第1話
「クロ~、クロウ~、そろそろ起きなさ~い」
コンコンとドアをノックする音が聞こえ、次いで女の人のゆったりとした甘い声がする。姉さんの声だ。
「みっつ数えるうちに返事してくれないと、姉さんお部屋に入るわよ~」
「あぁ、うう、」
何だろう、うまく声が出せない。息が苦しい。
「ひと~つ、ふた~つ、み~~~っつ。あらあら、いくつになっても朝は弱いのねぇ」
なぜだか頭のてっぺんも痛い。三つめ、ちょっと間延びしてたよね?
カラカラとドアが開く音がする。そうだ、きっと緊張からの寝不足で風邪を引いたんだ。姉さんに助けてもらおう。
「うふふ、クロちゃん、またベッドから落ちてる」
「この歳になってクロちゃんはやめて、、、」
「その格好で言われても、説得力ないわよねぇ」
「格好、落ちてる?えっと、あれ?」
まぶたを開けると、姉さんの足が天井にくっついてる。姉さんが、天井から生えている?
「お腹、えい」
「ひああ!」
ひんやりとした指でヘソの辺りをなぞられた。我ながら実に素っ頓狂な声を上げて、僕の身体は足から横に倒れてゆく。
床で大の字になって、ようやく僕は気づく。なるほど、ベッドより頭から落下した僕は、両足を放り出した体勢で姉さんの部屋への侵入を許した訳か。なんとも恥ずかしい。
「赤くなってるところ悪いんだけれど」
姉さんがピンと指を立てた方向には時計。長針は七時を過ぎている。
「ち、遅刻だ!」
「準備ができたら、フーちゃんと送っていくわ。私も今日は街に用事があるの。」
「うん、ありがとう!」
僕は飛び起きて着替えを始める。姉さんが笑顔でドアを開けたり閉めたりしている。姉さん、着替えているときはさすがに部屋から出てほしい。
コップ一杯のミルクを飲み干し、僕は家の外に出る。外では姉さんが、傍らに寝そべっている巨大な狼の背中を撫でていた。
初めてこの光景を見た人は呆気にとられるだろう。しかし心配する必要はない。
あの狼は、姉さん曰くフーちゃん。は、姉さんが喚び出した召喚獣なのだから。その証拠に銀色の背毛を撫でられているフーちゃんの大きな尻尾は、左右に揺れて嬉びを表していた。
「姉さん、お待たせ」
「あら、大丈夫よ。フーちゃんと遊んでたから。準備はいい?」
「ああ」
寝そべって顔を緩めていたフーちゃんが僕に気づいて、乗れと言わんばかりに背中を差し出してくる。
「それじゃフーちゃん、お願いね」
銀狼が短くひと鳴きして、僕と姉さんは背中に跨る。
目的地はこの国の中央都市。畏敬の念をこめて呼ばれるその街の名は、《魔導聖都 アルスター》。
この地では12歳から18歳の間に、とある儀式を受ける決まりがある。
星の神託を受けた少年少女達が、アルスターの祭壇に呼び出され行われる洗礼の儀。召喚符《ゲッシュ》といわれる透明な石版を手に入れ、各々が、今後の人生の相棒となる召喚獣との初めての出会い。
今、僕と姉さんを背に乗せて草原を疾走している銀狼も、姉さんが召喚符で喚びだした召喚獣。頼もしいパートナーを、僕は迎えることになる。
それだけではない。何せこの儀式の結果次第で、14歳の僕の人生そのものの道筋が決まる。なぜなら、
「クロウは、やっぱり召喚師《ドルイド》を目指すの?」
後ろにいる僕に向けて、姉さんが問いかけてくる。
「もちろん。姉さんが召喚師だからでもあるけど、僕自身が目指してみたいから」
「そっか、、、聖都の学校に入学したら、毎日のようには会えなくなるわね」
「はは、入学『できたら』ね」
「できるわよ、クロウなら。そんな気がする」
姉さんの少し寂しそうな横顔。
聖都が召喚師の育成を掲げ設立した《聖都魔導学院》。
入学し、召喚師の基礎を学び、修練を重ね、卒業する。その入学から卒業までの課程すべてが難関であり、召喚符を持つ人々の憧れ《ドルイド》へと至る道のりである。
姉さんは魔導学院の卒業生である。洗礼にてフーちゃん、銀狼《シルバーウォルフ》を喚び出しその才能を見出され、今ではドルイドとして聖都の召喚師一団で勤めている。
召喚獣は通常、赤や青などの司る属性が反映される体色が一般的だ。故に、銀色の体色は珍しい。そのうえ俊敏さと爪牙を兼ね備えた狼、その力量は申し分ない。
そんなドルイドに僕もなれるだろうか。眼下に見えはじめた聖都に対し、期待と不安に心躍らせる僕だった。