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第一幕・オフィス 一 存在抹消(ステルス)機能

 仲本佐由利は今日もまた漫然と冴えない服に適当な上着を羽織って職場に向かった。髪型は後ろで一本結び、化粧も日焼け止めと眉毛書きくらいで、地味さを加速する眼鏡をかけ、容姿の隅から隅までがまるっきりパッとしない。決して美人ではない佐由利はこうして、さらに「まるっきり地味でイケてない人」として職場での日々を過ごしている。

 クローゼットの一角を占めるオシャレな衣類を横目に、毎日似たような地味な服のローテーションで会社に行くのには理由があった。

 佐由利は、時々世にいる「見た目以上になぜかモテる女子」である。ここ一年ほどは彼氏なしで過ごしているが、十八歳から二十八歳の約十年あまりで相手がいなかったことはない。男性から声がかかる機会も多く、友人一同からは「なんであんたがモテるのか、わからない」と口を揃えて言われてきた。

 大学時代はそんな自分にやや浮かれていた佐由利も、今はすっかり落ち着いていた。つまり、目立つ容姿ではないが愛想がよくてどことなくチャーミングな佐由利は、ちょうど「こいつなら手が届くんじゃないか」という絶妙のバランスにつけているらしい。そのため、独り者の男性のうちの一定数は「じゃあ、こいつでいこう」と思うものらしい。積極的に好かれるというよりも「だったらこれかな」という選ばれ方なのだなと、年月を重ねるごとに真実が見えてきた。だから佐由利はもう、自分がモテるとも思っていなかったし、寄ってくる男性に興味は持たないようにしていた。

 社会人になり、新卒でマーケティングコンサルティング会社に就職した佐由利は、三年半真面目に勤めたが、会社は一つ大きな失敗をしたのが致命傷となって倒産した。その三年半の間、職場での恋愛沙汰も、「あわよくば」の感覚で寄ってくる男性の相手もそれなりに面倒だったが、佐由利にとって一番大変だったのは攻撃してくる女性たちと折り合いをつけることだった。

 会社が倒産して、次の就職先を探したが、「マーケティング会社に新卒から三年半」という浅い経験は二十五歳の女性を正社員で雇う決定打にはならなかった。佐由利は半年で正社員での再就職をあきらめ、派遣社員になった。派遣になると「マーケティング会社で正社員の経験三年半」というのはそこそこ有利に働いた。

 最初の派遣先でも、結婚に目の色を変えている一部の女性たちの敵対意識が佐由利を消耗させた。男性からの佐由利の評価は必ず「大したことはない」から「割といいかも」へと上がる。最初に見下した女に追い越された「女子力の高い」女性たちは佐由利のことを気に食わなかった。陰湿ないじめまではないものの、きっかけがあれば無駄に向けられる女性特有の対抗心のようなものに、佐由利はすっかり嫌気がさした。

 二件めの派遣先に地味すぎる服装で通ってみると、効果はてきめんだった。もともと美人でもなんでもない佐由利は、おしゃれをやめたら途端に男性たちの興味の圏外へと飛び去った。あとはただ黙々と仕事をこなし、しっかりと給料をもらえばいい。佐由利は職場に恋愛をしに行くつもりなんてかけらもないから、それで十分だった。

「美人だからやっかみを受ける」というのなら美しさの対価で仕方ないとも思えるが、大して美人でもないのに厄介ごとだけ訪れるなんて不条理だ。だから、佐由利は自分を使い分けている。恋愛なんて人生のほんの一部なのに、そんなことに無駄なエネルギーを費やす気はなかった。


 佐由利は現在、三件めの派遣先である中堅どころの食品製造会社で、マーケティング部門のアシスタントをしている。仕事はファイリング、資料作成、データ整理等。実際はデータ整理が多く、経験を活かして思いがけない有効な数値の抽出をしてみせることもあったが、仕事内容はあくまで「一般事務」に当たる。

 佐由利の残り契約期間は三か月となっていた。派遣関連の法律は猫の目のように変わって落ち着かないが、現在の法律上は一定の期間が過ぎれば直接雇用するか契約終了するかの二択を派遣先が強いられる。惜しんではもらえたが、当然のように派遣先の答えは契約終了だった。佐由利もそんなものだとあきらめていた。

 そして最後の三か月だからこそやりたいことがあった。久方ぶりに彼氏募集中だった佐由利は、そのお相手候補を社内に見つけていた。

 今の派遣先の社内に、いい人なんていないとずっと思っていた。だがある日、昼休みに一人で食事に出た佐由利は、思いがけない光景を見た。

 パソコン、ネットワーク、社内LANなどを担当しているIT部門に所属し、社員や派遣社員の個々のパソコンの管理とメンテナンスを担当している磯原久士が同じ部署の男性社員と大笑いしながら佐由利の前を横切った。

(……この人、笑うんだ!)

 佐由利は目を疑った。磯原は仕事の際、仏頂面で必要最低限しか口を開かない。パソコンの調子が悪いの、ソフトの使い方がわからないのと呼び出されては各所で職員の面倒を見ているが、何を言われても、何を言っても、ニコリともしない。だから社内の誰もが彼のことを「修理屋」程度に認識していて、彼に感情や人格があるという意識すら希薄だった。佐由利も磯原に敬意は払っていたが、「男性」とはカウントしていなかった。

 その磯原が、仲間とゲラゲラ笑い合い、何かについて熱心に話しながら歩いている。佐由利が後ろを歩いて会社に向かう間じゅう、彼らは楽しそうに笑っていた。

 以来、社内で磯原を見かけるたびに興味を持って様子を探っていたが、仕事では徹底して仏頂面のままで、やっぱり笑顔を見ることはなかった。こんなに無機質で何も感じさせないのに、本当は楽しそうな笑顔をする人。俄然、興味が湧いた。

(そういえば、パソコンのトラブルを助けたりして、女性に「親切で素敵」とか思われる機会はたくさんありそうなのに、誰からも意識されずに無難に社内で過ごしてるのってすごい。仕事用「ステルス機能」を発揮してるのって、実はすごく優秀なんじゃないの……?)

 女子会の恋愛話や異性の品定めの際に、磯原の名前が誰かから出たことはない。自ら努めて異性から身を隠そうとしている佐由利は、磯原に強烈な親近感を抱いた。だから残りの派遣期間が三か月になった時点で「磯原さんと仲良くなろう」と奮い立った。

 とはいえ、佐由利自身パソコンが苦手なわけではない以上、IT部門の磯原の世話になる機会はなかなかなかった。


 三月一日に、会社は四月一日付で実施する人事異動を発表した。その翌週には、駅前の居酒屋で、マーケティング部から異動する二人の送別会が執り行われた。こういう時、佐由利は愛嬌を振り撒かないよう隅のほうでじっと黙っている。中盤で主役二人からあいさつがあり、飲み会は後半戦に入った。

「ねえ仲本さん、飲んでる?」

 佐由利の前の空いた席に三條美紀が座った。美紀はマーケティング部で一番身綺麗にして女子力PRに余念がない三十歳の社員で、佐由利は彼女を自分と最も遠い立ち位置の人だと思っていた。美紀は、顔立ちはそれほど美人ではないが、自分を綺麗に見せるメイクを研究し、自分を引き立たせる服装で完璧にキメて「綺麗なお姉さん」に仕上げてある。ただいささか口調がキツめに聞こえる特徴があり、顔もきりっと強めなので、正しくは「綺麗で、怖いお姉さん」という印象だった。

「あ、ちまちまやってます」

 佐由利は恐縮してみせた。「イケるクチ」だと周囲にわからないよう、サワーなどの「ユルい酒」を「ほどほどに」飲んでいた。

「酔ったついでに、ずっと仲本さんに言いたかったことを言おうと思うんだけどー」

 美紀は佐由利を正面から見据えた。ややつり目の思わせぶりな視線は迫力満点だ。

「仲本さん、オシャレはしないの? なんかすっごい、手、抜いてない? 二十代でしょ? なんでそういう、テキト~な格好ばっかりするの?」

 据わった目をして美紀はまくしたてた。佐由利はわざとらしく頭の後ろを掻いた。

「お洒落とか、しないってわけじゃないんですが、会社はまあいっかな~と思って……」

 こういうタイプは、佐由利のようないささかゆるい女性が異性にほめられると途端に敵視してきたりする。佐由利は当初から美紀を敵に回さないように注意していた。

「そういうのダメよー。やっぱ、それなりに綺麗であることも女性の役割っていうか、会社の活気みたいなものだよー。普段は面倒でも、せめて飲み会は綺麗にするとかさー」

「いやあ……私は三條さんみたいにはできないですよー。いつも、ホントに綺麗にしてて、尊敬しますー」

 佐由利はわざと間の抜けたしゃべり方で答えた。戦う気はないと、腹を見せて横たわることも処世術だ。

「限界はあるとしてもさ、それなり、くらいには頑張ろうよー。二十代で、女、捨てちゃダメだってー」

 酔っているのだろう、美紀はしばらく佐由利にからんでいた。いささかバカにするような言い方に佐由利はだんだん腹が立ってきた。

(あなたみたいな人が面倒だから、私、女子力封印してるんですけどねー)

 心で一瞬だけ美紀に冷たい視線を投げると、

「すみません、わかりましたー。来週の飲み会は、もうちょっとなんとかします……」

 と言って、佐由利はわざと肩をすくめて弱気そうに笑ってみせた。翌週は社内の大異動に伴って、社全体の自由参加の交流会が社員食堂で開催されることになっていた。

「うん、よろしい。ちゃんと『それなりに』くらいにはしてくるんだよー」

 美紀はそう言って佐由利の目の前で指をくるくる回すと、また別の席へと移っていった。その背中に、佐由利は挑発的な視線を走らせた。

(そこまで馬鹿にされてると、やりがいもあるなー。あと三か月、本気出すかあ~!)

 本来の「なぜかプチモテする女子」に戻すと面倒な思いをすることがあるかもしれないが、この会社にはもう三か月もいない。磯原にアプローチするために綺麗にしていたい。女をOFFからONにするタイミングを掴みかねていたが、これはまさにその啓示だと言えた。

(来週の飲み会はちゃんとオシャレをしてきて、以降は本来の私で磯原さんに勝負かけるぞぉ~!)

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