第2話
「ここで大丈夫。ありがとう、姉さん、フーちゃん。」
聖都アルスターの門を過ぎた辺りで、僕は銀狼の背から下りた。
それにしても、流石は召喚師というべきか。屈強な体つきの門兵も、召喚師の姉さんとその召喚獣フーちゃんを見るなり、自らの召喚符も出さずに通してくれた。顔パスである。
「クロウもフーちゃんみたいな可愛い召喚獣がパートナーになったら、私にも絶対に紹介してね」
「ああ、うん、紹介するよ」
フーちゃん可愛いか?
「それと、洗礼名だけど、」
「わかってるよ。もしも星に名付けられなかったら、姉さんと同じ『フィアナ』を名乗る。でしょ」
神託を受けたときに召喚符と共にこの星より授かる名前、それが『洗礼名』である。今の僕は母親から貰ったクロウという名前だけだが、洗礼名を授かるとこの名にさらに続きができる。
さらに名前が長く続くこともあるのだが、それは極々一部の上流階級一族のみなので、一般人は親名・洗礼名と名乗るのが常識だ。
しかし、稀に洗礼名を与えられない人間が居る。魂と肉体が擦りあっていないから、前世で何か大罪を犯したから、などと考えられているがその原因は解明されていない。
ただひとつ言えるのは、洗礼名を与えられなかった人間は総じて『未熟者』のレッテルを貼られて生きていくということ。
そういった人々は大抵、近しい親族の洗礼名を借りて名乗るのだが、自らの存在価値に苛まれていく人間が多数のようだ。
「約束よ。うう~ん、姉『エスリン・フィアナ』と弟『クロウ・フィアナ』、はあ、好いわぁ~」
「僕が洗礼名を貰えないのを前提にしないでくれる?」
そこは姉の立場から、心配してくれるか、もしくは貰えるに決まってるって断言してくれたほうが嬉しかったんだけど!
「半分は冗談よ。私だって大事な弟が洗礼名を貰えない、なんて事になってほしくはないもの。ただ、ほら、不足の事態には常に備えないとね!これはドルイドの基本よ。」
もう半分は本気なのか!それらしいことを頬を紅潮して言われても説得力が無い。
「それじゃあ、そろそろ祭壇に向かうよ」
「場所は知ってる?念のために地図は持った?」
「姉さんは心配し過ぎ。場所は頭に入ってるし地図も持ってる」
「そう。お家に帰ったらお祝いね。楽しみにしてて」
「わかった。行ってきます」
見送る姉さんと、ワオウ、とひと鳴きするフーちゃんに僕は小さく右手を上げて、ここから東にある祭壇へ向かうために歩きだす。
大きな都市というのは決まって商業が盛んであったり、経済が潤い常に循環していたりと、何かしらの『人が集まるための要素』を持つものである。
だが、ここ『アルスターの街』は少し毛色が違う。確かに中央都市ということもあって交易が盛んであり、人々の暮らしも平均水準を上回っている。
しかし、そう成ったのは『聖導都市』と呼ばれ始めてからの話。
ここが大都市といわれる所以は、ひとえに僕が今その中にいる『祭壇』の存在が大きい。
祭壇にはこの星の意思を写す『聖杯』が鎮座している。その聖杯に映った星の意思を汲み取り、何らかの方法で自らの魔力《マナ》に乗せて人々に伝えることができるドルイドも存在するらしい。
『祭壇』及び『聖杯』はいくつかの場所に存在すると言われるが、僕自身がアルスター以外の祭壇の場所は知らないし、その中の聖杯に至ってはアルスターですら見たことがなかった。
今までは。
「これが聖杯、、」
見たことがないからこそ驚愕した。目の前に座す聖杯の大きさ、その荘厳さに。
確かに祭壇の中に入ったときから澄み切った清らかな空気を肌で感じることはできた。
だが祭壇の奥深くに鎮座する、この聖杯の周りは訳が違う。
まるで、『聖杯』という巨大な生物に見つめられているかのような。
自分が別世界への一歩を踏み出してしまったかのような。
僕はえもいわれぬ重圧を感じ取り、指先ひとつ動かせずにいた。
「星に喚ばれし者、クロウ。御手を聖杯へ」
《星詠みの召喚師》といわれる老婆に名前を呼ばれ、金縛りを解かれたように僕は聖杯の傍へ近づく。
聖杯の縁へ手を掛けると、その中には液体が入っているであろうことが見てわかった。
だが、その底が、その深さがわからない。まるで星空を写した水面が、聖杯の内部一杯に広がっているようだった。
僕は水を掬う動作で聖杯の中へと両手を入れる。
確かに液体が触れた感触はある。温度は感じない。ただ、自分の魔力が体の中を巡る感覚がする。
そのとき、聖杯の暗い水面が波紋をたてて揺らめく。
「何だ、、?」
薄く映し出されたもの、これは、山の頂?
頂上の黒い影、大きい、人間よりも遥かに。あれは何だ?
僕はこの光景を見たことがある。何処で?
そうだ、僕がいつからか見るようになった夢。
今日の朝も見た夢。
幾度となく見てきた血塗れの夢。
僕はこの夢を見たことがある。そして、最後に僕は、、
「クロウ!」
大声で名前を呼ばれ、我に返る。声の主は星詠みのドルイドだ。
「平気か?顔が青いぞ」
「はい、大丈夫です」
口ではそう言えるが、はやる鼓動が収まらない。
「お主を呼んでも返事がないから、その身に異変が起きたのかと心配したぞ。我々も聖杯の全てを知り尽くしているわけではないからのう」
「ごめんなさい。少し、、考え事をしていました」
「然らば。ふむ、よい頃合であろう。聖杯より、静かに御手を出してみよ」
液体の中から水を掬う形のまま、ゆっくりと両手を水面へと上げる。「上げる」というよりも「引き抜く」感覚に近い。実に不思議な体験だ。
僕の両手の真ん中に、何かが触れている。
「見えてきたか?お主の手の上には今、ひとつの召喚符が置かれているであろう」
背中越しにドルイドのしゃがれた声がよく聞こえる。
ひとつの召喚符。
「その透明な召喚符こそ、星よりお主の元に導かれた、一体の召喚獣じゃ。」
一体の召喚獣。
「さて、如何なるも喚び出してみんことにはわからぬ。ここより外に出て、お主の相棒の姿を確かめようではないか」
「あの、、」
「ん?どうした?」
聖杯の前から動くまえに、星詠みのドルイドに今すぐ聞きたいことがある。
どうして、
「ふたつ、あります」
どうして僕の手には、ふたつの召喚符があるのですか、と。