表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/17

第一幕・オフィス 五 合コンの誘い

 女は面倒くさいな、と佐由利が最初に思ったのは大学生の時だった。佐由利の所属していた旅行サークルの中にはプロ野球の好きな仲間がいて、サークル三十人のうち男性四人女性二人が時々野球談議に花を咲かせていた。ただしもう一人の女性は「イケメン選手好き」で、野球そのものをアツく語るタイプではなかったので、実質「談義」に女性で加わっているのは佐由利一人だけだった。

 野球ファン仲間のある男の先輩は、サークルで一番美人の同い年の女性と付き合っていた。佐由利が大学二年の秋にその二人は別れ、野球ファンの「今期の反省会」飲み会をやった際に先輩は大いに悲しみを叫んでいた。

「俺、仲本さんにすればよかったな」

 先輩の言葉を、佐由利は愚痴の続きくらいにしか思わなかった。だが、それを伝え聞いた一部の女の先輩が邪推した。その男の先輩が佐由利に甘えるようなそぶりを見せていたこともあって誤解は解けず、「見た目も大したことないくせに、野球で男に取り入って……」と陰口を叩かれた。佐由利は、誤解されたことも苦痛だったが、それよりも野球を「手段」に使ったように言われたことが悔しかった。そのへんの男なんてメじゃないほどの、本気の野球ファンなのに。


 そうしたことは、恋愛に至らないレベルでも多々あった。

 たとえば、最初の派遣先ではアルバイトのイケメン青年と仲良くなってやっかまれた。その彼が大学の夏休みに何をして過ごすかと聞かれ、「電車のスタンプラリーをする」と答えた時、「そんなの、やる人いるの?」と笑いが起こった。「やったことある人いる?」と、若干嘲笑の交じった声がかかった時、佐由利は小さく手を挙げ、「私も大学時代、サークルで毎年やってました」と答えた。「ね、やる人、いるじゃないですか」と満足げに笑ったアルバイト君は、翌日、スタンプラリーの台紙を二枚持ってきて、佐由利に「競争しましょう」と一枚渡した。

 以降、二人でスタンプラリー競争をして、隣の駅に一緒にスタンプを押しに行ったついでにお昼を食べたりした。もちろん、仕事には一切持ち込んでいないし、仕事の時間もいっさい無駄にしていない。そして、会社の始業前と昼休みにスタンプラリーの話をするだけで、個人的な親しい関係になったわけではない。

 だが女性の先輩社員にこんなことを言われた。

「仲本さん、彼のことソッコー落としたよね。辣腕だよね」


 マーケティング会社の正社員時代、同僚女性に「あの彼とキッカケを作って!」と頼まれて一肌脱ぎ、駆けずり回って別部署の男性数人とランチお花見を企画したら、同僚女性のお目当ての「あの彼」から「また何か楽しいイベントをやるなら連絡ください」と佐由利がプライベートの連絡先をもらってしまった。

 まずいと思って黙っていたら、その彼が何かの折に「連絡先は仲本さんに教えてあります」と言ったため、仲間たちから「あざとい」「抜け目ない」と、佐由利が抜けがけしたように言われた。まさに骨折り損のくたびれ儲けだった。

 佐由利は元来、面倒見のいいタイプだったため、そうしたイベントの世話役をすることが多く、二十代男性社員の連絡先がことごとく手元に集まっていたことは決して口に出せなかった。


 男に取り入った、オトした、あざとい、抜け目ない……そんなの、まるで心当たりがない。だが、いわゆる「女子力の高い」人たちは佐由利を「男に、不当に人気がある」として敵視することを憚らない。

(なんでも恋愛沙汰だと思う人が面倒くさい。親しくなればイコール恋愛、ってわけじゃないのに!)

 佐由利がいつも思うことがある。「仲本さんって……」と横目で見てくる女性陣はなぜ、男性と楽しく盛り上がれそうな話題を提供しないのか。持っていないなら持っていないで、聞き役になればいいのに、それもしない。スタンプラリー、野球、ミニ四駆やプラモデルなどの話で佐由利が男性と盛り上がると、彼女たちは潮が引くように会話の輪から遠ざかっていく。自分から蚊帳の外に出ていったのに「あの人、一人でいい顔して」と言いだす。

 反対に、「私も!」「へえ、それはどういうものなの?」「すごいね」と輪に入ってくる女性だってたくさんいて、そういう人たちはごく普通に佐由利とも親しくなる。だから佐由利には女友達も多い。

 佐由利は、男だから、女だからとことさら騒ぐのは好きじゃない。兄がいるお蔭でさまざまな男性の話題についていけるのは「有利」なのかもしれないが、男の兄弟がいるのは佐由利一人だけではない。

 なぜ、美人でもない、「この程度」のレベルの自分が、一部の女子力主義の女性の攻撃に備えて身構えなければならないのか。だが仕方ない。「この程度」だからこそ、一部の女性たちは佐由利を許せないのだから。


 佐由利は、派遣社員ということもあって、職場で群れをなすことはあまりない。だが、ある程度親しい人は常にいる。今の職場では、同じ部署の同い年のパート職員、駒形涼子と週に二回ほど一緒に社員食堂でお昼を食べていた。

「仲本さん、最近綺麗にしてきてるから、三條さんがライバル心持ってるみたいだね」

 涼子はマイルドな言い方をしたが、佐由利はちゃんと「すっかり敵視されちゃってるね」というニュアンスを聞き取った。

「ええー? 三條さんに叱られたからオシャレ“ごっこ”を始めたんだけどな~」

「なに、オシャレごっこって」

「三條さんが、オシャレごっこ、頑張ってるね、だって」

「ごっこ……ね、それはそれは」

 涼子はわざと肩をすくめてみせた。佐由利は正しいニュアンスが伝わったことに心の中で頷いた。涼子は上目づかいで笑って、佐由利をからかった。

「社内に男でもできたんじゃないの……とか言って、三條さん、うちの課の男性陣にカマかけたりしてたよ。バレたら大変だあ~」

 佐由利はドキッとした。社内にお目当ての男性ができたことは確かだ。

「だから、それは三條さんに叱られたからなのに……。飲み会で、手抜きだ、二十代で女を捨てるなって言われたから反省したんだよ? それと、駒形さんには先に言っておくね。私、ここにいる期間、もうあと二か月ちょっとになったから」

「辞めるの?」

「派遣期間満了。これ以上は正社員雇用しないといけないから、打ち切ります……っていう話。だから、多少はマシな姿で皆さんの記憶にも残りたいじゃない?」

「そんな理由?」

「そんな理由。三條さんに手抜きだなんだって言われなければ、そのままにしてたかもしれないけど……一応、女を捨ててるわけじゃないですよ、ってことで」

 磯原を意識して装いを変えたことはかけらも表出してはいけない。佐由利は涼しい顔で食事を続けた。

「仲本さん、あと二か月かあ~。あとくされないなら、三條さんのああいうとこ、やりこめていってくれればいいのに。面倒だから」

 涼子は声をひそめつつも強く主張した。

「やりこめるとか、無理だよ」

 佐由利は笑ってみせたが、心の中では合点承知の意気込みだった。「オシャレごっこ」「ハケンに用なんてないでしょ」「相手を選ばない男ってほんと、困るよね」……これだけ喧嘩を売られたら、多少やり返しても構わないだろう。それに、必死で磯原に声をかけた時に、わざわざ邪魔をしに来て、磯原に腕をからめていた分も……。

 涼子は佐由利に向かってぐっと乗り出した。

「そうだ、それで、仲本さん。合コン行かない? 確か彼氏いなかったよね?」

「ええっ、どうしたの? 急に」

 佐由利は面食らった。

「これまで、仲本さん、恋愛とか興味ないのかな~と思ってたから誘わなかったけど、ホントはちゃんとおしゃれできるんだからホントはナシじゃないんでしょ? 会社で、独身男女の飲み会があるの。名目上は合コンじゃないんだけど、いくつかの部署から独身の人だけ来るんだから、結果的に出会い探しだと思う。うちの部署からも誰か女子を誘いたいけど、実は三條さんは呼ばないようにってこっそり言われてて……」

「それは穏やかじゃないね」

「山辺さん来るのよ。でもほら、三條さん来ると彼にべったりになっちゃうから、山辺さんのために、三條さんは外すんだって」

 山辺が来るのか……と思って断ろうとしたが、ふと気になって佐由利は聞いた。

「その飲み会の主催者は誰なの? どのへんの人が中心?」

 まさか「磯原さんは来るの?」と聞くわけにいかないから、苦肉の問いかけだった。

「山辺さんと、ITのセキュリティ担当の人。宇川さんだっけ」

 ITの部署名が出て、佐由利はドッキリした。佐由利が磯原を気にかけるきっかけとなったあの日、話していた相手はその宇川だったかもしれない。ならばこの飲み会に磯原を誘っているかもしれない。もし来るなら、磯原は独り身ということになる。

 佐由利は少しだけ悩んでみるふりをして、飲み会に出ると回答した。


 結果から言うとその「独身飲み会」に磯原は来なかった。佐由利はガッカリした。

 参加者は、商品開発部の山辺と、IT統括部の宇川、他男性三名と、総務のアシスタントの派遣社員の女性二人、マーケティング部の派遣社員の佐由利、同パートの駒形涼子だった。この集会を何度もやっているらしき山辺と宇川と総務の女性一人はすでにお仲間のノリで、涼子も何度か来ている様子だった。山辺はどの女性にもきちんと礼儀正しくアピールしていた。佐由利は面倒なことにならなくてホッとした。

 飲み会も後半になってくると、それぞれ一定の結論が出たのか「このメンバーの中でなく、周囲にいい男、いい女がいるんじゃないのか」という触手がメンバーの背後で蠢きはじめた。あの部署の独身および独り者は誰だ……と順繰りに来て、「ITは」と宇川が聞かれたところで佐由利はさりげなく、だがめいっぱい耳に神経を向けた。

「ITはあまりプライベートの話はしないんですよね。この飲み会には、いつも磯原は誘うんですけど、毎回関心ないし。あとは、ウチの女性は正直、誰が既婚、誰が彼氏ナシとか、ほんとにわかんないです」

 宇川の返答に、佐由利は心でそっと快哉を叫んだ。磯原のことはそのまま誰も気にせずに会話は進んだ。彼はここでも見事にステルス機能を発揮しきった。

 佐由利はうれしくなった。いつも誘われて、毎回断るということは、きっと「独り者だが、合コンまがいの飲み会はお断り」ということだ。自分で来ておいてなんだが、佐由利は合コンに来る男を恋愛の対象にする気はなかった。

 店を出て解散すると、山辺がすいっと自然に輪を離れていくのが見えた。「二次会行こうぜ」と言いだすか、誰か女性を送るよとか言いそうだと思っていたので、佐由利は意外な気がした。

 他の人たちと別れ、佐由利は涼子と一緒に地下鉄の駅に下りた。そこに、「あれっ」と言って山辺が近づいてきた。飲み会で、どこに住んでいるか、交通手段は何か、という話が出ていた。地下鉄組は佐由利と涼子だけと、意識して聞いていればすぐにチェックできる。あの飲み屋から地下鉄に乗るなら最寄りの入口はこの階段だ。自然なふりをして、けれど不自然に輪を離れたのは待ち伏せのためか。さて、お目当てはどちら……という微妙な空気が佐由利と涼子の間に流れた。

「途中まで、一緒に帰っていい?」

「どうぞ」

 快く答えたのは涼子だった。もちろん、佐由利だって「断るわけにいかないな」ということくらいはわかっていた。

 行き先はどこだと言い合うと、山辺は「今日は寄るところがあって、仲本さんと一緒の方向だ」と笑顔を見せた。この瞬間、山辺の待ち伏せのターゲットが佐由利であることがはっきりした。涼子は「あらあら」という顔で佐由利を横目で見て、笑った。佐由利は一瞬渋い顔をしてみせつつ、社交辞令に勤しんだ。

 涼子は乗り換えのために比較的すぐ電車を降り、山辺と佐由利は二人だけになった。

「たまたま、仲本さんと方向が一緒でよかった」

 たまたまね、と苦笑しつつ佐由利は控えめに会釈をしてみせた。

「仲本さんには、俺の誤解を解いておきたくて……」

 山辺はなんともいえない照れた顔を見せてきたが、佐由利はもう、この時点で「始まったな」としか思わなかった。この後、山辺が何を言うかはわからないが、とにかくひっかかってはいけないモーションの一環だ。佐由利はもう慣れている。

「俺、あちこちで、女ったらしみたいに言われてると思うんだけど……普通に考えてみてよ、ホントに女の子をオトそうと思ったら、あちこちの女の子に堂々と声かけてたら不利なんだよ? 実際は、こうしてると、女の子から距離を取りやすいんだ」

 はあ、と佐由利は控えめに相槌を打った。山辺の女ったらしがある程度フェイクなのはわかっているが、本当の本当に女性から遠ざかろうと思っていたら、こんなに貪欲な様子をするはずがない。佐由利がなんとも言えないそぶりで黙っていたので、山辺は一人でしばらく饒舌に語り散らした。

「俺、あちこちの女の子に声をかけるのは、ああ、この子だ――っていう人を見つけるためなんだよね。見落とさないため、っていうか……。自分でちゃんと探すつもりだから、どうでもいい人から寄ってこられないよう、ちょっと軽い男みたいに振る舞ってる。モテたかったら、軽そうな態度はホントはしないんだってこと……仲本さんは、わかってくれる?」

 顔を覗き込まれて、佐由利は軽く拒否反応を生じたが、そこは一人の大人として「はあ」とだけ、否定も肯定もせず「聞き取りました」という意味の回答をした。

「仲本さんには、ホントのこと、どうしても言っておきたくて。……俺、誰にでもこんなふうにするわけじゃないから」

 妙に真剣な声が、囁くように佐由利に届いた。佐由利は内心で「怖い怖い」と思った。多分、山辺は先日までの「イケてない」佐由利を見て、御しやすいと考えて標的にしてきたのだろう。こんなセリフを囁かれて、「この人、私のこと……」とドキドキしてしまう女の子は案外多い。だが佐由利は、この程度で釣られてあげられるほどコドモではなかった。

 面倒は断ち切っておきたい。佐由利は天然ボケ女子のふりをして、返す刀でとんちんかんなリアクションをしてみせた。

「――あの、大丈夫です。山辺さんと、三條さんのことはちゃんと知ってますから」

 ところが、山辺は思いがけないことを伝えてきた。

「三條とも、いろいろ言われちゃうけどね。彼女とは……大学時代、お互い三十五歳になっても独身だったら結婚しよう、って冗談で約束したんだよ。後で『その話は、ナシ』みたいに言ったことはないから、その約束はまだ生きてる感じになってるけど、俺は三十五まで独身でいる気はないから。ただ、三條にしてみたら、そういう約束の相手を他の女性に取られたくないんでしょ。それでしょっちゅう俺のところに来るだけ。俺自身は、あの約束を冗談だと思ってるし、そういうつもりはない……なんて言ったら可哀想でしょ。彼女、そっとしておいてあげて」

 はあ、そうなんですか、と佐由利はつぶやくように答えた。そして、恐縮したふりをしつつも山辺に「絶対、ナシ」と大きく×印をつけた。三條美紀をあまり良く思っていない佐由利だが、こんな暴露話をして女性に恥をかかせる男はお断りだ。

「俺ももう三十だし……そろそろ結婚とか意識してるんだよね。会社に、いいひとなんていないと思ってたけど……仲本さんと、また、話をする機会があるといいな」

 思わせぶりな言葉を残して、山辺は途中で電車を降りていった。佐由利は「家まで送る」と言われなくてホッとした。小さい声で「めんどくさっ」とつぶやいたが、それでもやっぱり、綺麗にすれば男性との縁のようなものが回復するのを実感できたのはうれしかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ