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第一幕・オフィス 七 ご褒美

 磯原と食事に出た日の夕方、佐由利は上司から、社内メールで隣のミーティングルームに呼び出された。マーケティング部において佐由利の上司に当たる課長はバツイチ四十代、仕事はできるがどこかお調子者の大野という長身の男だ。

「いやあ、すごーくいい話だから、仲本さんの席に伝えに行ってもよかったんだけど、一応社内で発表がまだだし、ここまで来てもらっちゃった。座って、座って」

 大野は喜色満面という表現がぴったりの笑顔で佐由利に言った。佐由利はとりあえず、大野とはす向かいの、勧められた位置に座って向かい合った。

「一体、何ですか?」

 佐由利は、自分だけが呼ばれて聞かされる「いい話」の想像がつかなかった。大野は歯を見せて笑い、指をピッと立てて教えてくれた。

「俺、社長賞をもらうことになりました~」

 佐由利は戸惑いつつも、とりあえずは、

「それは、おめでとうございます」

 と笑顔で言って膝の上に手を揃え、深々とお辞儀をしてあげた。

「おめでとうじゃないんだよ、ホントは仲本さんのおかげなの。社長賞の理由が新商品、『森の風薫るハム・ソーセージシリーズ』のヒットだから」

 このシリーズは、昼に佐由利が磯原とも話題にした現在ヒット中の新商品だ。高級感をアピールしたパッケージのハム二種とソーセージ三種で、単価が高くて利益率も非常に高い。このパッケージが検討の俎上にある時に、マーケティング会社時代のノウハウを活かして販促に有利と思われるデータを抽出してみせたのが佐由利だった。

「仲本さんが緑のパッケージの実績の数値化をやってくれたおかげで、俺が賞もらうことになっちゃって……なんか、ゴメンね。仲本さんがカラーマーケティングのノウハウを活かしてくれたってことはちゃんと言ったけど、申し訳ないことに社長賞をもらうのは俺と、商品開発のほうでは畜産商品課の中村の二人だけで……。仲本さんも連名にしてあげたかったなあ」

 当時、佐由利は写真入りの商品リストと売り上げの推移をデータベースにまとめていた。作業中も、豪華な金色と赤や紺のパッケージや、華やかなポップアートのデザインパッケージなどについつい目がいきがちだった。それに、過去最もヒットした商品のパッケージは紺で高級さを演出したラベルだった。しかしデータベースを作っている途中で、利益率が高く廃棄率が低い商品のパッケージにどこかしら濃い緑が使われていることに気がついた。

 ここに着目して、佐由利は①緑の色調(デザインデータの印刷上の黄色と青と黒の配分比)と受注数および利益率の相関関係、②緑がパッケージ上と商品上に占める面積と受注数および利益率の相関関係、というデータを三次元グラフなどにまとめて大野に提出した。データが示すのは、「やや青寄りの深緑を、商品パッケージの左上付近に、ラベルの約二割を占める(商品全体に対しては面積比五パーセント程度)分量で、金色を添えてあしらうと当社製品は高額でも売れやすい」という推論だった。

 大野がこれを社内プレゼンして採用になり、商品名もそれに合わせて緑の中の金のラインを風に見立てた「森の風薫るハム・ソーセージ」になった。「消費者は、この緑と金の組み合わせだと高くても買いやすい」という購買傾向を、近年でも最大の目玉である高級新商品に取り入れて市場投入したところ、狙いは当たった。パッケージ効果でまず初動が出て、食味の良さによって販売数がどんどん増えた。

「ほんとに、仲本さんには感謝してる。だから仲本さんの派遣期間の延長はできないかな~って言ったんだけど、人事は『派遣からの人材登用はしていない。中途採用も、事務職なら英会話ができるのが条件で、二十八歳まで』って全然取り合ってくれなくて。……仲本さん、年齢はクリアしてるから、英会話……いや、でも、英会話できると海外部門に行っちゃって、ウチのマーケからは外れちゃうもんなあ」

 大野は上機嫌で饒舌だった。佐由利はドライな気分でそれを聞いていた。自分が正社員としてこの結果を出していたら、社長賞は自分に来ていただろう。繰り返し社長賞を取れたらいずれは出世したのかもしれない。だが、派遣社員は成果を誰かに手渡すことしかできない。

「社長賞は金一封が出るんだけど、二人だから各三万円なのね。俺としては全額自分ではもらえないから、仲本さんに少し、もらってもらえないかなと思って……」

「とんでもない」

 大野の言葉を遮るように佐由利は遠慮した。

「大野課長、上司が個人的に派遣社員に賞与的なものを出したらややこしいことになりますよ。ハケンなんて、データベースを上手く使う作業員として雇われてるんだし、結局は社内の人間じゃないんだから、気にしなくていいですよ」

 自分の手柄にならないことなんて、割と長くなった派遣社員生活で嫌と言うほど知っている。佐由利は大野に気をつかわせないよう、ふんわりした笑顔を作ってみせた。

「とにかく、社長賞おめでとうございます。残りあと二か月もありませんが、もう一つくらい何かすごいおみやげを残していけるよう、頑張りますね」

 大野は申し訳なさそうな顔でしばらく百面相のように表情を動かして、しばらく逡巡したあとで遠慮がちに言った。

「……現金で渡したらややこしいから、……豪華ディナーとか、そういう形で受け取ってもらえない?」

 佐由利は笑った。

「お気持ちだけ、受け取っておきます」

 そしてさっと席を立ち、ミーティングルームを出た。


 翌日、社長賞が発表された。すでに「森の風薫るハム・ソーセージ」のヒットは社内各所で話題になっていたので、誰もが納得する受賞だった。大野は部署で拍手を受け、その際にも「仲本さんの出してくれたデータのおかげ」と言ったので、佐由利も拍手を受けることになってしまった。佐由利はただただ恐縮した。

 それから佐由利は、一息つこうと給湯室にお茶を汲みに行った。ちょうど三條美紀が出てくるところで、佐由利は会釈した。

「……仲本さん」

 奥歯にものがはさまったような顔と声で、美紀が声をかけてきた。佐由利はいつものように心の中では若干身構えつつ、大人の笑顔を返した。

 美紀はいつになくしおらしい様子で気遣うように言った。

「社長賞、……なんか、残念だったね」

 佐由利は驚いた。もちろん普段からギスギスしているような関係ではないが、自分がそれなりに綺麗に装うようになってからはあまり良く思われていないと思っていた。

「ああ、いえ、私はデータを作って上司に渡すのが仕事ですから」

「大野さん、社長賞でディナーを……とか言ったんだって? 女性を高価な食事に誘うのも場合によってはセクハラですよーって、私、クギ刺しておいたから」

「あ、すみません……気をつかわせちゃって。大丈夫です、私、びた一文もらうつもりはないし、大野課長が出した指示の中からたまたま見つけただけの話だから」

「でもまあ、課長にしてみれば手柄の横取りみたいで嫌だよね。昼食くらい奢ってもらったら? 普通にお昼の安いご飯なら、重くもないし、いいんじゃない?」

「いえいえ、何にももらう気ないです。お気づかいいただいて、ありがとうございます」

 それだけですれ違ったが、佐由利はなんだか気味の悪い印象を受けた。しかし、悪く感じ取るよりは良い解釈をしたほうがいい。「三條さん、時々、目を配ってくれるよな」と好意的に考えながら、佐由利はカップにお湯を注いだ。


 その数日後、来日中の海外有名アーティストが「森の風薫るソーセージ・ミントバジル」をたまたま食べてSNSで絶賛したことから、その翌日には各所の店頭から「森の風薫るソーセージ」が消える騒ぎになり、追加注文が殺到した。その後数日にわたって社内は生産ラインの確保や卸業者への説明と案内、広報や宣伝の各種対応などで大変なことになった。生産ラインについては、通常の仕入れよりかなり割高になったが原材料の高級食肉を何とか買い付け、これまでに何度もOEM(他社ブランド製品を製作すること)を依頼している信頼できる工場で同条件での生産を取り付けた。

 さらに海外の食品系商社からの問い合わせまで次々と入り、海外販売部まで巻き込んだ大騒動は二週間にわたった。佐由利も各所のデータベース制作やファイリングなどの雑用に駆り出された。

 二週間もするとなんとかその後の展開や対応が一通り決定し、「対応に追われる」ということはなくなった。目まぐるしく過ごすうちに、佐由利のこの会社への派遣期間は残りひと月になった。間もなく五月の大型連休だ。有給休暇が二週間あり、次の派遣先で使うために一週間分は残して、一週間の有休を取るつもりでいたから、もう出勤日数は十日と少し。佐由利は迷っていた。

(……磯原さんと、もっとチャンスがないかな……。最後に一週間、有休を取ったらお別れが早くなっちゃう……)

 退職の時に気持ちを打ち明けたり、交際を申し込んだりするほどには、まだ距離が近づいていない。もっと近づきたい。もっと話をしてみたい。

(前回、ランチに誘ってから三週間か……)

 実感として、会社で過ごす三週間はほんの短い時間だ。現在の距離感でこの間隔でランチに誘ったら「また?」という印象は否めない。四月は水曜日から始まったので第五水曜日まであり、磯原の言っていた「肉の日」までまだ一週間以上ある。あの赤いドアのお店に磯原が来ている日を見計らって行ったとしても、あと二回。それに、ランチでは一時間弱しか一緒にいられない。

 くよくよ、モヤモヤした気持ちで出勤して席につき、佐由利が始業のチャイムとともにメールを見ると、総務から部署ごとに一斉メールが入っていた。

『ヒット商品の報奨について』

 メールでは内容の詳述はなく、部署ごとに時間が割り振られ、部署の全員が会議室に集合するようにと指示がされていた。マーケティング部内でも、何事かわからぬままに皆が指定された時間を待った。

 佐由利がデータベースを最新の状態に更新していると、モニターの隅にメール着信のマークが表示された。メールに切り替えると、課長の大野からだった。

『この後十一時から、会議室で社員旅行の話があります。「森の風薫るハム・ソーセージ」のヒットでかなりの増収になりそうだから、通常の賞与に上乗せか、社員全員に別途臨時ボーナスか……っていう話がありました。で、それじゃ功労者の仲本さんが対象外になっちゃうからって、俺が社長相手に頑張りました。これで仲本さんが社員旅行に行ってくれなかったら全然意味がなくなるので、ぜひ行ってください。何のお礼もできなかったので、せめて。ヨロシク! 大野』

 佐由利がちらっと見ると、大野はさっきまで佐由利にメールを打っていたとは思えない難しい顔をして、書類とパソコンを交互に見ていた。

(何が「ヨロシク!」なんだか……)

 そういえば大野ともあとひと月ちょっとでお別れだ。この三年間、「気になる傾向や数値があったら俺に知らせるか、検証結果を教えて」という形である程度自由にやる権限を与えてもらった。部署の雰囲気も良く、仕事でストレスを感じる場面は少なかったように思う。社内では「面白い人だけど、おしゃべりなんだよね」「軽そうに見えるけど、あれで仕事できるんだから不思議だよね」と呆れられつつ尊敬されている。人柄もいいし、言いたいことをちゃんと言えるキャラクターで頼りになる。

(十五近く歳が離れてて、バツイチだから全然意識してなかったけど、案外この人もそれなりに「アリ」だったかな……)

 高級ディナーなんて大げさなものはお断りだけれど、一度くらい、食事に行ってもよかったかもしれない。佐由利はもう一度大野に視線を送ったが、「でも、やっぱり磯原さんがいいな」と心の中で勝手に照れて仕事に戻った。


 十一時、会議室には総務の担当者とマーケティング部一同が対峙していた。

 今回、ヒット商品が出た報奨として、社内を四班に分けて海外のリゾート地に旅行に行かせるという。派遣社員、契約社員、パートも対象で、現在なお「森の風薫るハム・ソーセージ」の製造・販売対応に追われている生産、営業、広報、宣伝などの部門は後日改めて日程を用意。現時点でこの件について緊急の仕事を持たない商品開発部、マーケティング部、IT統括部、総務部他が先に、二つの班に分かれて五月中旬に三泊五日の海外旅行。

 行き先は「プラリオ島」という聞いたこともない場所だった。人口の少ない島で、これまで「穴場」的に扱われてきた観光地だったが、今度新たに観光客を誘致するために現地自治体と日本のゼネコンがホテルリゾートを建設して、この夏からの予約受付を開始している。彼らは、夏から本格的に運営するための訓練代わりに、日本で大口の有料モニターを探していたのだという。普段使っている広告代理店が橋渡しをしてくれて、団体旅行者モニターをすることになるらしい。

 大野に呼ばれて隣に座っていた佐由利は、大野にこそこそ耳打ちされながら説明を聞いた。本来は利益がまだ確定していないこの時期に報奨を出すのは尚早なのだが、大野が広告代理店を介してこの話を社長に直々に持ち込み、「安く上がる条件が揃うなら」ということで勝ち取った「社員旅行」だという。大ヒット商品で急に売り上げが上がると、福利厚生などで社員に還元しなければ税金が高くなるので、そうした面でもこの旅行は経営上のメリットになるらしい。

 説明が終わると、大野は佐由利を連れてマーケティング部に戻りながら、

「これで少しは、仲本さんに、社長賞のお礼ができたかな」

 と言った。佐由利は大いに恐縮したが、心の中ではもうすっかり別のことに気を取られていた。旅行は、商品開発部、マーケティング部、IT統括部が一緒だ。山辺もいるが、磯原もいるわけだ。部署を留守にしないよう、各部前半・後半の二班に分かれるという。誰と一緒になるかは重要だ。

(……磯原さんと同じ班にならないと。何が何でも、絶対)

 佐由利はぐっと奥歯を噛みしめた。これは神様がくれたチャンス。そんな気がした。

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