タカミムスビ合議制
なんとなく見えてきた。ただハプロは後追いになると思う。多分日本の集団はバラバラなハプロになると見てる。その理由は日本の古代は多分合議制。つかー分かりきってるかな…。
その合議制の中心がタカミムスビにあると見ている。影の支配者なのか?と言うと違う。そうじゃなくて多分これ合議制のグループって事だと思う。言ってみれば出雲もヤマトもその大きな集団の中の一つの形でしか無い。
多分天孫と出雲なんて区別は無いんだと思う。あれは多分藤原氏と天武天皇の創作。真実はタカミムスビ合議によるトップのすげかけに過ぎないと思う。おそらく天武天皇の時代についにタカミムスビ合議がこわれたんだと思う。一番得をしたのは誰か?と言うと明らかに藤原氏。どうかんがえてもすごく下っ端の下位の集団でしか無いのにNO2に上り詰めた。
一番重要なのは、天津神と国津神の区別だと思う。これがタカミムスビの合議による国譲りかと思う。一見出雲系に見えるのは多分すべて出雲系と繋がっていても良いと思う。天孫と出雲なんてものじゃない。多分出雲系の派閥に過ぎないんじゃないか?と見てる。そのきっかけは何かと言うとスサノオと言う強力な中心を失った大国主系に代わる新しい指導者の確立かと。
まあ目的は無い。スサノオが内部分裂を抑えていたとなる。スサノオと言うタガが外れたので派閥争いが激化した。そんな風に見てる。
その視点が何故重要化?と言うと、すべて神武東征にある。何故敵の本拠地にああも簡単にいけたか?と言うと最大勢力のニギハヤヒが折れたとの、おそらく大量に存在していただろう葛城などを中心としたグループが帰順したからだと思われる。それは最初から決まっていたのでスムーズに出来たんだ。
それがタカミムスビ合議だと見ている。ナガスネヒコだけが最後まで反対したので殺されたかと。ナガスネヒコはおそらくタカミムスビ合議のメンバーじゃない。名前からおそらくベタベタの縄文系土着の人間だろう。それゆえニギハヤヒが婚姻関係で利用したが、使い捨てられたと見てる。
問題は何故ニギハヤヒじゃ駄目だったのか?ここになる。これが分からない。その後の物部氏の活躍を見ると、おそらく部下にはなったが、かなり強いNO2として合体しただけじゃないか?と見ている。合議制であればそれほどトップの位置に重要さは無いと見ている。
タカミムスビ自体は古い縄文系の神だと推測できる。それは多分以前予測したが、タカミムスビは系統が違うものがあると見てる。シンプルな高い木の信仰がベースにあって、これに何かしらの渡来グループによる合議制の中心になるものが負荷されたと見ている。それがおそらく新しく九州でタカミムスビ信仰が増えた理由だと見ている。
日本の中で多分タカミムスビ信仰は九州の物と違う神社がある可能性がある。それが徐福だとは言わない。だが高木神社の近くには大体徐福伝説が重なってるケースが多いとの調査している人が居た。何かしらの高度な渡来系技術集団が高木神と結びついて全国に広がっていったと見ている。
それゆえ元のD系の縄文人がこの合議に数多く参加してると見ている。だが遺伝的にはハプロのみで混血率は圧倒的に弥生人となってしまっているだろうと予測している。後追いになるが、タカミムスビを祖先神とするハプロは推測になるが、おそらくバラバラだと見ている。それは今少しだけ見えてる子孫のハプロから断定的に推測している。
一つのきまりきった男子系統は出て来ないと見ている。特に重要なのは、丸木舟を作る集団が高木信仰になりやすかった点にある。それゆえ天皇家は元は海人系だろう?と予測している。
ここで一番の問題は出雲じゃない、邪馬台国だ。この推論の核は国同士の対立なんて多分無い。元々まとまった1つのグループの派閥争いに過ぎないって点になる。何が敵で何が味方分かりにくいから、ニギハヤヒの謎の行動になってると見てる。だがニギハヤヒだけじゃない。その後の葛城集団なども考えても、そもそもヤマトは出雲に近いグループがそのまま天皇を中心にまとまっている。
決定に不服だった大国主の長男だけが信濃に追いやられたとなってる。大半の出雲系はすんなりこの流れに入っている。国譲りからの一連の流れは、スサノオって強力な中心が消えた事による派閥争いの激化じゃないか?と見ている。
何度も書くが邪馬台国だ。魏志倭人伝の話しだと国ごとに分かれていたとなっている。これが統一した合議グループがあった事に対して矛盾になってしまう。これは中国側が正確に把握してなかっただけじゃないか?と見ている。中国は早くに中央集権を成し遂げているので、古臭い実体のつかみにくい合議制が把握できなかっただけじゃないか?と見ている。
その証拠にどうもおかしな描写だらけなのが気になるからだ。あまり真剣に邪馬台国を文献から考えると不味いと思う。振り回される。矛盾点であるのは間違いない。だが後の日本の歴史を見ると結果論だが、天武天皇が中央集権を成し遂げた歴史に見えるからだ。
まず雄略天皇の葛城氏の排除。ただし、これは葛城氏の存在が不明確なため多少苦しい。次に蘇我氏による物部氏の排除。これが結果論となる。これは天皇家が行ったことじゃない。勝手に内部分裂で自滅してくれた。ただし聖徳太子が仏教派として協力してるのでややこしいのだが、だがこの時中臣氏も没落したのを忘れてはならない。
これが計画通りの流れであるはずが無い。むしろこうやって追い詰められた、天武天皇と中臣氏が出来たのは全くの結果論だ。そして蘇我氏の排除だ。他にも忌部、大伴氏などいるが、大伴氏は明確に藤原氏と争って没落している。初期のタカミムスビ合議のメンバーだと思われる氏族は藤原氏を残して大半消えたとなる。
これを結果論だが、天武天皇で何故天孫族なるものが誕生したか?の理由になると見ている。
タカミムスビ合議のメンバーをどんどん削っていった歴史になる。尾張氏などがまだ残ってるが、尾張氏も藤原勢力に犯されている。熱田神宮の神主は尾張氏から藤原氏にすげかけられたと思う。婿に入ってそのまま父系直系にすげかえたはず。その理由が夢で見たとかかなりやばい内容だったはず。
後の歴史には影も形も消えてしまうので今更真相を知る事は出来ないって流れがちゃんと出来てる。
さて天孫族だ。まずは天津神と国津神による国譲りに絡む出雲宗家の排除がスタートになる。次に天武天皇の時代に天孫族は大々的に権威づけされたのがキーになる。反論を許される状況じゃない。初期のタカミムスビ合議の有力氏族は大半が衰退してるからだ。天孫族とは何か?と言うとタカミムスビ合議の中で天皇の血筋に近いメンバーを整理した。
または恣意的に捏造した可能性もある。物部氏が何故外れたか?で衰退していたからと言う可能性もある。天武天皇が海部氏に育てられたのは有名な話で。そこに物部氏と尾張氏の差がついた可能性は以前から指摘されてる。私が書いた東征がニギハヤヒ氏族は早かったからも当然ある可能性もある。
だがそもそもでっち上げの系図である可能性は否定できない。
これらの根底には日本独特の男子直系へのこだわりのなさがあると見ている。天皇はそうするように仕向けられて、かつ、天武天皇と藤原不比等が今度は逆にそれを守る事で権威付けをしたからだと見ている。そもそものルーツは、大陸北方の騎馬民族的現人神信仰によるものだと思う。
元々は中国の祖先信仰だが、これが騎馬民族的だと思うのは、古墳にある。銅鐸や銅矛が廃れて古墳になったのは、金属器じゃなくて、王の神格化にある。副葬品だったものが、神器によってレガリア的な使い方になったのもこれに関わってる。
だが結局それは日本のシステムに母を中心とした家のシステムに綺麗には馴染まなかった。この両者のどっちつかずの妙な形に多分振り回されてる。
表に見える騎馬民族的な流れとは別に日本的な部分、タカミムスビ合議を見出さないと多分良く分からないと思う。ただこれおそらく縄文の土台に渡来がのかったものだけど…。
追加でクナド神は無視して良いと思う。青森の縄文遺跡に可能性は見出せるが、縄文から続き巨大国家の存在なんて無いから…。緩やかな統一的な体系的な神への信仰ならあったかもしれない。スサノオが来る前の出雲に縄文系の巨大王朝があり出雲がその首都だったみたいな話しは無視して良い。
スサノオがそこのを乗っ取ったのは否定し無いが、それを拡大したのは渡来縄文合体系統だと見ている。稲作前にそんな巨大国家作る意味がそもそも無いから。縄文の過剰なアゲで、この発想は私は良くないと思う。原住民的なイメージは抱かなくても良いけど。その反動で超古代文明みたいなトンデモ話になるのはいただけない。