遊戯姫1
とある世界のとある魔界のとある魔王城に一人の姫がいた。
この世界を観察する一柱である邪神に愛された絶世の美姫。桃色がかった銀髪に神秘の紫色の瞳。風に吹かれれば空気と共に溶けてしまいそうな儚げな美貌を生まれ持ち、まぶたに憂いを乗せて瞳を閉じた姫の名を、アソビタ姫という。
魔界で一番かわいいと評判で、魔物の中でも随一に姫っぽいからという理由で姫をやっているアソビタ姫は、憂鬱の面持ちのままつぶやいた。
「デュエル、したい」
デュエルとは魂の闘争である。
世界に散らばる幾千物カードを収集し、厳選し、自分だけのデッキを作り上げる。オンリーワンの四十枚一組こそが、己の魂。カードに己の天武運を託して競い、プライドをぶつけ合う闇のゲームである。
アソビタ姫は暗黒魔術を修め、邪神と交流を可能とした姫である。仲よしにして甘やかしてもらっている邪神から様々な世界の娯楽を仕入れていた。闇のカードゲームのデュエルもその一つである。
アソビタ姫は娯楽知識を得るために魔法を極めたといってもいい。アソビタ姫は遊び人から賢者へとランクアップした魔術師でもあるのだ。そんな暗黒魔術師であるアソビタ姫であるから、自分にこの闇のゲームはぴったりだと思っていた。
だが魔界には、そもそもカードゲームがなかった。
いや、普通のカードゲームはあるのだが、闇のゲームを開催できるようなカードゲームは存在しなかった。
なければつくろうというのが普通の発想なのだが、つくるにしても問題は山のようにある。
アソビタ姫には絵が描けない。なぜなら姫だからだ。アソビタ姫には物語など紡げない。なぜなら姫だからだ。自分でできないのならば他人やらせるというのは考えないのでもないのだが、そもそも魔界に娯楽という産業などない。なぜならば魔王軍の九割が脳みそ筋肉だからだ。娯楽とは戦うことなりと本気でのたまっているような連中である。アミューズメントの概念が人間とは異なる次元にある魔物が多かった。
ゆえに嗜好品の普及が発達していない。アソビタ姫がすごく頑張ればなんとかなるかもしれない。なぜならアソビタ姫は、実はちょっとした天才だからだ。魔界を治め、文明社会を築けるかもしれない。アソビタ姫にはそれだけのポテンシャルがある。だから、姫と交流のある邪神もそう忠告してみた。姫が頑張ればなんとかなるよ。魔界が文化的な生存圏になるよと言ってみた。
するとアソビタ姫は、ぷっくりほっぺを膨らませた。
「嫌」
簡潔な拒否だった。
アソビタ姫は姫である。その見た目と生きざまが姫っぽいから姫をやっているだけだが、やはりアソビタ姫の魂は姫なのだ。姫は働くものではない。勤労など、姫らしくない。つらい労働は下々に任せて、もっとキラキラした生活をするのが姫なのだとナチュラルに考えている。
だからアソビタ姫が考えることは、いつだって自分が遊ぶことばかりである。
いま魔王城は人間の国であるガンガン王国の第一王女をさらって、人間と戦争ごっこをしている。
これは歴史ある遊戯で、言ってしまえば神々がGMのTRPGである。
まず邪神に任命された魔王が人間の姫をさらう。すると別の神が人間の国で勇者を選出する。その勇者が姫奪還のために魔王討伐の旅を始める。選出された勇者の行く先に魔物がちょっかい出して邪魔するという行程を神々がリアルタイムで観察して紡がれる英雄譚を楽しむという、高尚な神々の遊戯である。
人間界ではこの遊びに神々が関わっているのは知れ渡っていないが、魔界では常識である。それでも神々のお遊戯に魔物が付き合う理由は簡単だ。魔物は神々を楽しませると残機を増やしてもらえるのである。
人間の国ではあんまり知れ渡っていないが、魔物の命は残機性だ。人間が神々を楽しませると経験値がもらえるように、魔物が神々を楽しませると働きに応じて残機がもらえる。勇者に一回殺されたくらいでは深刻なことにならないし、勇者に殺されるとそのやられっぷりによっては残機をいっぱいもらえるのだ。
人間は魔物を倒して経験値をもらうとレベルアップして強くなる。魔物は人間にいい感じに倒されると残機がいっぱい増える。両者winwinの神々の遊びなので、魔物は喜んでこの遊びに参加する。
アソビタ姫はそっちにはあまり興味がなかった。アソビタ姫は姫である。外に出て戦争とか、したいわけがなかった。
アソビタ姫は根っからもインドア派だった。外で遊びたくないからこそせっせとインドアの遊びを邪神から仕入れて、その実行手段がないと嘆くのだ。
「デュエル、したい、よぉ」
さめざめと嘆くアソビタ姫の祈りが通じたのかもしれない。
姫の嘆きを、通りかかった魔物が一人が耳にした。
「姫様。決闘がしたいのですかッ」
青いウロコの竜人。蒼竜将軍だ。四天王っぽいから四天王に任命された、四天王最強の武人と魔王城でも名高い脳筋である。今回の勇者の魔王討伐TRPGでは出番が終盤の予定なので、まだまだ序盤の現在は暇をしている魔物だ。
「ならばわたくしめと、手合わせいたしませんか?」
思わぬ申し出にアソビタ姫は目をしばたかせ、次いで輝かせた。
「お前、まさか、デュエリスト?」
「ええ。わたくしは、いっぱしの決闘人を自負しております」
力強く肯定した将軍に、アソビタ姫は満面の笑みになった。
魔界にデュエルが普及しているなんて考えてみなかった。なぜなら魔物の九割は脳筋だからだ。その常識をアソビタ姫は改めた。そうだ、魔物にも知性があれば個性も持っているのだ。娯楽を追い求める自分以外の魔物が邪神からこの遊びを仕入れ、頑張ってカードをいっぱい作って普及させていたのだろうと都合の良い解釈をした。アソビタ姫は世界が自分を中心にして展開されていると信じて疑っていないので、自分本位の解釈が得意だった。
アソビタ姫はデッキを持っていない。デュエルの知識はあくまで邪神から仕入れたものだ。その交信の時に遊戯の王になるストーリーも付随して見せてもらったが、現物のカードはもらえなかった。
しかし蒼竜将軍はデュエリストを自称したのだ。デュエリストとはすなわちカードに命を懸けた遊び人である。レアカードのためならば他人を躊躇なく蹴落とし自分の優位を保とうとする人種だ。予備のデッキぐらい持っているだろう。もちろん、あの腕にがっちゃんと着けるかっこいいやつも持っているはずだとアソビタ姫はわくわくと無邪気に頬を緩ませた。
「デュエル、しようぜっ」
「はい」
自分は遊戯の姫になるのだという期待でいっぱいのアソビタ姫の笑顔は、ここしばらくで一番の輝きを放っていた。
アソビタ姫の笑顔が死んだ。
あんなにも満面だった笑顔の花畑が、いまは見るも無残に枯れ果てた。なぜこうなった。アソビタ姫は死んだ魚の目で現状を憂いていた。
「準備はよろしいですかぁッ、姫様!」
ここは練兵場である。そこで蒼竜将軍は剣を構えて笑っていた。
何をやっているんだあいつはと、アソビタ姫は呪いを込めて元凶をにらみつける。普通の人間だったらそれだけで即死するような呪術が込められていたが、そこはさすが四天王最強の武人である。生まれ持った蒼いうろこで姫の邪視をはじいた。
「ふっ、すさまじいやる気ですな。さすがは伝説の暗黒大戦の生き残り――闇の魔術の深淵に身を染めし暗黒の化身と謳われる姫と手合わせできるなど光栄ですぞ!」
「死ねよ」
うつろな瞳のアソビタ姫は予想以上に辛辣だった。デュエルがしたいと申し出たインドア派が練兵場に連れてこられたのだ。発狂して襲い掛からないだけアソビタ姫はまだ温厚だった。
練兵場に連れてこられた時点でおかしいと察するべきだったが、もはや時すでに遅し。蒼竜将軍はデュエルをリアルファイトと勘違いしていた。魔物の九割は脳筋なのだ。仕方のないことなのである。
「行きますぞッ、姫ぇ!」
アソビタ姫の不機嫌さを闘志の表れととったポジティブな将軍は剣を構え、切りかかる。
将軍は四天王だ。強い。なんか四天王っぽいからと邪神によって四天王に選ばれた将軍は、今回の魔王軍の中でも五本指に入るだろう。魔界全土を見渡しても、三百番目くらいに強いかもしれない。
姫はそれより遙かに強かった。
さっきの呪いの視線に込めた呪いと一緒に仕込んでおいた魔法が発動する。将軍の蒼いうろこに付着していた呪いの残滓がつながり、立体的な魔方陣を描く。セロ距離で発生した立方魔法陣が蒼竜将軍を包み込み捕らえて離さない。
「ぐ、ぬぅ……!? これ、は、うご、き、が」
蒼竜将軍は確かに強い。鍛え上げた技術に裏打ちされた武術は最高峰だ。真正面から切り結べば、人間の軍勢ならば万を相手に退けることができるだろう。
そうであっても、邪神に愛されて数々の加護と恩恵を得ている姫の敵ではない。魔方陣の中でもがくも、脱出には程遠い。姫の詠唱に従い、魔法陣が将軍を中に入れたまま立法から平面に変化する。
「む、ううううう。こうなれば、奥の手! 我が真の姿を――」
「潰れろ」
竜人フォームからドラゴンフォームへと変貌しようとした蒼竜将軍は、ぺしゃりと音もせず潰れた。三次元生物としてこの世界に発生した将軍は姫の魔術によってZ軸を消滅させられ二次元体に退化を余儀なくされたのだ。
姫は強い。それもまた姫がインドア派になった原因の一つだ。強いからインドアで他人を搾取して生きる術を確立できたのである。
「つまん、ない」
姫は封印してX軸とY軸のみが構成要素となった将軍を拾い上げた。
これをぱっきり折って将軍の残機が一個減るのか。
そうなればむしろ平和的に今回の騒動は終了するのだが、蒼竜将軍の犠牲は序章に過ぎなかった。
「む?」
平面に封印された将軍を拾い上げた姫が、ふと手を止めてしげしげと観察したのだ。
そこには将軍の姿絵とステータス、特性が描かれていた。姫がさっき使った魔術は、三次元の生命体を二次元に落とし込む高等の封印術である。要するに立体を掌程度の平面長方体に変換し、情報生命体へ再構築させる闇の魔術だ。
それによって作られたのは、客観的に見ればカードだった。
魔物の絵とステータスが描かれているカードだった。
「これ、使える」
アソビタ姫の顔に、笑顔が戻った。