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第一幕・オフィス 四 初デートはファミレスで

 翌日の仲本佐由利には明らかに気合が入っていた。少し巻いてウェーブを出した髪を女性らしくまとめて小さな花のバレットで留め、似た柄の清楚な新品のワンピースにボレロタイプのジャケットを着て、派手すぎない程度にほんのりアイメイクが施されている。

 さらにワンランクギアを上げてきた佐由利が給湯室でお茶をいれていると、背後から美紀に声をかけられた。

「頑張ってるねー、オシャレ“ごっこ”」

 その声には隠す気などまるっきりない棘がちりばめられていた。

「一応、真似事くらいはやってます。でもホラ、見てください、かかとが平らなんですよ」

 佐由利は情けなそうに笑ってみせた。

 その日の佐由利のパンプスはかかとが低いものだった。家にかかとの高いオシャレな靴もあるが、それを履いてくる気などない。佐由利の身長は一六一センチ、女性の中ではやや高めだ。一方で、磯原久士は身長一七〇ちょうどかやや足りないくらい。五センチのヒールを履いたら体感的には身長差がほとんどなくなってしまう。磯原と昼食に出るならば、かかとの高い靴なんて履いてくるメリットはない。

 美紀はあからさまに見下した顔をしてふっと鼻で笑い、わざとらしい笑顔になった。

「かかと高い靴で上手く歩くの、けっこう難しいから、無理しないほうがいいよ。カッコよく歩くのって大変だよ」

 佐由利は愛想笑いをした。いつもハイヒールを履いている美紀の歩き方は、風格こそあるものの、いつも膝が曲がっていて決して綺麗ではない。美紀は本当にけなげだと、こういう時にもつくづく思う。

「三條さん本当に毎日かっこいい靴履いててすごいです。ホンモノの女子力を感じます」

 佐由利は自分への攻撃に鈍感なふりをしてみせた。「あんたはどうせ、ハイヒールでまともに歩けないでしょ」と小馬鹿にされたのは重々承知だが、ケンカをしてもしょうがない。そして嘘をつくのも好きではないから、「毎日ハイヒールなんて、すごい女子力」と普段から感服していることを器用に口に出してみた。

 へらへらしている佐由利の様子に毒気を抜かれたのか、美紀は大きくため息をついて、吐き捨てるようにつぶやいた。

「どんなに私がカッコよく、がんばって綺麗にしたって、結婚していくのはちょっとバカでユルい子ばっかなんだよね」

 佐由利はこれを、美紀の本音の吐露なのだろうと思った。バカとかユルいとかいう表現は適切でないが、隙があって弱みが外に見える子のほうがすぐに彼氏を見つけるし、結婚もする。美紀のような完璧にキメている女性の必死の努力をあざ笑うかのように。

 でも、と佐由利は思った。自分が男で、一生一緒に暮らす女性を選ぶなら、常時戦闘状態の美紀よりも、その「バカでユルい子」とやらのほうがホッとできていい。いったい、美紀は何と戦っているのだろう。

 お茶を手に佐由利は自分の席に戻った。まだ時刻は十一時半、やけに時間の流れが遅い。時計ばかり見てしまう。佐由利は仕事に必死で集中して、時間が経つのを待った。

 やっと待ち合わせの十二時半が目前になった。持参した大きな紙袋にラジコンの箱を入れ、上にハンカチをかぶせて中身がわからないように手にすると、佐由利は自然体を装いつつも急ぎ足で自転車置き場に下りていった。会社の社員食堂はかなり安いうえに、それなりに美味しいので、従業員の大半は社員食堂を利用している。佐由利も普段は社食の常連だ。外で気になる異性とランチなんて最大に緊張する。

 佐由利が一分も待つとすぐに裏の通用口から磯原が出てきた。佐由利にすぐ気づいて会釈しつつ小走りに近づいてくる磯原の、視線の先が明らかに紙袋に向いていることに気がついて、佐由利は「そうだよね~」と自虐的に心でつぶやいた。

 磯原は仕事の時のままの無表情で恐縮だけしてみせた。

「お待たせしました。すみません、個人的な興味につき合わせちゃって」

 佐由利はおかしな媚びを売らないように気をつけつつも、めいっぱい可愛らしさを振りまいて笑顔で言った。

「いえ、普段なかなか関わらない部署の人とお話するのも、楽しいですから」

 途端に磯原はわずかに渋い顔になってつぶやいた。

「多分僕じゃ、楽しくないですよ」

 どういう反応を返したらいいのだろう。佐由利は戸惑った。

「いや、先に、つまらないことをお詫びしておこうと思って」

 磯原はそれだけ言うと、ついと先に立って歩きだした。佐由利は適切な対応を思いつけないままとりあえず後を追った。

「行きたいお店とかありますか?」

 淡々と問われ、佐由利は慌てて答えた。

「いえ、お任せします」

「ファミレスでいいですか、テーブル広いし、この時間から少しすいてくるし。それより、ちゃんとしたとこ、どこか行きますか」

「――え、あ、はい、どこでもいいです」

 オシャレなお店で雰囲気のあるランチを夢のように思い描いていた佐由利は、「ファミレス」の一言で我に返った。そして自分を笑った。

(社内一の仏頂面男を相手に、私は何を期待してたのか……。でも、ここでファミレスとか言っちゃう色気のなさは、むしろ狙い目でしょう!)

 佐由利が今求めているのは女扱いが上手い男ではない。女性一同が「ファミレスとか、ないわ」とマイナス評価をつけるのなら、自分はあえてプラスの評価をつけたい。女性に貪欲でなく、女性からも「つまらない男」と言われてしまう男性は、きっと安全で安心だ。

 ろくな会話もないまま会社の至近のファミリーレストランに入り、二人で席についた。十二時から来ていた客のうち「食事だけで、すぐに会社に戻る」という人が帰りはじめる時間帯で、待たずに入れた。そしてこのファミレスのテーブルは大半が四人掛けで、やや大きなラジコンの箱をのせるにはちょうどよかった。

 店員に注文を済ませると、佐由利はさっそく紙袋からラジコンの箱を取り出した。

「じゃあ、一旦お預けしますので、好きなように見てやってください」

 佐由利はラジコンをテーブルにまっすぐ置き、磯原に向かって押し出した。

「ありがとうございます。ほんとすみません、これ、カタログにも雑誌にもなかなか載らなくて……。実物が見られるとは、すごくうれしいです」

 うれしい、と言う割には無表情のまま磯原は箱を恭しく手にしてしげしげと眺めはじめた。佐由利は、

「箱、開けてもいいですよ」

 と笑顔で言ってあげた。磯原は恐縮したそぶりをして、しかし明らかにうれしそうにやや表情を緩めて箱をテーブルに置き直し、大事に大事に開けていった。佐由利は、磯原のその扱い方を見て安心した。この人がこの箱の中身を破損したり汚したりすることはないだろう。実は、もったいなくて佐由利自身はまったくこの箱を開けていなかった。

 箱の中にはすでに一式組み上がったラジコンカーとプロポ(操縦機)が入っていた。佐由利が真っ先に視線を走らせたのはボディの部分で、そこには十二球団のロゴが並んでいた。シールのような安っぽいものではなく、綺麗なプリント。佐由利は満足した。レアなプロ野球グッズ、それも車の模型だ。一方の磯原は、シャーシ(動力などを組む本体の部分)が気になるのか、車体を下からのぞき込んだり解説書を(佐由利に目配せして許可を取ってから)開いて読んだりした。そして、時々眼鏡を指でつまんで上げ直した。

 一緒になって箱の中を覗き込むふりをしつつ、佐由利はこっそり磯原を見ていた。

(女子会で使うような可愛いお店だと、このテーブルの広さは確保できなかったな……。社員食堂でこれを広げるのは変な人だし……。ファミレスも、ちょうどうまく空いてる時間帯を把握してた。実はこの人、意外と、気を配って上手くやっているのでは?)

 オシャレなお店でラジコンを出して眺めていたら、周囲のお客さんたちの雰囲気も損ねてしまう。店の人だって嫌がるだろう。一方でこのファミレスは、ランチタイムの会社員の他に、一生懸命紙を折って何やら冊子を作っている眼鏡の女の子、携帯ゲーム機をやっている年齢不詳の男性、漫画雑誌を読んでいる会社員などがいて、客の勝手な趣味の空間にもなっている。会社周辺ではきっとこの場所でラジコンを眺めるのが一番無難かつ適切だ。

 そこに料理を手にしたウエイトレスが近づいてきた。磯原は慌ててラジコン一式を、雑にならないように気をつけつつ椅子へと下ろし、さっと上着をかけた。佐由利が頼んだチキングリルは鉄板焼きスタイルになっていて、細かい油が弾けて跳ねていた。テーブルの上に細かい油がピチピチと散った。

「とりあえず食べましょうか。もう少しこちらにお借りしておきます」

 磯原は上着のかかったラジコンの箱に視線を送り、佐由利に視線を戻してニコッと微笑んだ。

(――笑った!)

 佐由利もつられて笑顔になった。

「すみません、こんな鉄板の、油跳ねてるやつ頼んじゃって。気をつかわせちゃいましたね。上着、大丈夫ですか? 油……」

「こっちまでは跳ねないですよ。でも上着はかけておきます。貴重品ですから」

 佐由利に、というよりラジコンにだが、気を配れる磯原に安心するし、好感度も上がる。磯原の上着に守られたラジコンがなんだかうらやましくなってくる。

 改めて磯原と向かい合って話をしているのを自覚して、佐由利は不思議な気分になった。なぜ、こんな運がめぐってきたのだろう。

「あの、磯原さんは、ラジコンがお好きなんですか?」

「はい、もう実は足を洗ってますけど、昔はレースにもよく出てました。今は思い出の愛車とレアなコレクションが飾ってあるくらいで、現在進行形の趣味じゃないですけど、ラジコンそのものはやっぱりずっと好きですね」

 なめらかな口調だな、と佐由利は思った。いつも短く端的に話すのを聞くばかりだったので、こんなに長い“文”を淀みなく語る磯原は不思議な感じがする。案外発声が綺麗で抑揚が快く、聞きやすい。

 へえ、と感心していると磯原が問いかけてきた。

「仲本さんは、なんでこれ、持ってたんですか? ラジコンカー、お好きなんですか?」

「あ、いえ……えっと、ラジコンじたいも好きですけど、私、これ、野球のレアアイテムとして、ほしかったんです。うちの部署で取引先からもらったとかいう話で、すぐにこれほしいって言っちゃいました。十年前にイベントで作られて、ほしかったけど抽選で百倍の競争率だったから、手に入らなかったんです」

「プロ野球ファンですか? 球団はどこ?」

 佐由利はドッキリした。「どこ?」のところは丁寧語がついていない。少し親しくしてくれたように感じた。

「お恥ずかしいですが、東京ヤクルトスワローズ……それとパ・リーグでは西武も好きですし、子供の頃は巨人ファンだったから、その頃好きだった選手がコーチやってると、巨人もやっぱり気になっちゃうし……」

 実はヤクルトと西武両方のファンクラブに入っている、なんて本気すぎて恥ずかしくて言えない。会社から電車で三駅行けば神宮球場だから、時々一人で会社帰りに観戦に行っている。今後は山辺たちの「野球飲み会」とバッタリ会わないように注意が必要だろう。

「野球ファンなんですね、意外。でもヤクルトファンっぽい感じ、します。ヤクルトは、あんまり荒っぽくなくてちょっとスマートな感じで、女性が応援するのにも良さそうですよね。西武もカッコいい選手多いし」

 カッコいい選手とかじゃなくて、本気で野球が好きなんだけどね、と思いつつ佐由利は微笑んでみせた。

「ありがとうございます。磯原さんは野球は?」

「僕、出身、福岡なんですよ」

「じゃあ、ホークス」

「はい。親は西武ファンですけどね。昔、ライオンズが西鉄ライオンズとして福岡にあった名残で祖父がずっと西武ファンで、その影響で野球も見るようになりました。でも僕らの世代だと福岡で野球はホークスだけだから。すごく好きってわけじゃないけど、テレビでやってるとなんとなく見ちゃいます。東京だとTOKYO MXで放送するでしょう」

「ストロングホークス中継ですね。東京なのにやってくれて、西武戦見られるから重宝してます。うち、テレビ埼玉、入らないし……」

 会話は大いに弾んだ。磯原は、場所も取るしお金もかかるし……という理由で、ラジコンのコレクションを断念して、代わりに模型店の開催する展示イベントやミニカー・ラジコンなどのホビー系イベントに行っているという。

「だからこれ、あるのは知ってたから、一度見たかったんです。すごいレアアイテムだし、ネットオークションでもプレミアついてますからね。ありがとうございました。ちゃんと、できるだけ元通りにしたつもりです。お返しします」

 磯原は綺麗に整え直したラジコンの箱を返してきた。もちろん、テーブルにはねた油は新しい紙おしぼりで綺麗に拭き取って、汚れないようにしてから。

「磯原さん、他のご趣味は?」

 佐由利は紙袋に大事に箱をしまいながら磯原に問いかけた。言ってから、「お見合いか!」と内心で自分にツッコミを入れた。ただ、佐由利にとっては見合いみたいなものだが。

「……絵、ですね。水彩画。カバンの中にいつも……」

 磯原はカバンの中から小さな色鉛筆セットと水の入った筆を取り出した。

「こんなの入ってます。あとは小さいスケッチブック。この色鉛筆、水に溶けるから、これで水彩もできちゃうんです。この筆も、柄のところに水が入るようにできてるから、筆洗いが要らないんですよ。ホラ、押すと水がにじみ出てきて、これを拭いたら筆は色が抜けるんです。便利でしょう」

 自慢げに絵の道具を見せる磯原の様子を見て、佐由利は笑ってしまった。あの日に見かけた大笑いには足りないが、こんなにうれしそうにしゃべる磯原を見たことがない。

 それからも話題が尽きることはなく、残り五分のところで慌てて店を出た。佐由利は「楽しかったので、ちゃんと自分の分は払います」と言ったが昼食代は磯原が払った。

 会社への戻り道、佐由利は最初から決めていた勝負のセリフを磯原に向けた。

「あの、今日すごく楽しかったです。時間足りないくらい。なのにご馳走になっちゃって、なんか申し訳ないから、また次回……お昼お付き合いいただけないですか。今度は私が払いますから」

 磯原は照れたように苦笑した。

「いや、本当に今日は、僕の勝手な趣味で連れ出したようなものだから、黙って受けておいてください。気はつかわなくていいですよ。つまんない思いはさせなかったみたいでよかったです。ラジコンの話もできたし、仲本さんが野球ファンってこともわかって面白かったし」

 それじゃ困る。佐由利は食い下がった。

「今日はいただきますが、私、もともとは割り勘派なので、もらいっぱなしは心苦しいです」

「ホントに気をつかわないでください。見物料ですんで」

 その時会社の通用口が見えてきた。社内に入ったらこんな会話はしていられない。佐由利は焦った。だから一生懸命訴えた。

「それは……、つまらなかったから、もう次はお断りってことですか?」

 磯原はびっくりした顔で佐由利を見た。

「ああ、そういう意味になっちゃうんですか。……失礼しました。じゃあ次は割り勘で。仲本さんのオゴリだったら僕、お断りしますよ」

 通用口脇のカード鍵に社員証を通して磯原は先に建物に入り、ドアを押さえて佐由利を自然に招き入れた。そして七階に部署がある磯原はエレベーターホールに向かい、三階に部署がある佐由利は階段へと通路を逸れた。

 佐由利は何事もなかったかのように席に戻ってパソコンのスリープを解き、またデータベース画面に向かったが、しばらく仕事が手につかなかった。

『じゃあ次は割り勘で』――あいまいだが約束を取りつけた。

『仲本さんのオゴリだったら僕、お断りしますよ』――これが、とにかくカッコよかった。

 普段無表情な磯原の、わずかな笑顔を独り占め。というより、磯原はびっくりするほど普通の男性だった。優しくて親切で、気配りができて楽しい人。

 能ある鷹は爪を隠す、という言葉が浮かんだ。そういえば福岡ソフトバンクホークスの略称は「鷹」だ。磯原はホークスファン、爪を隠した能ある鷹。ほぼ全従業員と関わりのある仕事内容だというのに、普段から不満多めの辛口女子を含め、誰も彼のことを悪く言わないなんてすごい。良くも言わないが、それも実はすごい。

(これは断固、捕まえるべきでしょう。絶対に優良物件の気配がする。確か独身のはず。彼女がいないかどうかはわからないけど、あの愛想のなさは、これまでもあまり女性を寄せつけてこなかったと信じて……)

 そう、順次リサーチしていけばいい。彼女がいたらあきらめるしかないが、これという男を見つけたら可能な限りチャレンジしていくのが二十八歳の女性のあるべき姿。佐由利はめいっぱい自分を鼓舞した。

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