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第5話

 木々の合間を走り去るひとつの影。この先の崖を越え、隣国との境界線を抜ければ、聖都の召喚師共もそう易々とは追って来れまい。

 口元に自然と笑みがこぼれる。これは高揚感か、ある種の達成感か。

「こうも全て上手くゆくって経験、した事なかったなぁ」

 思わず独り言がつむがれる。自分は追われている身の筈なのに、微塵も恐怖を感じない。その危機感を滅するだけの力が、自らの手の中には有る。


 (ひら)けた場所へ抜けると、それまで木の枝葉に遮られていた星空が顔を出した。目の前には崖と崖を繋ぐ吊り橋が、その下には、奈落へと続く暗闇が顔をのぞかせている。

 腰に下げた杖のうち、そのひとつを外す。骨を用いたおぞましき短杖、その先端を地面に突き立てる。当の昔に何かを信じるという行為を捨てたのだが、今の自分の姿はなんとも、祈りを捧げているようではないか。

(さて、忌忌(いまいま)しい此処(ここ)から飛び立つ前に)

 自らの魔力(マナ)を、杖を介して地へと送り込む。我が内で膨れ上がった、憎悪が灯った魔力。地中で育つ餌に反応するように、懐の召喚符(ゲッシュ)(うごめ)く。


「最後の仕上げといこうじゃないか」

 黒き影は振り向き、(たかぶ)る気魂を手元に収め、迫る追跡者を待つ。






 僕はどれほど走っただろう。

 喉の奥から乾いた息が(あふ)れ出る。地を踏む度に傍らの小さな相棒が、肩の近くに着いてくる。

 指先の火照りのせいだろうか、街道を越えた辺りから夜風が涼しく心地良い。

 僕は日が落ちてからの時間にここまで、北の街道を越えて来たことはなかった。

 途中幾度となく、夕食のときの姉さんとの会話が頭の中を反響していた。そう考えたくはないが、はやる鼓動が収まらない。

 左手に残る乾いた血のかたまりが、思考に陰りをもたらしてくる。

 辺りは静寂を崩さない。足音をたてて走る自分だけが、周りから切りとられた異物のように思えてくる。

 月光が僕の行く道を照らす。宵闇の中を抜けて、三日月がずいぶん近くに感じる。

 なぜだろう。気のせいか、この感覚は初めてじゃない気がする。






「ふん、そんなに(にら)まないでくれないか」

 身体のわずか横を光の矢が通り過ぎても、男は笑みを絶やさないでいる。飛来した光矢(こうし)は、崖に掛かる吊り橋の手すりを射ち抜いた。衝撃で橋が傾く。

「これで、あなたが逃れる術はないわ」

 崖を背にする男の眼前で、右手に持つ装飾杖から光矢を放った人物。

 闇に溶ける蒼黒色の法衣《ローブ》を纏って、乱れた呼吸でその肩を上下させる、フードを被った少女。

 自分へと明確な敵意を向けるその姿を見て、男は指で骨杖を弄りながら口を開く。

「まさかその傷で追ってくるとはね。俺は結構、深く刺したつもりだったんだが」

「黙りなさい」

 彼女の左手からは血が流れ落ち、法衣(ローブ)の肩を赤く染めている。尋常ではない額の汗。男を追っていた(あいだ)中、そして今なお、腕を動かす度に激痛が走るのだろう。

 だが、少女は震える指で懐の召喚符を手にとる。その整った顔を苦痛で歪ませながら、胸の前へと召喚符を差し出す。蒼い瞳は、敵をとらえて逃さない。

 男は(あご)に手をあて、相も変わらず笑みを崩さずにいた。

「よほど召喚獣に自信がお()りか、ただの愚か者か、、」

「黙りなさいと言った筈よ」


「それとも、血化粧貴族の(さが)か?」

「黙れえぇっ!」


 傷の痛みを振り払うほどの激情の声とともに、少女の召喚符が魔力を帯びる。先に彼女が放った光の矢よりも鋭く、瞬く間に敵に切迫する。

 男は腰に下げていた杖のうち一本を構え、火球を放って迎撃を試みた。

 法衣を纏う少女の杖から放たれた閃光が、魔力によりもたらされた魔術であったなら相殺も叶っただろう。

 だが召喚符から()びだされたそれは自らの意思で跳躍、火球を回避し、男の頭上より襲いかかった。

 後方へ飛び去るも振り下ろされた剣先を完璧にはかわしきれず、骨杖の一本が両断され、男のこめかみから一筋の赤い雫が流れ落ちた。


 身体を翻し、少女の前で剣を構える神々しき姿。

 閃光の中より現れた、人と同じ外見をしていながら、人では決して持ち得ない能力(ちから)を持つ存在。

 白金の鎧を纏い、銀の刃を振りかざす壮麗な召喚獣。その相貌(そうぼう)が見据えるのは、召喚者に仇なす敵。

 天上に住まうと()われる、神代(かみよ)の化身。


「戦乙女《ワルキューレ》、凄まじいな」

 召喚獣を相手にするなど、人間に出来たものではない。召喚獣の相手は、召喚獣を(もっ)て。そう考えた男は懐の召喚符を右手で掴み、突き出す。

「ルネ!」

 (あるじ)の声に呼応し、ふたたび地を駆ける戦乙女(ワルキューレ)。例え召喚獣を喚び出そうとも、もろとも剣撃のもとに対峙する敵を葬り去る。それだけの能力が戦乙女には有り、召喚者である彼女もそれを信じて疑わなかった。自らの召喚獣に対する絶対の信頼。


 肉薄し、剣の横薙ぎを見舞う戦乙女(ワルキューレ)。だが、その銀色の一閃は男が喚び出した存在によって阻まれる。

「そんな、、」

「その顔、まさか止められるとは思ってなかった様だな」

 (かた)や驚愕と落胆に表情を歪ませ、片や嘲笑を含んだ優越感で、口辺の笑みを深くする。


 (ただ)止められただけならば、どれほど良かったことか。

 ルネと呼ばれた戦乙女(ワルキューレ)の剣を、(あぎと)を以て受け止めたもの。燃え盛る炎が全身を形づくり、犬のような狼のような骨格が、烈火の中に浮かび上がっている。

 おおよそ生物の容姿をもった召喚獣に()いて、あまりにもいびつで、異質な有様(ありさま)


「こいつを()めて掛かると喉笛(のどぶえ)を食い千切られるぞ。大喰らいだからなぁ、俺の獄猟犬《ヘルハウンド》は」

 獄猟犬(ヘルハウンド)の体炎が激しく揺らぎ、鍔迫(つばぜ)り合いを演じていた戦乙女へと襲い掛かる。

「ルネ、下がって!」

 鎧に炎が降りかかる(すんで)のところで剣を引き、戦乙女は異形の存在と距離をとる。

 同時に光矢が飛来し獄猟犬に直撃するも、体勢を崩すだけに留まった。後方から装飾杖より魔術を放った少女の顔は、驚愕から立ち直ってはいるものの、荒い呼吸と焦りが見える。

 体勢が崩れた隙を逃すまいと宙より戦乙女が獄猟犬に接近し、骨の浮いた胴体に刃を突き立てる。


 瞬間、戦乙女の身体が真横に吹き飛んだ。地に叩きつけられ、白金の破片が空に撒かれる。

 己が相棒を蹴散らされた少女は、蒼い眼を見開き攻撃の出所を探る。


 戦乙女を襲った一撃。その存在を見つけたとき、驚愕を超えた畏怖が少女を貫く。

 笑みを浮かべる敵の背後にたたずむ断崖。

 紅蓮を纏った巨大な(むくろ)の両腕が、崖の底より()えていた。

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