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第四章 未熟な青水晶

 ふいに聞こえたのは、天井から床に、何かが、ズシン! と、落ちる大きな物音だった。 

 おどろいた小春は、不覚にも、ばねのように飛び起きた。心臓が激しく動悸(どうき)()っている。

 その大きく見開いた瞳の中には、純真な少年の姿が映っていた。

 少年は、体を起こすと、背中を丸めて、頭の上に両手を()えながら、さも痛々しそうに唸り声を上げていた。

 その少年が目の前のベッドへ、ふっと顔を上げ、小春と目が合うと、口を開いた。


「……や、やあ」


 少年は、(はしばみ)色の瞳を曇らせている。

 小春は少年と目が合った瞬間、昨日コタンで、キバや赤魔に、サンタカと呼ばれていた他ならぬあの少年であることに気づいた。


「平気さ。様子見で、ベッドの屋根の上に登って、体をその下へ乗り出したら、その拍子に落っこちてしまっただけだから」

 

 しばし小春は、このドジっ子なサンタカを見開いた目で眺めていた。しかし、サンタカがとても素敵な図書室がこの城の中にあるといいだし、小春は連れられて行った。

 城内の廊下を歩きながら、小春は、隣でずんずん歩くサンタカにいった。


「そういえば、キバは?」


 静けさの中、サンタカの長靴(すねまでの丈の革のブーツ)と、小春の小さなくつの音がこだました。

 右側は、一部屋にも出来そうなほど凹んだ場所に、銅色の大きな古時計がたたずんでいる。時計の輪の中は、夕焼けのように輝き、赤らんでいる。時刻、午前六時二十分。

 二人は、時刻を気にする風もなく、そこを通りすぎていった。

 サンタカは、早口で、


「キバは、なかなか忙しくて来られないんだ」


 小春は、ずっと蜘蛛の巣のように、心にへばりついていた疑問を、ここで、サンタカに問いた。


「闇の国って、一体なんなの?」


「だから、それを知り得るために、ここにある本で勉強するんだろう?」


 サンタカがそう口にするや、目の前には、きらびやかな黄金(こがね)色にそまった図書室が広がっていた。

 そこは比較的広く、天井は、いくつも黄金色で縁どられた中に、それぞれ色々な絵が描かれてある。――砂漠の中、馬車に乗る二人の紳士。一人は健康的で、一人は小太りだった。森林を背景に、土の地面の上に置いた長い木箱の上に腰をおろし、会話を楽しむのは、またしても、あの二人の紳士。

 細く長々と敷かれた真紅色の絨毯の左右には、いくつもの木製の本棚が、ずらりと並んでいる。それも、十段にもなる本棚の中に、沢山の本がぎゅうぎゅうに詰まっていた。その脇には、ところどころ、地球儀とよく似通ったものが置かれてあった。影神界の全体の地図か、神界から影神界をひっくるめて表した地図だろう。

 真紅色の絨毯の中央には、本を置くための台があり、そこには、誰かが読みかけた本のページが開いたままだった。 

 小春はその台へ歩み寄り、開かれぱなしの本を見下ろした。しかし、古めかしい言葉ばかりで読むことは正直困難であった。

《だから、最後まで読み切れずに、投げ出してしまったのだわ》

 小春の目に、光が灯る。この図書室が現世界にある図書館であったなら、どんな世界遺産になることだろう。きっと、どんな美しい図書館よりも、魅力的な図書館に違いない。と、小春は想像を掻き立てずにいられなかった。

 サンタカは言葉をまくしたてた。


「ここへ来れば、何でも知りたい情報が手に入る」


 小春は、ふと「闇の国の歴史」という題名の本が目に入ってから、目を離すことが出来なくなり、その本棚へ歩み寄っていった。

 しかし、ぎゅうぎゅうに詰まった本の山の中から、一つの本を取り出すことはそう簡単ではなかった。

 本を取りだそうと、ひたすら力を込めて引っ張り続けているが、一向に数センチほどしか抜け出せない。そう困っていると、ぴちぴちの小さな手が風のようにするりと入りこんで来た。それはサンタカだった。


「慌てるからだよ」


 サンタカは、にこやかに笑いながら、その本をするすると取り出して、小春へよこした。


「ありがとう」


 小春は、サンタカから本へ視線を移し、その本のページを、その場でめくり上げた。

 ついで、独り言のように、目に飛び込んできた文章を読みはじめる。


「……(やみ)の国。別名、死神の()


「後は、そうだなあ……」


 サンタカは、何かを考えているのか、独り言を言って、颯爽と図書室の中を歩き出していった。

 小春は何かに取り憑かれたように、本をひたすら読み続けている中、突然――どすん、どすん、どすん。――その両手が、ちぎれるくらいに重たくなった。なぜなら、最初の本のうえに、大量の本がどっさりと乗っけられたのだから。

 犯人の見当はつくものの、小春はそれでも、顔を上げていた。あんのじょう、目の前には、サンタカがいる。勿論、やっぱり、やっぱり、そうだった。

 (いら)ついている小春を気にする風もなくサンタカは口を開いた。


「これだけ読めば、十分さ。だって、これだけ読まないと、この世界のことなんて、凡人には分からないだろう?」


 随分と生意気な口をたたく少年だとも思った。だが、この我慢強い小春は、気持ちを落ち着かせるということを知っている。


「そうね。そうだわ。ご親切にありがとう、サンタカ」


 その口調は、不自然に赤らみを含んでいたが、この純真な若者には、それが分からないのだろう。

 サンタカは、そのまま、何事もなかったように図書室を抜け出ていった。

 小春は黙って、重たい本の山を両手で抱えて、サンタカのあとについて廊下に出た。

 二人は、城をぬけ、コタンへ続く橋をおり、西へ、西へと歩いていった。

 こうして、二人はコタンの西部、ダンテへたどりついた。

 そこでは、いくつもの鍛冶屋から武器を打つ甲高い音色が鳴っている。

 小春は、両手にのしかかった重みもすっかり忘れ、周囲の町並みを見渡した。

 左右ずらりと並んだ店の間を流れゆく人々、それも皆大人で、自分たちの他に子供の姿は見当たらない。

 たくさんの木材の塊を、二人の男がそれぞれ端と端で担ぎ、汗水を垂らしながら、


「あーあ! また、あの馬のせいで仕事が増えちまった」


 と、丁度小春を横切っていった。

 あの馬とは、もしや、水の城の城壁を壊した、赤魔の飼い慣らす、黒馬のことかもしれない。『また』ということは、こんなことが一度や二度では、ないのだろう。

 小春はサンタカを見下ろした。


「後は、何が必要なの?」


 サンタカは考え込むように言った。


「そうだなあ、武器と服を調達したいところだね」


「服?」


「ああ。だって、そんな服装じゃあ、動きずらくて狩りの邪魔になるだけさ」


 サンタカは、小春の白い着物を眺めながらそう言った。

 小春は、ゆっくり見渡しながらサンタカの後をついていると、ふと、美しい音色が耳に届いてきた。笛の音だ。

 やがて歩き進むと、まるで猟犬が犬笛に耳を傾けるように、その人の笛に耳をすましている人々の姿が、店の壁際にあるのが見えてきた。

 つい気になった小春は、そちらの方へ歩いていった。

  石像のように立っている大人たちのあいだに身体をねじこんで前に出ると、和らぐ光景が目にとびこんできた。

 木箱の上に腰かけた若者が、横笛を風のようにすらすらと鳴らしている。聞いたことのない曲だが、暖かく、優しい曲に思えた。

 皆、若者の奏でる笛の音に聞き入っているのだ。小春は、ゆっくり目を閉じていった。

 一方、サンタカは武器屋へ立ち寄り、弓と矢と、槍を購入していた。

 サンタカに合っている武器は弓だが、小春に合った武器が何かまだ分からないため、槍も一緒に購入したのである。

 つづいて立ち寄ったのは、武器屋から差ほど離れていない服屋だった。そこでは人が良く、体格のよい女の人が働いている。

 サンタカは女の人を見上げて、口を開いた。


五冠(かん)より少し大き目の婦人服と、二冠ほどの小さ目のブーツはあるかい?」

 

 女の人は、少し身体をかがませて、服を取り出すと、丸まった身体を元に戻した。


「そうだねえ。これなんかどうだい?」


 生まれつきの大きな声をだして、女の人が取り出したのは、男物の赤いチュニックだった。


「男物しか今はないんだよ。だけど、生地はしっかりとしていて上質で、それでも、少しばかし大きいかねえ……」


 女の人は、しわを伸ばすように赤い服に触れ、独り言のようにそう言った。


「いいよ、別に。北へ行けば、カササギがいる」


 小さな声でサンタカはそう言った。

 コタンの北側には、機織りの仕事をしている人々がいて、その内のカササギという女の人は、特に、服を直すことに優れた腕を持っていた。


「あと、そのブーツ頂戴!」


 甲高い声でサンタカはそう言って、服屋の脇にぽつっと置かれた上質そうな、しかし、小さなブーツを指で指した。

 すると、女の人が服とブーツを纏めてサンタカへよこした。


「そんじゃあ、二百金貨だよ」


 サンタカは、黙り込んで服の内から金貨を女の人に手渡すと、踵を返して歩きだした。


「それにしても、小春……どこにいるんだ」


 流れゆく人々の中、一人歩くサンタカは、辺りを眺めながら呟いた。

 と……どこからか、笛の鳴る音が聞こえてきた。

 サンタカは、はっと足を止めた。ふっと音のする方へ振り向くや、その先に、笛吹を前にして小春が佇んでいるのが、彼の瞳に映り込んだ。

 小春は、周りの大人たちと同じように、ぼんやりと笛の音色に聞き入っていた。しかし突然、彼女は我に返った。聞き覚えのある若々しい少年の声があったからだ。


「何しているんだよ、行くよ」


 小春は、はっとした表情をすると、大人たちのあいだに身体をねじこんでサンタカの元へ戻っていった。

 そうして、二人はダンテを離れて、コタンの北部に佇む大きな木製の建物の中へ足を踏み入れていった。例の機織り職人へ服を直してもらうためである。

 それにしても、あの優しい笛の音が未だ耳に残っている。それほど変わった曲でもないのに、どういうわけか、時や苦しい過去を忘れるほど心地がよく、いい曲に思えたのだ。

 廊下の先にある戸へ近づくにつれ、だんだん、かたかたという音が大きくなっていく。一日の大半、この仕事に時間をかけているのだろう。

 水の(たみ)は皆自由だった。それなのに、火の(たみ)は、それが許されない。小春はそんなことを思うと、胸が針に刺されるように傷んできた。

 サンタカが戸を開けて中へ入っていき、小春はしばし立ち尽くして待っていた。閉ざされた戸の先で、話し声が聞こえたが、何を話しているのかまでは、まったく分らなかった。

 やがて、服を機織り職人に預けたサンタカが戻ると、二人は踵を返して再び歩きだした。

 建物の外に出ると、その建物の脇に佇んだ小屋へと足を踏み入れた。

 小屋の中は比較的狭くて、薄暗く、ひんやりとしている。それに埃の香りが鼻をついた。ここの掃除はあまりされていないのかも知れない。

 左側の壁一面に多くの武器が立て掛けられている。弓、矢、槍、刀。小春の口が自然と少し開いた。

 そのごたごたと立て掛けられている武器の隅に、サンタカは、購入した武器(弓と矢と槍)を立て掛けて、自分の弓を手に取った。その弓は、ぱさついた木の刺が沢山あって傷んでいる。サンタカはため息をついた。


「また、メンテナンスか……」


 ついで小春をふりあおぎ、


「もう一度、ダンテへ立ち寄ろう」


 小春は、歩き疲れていたために、呆気にとられたが、素直にサンタカの後につづき、再び歩きはじめた。

 鍛冶屋が沢山あるダンテの中でも、一番腕のいい職人がいる鍛冶屋の前へたどり着くや、サンタカは、戸をするすると開けて、中へ入っていった。ついで小春も、サンタカの背につくように、店内へ足を踏み入れた。

 店の中は、ぽかぽかと暖かい。鍛冶屋ゆえ、火が焚かれてあったのだろう。しかし、今はどこを見渡しても、武器を作っている様子はない。あるのは、出来上がった幾つもの刀、槍が壁に綺麗に掛けられてある。

 まず目に飛び込んできた刀へ彼女は、ちょっとした好奇心で、手を伸ばしていった。


「勝手に触っちゃだめだよ」


 サンタカの声が背後に聞こえた。そして小春は、手を引っ込め、ふりかえった。

 サンタカは踵を返し、こちらに背を向け歩いていった。

 その先の隅の床に、中年後半ごろの外見をした男が座っていた。あぐらを組んで座り、腕を組んだ姿勢のままで、頭を垂れてぐっすりと眠っている。

《とおりで静かな訳だ》

 頭の重さにひっぱられるようにして、身体が斜めに傾いていくが、あるところまで傾くと、男は目をつぶったまま、びくっと頭を起こした。そしてまた、身体が傾いていく。小春はそれを、ぼんやりと眺めていた。

 サンタカは、男の両肩を大きく揺さぶっている。


「ねえっ! ねえっ! じいさん! カラバじいさん!」


 その男。――カラバじいさんは、低い声で唸って、ゆっくりと目を開けた。


「……誰か、何か言ったか?」


「まったく、いつもこれなんだから」


 サンタカは、吐くようにそう言った。

 小春は口を押さえた。笑ってはいけないと思ったけれど、こらえられなかった。

 カラバじいさんは、瞬きをし、しげしげと小春を見た。


「……こいつ。笑うんじゃない」


 そう言いながら、自分も笑いだした。

 サンタカは、風のように、カラバじいさんの目の前へ弓を差し出した。

 カラバじいさんが弓を手にするや、サンタカは素っ気なく言った。


「頼んだよ」


 カラバじいさんは、柔らかく丁寧に言った。


「それでは、四日後にまたお越しください」



 そうして、ようやく小春は城内へ戻った。

 赤魔がわざわざ用意してくれた小部屋に着くと、小春は、壁際の小さなテーブルの上に、たくさんの本を置いた。

狩人(かりゆうど)……か》

 ……これから、色々忙しくなりそうね。

 気がつけば、ため息をついていた。

 突然、背後にせわしないノックの音が響いた。あまりにすばやく軽い叩きかただったので、ひとつひとつの音がぶつかりあっているような印象さえあった。

 小春はふっと顔を上げて、振り返ると、本の山を手渡して、ダンテ郡へともに立ち寄った当の少年が、入口のところの壁に寄りかかり、伸ばした手をその壁に付けていた。そのちっちゃな手で、その壁をノックしていたのだろう。

 サンタカは、喋りながら部屋へ入ってくる。


「それにしても君、水の城の地下から、よく抜け出せたね。とっても運がいいと思うよ」


 小春がいぶかしげな声を出した。


「なぜ?」


 サンタカは床にあぐらを組んで座った。

 

「君は、水魔の本当の姿を見たことがないのかい? 鱗まみれの化け物さ」


 サンタカは、両腕をめいいっぱいに開いて怪獣のまねごとをした。

 ところが、小春がゆっくりと瞬きをしたのを見ると、眉をすっかり下げて、すぐに腕の力を抜いた。


「本当に、何も、この世界のこと知らないんだね」


 ちょっとした沈黙のあとで、小春が、口を開いた。


「私の仕事は、いつ始まるの?」


「四日後。ほら、カラバじいさんが言ってたろう? 仕方が無いから、四日後にまた会いに行くよ。それまでは、本を読んでいるといい」


 今すぐにでも、狩りを教えてやりたいのは山々だが、自分の弓が使えないとなると、どうにもならない。

 サンタカは立ち上がり、部屋から去っていった。

 静かになった部屋の中、小春は再び本を見下ろした。

 すると、突然にも壁画の絵が脳裏をかすめていった。

 水の城に巻きついていたウミヘビのことを、ニナイ長老は、水の魔物と確かに言っていたが、サンタカはあれが水魔の本当の姿だとでもいっているのだろうか? 蛇なんてものとは、似つかわしくない美貌をもった女の人だったが、そう考えるしかなかった。そうでなければ、何もかも、つじつまが合わないのだ。

 壁画に描かれてあったデミ族差別、そしてワカ族たちが皆火の国から西部の水の国へ去ってしまった。やはりウミヘビは、水魔の本当の姿なのか?

 この本の山を読み切ったら、図書室にある、たくさんの本まで読み尽くす必要性があることを、小春はしみじみと感じていた。

 しかし、まずは闇の国について知りたい。

 小春は「闇の国の歴史」という題の本を、本の山から抜き取って、すぐ中身を開いた。

 開いた片側のページには、奇妙な紋章の絵が描かれてあった。隅に、〈闇の紋章〉とのみ説明がある。

 小春は、床に座って読みはじめた。

『邪神は、月の剣が欲しいという野望があった。そのため、黒い兵と呼ばれる(しもべ)たちを影神界(かげしんかい)へ送り込み、闇の国を造り上げてしまった。その黒い兵を、全洞守(どうしゅ)を統率する長老ニナイは、死神だと解説していたとされる。

 闇の国を治めるクライ魔は、邪神から作られた闇そのものだった。そのため、彼女が死ぬことは出来ない。が、封印することなら出来るだろう。

 月の剣が、闇の手に渡れば、瞬く間に災いがもたらされ、陽も射さない黒き空に覆い尽くされるだろう』

 やがて、時を忘れるように読んでいた小春は、昼餉、夕餉の時間になろうと、本をずっとずっと読んでいた。

 赤魔がご飯に呼ぶ声も、すっかり彼女の耳に入らなかったのだ。

 あっという間に、時は経って、そんなこんなで、四日目の朝がやってきた。

 背後の気配に感ずいた小春は、本を閉じて振り向いた。

 部屋の入口に佇んでいるのは、榛色の瞳でこちらを見上げるサンタカだった。

 小春は駆け寄って、本を読む度こみ上げていた思いを、口に出した。


「邪神が、月の剣を手に入れたくて、そのために闇の国を造り上げ、しもべをこの世界に送り込んだって、本当?」


「それは本当さ」


 サンタカが答えると、


「では、キバは、死神なの?」と、たたみかけていう。


「それは、ぼくも知らないんだ」


 サンタカは首をふった。


「聞いても、ほとんどの人が知らないみたいだし。……君は、本当にキバが死神だと思うのかい?」


「……いいえ」


 小春はサンタカの榛色の瞳から、ふっと目をそらしてそう言った。


「ぼくと同感か」と、サンタカが顎に指をあてがった。


 すると、小春は火がついたようにサンタカの瞳へ視線を戻した。


「だって、あの人は私を助けてくれたのよ? 死神が、そんなことってある?」


 サンタカは肩をすくめた。


「いや、あってもレアだよ」


 息を吸って、サンタカは言った。


「赤魔様は、キバの正体を知っているようだけれど、教えてくれないんだ」


 ついで、声変わりのしていなく、ソプラノのサンタカにしては、かなりバスで言いだした。


「サンタカは、口が軽くて、すぐ広めるだろう」さも赤魔の真似事であった。「だってさ」


 こらえきれずに、小春は口を押さえた。


「おい、笑うなよ」


 サンタカは、意地になってそういった。


 その後、小春は、サンタカに差し出された服装(四日前にサンタカが購入したもの)に着替えるために、まず、短靴(たんぐつ)を脱いで裸足になった。それから手早く帯をほどき、床に置いていた白いずぼんをはき、カササギ(機織り職人)に直してもらった赤いチュニックを手に取って身に着けた。見事にサイズはぴったりで、居心地もそれほど悪くはない。

 ついで、身をかがめて長靴(すねまでの丈の革のブーツ)を履くと(長靴は、小さいサイズゆえ、売れ残られていたものなのだろうが、小春の足にはぴったりとはまった)、ここ数日でようやく艶を取り戻した黒髪を手早く、後ろで一つにまとめ上げ、素早く城を出た。

 それにしても、この朝の城内はやけに静かに感じた。赤魔の姿がないからだ。一国を治める王としては、忙しいことも多いだろうし、小春はそれをちっとも不思議とは見取らなかった。

 コタンの北部へたどり着くや、先に着いていたサンタカの姿がすぐあった。

 するとサンタカは、背後の小さな小屋の中へ入っていき、壁際に並んでいる武器の山の中から、小春の弓と矢筒と槍を取り出して、ついで自分の弓と矢筒を取り出すと小屋から出てきた。

 小さなこの身体で、たくさんの武器を抱えるのは身が重い。サンタカはすぐに小春に弓と矢筒を手渡して、歩き出した。

 サンタカについて、小屋の裏手にまわり、雑木林のあいだを抜けると、日当たりのよい、川の流れる草原が現れた。ダーニャ(狩場)へたどり着いたのだ。


《……さてと》


 サンタカは景色を眺めると、また少し歩いて、広葉樹に槍を立てかけながら口を開いた。


「ここが、ダーニャ(狩場)だよ」


 小春は自然の音を聞いた。鳥の鳴く音、流れる川の音、それらを取り囲むように優しいそよ風が吹いている。数秒後にはそれとは違う音がした。放たれた矢が木にサッと突き刺さる音だ。

 小春は、はっと音のした方を振り向いた。

 サンタカが強い眼力で、弓に番えた矢を広葉樹に向かい、狙いを定めている。普通、子供なら決して似つかわしくない表情だ。その矢は、黒い風のように放たれ、広葉樹にはじめ突き刺さった矢の脇に見事あたった。弓矢の腕は、かなりのもので、大人もかなわぬほどだろう。

 小春が、サンタカの意外な一面を呆然と眺めていると、サンタカが弓を下ろしながら振り向いた。


「こうやって矢を放ち、狩りをする」


 サンタカは、小春に歩み寄りながら言った。


「ほら、君もやってごらんよ」

 

 小春はサンタカの指示に従って、その広葉樹から二、三メートル離れた場所に佇み、弓に番えた矢を構えた。サンタカが、背後から支えてくれている。しかし、小春のその両手は痙攣したように震えていた。

 心ノ臓が激しく打っている。

 間もなく、震え上がるその手から、矢は放たれた。勢いは足りなく、動きは小さい。すぐ、草原の地面上へ矢が突き刺さった。狙いを定めた広葉樹から、明らかに的外れの位置である。

 小春は弓を下ろし、自分自身の力のなさから肩の力を抜いた。

《……緊張に、震えてしまったのがいけなかった》


「まあ、初めはこんなものさ」


 サンタカは言った。

 彼女は、サンタカが言い終えるまえに、続いての矢を弓に番え、再び、広葉樹に狙いを定めた。両手は震えることなく、石像のように弓と矢を支えている。

 そして、彼女は疾風のように矢を飛ばした。

放たれた矢は、広葉樹の木を擦りつけて、横切っていき、(さざなみ)とともに、川の中へ落ちていった。


「また、外れたわね」


 小春は弓を下ろし、川を眺めていた。


「けれど、少し安心した。いままで、生き物は傷つけないと決めていたからよ」


 と、小春は振り返り、サンタカに顔を向けた。

 サンタカは、その瞳で感じた。小春の生まれ持った、優しさ、繊細さ、そして、その目力に浮かび上がる力強い芯を……。

 それでも、彼女は十分に分かっていた。デミ族たちは働いて、初めてものを食べることが叶うことも、何かを犠牲としなければ、人もどの動物も、生きていくことが叶わぬことも。


「……だめだね」小春は呟いた。


 永遠のようにも思われる時間が経った後、サンタカは足を進めた。ある広葉樹に立てかけた槍を手に取ると、踵を返し、川のほとりの近くまで来て足を止めた。

 すると、水晶のように透き通る水の中、銀色にきらきら光る二匹の魚の姿があった。

 目に止めたサンタカは、槍を下ろしていき、二匹の魚をすべて槍に突き刺さした。

 小春は、目を見張った。

 感心とともに、言葉にいい表せない感情に襲われる。

 サンタカのその姿を眺めながら、小春は自問自答した。

《あれほどの心の強さを、私も持てるだろうか?》

 そして、あることに気がついた。人は、優しさばかりでは生きられない。ときには冷酷に、生きてゆかなければならないのだ。共にあって、一つなのだろう。現世界(日本)にいると、平和に満ち足りていて、そのことに気づけなかった。

 そして同時に、この世界を哀れみ、感心もした。とくに、デミ族を。

 サンタカは、穏やかな表情でこちらを振り向いた。


「ご飯は、まだだったろう?」


 サンタカは、それから常に腰に()いていた二本の小刀で魚を刺して、焚火で炙りはじめた。

 枯れ草の入り混じる川原に、ちらちらと焚火の影が踊っている。

 仄かな風が吹く昼間、二人は焚火越しに向かいながら、火で魚を炙って食べていた。

 小春が食べたことがある魚より、この魚はずっとこくがあり、よい香りがした。

 人心地すると、ずっと溜めていた疑問の数々を思い出した。


「今日は、赤魔がお留守みたいね」


「赤魔様なら、今朝、水の国へ立ったよ。ワカ族の人に、用事があるとか何とか。確か、月夜さんだったっけな」


 この瞬間。小春は、ワカ族の中で唯一好きだった月夜のことを、思い出し、微かに口元が(ほころ)んだ。

 しかし、サンタカに聞きたいことは、他にもまだあった。


「前から思っていたことなのだけれど、この世界には、あなたの他に、子供の姿が見当たらないわね」小春は言った。「狩人の人手が減っていると聞いたけれど、何かあったの?」


 すると、サンタカはうつむいて、くいしばった歯のあいだから押しだすように言った。


「あいつ(水魔のこと)は……悪魔だ。子供たちは、皆んな水の城の地下に捕らわれてしまった。ほかの狩人は、その助けに行った返しに皆んな殺されてしまった」


 サンタカは顔をあげて、言った。


「ぼくも、捕らわれた子供だったんだ。だけど人一倍、逃げ足の速さと、弓の腕前があるおかげで、逃げ延びることが出来たんだ」


 小春が、眉をひそめた。それが意味することを、彼女はよく知らないが、水の城の地下というのが、どうも引っ掛かる。

 あの辺りの場所は、妙に不気味だった。それに、ゲボーレンの小屋で、月夜が言っていたことについても、それを聞かされた時からどうも、引っ掛かっていた。


「ようするに、ぼくは、運よく逃げ延びた唯一の子供ってわけさ」


 サンタカはため息をつきながら、手に持った魚のあまりを一口で頬張った。

 サンタカは食べ終えた魚の串(小刀)を腰に()いて、膝を払いながら立ち上がった。

 小春が、はっと顔を上げて、問いかけるような目で見た。


「そろそろ、赤魔(アカマ)王ご到着のお時間だ」


 サンタカはにやっと笑って、穏やかな声で言った。


「城の門までは一緒に行こう」


 ダーニャ(狩場)の外に出ると、小屋に武器を戻し、二人は城の門の前まで約束通り一緒に来た。


「ぼくは、これからもずっと仕事なんだ。君はまだ新入りなのだし、それに、今日は休んでいた方がいいよ」


 小春が、いぶかしげな目でサンタカを見ていると、


「顔色が悪いよ?」と、素直なサンタカは答えた。


 小春は、そんなにも不安が表に出ていただろうかとでも言うように、片方の掌を自分の頬に付けた。


「それじゃあ。ぼく、行くね」


 手をふって、サンタカは、ぱたぱたと道を()けて行く。城の裏手を回り、すぐにその背中が見えなくなった。

 火の国の城の前でサンタカと別れ、小春は、城の門を押して中に入った。

《……ん、この香りは》

 門を抜けると、ふわっと芳醇な酒の香りが(ただよ)ってきた。この香りを()ぐだけでも、小春が、今、最も疑問に思う人物も訪れていることが分かる。

 あの人は、普段何をして過ごしているのだろうか? 闇のおぞましき者たちと共に……。

 どう見ても、キバは、そんな者たちと同等の人材とは思えなかった。言葉に言い表すには、あまりにも難しいのだが、そうなのだ。

 それにしても、この私が、狩人としてこれから先、やっていかなくてはならないのかと思うと、息苦しさが胸から喉へ、痛いほどに強く、迫ってきた。

 それでもマシなのは、周囲からの思いやりがあることだ。現世界では、思いやりのある人と出会ったことなど一寸もなかったため、それだけで小春は、大きく救いとなっていた。そう、十分だった。

 静けさの中、長靴の音がこだました。

 と……どこからか、声が聞こえてきた。

 小春は、はっと足を止めた。


「立派になったな。君が、はじめにここへ来たとき、どんな姿だったか覚えているかい? 服はぼろぼろ、体は骨が浮き出るほど細かった。どこの貧相な娘だろうと思うくらいに」


《……なんで、見てもいないのに》

 私だって分かったのよ。

 そして部屋を横切った。声のする方へ。微かに開かれた古い(かし)の扉を開け、脇の部屋へ入った。

 一方向の壁には小さなステンドグラスの丸窓がある。この部屋の中心、木製のテーブルが置かれている。その脇にある椅子に腰かけて、片手に杯を持ったキバの姿がすぐ目に飛び込んだ。

 小春は、目で見る前から声でそうだとわかっていたため、たいして、驚きもしなかった。と同時に、今ここにキバがいたことを喜んでもいた。

 彼は、表情も顔色もいつもと変わらない。

 オロチでも酔い潰れた酒を飲んでも酔わないとは、どれほどまでに強いのか……。

 小春はそのまま、二歩ほど足を進めると、兵士のようにピシッと、その足を止めた。


「ただ……顔色が悪い」キバは、小春を眺めながら言った。「新しい環境に馴れないのか?」


 小春はかぶりを振った。その質問には答えず、口を開く。


「なぜ、ここに?」


 キバが、落ち着いた口調で言った。


「赤魔様の留守中に、外部からの侵入があっては困るだろう?」


「え、もしかして、あなたはこの国を守備するために闇の国に溶け込んでいるのですか?」


 小春は、続けざまに質問した。


「闇の国に溶け込んで、死神たちの足を止めているのですか?」


「そなたは面白い……なぜ、そう思った?」キバは言った。「〝いい線だ〟。しかし、私はこの国の外部からの侵入といったが、死神のことを言ったのではない。デミ族だ。金銭に困った者が時々、赤魔様の留守を狙い、侵入することがあるのでな」


 キバは小春から、ふっと視線を外した。その表情は、どこか、虚ろだった。


「……死神が、そのような貧相な国に興味を示すはずあるまい」


 その声まで、どこか、虚ろだった。


「それではっ」


 小春が言いかけたとき、背後にこだまする音がした。

 重い樫の扉が音を立てて開き、赤魔がゆっくりとした足取りで入ってきた。さも身体が、だるそうだ。

 反射的に振り向いた小春は、すぐに、ずっと気になっていたことを口にした。


「月夜さんは元気でしたか?」


「ああ。相変わらず、気の強さは健全だった」


 赤魔はそう話しながら、どっかりと椅子に腰かけ、頭をだらりと下げた。相当、疲れているようだ。


「よかった」 


 小春は、安堵のため息をついた。

 するとキバが考え込むように、眉間にしわを寄せて、


「……確かに、ワカ族の中では一番まともだ」


 赤魔はうつむいたまま、(かす)れた声で尋ねた。


「小春、昼餉はどうした?」


「サンタカと、ダーニャ(狩場)で小魚を食べていました」と、小春は答えた。


「そうか。すまないことを、したな……それなら、もう、部屋へ戻りない」


 その口調は落ち着いているが、疲れがときどき入り交じっている印象さえあった。


「は、はい」


 小春は一度頭を下げ、踵を返すと、部屋から出て、扉を後ろ手でしずしずと閉めた。こだまするその音が聞こえなくなったころ、赤魔が変化なくうつむいたまま口を開いた。


「……廊下までお前たちの声は筒抜けだった」


 ついで初めて顔を上げ、言った。


「キバ。もったいぶらず、素直に事実を教えてやったらどうだ?」 


 キバは、黒い傷の入った赤魔の目から、ふっと視線をそらして、呟いた。


「……教えたら、私が本当は、ちっぽけな男だと、思われてしまうかもしれない」


 彼の表情は再び、どこか、虚ろになっていた。


 その夜。キバが闇の国へ立った後、一人、赤魔は鏡を前にしていた。

 その顔は美しいが、恐ろしい。黒い傷は、日に日に深まり、範囲が広がるばかりであった。


「最早、隠しても意味がない、か」赤魔は、吐き出すように言った。「くそっ、水魔め!」


 赤魔は、片手に持った金仮面を、投げやりな態度で、暖炉に焚かれた火の中へ、ほおり投げた。仮面は、すぐ溶けて、元の形の面影はみるみると消え失せていった。

 赤魔が体調を(くず)し始めたのは、この日からである(彼が水の国へ、足を踏み入れたことで、水魔から、再び目をつけられたのだろう)。と同時に、小春は、コタンにすっかり馴染み、体つきも丈夫になり、特に槍の扱いに関して優れ、日に日に槍の腕前が上達していった。

 そしてその頃、彼らは闇の国で起きていることを、キバが危険にさらされそうになっていることを、誰も知るよしもなかった。



 闇の国。静かで仄暗い空間の中、すべてに(いた)るまで黒一色の装いをした一人の青年が、闇の紋章を前にして、床に片膝をつき、頭を下げていた。

 クライ魔の声が(とどろ)いた。


『一体話とは、何たるものであるのか?』


 この残酷な青年カンバルは、初めて口を開いた。鋭く引き締まった顔を上げ、赤紫色の瞳はどこか(たくら)みを抱いていた。


僭越(せんえつ)ながら申し上げます。クライ魔様。あの青年を、キバをどうお思いになられていますか?」


『死神にも関わらず、火の民と親しくするような変わり者だろう』


「それを、怪しいとは思われませんか?」カンバルは、確認するようにいった。「あの男、選ばれし人間だと以前は思われ、騒ぎ立てられていた人間とも、今や、親しい中にある様子」


 クライ魔は、思わず鳥肌が立つような冷え切った、冷酷な口調で言った。


『それで?』


 カンバルは、それに怯える風もなく、


「あの議論のとき、キバは嘘に嘘をかためておりましたことを、私は知っておりました」


 すると、クライ魔が赤い声で叫んだ。


『……それは、どういうことか説明せよ!』


 怒りが、じわじわと湧き上がっている。

 それでも、カンバルは冷静な表情を変えることなく、赤紫色の瞳を爛々と光らせて、口を開いた。


「クライ魔様、キバの正体をお教えしましょう。あの者は、死神でもなく、ワカ族でもデミ族でもありません」


『では、何者だというのだ?』


「あの者の正体は、〝選ばれし者の守護神〟です」と、カンバルは、知っていることをすべてありのままに語りだした。「あの男は、選ばれし者を守るため、嘘をついていたのであります。あの男は、邪神が月の剣を狙っていると知ったその時から、選ばれし者が確実に月の剣を手にできるよう、この影神界へ足を踏み入れ、この闇の国へ溶け込み、我々の足を止めていたのです!」


 クライ魔が、訝しげな声を出した。 


『……それは、左様なのか?』

 

 カンバルはしっかりとした口調で、


「左様であります」

 

 そして今ここに、影神界の歴史が一つ、動きだそうとしているのであった。

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