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第二幕・南の島 十一 プラリオ・ハイビスカス

 ホテルにたどり着くと、社員旅行の一行はレストランに押し込まれた。

「チェックインは午後二時からなので、これからここで一時間半ほどランチタイムにして、ホテルのキーをお配りして、注意事項をお知らせして、あとは自由行動です」

 佐由利も、涼子も、そして周囲の面々も、時差ボケなのか退屈ボケなのか体が重くて胃がもたれ気味で、あまり食事を楽しめる状況ではなかった。しかし、一人当たりの量がえらく多いランチプレートが全員の前に問答無用で置かれてしまった。謎の魚の切り身を大きなフライにしたものが、一人当たり三枚もあった。「無理だよ」と佐由利と涼子は小声で言い合った。女性の大半がこそこそと「食べられないよ」と愚痴を言っていた。各自なんとか少しずつ食べたものの、最後には、マシュマロが入った不思議なクリームののったでっかいケーキが出てきて女性陣はとうとう本気の悲鳴を上げた。

 ややげんなりした空気の中、添乗員がてきぱきと、一人一人点呼を取りながらホテルのルームキーを配りはじめた。そしてプロジェクターで画像を映して旅行の注意を述べ、三々五々の体で解散となった。

 磯原が早々に席を立つのを見て、佐由利はさりげないふりでデザートを中断して後を追い、通路で声を掛けた。

「磯原さん」

 磯原が立ち止まって振り返ったので、佐由利はそのすぐそばに行った。もちろん、心地よい白いサンダルは身長差を出すためにぺったんこだ。

「あの、明日のことで何かあるといけないので、ホテルの内線で連絡できるように部屋番号を教えてください。待ち合わせも決めてないし、勝手がわからないから今決められないし」

「――ああ、そうですね。ホテルの中でウロウロしてたらまた顔くらい合わせるだろうと思ってましたが……そうじゃなかったら、明日、悲劇ですね」

 磯原は配られたばかりの小さな封筒を開けて、部屋番号カードを佐由利に見せた。

「メモは取らなくていいですか」

 佐由利は満面の笑みで、東京ヤクルトスワローズの選手の名前を二人言った。磯原は思わず笑った。

「――四桁の数字だと、その手がありましたね」

「しかも、一昨年のベストバッテリー賞です。絶対忘れないです」

「僕も、部屋番号を聞いていいですか」

 佐由利も手にしていた部屋番号カードを見せた。磯原はしばらく見ていたが、

「……これだと、ホークスの誰か、ぱっと出てこないですね。ちょっと待ってください」

 と言ってカバンからボールペンを出して、小さな封筒の隅に佐由利の部屋番号をメモした。佐由利はそれだけのことがとてもうれしかった。

「あの、私、駒形涼子さんと同部屋なので……もしホテルの内線電話をいただける時は、仲本を呼んでください。間違って、明日、駒形さんと一緒にお出かけしないでくださいね」

 磯原は笑って会釈して去っていったが、佐由利にとっては大真面目な話だった。何が何でも絶対に、この旅行は磯原と自分だけの素敵な思い出にしなければならない。

 レストランに戻り、涼子と一緒に部屋へと上がって荷ほどきをした佐由利は、窓を開けてバルコニーに出た。眼下には輝くようなセルリアンブルーの海。遠く、水平線の近くはコバルトブルーに輝いている。すっかり真昼の時刻となり、太陽の光が強烈だ。

「すごいよ、駒形さん、カンペキなオーシャンビューだよ」

 部屋の中に声をかけたが、涼子はベッドにひっくり返ってじっとしていた。

「どうかした?」

「体が重い。魚がもたれる。ケーキも、クリームにマシュマロ入って重すぎた。動けない」

「えー、これから街なかに散策に行こうって言ってたのに」

「……今はほんと、無理」

 佐由利も体が重かったが、だったら今すぐカロリーを消費しなければならない。せっかく一生懸命ダイエットと運動で絞ってきたのに、現地でリバウンドしてはいけない。

「じゃあ、このへんに、何か楽しい場所、美味しそうな店、ないか探してくるよ。二時間くらい一人でウロついてくるから、そしたら、その後また改めて一緒に出掛けよう」

「うーん……ゴメン……」

 佐由利は、上に着ていた五分袖のジャケットをクローゼットに掛け、ところどころにメッシュの入った凝ったデザインの白の薄手のパーカーを荷物から出した。そして日よけの手袋をして、帽子をかぶった。


 一人で歩く異国の街。佐由利は不思議な気分の高揚を味わっていた。開発途上のため建築中の建物が多い。でも、海の周りはすでにいっぱしの観光スポットに整えられている。日本人の積極的誘致を考えているためか、日本語の案内も出している店が多い。『ドナッーツ』とあるのはドーナツのことだろうか。『みやげ』と書くつもりだったのか、「み」にテンテンがついているみやげもの屋もある。

 日本語の大きく書かれた看板を見つけ、佐由利はふと足を止めた。

『ご当地パンケーキ 甘さ控えめ、プラリオ島名物“あのクリーム”ここのは美味しい!』

 英語と日本語で同じ内容が書いてある。「あのクリーム」はあのマシュマロが入ったクリームのことだろうか。説明書きの日本語は正しかったので日本人スタッフがいるらしい。

 佐由利が店に入ってみると、海の見えるカフェの併設された、テイクアウトもできるパンケーキ屋さんだった。とはいえ、佐由利は今、お腹にものを入れられる状態ではない。しばらく店内を眺めて、「いずれ、買いに来よう」と決めて店を出た。

 漁港、郵便局らしきもの、夜になると開くらしい屋台の集まる一角を見つけた。全体に、さほど人口は多くないようだ。雑然としつつ閑散とした気配。レストランで見せられた映像を思い出した。「路地裏には入らないこと。日本と同じ感覚でいたら危険です。特に異性に気をつけてください。女性は身の危険が、男性はお財布の危険があります」……マーケット風のちょっと気になる狭い路地があったが、行くのはやめておいた。

 一時間も歩いただろうか。ホテルの周辺のめぼしいところは大半見てしまった。佐由利は少し足を延ばして、ヤシの木のずっと向こうに見えるショッピングセンターのような建物を目指した。海から離れてしまうのでつまらないかもしれないが、何を売っているか見ておくだけでもいいだろう。

 ショッピングセンターまでの道のりには、商店街とも言えないくらいまばらにちょこちょこと「お店屋さん」があった。突然大きなサイクルショップがあり、レンタサイクルをやっていたりして、むらのある街並みだなと佐由利は思った。

(……あれっ?)

 ショッピングセンターのすぐ手前の小さな店の、ショーウィンドーの中に模型の船が見える。何屋さんだろう。佐由利は弾む足取りで近づいて行き、ガラスの中の模型を覗き込んだ。明日見に行く予定の巡視船の模型らしく、ネットで調べた時に見た船影と同じだった。プラリオ島の旗と、日本の旗が立っている。

 ふと、佐由利は船の向こうの人影に気づいて顔を上げた。すでに人影は佐由利を見ていた。

「――磯原さん!」

 店内には磯原がいた。佐由利が手ぶりで「そちらに行きます」と示すと、磯原はドアのある方向を指示してくれた。建物の側面に回り、佐由利は店に入った。店内は見通しが良く、すぐに模型の前の磯原のところにたどり着いた。

「偶然ですね。向こうから、仲本さんが歩いてくるのが見えたから……出て行って声かけようか、黙ってようかと悩んだんですが」

「……なんでこんなところにいるんですか? もっと、海辺のほうがひらけてて、お店も遊ぶところも多いのに」

「ホテルで調べたんです、画材売ってるとこ。そしたら、この裏のショッピングセンターの中と、あとここに少しあるみたいだったから」

 佐由利が見回すと、どうやらここは模型屋さんのようだった。発泡スチロールで作る動物や、木を削って作るパズルなども売っている。南国リゾート版の「工芸の店」という風情だ。船の模型の周辺は表面保護のラッカーやニスのコーナーだった。

 みやげ物屋のつもりであれこれ見ていると、磯原が「あっ」と小さく声をたてた。何だろうと思って、佐由利は磯原のすぐそばに行った。

「このメーカーのアクリル絵の具、いいんですよね。ここで調達できるとは思わなかった。海が描けます、これで」

 磯原はショーケースから、「コバルトブルー」と「ビリジアン」の小さなチューブを取り出した。その際、一番上の段に変わった色があることに気がついた。

「あ、こういう小さい島にも『ご当地カラー』があるんだ……」

 そう言って、磯原は一番上の段の色のチューブも抜き出した。限定色らしく、さらにひとまわりチューブが小さい。チューブに英語で書かれた表示を眺め、小型のタブレット端末を取り出すと、磯原はショーケースの端に小さく表示されているバーコードを読んだ。

「このメーカーの商品解説アプリは端末に入れてあるから、この絵の具の説明を日本語で読み出せます」

 画面を見せられて、佐由利は商品名の文字をそのまま読んだ。

「プラリオ・ハイビスカス」

 磯原が手にしている絵の具の説明が日本語で表示されていた。続きは磯原が読んだ。

「プラリオ島のハイビスカスは、一般の品種と比べて、花の色に蛍光色の要素が多く、輝いた色調になっている。土壌の影響なのか、何かしらの遺伝子の変異なのかはわかっていない。本色は蛍光ピンクを加えて輝色要素を増した、この島特有のハイビスカスの花色である」

 へえ、と佐由利は感心した。

「言われてみれば、あちこちでハイビスカスがすごい自己主張してるなと思ってました。蛍光色の入った色なんですね」

「うちの大ヒット商品を色で演出した仲本さんに色を語るのはおこがましいですが、蛍光色は、印刷で出すなら別途蛍光インクを足さないと再現できない、特殊な発色ですからね。だから確かに、この島でハイビスカスの見える風景をそれらしくスケッチしようと思ったら、この絵の具を買いなさいってことになりますよね」

「ご当地カラーって言ってましたね。じゃあ、ここでしか買えないんですか?」

「いや、それじゃ商売にならないですよ。通販と、あと、大きな画材屋さんで取り寄せができます。すごくないですか? 世界のご当地カラーが、自宅にいて通販で買えるんです。ここのメーカーの画材はロングセラーだから愛用者も多くて、ご当地カラーを集めるような人がいたりします」

 佐由利は幸福感に満たされて他愛ない話を聞いていた。同じ会社の誰にも会わずに歩き回ってきて、とうとう一人だけ顔を合わせたのが磯原なんて。明日乗る船の模型ごしに出会うのも何かの暗示なのかもしれない。

(磯原さん、……今日も一緒に……なんてわけに、いかないか。駒形さんに、二時間くらいで帰るって言っちゃったし)

 サンダルがぺったんこだから磯原をぐっと見上げる位置関係になる。佐由利は、端末の電源を落とす磯原の横顔をじっと見つめていた。それに気がついて、磯原がやや照れたような顔をした。

「なんか、また自分勝手なことをしゃべっちゃいましたね。仲本さん、絵の具のことなんか興味ないかもしれないのに」

 佐由利はぼうっとそのまま磯原を見ていた。「あんな仏頂面してる人」と涼子は言った。「親切だったけど、ニコリともしなかった」とも言っていた。だがそんなことはない。笑ってくれる。こんなふうに照れたりもする。しゃべりすぎを気にするくらい、たくさん話をしてくれる。

「この3つ、絵の具を買います。そういえば仲本さんはどこに行くところだったんですか?」

「あ、……この裏のショッピングセンターに」

「そうですか、けっこう大きくて使えそうですよ。持って来忘れたものがあったら、何かしら売ってそうなお店でした」

「そうですか……」

 磯原はもう行ってきたらしい。「ホテルに帰るところです」と言えばここから一緒に行動できたかもしれないのに……と思って歯切れ悪く答える佐由利に、磯原は決断を促すようにうなずいてみせた。

「一通り、見てくるといいんじゃないですかね。いざという時用に」

 それはまるで、ぴしゃっと可能性が閉ざされたように聞こえた。

(それは、ここからは、僕についてこないでね、ってことなのかな)

 なかなか踏み込ませてもらえない。佐由利はひっそり消沈した。

「ショッピングセンターには、絵の具はなかったんですか」

「子供用のセットはありました。でも、色数の多いセットは要らないから……。そんなに現金持ってきてるわけじゃないし、カードで気づいたら使っちゃってるのも嫌だし。ああ、裏のショッピングセンター、カード使えるのも便利です。使いすぎに注意、ですけど」

「あっちでは何を買ったんですか?」

 磯原はまた、照れた顔になった。

「……そのつもりなかったんだけど、やっぱり、もったいないから泳ごうかなって」

 佐由利はドッキリしてパッと顔を紅潮させた。

「プール、来るんですか?」

「いや、それは恥ずかしいから、一人でこっそりビーチに行こうかな、とか」

 とんでもない。断固、ここは口説き落とさなければ。佐由利は必死になった。

「今夜、けっこう、皆さんホテルのプールに来ますよ。磯原さんもご一緒しませんか?」

「……でもなあ」

「いいじゃないですか、大野課長も、一緒に行こうって言ってたし」

「うーん……」

「水着、買ったんですよね?」

「そうですね」

「今夜、みんなで、プールでお待ちしてます」

 みんなで、なんて嘘だ。「私が」お待ちしたい、そして一緒に過ごしたいだけだ。佐由利はめいっぱい磯原に来てほしそうな視線を送った。

「うーん、勇気が出たら」

 磯原はそう言ってレジに絵の具を持っていった。佐由利は、ここでつきまとって変に思われ、夜のプールに来てくれなくなるといけないので、磯原と別れてショッピングセンターへと向かった。

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