼吸できない。痛い、苦しい、死ぬ。
尻尾の横薙ぎをくらった。どうして? こっちの姿は見えてなかったはずなのに。
「シッ、シッ!」
短いかけ声とともにテルコは槍の穂と石突を巧みに駆使して細かく打ちつける。大振りでは当たらないと踏んでのスピーディーなラッシュだが、鉤爪をくぐり抜けても黒い外殻にはじかれるだけだ。
唇から漏れた血を拭う間もなく、千影も横から切りつけていく。テルコが一歩下がり、千影のサポートに回る。千影が刀を振り回す、その隙間を縫って槍が伸びる。
ガキッ! と槍の穂先が胸を突く。完璧なタイミング、完璧な一撃。けれど外殻がびきっと軋んだだけで肉には届かない。黒コウモリはその勢いのままバックステップする。ふるる、ふるる、と白い息を吐き出す。
こっちも二人とも息が上がっている。全力で飛ばしているのに、攻撃はまだ相手の芯にかすりもしていない。
強い、笑いたくなるくらい強い。おそらくレベル5、いや6相当。
ちくしょう。せめて【ムゲン】があれば。
いやいや、そんなこと考えてもしかたない。なんにもいいことない。こいつを倒す方法だけを考えろ、先にここへ来た人たちのように食い散らかされたくなかったら。
あ、と声をあげそうになる。考えたらすぐにわかった。
さっきの不意打ちを防がれた理由。そうか、音か。
当たり前だ、こいつには目らしきものがない。なのにテルコの猛撃も千影の不意打ちも、こいつは完全に見切っていた。コウモリって確か耳がよくて目が退化してるんだっけ、音の反響とかで地形や獲物を把握するんだっけ。
「チカゲ、あそこ、さっき突いたところ」
彼女が槍で突いた左胸の下あたりに、うっすらと線が走っているように見える。外殻に入ったひびのようだ。
千影はそこから目を離さずにうなずく。あれは楔だ。ここからはこつこつと、ちくちくと。今こそ早川千影の真骨頂を見せるときだ。
「ギンチョ! 僕が合図したら、十秒後に奥の手!」
一瞬だけ振り返る。ギンチョは指示どおり扉のところで待機している。千影の指示が聞こえたようで、首を何度も縦に振っている。
「テルコ、ギンチョがなにか投げたら、目を閉じて耳をふさいで」
「ラジャー!」
「ギャギャギャギャッ!」
黒コウモリがおたけびをあげる。鼓膜が破れそうなほどの声量に顔をしかめた瞬間、やつがまっすぐ突進してくる。
大振りの左手を刀で受け止める。噛みしめた顎がばりっと音をたて、背中が軋む。すかさずもう一撃が千影を襲う、それをテルコが横から突いて阻止。
攻撃をかわし、攻撃を当てる。二人で重ねる。打ち込まれた楔へと。小さく着実に、丁寧に命がけで。
黒コウモリの攻撃はフック気味の振り回しが主体だ。大振りだが鋭く強い。一撃でもまともにくらえば骨まで断たれる。ずっと集中しっぱなしで神経が沸騰しそうだ。
限界なのはテルコも同じ、むしろレベルが低い彼女のほうがきついだろう。鉤爪の先が容赦なくテルコの肌を切り刻む。血が飛び、その顔が苦痛に歪む。
テルコが怯んだ一瞬の隙、黒コウモリの意識が彼女に傾く。そこを千影がつく。
「らあっ!」
渾身の胴薙ぎを楔に叩き込む。ビキィッ! と明確なひびとなり、刃がそこにめりこむ。
「ギンチョ、敵が浮いたら投げろ!」
一撃が効いたのか、黒コウモリの勢いがしぼむ。ここしかない、食いさがれ。奥の手につなげるための最後の攻防。
千影が前で刀を振るい、その横からテルコが槍を打ちつける。ギギ、ギギ、と黒コウモリがあとずさりしながらうめく。削れた外殻がきらきらと散る。
刀でフェイントを入れてバックステップ。そして思いきり振りかぶり、刀を投げつける。
あえて敵の腰から下、足元めがけて放ったそれを、黒コウモリが飛び上がって回避する。
ばさっばさっと腕を羽ばたかせて宙に浮く、その巨体に向けて小さな缶が放物線を描いて飛んでいく。
千影もテルコも、目を閉じて耳をふさぐ。来r――
「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――」
缶が一瞬の閃光とともにはじけ、もはや音とは呼べない衝撃が広間全体を駆け抜ける。
 




