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第7話

 宙に投げだされた僕の目に映る、星空の中で燦然(さんぜん)と輝く満月。それは周りで静かにたたずむ星々を蝕んで、宵の空に我が物顔で居座っていた。僕と月が、やけに近くあるように感じる。放つ光が妙にあたたかい。

 僕はなぜ、初めて遭った女の子を追って来たのだろう。そのうえ、どうしようもなく終わりが近づいているんだから(たま)らない。

 どうして、(いま)わの(きわ)に思い浮かぶ顔が、姉さんでも母さんでもなく、他の誰でもないあの子の顔なのだろう。吸い込まれるような彼女の蒼い瞳が、目に焼きついて離れなかった。綺麗だと思った。傷を負った彼女の後姿を見て、追いかけずにはいられなかった。

 速度を上げて、崖底へと落下してゆく体。僕はなぜ、目の前の月に彼女の顔を重ねて見ているのだろうか。遠ざかってゆく月は、僕の疑問に答えてはくれない。





「――ここは、、?」

 気がつくと、視界の先には広大な山々が広がっていた。辺りは静寂に包まれ、朝焼けの空が世界を(おお)っている。澄み切った空気が、全身をくすぐる。僕の脳裏に焼きついている星空も、闇夜に浮かぶ月も、そこには影も形もない。

「生きてる?」

 そうだ、僕はあの巨大な腕に放り投げられて、崖のあいだに落ちたのではなかったか。それがなぜ、遥か山嶺を見下ろせる程の高い場所に立っているんだろうか。まさか、誰かに助けられた後、気を失っているうちに見ず知らずの場所に置き去りにされた、そんな訳でもないだろう。

 ここが死後の世界でもない限りは運よく生き延びたということになるが、ここが何処(どこ)なのかわからない以上、どうしようもない。

 そう思って辺りを見回そうと、目の前の美麗(びれい)な風景から目を離そうとしたときに、僕は自らの異変に気づいた。

「――体が、動かない?」

 (ひね)ろうとした首も、見回そうとした両目も、下がろうとした両足も、すべてが(ことごと)く言う事をきかない。遠くの雲じっと朝焼けを見ていることしか出来ない。今ここにある体を、何かに縛られ阻まれている感覚もない。

 僕の体であって、僕の体じゃないような違和感。自分の肉体の動かし方がわからない。まるで、魂だけが別の誰かに乗り移ったみたいだ。

「どうなってるんだろう?僕は、、僕は生きてる?それとも、やっぱりここは、死んだ後の世界、、?」

 声は出ているにもかかわらず微動だにしない唇から、僕は整理のつかない思いを漏らした。

 ふと、視線が下へと向かう。自分の意思ではないが好都合だ。これで少しでも、この場所が何処(どこ)なのか、僕の身に一体何が起きているのかが把握できるのなら。



 それは、細々(こまごま)と考えていたものをすべて、一瞬にして消し飛ばした。

 これは、僕の体じゃない。これが、僕の身体(からだ)であるはずがない。僕の目に映る存在、その外見の恐ろしさに、叫び声が声にならない。

 僕は先ほどまで、自分が普通の体を、人間の体をしているものだと思っていた。二本の足で立っているものだとばかり思っていた。

 それが、そもそもの大きな間違いだった。

 まるで巨木を切り出したかのような、血まみれで地にそびえ立っている(あし)。一歩踏み出せば断崖絶壁という所で、爪先から大地をつかむ鋭利な鉤爪が生えていた。いや、これが人間でいう「足」なのかもわからない。腕が生えていると思っていた胴体には、それらしいものは見当たらない。目を凝らして見ると、魚の(よう)なと()うには到底できようもない、漆色(うるしいろ)の分厚い(うろこ)がびっしりと備わっていて、そのところどころに傷が見受けられた。

 禍々しい鱗とは正反対に、胴の中心にある鱗は琥珀色(こはくいろ)の温かみのある色彩を放っていた。それが曲線を描いて集まる(さま)が体躯に似合わず美しく、ふいに僕の頭に、闇夜に輝く三日月が思い浮かんだ。

「何が、何が起きたんだ、、僕は、これは、何なんだ!」

 ようやく絞り出せた声を荒げるも、一向に口を開いた感覚はない。

 もう、今までの全てが悪い夢であってほしい。目を覚ましたら姉さんの笑顔が、いつも通りの日常が、そこにあってほしい。ちっぽけな僕の力が、閉じることの叶わないまぶた()もるだけだった。



 ――夢?

 ふと、畏怖と焦りで支配されていた思考の中に一滴、(しずく)が落ちる。

 朝焼けの空。霧の立ち込めた山嶺。血にまみれた三日月。

 此処(ここ)は、見た事もない場所か?僕がこの光景を見たのは、本当に初めてか?

 思い出そうとする僕を邪魔するように、突如として視界が斜めにかたむいた。鱗に覆われた脚が、力なく揺らめく。脚から胴へ伝わる揺らぎは、徐々に大きさを増している。膝を折り、目の前の崖へと視線が移る。そうだ、これは僕の、、

 (ひらめ)きと同時に、血塗れの巨体は、(むな)しくも崖から落ちてゆく。


(――クロウ)

 悲鳴をあげそうになる僕の耳に届いた、女性の声。柔らかな、()でるような。なぜだろう、懐かしい声だ。

(どうしたの?)

 これは、誰?返事を返す僕の声。僕の声だけど僕じゃない。返事をしたのは僕じゃない。

(いいえ、ただ、傍にいてくれてるかな、と思って)

 あなたは、誰?いたずらっぽく喋る声の主が、思い出せない。その顔が、見えない。


(――痛かったでしょう、ゆっくりお休み)

 亡骸(なきがら)となった、僕の同胞を撫でる彼女。ひどく悲しい気持ち。でもきっと一番悲しんでいるのは、その小さな体を震わせていた、他でもない彼女自身なのだろう。


(――クロウ)

 柔らかかった声が、微かに強張(こわば)った。

(今すぐここを離れて。残念だけど、お別れよ)

 どうして、と声に出す前に、眼前から矢の雨が降り注いだ。翼で彼女を守る僕の耳に聞こえてくる怒号。

(僕達が(なに)したっていうんだ!何ひとつ責められるようなことはしてないのに!)

 僕の耳に轟く、聞き慣れた僕の声。彼女をかえせと叫ぶ、僕の声。

(あんなのが英雄と呼ばれて、どうして彼女が魔女なんて呼ばれなくちゃいけないんだ!)

 夕陽を背にして(はりつけ)にされた彼女の胸に、剣を突き立てる男。それを、見ていることしかできなかった僕。

 ああ、そうか。


(――クロウ、―――、、ふふ、変な名前)

「失礼だな。僕達にしてみれば、そっちのほうが変なのに」

 文句を言いながらも嬉しさを隠せていない、その声。目を開けていられない、涙の(にじ)む僕の声。ふたつの僕の声が重なる。

 はっきりと覚えてる。彼女に初めて名前を呼ばれたときの、例えようのないこの気持ちは、僕の胸の奥に残っている。

 そうか、これは僕なんだ。幾度となく見た僕の夢。紛れもない、僕の記憶。

 地に近づいているのに、不思議と恐怖は感じない。それどころか、自分でも気づかぬうちに(つか)えていた何かがすっぽりと抜け落ちて、大空を翔べそうなくらいに心が軽い。

 僕が、この大きな身体をした僕が願ったもの。また仲間と一緒に大空を翔び回りたい。また皆と出会って、そして、、




『クロウ!クロウ!聞こえてるなら返事しろ!』

 名前を呼ばれて、はっとした。先程までの光景とはうって変わって、暗闇の中を落ちている()只中(ただなか)の僕。はは、まさか、夢の中でも現実でも同じような目に遭うなんて。

『笑ってないで、さっさとオイラを出しやがれ!』

 胸の召喚符(ゲッシュ)のひとつから熱がほとばしる。なんとなく、君が話し掛けてくれてる、そんな気はしていた。聖都の祭壇で出会ったときから、今までずっと。

 ごめんね、君がその小さな姿だったのは、やっぱり僕のせいだったみたいだ。ありがとう、こんな召喚者(ぼく)の元に来てくれて。

 服の上から、熱を帯びた召喚符に手を(かざ)す。全身を巡る魔力(マナ)と一緒に、僕の体から沸きあがっていた熱が、一枚の召喚符に込められる。

 今ならはっきりとわかる。僕の相棒(パートナー)の本当の姿、本当の名前。



「来い!炎龍《イフリート》!」

 込められた全てを餌に仮初(かりそ)めの姿を破り、相棒が闇夜を飛翔する。落下する僕を助けて、その巨大な紅蓮の背中に、ちっぽけな召喚者を乗せながら。

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