第6話
一方的、と言う言葉では足りない。抵抗を試みなかったわけではない、それが及ばなかった。
私の力では、敵わなかった。
自分の力では、きっと敵わない。
炎を纏った骨の両腕が少女と戦乙女を捕らえるまで、そう時間は掛からなかった。
「ふむ、いい加減、種明かしをしてやるかね」
締め上げられた少女を見上げ、顎髭を撫でながら男は口を開く。両腕の炎で黒炭となっていないのが、これが男の魔力によるものだということを意味していた。
「何を、、」
戦闘の最中、確かに違和感を感じていた。違和感というよりも、そうであって欲しいという願望だろうか。
敵の召喚獣、獄猟犬の力量は測り知るところではない。だがこうも戦乙女を手玉にとれる召喚者、召喚獣など、聖都の才ある召喚師を相手にでもしていない限り、考えられない。
「はっきり言って、ヘルハウンドじゃあどう足掻いたってワルキューレには適わない。だから、わざわざ聖都であんたを襲い、ここまで逃げてきたって訳だ。知ってたか?此処は火の魔力が潤沢な場所なんだとさ」
男がかぶりを振って話す。その地に根付く魔力との相性。獄猟犬の形を成す体炎から、魔力の性質は火だろうというのは見てとれる。
激痛で意識が飛びそうになる中、思考は止まない。それだけで、ここまで力の差がひらくものなのか。そんなに私は、弱いのか。
「ああ、いや、逃げてきたっていうのは間違いか。そう、火の魔力に加えて、ひとつ細工をしたんだ。俺の持つ闇の魔力を此処に流し込んでなぁ」
「お前は、、何を、、」
「ワルキューレは光だろう?魔力が正反対の場所でずいぶんと長持ちしたもんだ。流石は貴族様のご令嬢、忠実な僕をお持ちで。」
男が視線を向けた先で、傷ついてなお抗っていた戦乙女が、骸の片腕に押し潰される。その瞳は、最後まで私を救おうとしてくれていた。
悔しい。召喚獣を僕と吐き捨てられたことが、この敵を目の前にして、無力な姿を晒す自分が。
沸き立つ感情とは裏腹に、戦乙女が光となって消え、懐の召喚符へと還ってくる。同時に自分の魔力が枯れるのを感じる。
「さぞ無念だろうよ。主人がもう少し頭の切れる奴だったらなぁ」
(ごめんね、ルネ、、私の、、せい、で、、)
戦乙女の姿が頭に浮かぶが、すでに瞼を開くことはできず、意識が暗闇へと呑まれていった。
「さて」
男が右手を上げる。骸の右手が振り挙げられ、握り締められていた少女の体は宙を舞い、地面へと叩きつけられる。
「後の奴は、どうするかね」
獄猟犬が、この場所に迫るもう一人の人影めがけて猛進する。
「何だ、あれ、、」
目の前の光景を理解するだけの頭を、僕は持ち合わせていなかった。全身が一瞬にして恐怖で縛りついた。
「魔術、、?」
纏う炎で夜の闇を、月明かりもろとも吹き飛ばすような巨大な腕。全部悪い夢であってほしい、あんなにもおぞましい魔術が存在するなんて。
額の汗をぬぐう僕の横を羽ばたいていた火蜥蜴が、吠えた。
「どうしたの、、!」
何かが迫っているのに感づいた直後、怪物の腕に視線を奪われていた僕の脇腹を、鈍い痛みが襲った。不意に体が突きとばされる。
(息が、、)
地面を転がり、立ち上がろうとするも視界が定まらない。うずくまる僕の耳に、火蜥蜴の鳴き声と、得体の知れない唸り声と、砂利を踏み進んで来る音が聞こえた。
「おいおい、聖都は子供を追っ手に差し向けるのか」
顔を上げた僕を見下ろして、傍らに男が立っていた。生気の抜け落ちたような白髪、どこか虚ろなその瞳が嫌でも目に入る。
「お前、、誰だ、」
「おお?何だ、まさか何も知らないでここまで来た訳じゃあないよなぁ。あいつの知り合いか?」
男が向けた視線の先に横たわる女の子。間違いない、僕が追ってきたあの子だ。
「知らない、、。怪我してたあの子を、、追って来ただけだ」
「は、殊勝なことだ。そりゃそうだ、色々と知っているのなら、そのちびと追いかけてこようなんて、思わないわな」
警戒心をあらわにする火蜥蜴を見やり、男が嘲う。髭の生えた口元が歪む。
「顔を見られたからには始末するつもりだったが、手ぇ差し伸べてやる」
僕を見下ろす男の口元が、ゆっくりと開かれる。
「お前、俺と一緒に来ないか?その火蜥蜴を切り捨てて」
悪魔のささやきは、次第にその語気を強める。
「ジェス、俺の通り名だ。本名は別にあるんだが、どっちの名前でも変わらない事がある。」
自らをジェスと名乗った男が、視線の高さを僕に合わせ、指を向けて続ける。
「後にも先にも、俺の名前は『ひとつだけ』。言ってる意味が分かるか?」
立ち上がろうとしても、毒蛇に睨まれたかのごとく体が動かない。そのくせ、頭のほうは馬鹿正直に働いてしまう。
この男は、まさか。
「洗礼名、、」
「察しが良くて助かるね。その通り、星だか何だか知らないが、俺はそいつに名前を貰えなかった人間だ。」
僕の心臓が跳ねた。傷に針を突きつけられるような恐怖が全身を巡る。
「おまけに召喚獣も弱っちくて、それだけでまともな人生送ってこれなくてなぁ。周りから碌な目で見られない。挙句の果てに、親からもだ」
呼吸はとっくに整ってる筈なのに、息が詰まりそうになる。この男の顔が、言葉を紡ぐ口が、怖くてたまらない。
「そんな視線を晒されるうちに、ふと思うんだよ。この手でこいつら全員、殺してやりたいって」
まるで、これから僕も、そんな目に遭うかのような。
「変わる方法があるんだよ。何もかも壊す手段がある。」
「どうだ?お前はこれからもずっと、そいつと一緒に生きていくのか?」
目の前の景色に、色彩が戻った気がした。体を縛っていた全てが、最後の一言で砕け散る。
そいつ。そう呼ばれた僕の相棒が、ジェスに向かって、ほんの小さな火球を吹きつけた。
「ヘルハウンド」
火蜥蜴の、涙のような火球を拳で払い、ジェスが獄猟犬へと命令する。
手のひらほどの大きさしかない相棒が、獄猟犬に前足で押さえつけられた。火蜥蜴が、散った火の粉のようになり、懐の召喚符へと戻ってくる。
「どんなに弱っちくても、切り捨てられるのは御免ってか。邪魔者は居なくなった、返事を聞こうか」
ジェスという男は、変わらない歪な笑みを向けてきた。
「冗談じゃない、、」
「何だと?」
ジェスの不愉快な笑みが崩れた。体じゅうに痛みが走ったが、立ち上がることはできる。そんなに、僕の答えは意外だったか。
お前には、火蜥蜴の火が、命惜しさの攻撃に見えたのか。
「冗談じゃない!こいつがいなくなるなんて、死んでも嫌だ!」
もう、この男に恐怖など微塵も感じない。こんな奴に背を向けたくない。僕の相棒を侮辱したお前から、逃げたくない。
全身に、自分のものとは思えない熱を感じる。
「、、そうか」
そんな僕とは対照的に、つまらなそうにジェスが嘆息した。
「それじゃあ、お望み通り、さよならだ」
瞬間、風切り音がしたと思うと、僕の体は、骸の腕に掴まれた。
握り潰される予感は裏切られ、そのまま放り投げられる。
「うわああああ!」
眼下に迫る崖と崖の狭間。そこには、底知れぬ暗闇が広がっていた。