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赤羽ダンジョンをめぐるコミュショーと幼女の冒険  作者: 佐々木ラスト
1章:怪獣娘にかける言葉は決まっている
11/222

2-4:お出かけはお手々つないで


9/2:一部、ギンチョと【ベリアル】に関する設定やセリフなどを修正しました。


 外はしとしとと細かい雨が降っていて、外に出る気が湧かない。

 とはいえ、家の中もそれはそれで息が詰まる。他の誰も踏み入ることなく、自分だけを優しく守り続けてくれた聖域。ここに自分以外の存在があることが、これほどそわそわと落ち着かないことだったとは。


 千影は居間の隅でスマホをいじり、ギンチョも寝室には戻らず居間でタブレットを見続けている。子どもながらこの重苦しい空気を察しているのか、正座を崩さず、ときおり気づかれないようにこっそり千影をちら見している。バレバレだが。


「えっと……ごめん、ちょっと寝室に入るよ」


 自分の寝室に戻るのに、なぜこの少女の許可を得なければならないのか。答え、もはや自分のものではないから。

 見慣れたはずの聖域が、がらりとその姿を変えている。ベッドに大きな虎のぬいぐるみがあり、小ぶりの衣装ダンスが追加され、ハンガーラックには可愛らしいカラフルなお洋服がかかっている。寝室には元々あまりものは置いていなかったが、ギンチョに不要と判断されたものは不憫にも押入れに放り込まれている。


 ダイニングキッチンに出ると、キッチンシンクは顔が映り込みそうなほどに磨かれ、出しっぱなしだった皿やスプーンなどもぴかぴかになってラックに収納されている。そして子ども用の食器やコップが追加されている。


 洗面台の黒カビは一ミリ残らず滅却されているし、毛先の広がった歯ブラシは捨てられて(個人的にはまだ現役だったのに)新しい青とピンクのセットがスタンドに刺さっている。風呂を覗けば壁一面にこびりついていたピンクぬめりも跡形もなくなっている。


 これらのハウスクリーニングや日用品の追加は、千影がファミレスにいた間に、捜査課の別働隊が勝手に不法侵入し、勝手に掃除と模様替えを施した結果だった。すべては税金でまかなわれたのか。そう思うと初めて節税意識が芽生える十八歳の梅雨。


 クエストという名の子守りを千影が引き受けたあとに行なった、ここまで送ってくれた明智がそう言っていたが、時間を考えるとそれより前からビフォアアフターは始まっていたのは明白だ。


「どうして……こんなことに……」


 自分の姿が映った鏡を見る。どれだけこすってもとれなかった鏡の汚れも、綺麗さっぱりとり除かれている。


 ギンチョの身の上話を聞かされたときは、それは確かに気の毒だと思った。社会悪による理不尽に多少怒りを覚えもした。力になれることがあるなら、と人並みに思ったりもした。

 ただ、それとこれとは話は別というやつで、彼女を引きとって一緒に生活をして、あまつさえ一緒にダンジョンに入ろうなどと……そんなのは無理な話だ。

 それでも――明智にはちょっとした弱味を握られていたし、情にも訴えかけられたし、報酬も結構おいしいしで、結局押しきられてしまった。


 なんで僕だったんだ。千影はそう思う。

 レベルや適性を考えると、君にしか頼めない。明智はそう言っていた。


 そんな風に言われても。まともに人と話せない、もちろん子どもとの接しかたもわからない。一人でダンジョンに潜ってせこせこやるくらいしかとりえがない。鏡に映っている自分の顔の凡庸さよ。プレイヤーになってから日に日に上昇していく額の生え際よ、日に日に増えていく気がする抜け毛の数よ。

 そんな僕が、あの子になにができるというのか。


「どうすりゃいいんだろう……この頭皮……」


 なんか関係ないことにまで打ちひしがれていると、ぶるるる、とポケットの中でスマホが震える。案の定、明智だ。


『おはよう、お疲れさん。元気?』

「ちょっと今、人生に絶望しかけてます」

『君じゃなくてギンチョなんだけど』


 そうなんだろうけど、今は優しい言葉がほしい。


「元気だと思います。朝メシもちゃんと食べたし」

『カップラーメンをね』

「盗聴器? それとも監視カメラ?」

『そんな必要ないし。昨日の掃除の時点でそのあばら屋の備蓄食料は把握済みだから』


 横暴だ。国家権力による監視社会だ。


『元気ならいいんだよ。で、午後の予定は?』

「家でのんびりって思ってたけど……」

『自分以外の人間がいて落ち着かない、と。あんまり悩みすぎるとハゲるぞ、ハヤカワチハゲ』

「千影です。そこまでわかってんなら、なんで僕だったんですか?」


 明智は一呼吸ぶん間を置く。


『言ったはずでしょ。君にしか頼めないことだった。あたしらはそう判断した』

「めちゃくちゃですよ。全然説明になってない」

『まあ、そのへんはおいおいね。昨日も言ったけど、あたしは君を買ってるんだ。信用してるって言ってもいい』

「はあ」

『ともあれ、暇なら一つ行ってみてほしいところがあるんだけど。住所はあとでLIMEするから、午後にでもギンチョと二人で行っといで』

「マネージャー雇った憶えないんですけど」

『あの子、ダンジョンに行きたいって言ったでしょ』


 千影はスマホから顔を離し、息をつく。


「……無理じゃないですか。いくら【ベリアル】打ってあるからって、あんな小さい子にダンジョンなんて……」

『一層や二層ならレベル4()がいればだいじょぶっしょ。他のプレイヤーもいるし。さすがに三層以降には行かせたくないけど、そのへん回ってせこせこ稼げばいいじゃん』

「あんな子に武器を与えて、クリーチャーと戦わせるんですか?」

『そこまでは言ってない。どうするかは君らで決めればいいけど、たとえば君はソロでしょ? ポーターが一人いるだけで仕事はだいぶ楽になると思うけど』


 ポーターとはプレイヤーのチームにおけるロール(役割)の一つ、言ってしまえば荷物係だ。

 基本的にチーム内で一番レベルの低い者がそれを担うケースが多いが、優秀なポーターは後方支援としてチームの要にもなりうる。重い荷物を背負って広いダンジョンを歩くだけでも体力を使うし、決して楽な役割ではない。


 あの子にそこまで要求するつもりはない。それでも、荷物の心配をせずにクリーチャーの対処などに専念できる恩恵は大きい。うん、もしもの話だけど。


「あんな小さい子に荷物運ばせるんですか?」

『【ベリアル】持ってんだから、体力的には問題ないでしょ』


 そうじゃなくて。絵面的にどうなんだろう。なんとかハラスメントとか言われそう。


『あの子、ああ見えてほんとに頭いいし、物覚えもすごいよ。成長したら優秀なサポート役になってくれるかもよ』

「つーか……明智さんは、あの子をダンジョンに行くの、賛成なんですか?」


 また少し間がある。今度は長めだ。


『……あの子がそれを望んだ。あたしらはそれがあの子にとって必要だと思った。あの子には……これからの人生を生きていく力が必要だと思ったから』

「どういうことですか?」

『昨日も少し話したでしょ。あの子には今、居場所がない。プレイヤーである君が一番わかっていると思うけど』


 ――ダンジョン法。

 実際はもっと長たらしい名前だけど憶えていない。免許取得前の講習でざっくり習った程度だ。ダンジョンとそれを取り巻く行政、民間人、プレイヤーなどにかかる法律。今もなおひっきりなしに改定されたり追記されたりしている。

 そこにはプレイヤー登録の有無に関わらず、ダンジョン由来のウイルスを投与された者の扱いについても定められている。


 どのような成り行きであれ、彼女はもはや一般人ではない。その生きかたは国により、法により、著しく制限される。通常の教育機関での就学――少なくとも普通の小学校に通うことも難しい。


「でも……あの子は被害者だし……別にその道しかないわけじゃ……」

『それを決めるのはあの子だから。たとえまだ子どもでも、この現実があの子に一切の非のない理不尽による境遇だとしても……。あたしたちはできる限りの手助けをする。それでも結局、生きる道は自分で選ばなきゃいけない。君がそうしてプレイヤーという道を選んだのと同じようにね』


 千影はがしがしと頭を掻く。なんかどんどん断りづらい方向に誘導されている感。


『まあ、そのへんはもうちょい二人で話し合ったらいいわ。これから一カ月、一つ屋根の下なんだから。ほれ、レッツ・コミュニケーション』


 それが一番難題すぎるわけで。


『ああ、ちなみに。君の誤解をといておくけど、その家に持ち込まれたもの、全部捜査課のメンバーの私物とかお古とか、自分らで買ってあげたものだから。間違っても経費で落としたものは一つもないから』


 もはやエスパーか。


『うちは予算厳しいし、なにより税金の使い道はクリアであるべきだからね。どこで文冬に刺されるかわかったもんじゃない。君も間違ってもネットで吹聴したりしないように』

「えっと……ちょっと待ってください。さっきハンガーラックにすげえフリフリのメイド服? みたいなのがかかってたんですけど。子ども用の。それも捜査課の人の私物ですか?」

『………………』

「………………」


 電話が切れる。もやっとしたものを残したまま。


 居間に戻ると、ギンチョはタブレット端末を持ったまま、さっきより少しくつろいだ体勢になっている。座り直そうとするところをやんわり制止する。


「でんわしてたですか?」

「え、あ、うん」

「るなおねーさんですか?」

「るな……ああ、明智さんか。そうだよ」


 そうだった、明智瑠奈。それがあの人のフルネームだ。「似合わなすぎて草生えるわー」なんてたとえトイレの中でも口にできない。


「えっと……明智さんからおつかいみたいなのがあって、二人でそこに行けって」

「お、おでかけですか?」


 ちょっとだけ表情が明るくなる。家でじっとしているより外に出たいタイプなのか。


「うん、近所だと思うけど。僕は北区周辺より外には出られないから」

「まえに、るなおねーさんからききました」

「まあ、厳密には出られないってわけでもないし、事前なり事後なり申告が必要だから面倒なだけだけど」

「おにーさんは……」


 ギンチョはそこで言いよどむ。千影は表情でその先を促すが、ふわふわの髪をぶんぶんと横に振る。


「いえ、なんでもないです」


 LIMEのメッセージは十一時前に来る。行き先を見てちょっと驚き、ちょっと安心する。毎週のように足を運んでいる店だ。

 二人とも適当な外着に着替え、アパートを出る。ギンチョは傘ではなく黄色のレインコートを羽織っている。


「ん」

「ん?」


 階段を下りたところで、ギンチョが千影のほうに手を伸ばしてくる。


「え、あの、おそとではてをつなぎなさいって、おねーさんが」


 マジですか。


 千影はひきつった顔で硬直。ギンチョは手を伸ばしたまま、引っ込めることもできない。二人はそのままその場に立ちつくす。

 千影の額から汗が噴き出す。ギンチョの手がぷるぷる震え、困惑の表情に涙がにじむ。

 やべえ。ひたすらやべえ。でもそんな、心の準備が――。

 えふん! とどこかから咳払いが聞こえて、思わず反射的にぱっと手をとってしまう。声を発したのは明智――ではなく通りすがりのおっさんだった。

 当のギンチョは、なんだかほっとした顔になり、えへへ、と笑う。


「……じゃあ、行くか」


 腹をくくる。雨粒が湯気になるくらい顔が熱くなる。

 隣のチビっこの小さな歩幅に合わせ、ゆっくり歩きだす。


【備忘録】


・ダンジョン法

…赤羽ファイナルダンジョンに関連する日本の法律。

アビリティなどのレトロウイルスを投与した人間の社会的制約についても規定されている。


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