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第二幕・南の島 十 南の島

 いよいよ社員旅行。佐由利は白黒の横縞の入ったロングドレスに五分袖のラフなジャケット、何時間歩いても疲れないくらいピッタリ合う白いサンダルを身に着けて、会社の駐車場にやってきた。トランクはやや小ぶりの明るい緑。あまり見かけない色なので他の人のものと混同されることがない。遠目でも自分の荷物がわかりやすくて重宝する。

「仲本さーん」

 すぐに涼子が気づいて声をかけてきた。佐由利は磯原の姿を探していたので慌てて涼子に視線を移した。ちょうど涼子の奥に磯原がいるのを見つけ、佐由利はドッキリした。落ち着かない鼓動を表情に出さないよう努めつつ、佐由利は手を振って涼子のそばに行った。磯原が気づいたように振り返って佐由利を見つけ、わずかに会釈した。それだけで佐由利はうれしくて仕方がなかった。

 涼子と他愛ない話をしながら、佐由利は視線の先にいる磯原を見ていた。仕事ではいつもワイシャツにスーツのズボンだが、今日は薄いグレーのTシャツにジーンズ、白地に細いストライプの半そでシャツを着ている。私服姿を初めて見た、それだけで佐由利はとてつもなく気分が高揚した。

 部署ごとに点呼があり、佐由利と涼子は課長の大野に名前を呼ばれ、チェックを受けた。時間通りに全員が駐車場に揃っていた。

 バスに乗り込み、空港へと向かう。着いたら搭乗手続き、手荷物検査。ツアーの添乗員があれこれ指示を出すのに皆で従った。「さきほどお渡しした封筒の中の、この用紙を……」と指示して掲げたのを見て、皆でその用紙を取り出して確認した。佐由利はあたふたして、ワンテンポ遅れてしまった。

「大丈夫ですか、仲本さん」

 背後から言われて佐由利は心臓が止まる思いがした。声は磯原だった。

「これですよ、ちゃんと入ってますか」

「あ……すみません」

 磯原が見せてくれた紙の隅には、あれこれ番号などを控えておく欄があり、佐由利はさりげなく「生年月日」の日付をチェックした。

(磯原さんの誕生日ゲット!!)

 二十八歳になっても、やっぱり星占いの相性などは気になってしまう。それなりに縁のありそうな星座だったので佐由利の気分はまた上昇した。

「大丈夫です。あります」

 佐由利はあたふたと書類を手にして磯原の隣で続きの説明を聞いた。まるで二人で一緒に海外旅行に行くようで、天にも昇る気持ちだった。

 一旦解散になり、涼子が佐由利の隣に来た。

「仲本さん、両替って、した?」

「うーん、空港でも現地でもできるっていうのを見たから、まだ」

「トラベラーズチェック使う?」

「なんか、どういうタイミングで使えるのか不安で……」

 佐由利の横にいた磯原が話に入ってきた。

「まだ時間あるから、一緒に両替行きますか。僕も調べたんだけど、マイナーな通貨だから扱ってるところが限られてて、まだやってないんです。現地だとけっこう手数料を取るらしくて、空港のほうがいいみたいですよ」

「あっ、そうなんですか」

 磯原の先導で佐由利と涼子は両替に向かった。三人とも勝手がわからなかったが、磯原が係員に適切な質問をしてくれたのでスムーズに両替できた。

 涼子の両替を待っている間に、佐由利はそっと言った。

「磯原さん、ほんと、いつも頼りになります」

 磯原は眼鏡の奥でパチパチッとまばたきをした。

「仲本さんは、評価基準が甘いんですね。楽で助かります」

 なんだかなあ、と佐由利は思った。せっかく「好きですアピール」をしているのに、反応が薄い。やっぱり難攻不落だ。頑張らなければ。

 それから少しして、また全員で合流して、飛行機に乗り込んだ。ホテルで同室の者同士が隣り合わせの席になっていた。当然、佐由利は涼子と隣り合わせだった。

「磯原さんは? 誰と一緒ですか?」

 通路で自分の席を目で探している磯原に、佐由利は声をかけた。誰と一緒の部屋だろう。間違って、「同室の彼も、巡視船見学、一緒に行っていいですか」なんてことになったら困る。状況を把握しようと身構える佐由利に、磯原はあっけない回答を返した。

「僕は一人部屋です。部署内で部屋割りが一人はみ出る場合、他部署の人と同室になるかどうかは考慮してもらえました。ITは後半の参加三人中、男が僕だけだから、一人部屋です」

「そうなんですか」

 それは好都合。ホテルの部屋の内線を使えば磯原一人に声をかけられる。佐由利は心の中で膝を打った。

「磯原くん、こっちこっちー。独り者はこっちー」

 前方から大野が手を振って振り返った。

「マーケのあぶれ者は俺。だから俺と、飛行機の席も部屋も隣。よろしくやろうぜ」

「ああ、ありがとうございます」

 磯原は佐由利に軽く会釈して大野の横に行った。

「ねえ、俺窓側でいいー?」

「どうぞ。僕は大半、寝てると思いますから」

「えーっ、もったいない。トイレの時とか、またいだり蹴ったりして通っていい?」

「寝てたら踏んでも何でもいいですよ。大野さんがトイレに行きそこねたら、隣の僕も悲劇なんで」

 大野はゲラゲラ笑った。聞こえていた佐由利もつい吹き出してしまった。

(ほんと、面白い人)

 やがて機内に案内が流れ、酸素吸入や救命胴衣の説明などを一通り見せられた後、飛行機は南の島「プラリオ島」へと飛び立った。長距離のフライトが初めてだった佐由利はなかなか落ち着かずにいたが、それでも三時間ほどで退屈して、眠ってしまった。


 何度か寝ては起きてを繰り返し、やがて飛行機の窓から朝日が入りだした。それから一時間ほどで飛行機は早朝のプラリオ島に着いた。寝ぼけ眼で入国手続きをして、バスに乗せられ、一同は広い公園へとたどり着いた。

「まだお目覚めでない方もいると思いますので、こちらで休憩にします。建物の中は畳敷き……というわけにはいきませんが、この地域の植物で編んだ敷物が敷いてある簡易休憩所になっています。朝食券を配りますので、お腹がすいた方はこの一階で朝食にしてください。外は広い公園になっていて、海にも出られます。まだ朝の六時なので、二時間後まで自由行動として、八時にこちらに戻ってください。そこから市内観光に出かけます」

 休憩所の中には一応仕切りのようなものがあり、団体名が表示してあった。大野をはじめ、年長組はのろのろと上がり込み、さっそく横になった。

「駒形さん、どうする?」

 佐由利は涼子に声をかけた。

「ちょっと、ごはんって感じじゃないよね……。でも、あの中に寝に行くのも気が乗らないかな」

「じゃあ、海に行こうか」

 二人は公園を歩き、海に出て、南国の景色を楽しんだ。白い砂、ヤシの木、ハイビスカスの花、波の音。あちこちに鮮やかな色の野生のインコやオウムの類がたくさんいた。

「わあー、異国に来たなっていう感じだねー」

「夜が明けたばっかで、空気も澄んでてすごくきれい」

 それでも、三十分もしないうちにやることがなくなった。戻ってきて、朝食のコーナーを見ると、ヨーグルトとシリアル、トーストなどの軽食が並んでいた。

「うーん、このくらいなら食べられるかも」

 二人でフルーツとシリアルの朝食を取った。ふと見ると、磯原が窓辺に一人で座っていた。

「あっ、磯原さんだ。ちょっと声かけてこよ」

 何気ないふりでつぶやくと、佐由利は席を立って磯原に背後から近付いていった。磯原は食べかけのトーストをそっちのけにして、何やらせっせと手を動かしていた。

「磯原さん」

 佐由利は控えめに声をかけた。磯原の手が止まった。

「食事に来たんですか。二時間は、長いですよね」

 わずかに振り返るようなそぶりだけで佐由利の存在を認識したことを伝えると、そのまま磯原はまた手元に集中した。佐由利が恐る恐る近づくと、磯原は絵を描いていた。

「……あ、……この景色のスケッチですか?」

 佐由利は遠慮しつつ覗き込んだ。そのまま描いているのだから拒まれてはいないのだろう。

「そうですね。下手だから、せいぜい風景をメモする文字の代わりにしかならないけど」

 磯原は淡々と言った。絵の良し悪しはまったくわからない。それでも佐由利は、スケッチブックの紙面にさらさらと色がのっていくのを魔法みたいだと思った。

「でも、すごく、器用だな、綺麗だなって思います。絵がわかんないから、つまんない感想で恥ずかしいですけど」

「いや……それが、普段持ち歩いてる、水彩もできる色鉛筆だと、ない色があって……」

 磯原は色鉛筆の缶の箱を手にして佐由利に見せた。

「十二色で、青が水色だけなんです。もっと深い青がほしいのに。あと、緑も」

 白、ピンク、赤、オレンジ、うすだいだい(昔の「肌色」)、黄色、黄緑、明るい緑、水色、淡い紫、おうど色、黒。佐由利が窓の外を見ると、色鉛筆の色で空の青は描けそうだった。でも、海の色はセルリアンブルーからコバルトブルーへとグラデーションしていて、コバルトブルーに近づく色がどう組み合わせても作れそうにない。

「樹の緑も、出ないですね。普段はそれでも黒をのせて、こんなものかなっていう仕上がりにはなってたけど……この時間の、まだやや暗い樹木の葉の色は、この緑では出ないです」

 佐由利にはやっぱり絵の良し悪しはよくわからなかった。でも、磯原の描いた絵を、一枚でいいから、ほしいと思った。

 涼子を一人で放っておくわけにもいかず、佐由利は程なく席に戻った。

「仲本さん、意外。磯原さんとけっこうしゃべるんだね」

 ザクザクとシリアルを食べながら涼子が言った。佐由利はできるだけ自分の感情が表に出ないように答えた。

「もう今月末までだし、今回の旅行ではいろんな人と話してみたいなと思って。磯原さん、普段は全然しゃべらない人だけど、前に人見知りしないよって言ってたから……」

 しばらくすると磯原が先に荷物をまとめ、無表情なまま軽く会釈をして出て行った。涼子はえも言われぬ顔で笑った。

「あんな仏頂面してる人に、よく声かける気になるね。両替の時も、親切だったけど、ニコリともしなかったし」

 佐由利は答えずに、ニコニコしてただ食事を続けた。他の人には磯原の魅力なんてわからなくていい。

 いよいよ軽食も腹に収まり、やることがなくなった。誰も彼もがそうして時間を使い果たし、最後には簡易休憩所の敷物の上に横になった。他の団体観光客も同様だった。

 やっと添乗員が迎えに来て、全員がバスに乗せられて市内観光に出かけたが、全員が飛行機到着時よりも眠くなっていた。それに、どうも島の中で観光スポットになりそうな場所は限られているらしく、オプションツアーの行き先になっている場所を横目に見ながらバスは巡った。そして自然動物公園のすぐそばの磯遊びスポットで一旦バスを降ろされた。言い訳をするように添乗員が言った。

「オプションツアーになっている場所は、行ってのお楽しみ。今、バスで場所を確認しておいたから、ツアーの時も道に迷わなくて済みますよ」

 皆、さすがに目が覚めてきたので、靴を脱いで裸足になったり、ビーチサンダルを履いたりして磯をのぞいて回った。小さなカニやヤドカリ、それからすぐそばの浅瀬を泳ぐ熱帯魚がたくさん見られた。

 佐由利はついつい、岩場に群れていた大型のフナムシに気を引かれて覗き込んでいた。佐由利が近づくとさあっと散っていき、遠ざかるとじわじわ岩に広がってくる。フナムシと押す、引くの攻防をしていると、涼子に「やめなよー」と嘆くような声をかけられてしまった。

 佐由利は子供の頃から兄と「あの素早いフナムシを一匹でいいからつかまえよう」と言っては海でフナムシを追い回していた。家族で釣りにも行ったから、釣り餌のやや気味悪い生き物なども平気で触れる。それでも、変な人扱いされては困るので、佐由利はとりあえず涼子のそばへ戻った。

「仲本さん、ラジコンとか、フナムシとか、ちょっと変わったとこあるよね」

 涼子は怪訝な顔をしていた。その向こうで、磯原が拳の親指のほうを口元に当ててくすくす笑っていた。しまった、と佐由利は思った。変な人認定されたのは確実だ。

「仲本さんは、頼りになりそうだね~」

 調子のいい声が近づいてきた。振り向くと、課長の大野だった。

「ゴキブリとか、家で出てもばんばん退治してくれそう」

 大野は岩肌のフナムシに視線を送って佐由利に言った。佐由利は顔を引きつらせた。

「すみません、すごく勝手なようですが、ゴキブリはダメです。だから建物は五階以上にしか住みたくないです。高い階はゴキブリ出づらいから」

「ええー。頼れる奥さんになりそうだなあ、って思って見てたのに」

 大野と佐由利のやりとりに、涼子はますます怪訝な顔をした。

「大野課長、女性がフナムシと追いかけっこしてるの見て、いい奥さんになるぞとかいう発想はおかしいですよ」

 そのまましばらく佐由利と涼子と大野は雑談をしていた。磯原がすぐそばで風景の写真を撮っているので、佐由利は視界の隅でずっとその様子を注視していた。

「ねえ、そういえばさ、女性陣はプール来るの?」

 大野がうれしそうに聞いた。涼子がまた怪訝な顔になった。

「大野課長、変なこと楽しみにしてません?」

 すでにその時点で、今回の後半の班の女性たちの半数近くが「夜にプールで集まろう」という話になっていた。佐由利と涼子も参加組だった。

「セクハラとは言わせないぞ、普通にホテルのプールに行く権利は俺たちにだってある!」

「そうですけど……今から『プール来るの?』とか、聞かれると引きますね~」

 涼子は佐由利と同じ二十八歳で、パートなので派遣社員のような雇用期間の縛りがなく、新卒からもう五年以上このマーケティング部にいる。だから大野にぞんざいな口もきける。

「駒形さんキビシイ! ね、仲本さんはプール来るの?」

 佐由利もやや苦笑したが、一緒にリゾート地に来て水着を見たとか見ないとか気にしても仕方がない。すぐに答えた。

「行きますよ。でもスタイル悪いから、ずっと水中で泳いでるつもりですけどね。見えないように」

「えー、ガッカリ」

「うわー、私、プール行くのやめとこうかなあ……」

 涼子はますます警戒してみせた。佐由利はそれを笑うふりをしつつ、視界の隅に必死で意識を送っていた。

(……で、磯原さんは? 磯原さんはプールは? 来るの?)

 そのとき大野が突然、

「磯原くんって、プール来るのかなあ」

 と言ったので、佐由利はズギュンと胸を撃ち抜かれたように動揺した。大野は涼子と佐由利を交互に見て、わざとらしく小声になって、言った。

「だってさあ、彼が海パンに上半身裸でうろついてるのとか、想像つかなくない?」

 それは確かに、と佐由利も思った。防御力高く、壁も高く、人を寄せつけない気配で社内を行き来している磯原が、肌を出しているところは想像できなかった。

「おーい、磯原くん」

 大野は突如、大声で磯原に声を掛けた。佐由利は心臓を直接叩かれたくらいドッキリした。デジタルカメラを覗き込んで写真の確認をしていた磯原は、慌てたように顔を上げた。

「プール、一緒に行こうなー」

 思いがけない声をかけられ、磯原は一瞬戸惑った後、返答なのかそうでないのかわからない会釈をしてみせた。大野は笑った。

「ホラ、あれだもん」

 佐由利はクスクス笑ったふりをしたが、本当は思いっきりドキドキしていた。

(……磯原さん、プール来るかなあ。行こうって言われたら、行く気になるかなあ)

 一行はまたバスに乗せられた。次の行き先は、やっと宿泊先の大型ホテルだった。

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