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<R15> 15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕 が含まれています。

まれびとよ

 雪の衣もほころび、繕う針も無くなって暫くが過ぎた。
 湿り気を帯びていた山里の土が、陽光に当てられて硬く干上がっている上を、轍が二筋伸びている。
 余程に重いものが通ったか、抉れてうず高くなった土の上には、甲羅を背負った虫が止まっていた。
 春と呼ぶには遅い。梅雨にはまだ遠い。風に混ざる香は、浮ついた花のそれではなくて、若々しい青草の、噎せ返る程に濃いもの。それを胸一杯に吸い込みながら、女は荷車を引いていた。

「ねえ」

 親しげな声は、虚空に投げ捨てられる。
 女は一人、轍を刻みながら歩いている――旅人のようには見えない。
 スニーカーは薄汚れているし、丈の長いズボンは、分厚い布地を選んでいる。軍手、額に汗、首に巻いたタオル――まるでその地に根付いたような姿だった。

「もう少しだからね」

 女は、道の脇の木陰に荷車を寄せて、タオルで顔を拭いながら言った。
 荷車には、彼女の荷物なのだろうナップザックが一つと――桶が積まれていた。
 大きな桶である。
 大の男が左右から腕を回せば、どうにか手が触れ合うだろうという程に、その桶は巨大であった。
 高さも、女の背程は有る。
 殆ど荷車は、この桶で一杯に埋まっていて、ナップザックは慎ましく痩せ細っていた。
 女が歩いて行た方向には、彼女が最後に立ち寄った村から離れて、山の方へと続く道がある。風もまた、山から村へ、そよそよと流れていた。
 木陰でその風を受けていると、きぃ、と荷車が鳴く。

「お姉ちゃん、何処に行くの」

 桶の隣にならんで、子供が一人、荷車に腰掛けていた。

「どこへ行くと思う?」

 女は、元よりの道連れに戯れ返すように、子供に問い返した。そうしてから、木陰を離れ、また荷車を引き始めた。
 がら、がら、がら。
 歩みが少し、遅くなる。

「知ってるよ、私」

 地面に届かない足を振り子のように遊ばせながら、子供は女を見透かすように言った。

「お花畑が見たいんでしょう」

「お花畑?」

「お山の麓の、川から離れて、小さな林を抜けた先。雪が溶けてしまっても、雪より白いお花畑が、見たいんでしょう」

 女は、振り向かないままの顔に、困ったような表情を浮かべた。

「そんなところ、聞いた事も無いわ」

「でも見たいんでしょう」

 持論の根拠は示さぬまま、たんと自信を溢れさせて子供は断言する。それを「まさか」と否定するのも違う気がして、女は反論をしない。

「あたし知ってる。知ってるものは、そんなに欲しくならないの」

「そうかしら。慣れた場所は良いわよ」

「ううん、絶対に違うわ」

 一方で子供は、見た目相応に子供じみた意地っ張りの様を見せる。首を左右に振ると、髪がでんでん太鼓のように靡いた。

「知らないものって、何処までもいいものにできるの。悪いところを知らないからよ。
 自分が思う〝一番良い〟が、知らないものの顔をして、何処かにいるって思ったら楽しくならない」

「夢を見るようなお話ね」

「夢みたいでしょ」

 確かに、白昼の夢のようだった。
 その子供は、彼女が語った「雪より白いお花畑」のように、真っ白なワンピースを着て、五月の日差しを目一杯に浴びていた。
 肩紐が少しずれると、日焼けしていない肌が、腕と違う色をして顔を覗かせる。
 この子はきっと、無邪気に走って遊ぶ子供だ。女は、そう思った。
 朝から昼まで野山を走り、昼食を済ませたら夕方まで川に遊ぶ。そういう子供の〝かたち〟がこの子だ。
 大人のような口をして、夢のように人をはぐらかす声は、小さな体の何処から湧くのか、大きな大きなもので、

「おかしいわねぇ」

 女はそう言って、笑った。
 そうして、山の麓について、川の流れから離れて、林を歩いた。
 人が踏み固めた道が、林の中に一本だけ伸びていたが、車輪を通すには少し手狭であった。石を車輪が踏み超える度、がくん、がくんと、子供と桶が二人して跳ね上がった。

「もうじき着くわ」

「楽しみ」

 やがて、林の木がまばらになって、代わりにぽつぽつと、背の低い草が目につくようになった。
 道の脇に追いやられた雑草達が、恭しい執事のようにずらりと並んで、荷車の行く道を飾っているのだ。

「着いたかなぁ」

 女は初めて後ろを振り向き、子供を見た。

「ええ」

 大きな桶を背凭れにして、子供は晴れやかに笑っていた。
 丸く短い指が指し示す向こうには、小高い丘の一面を埋める、百合の花畑が広がっていた。
 五月に咲く、鉄砲百合。
 小さな白い花が、いくつも、いくつも並んで、風に体を預けて揺れている。
 さらら、さら。
 さらら、さら。
 葉と、花弁と、茎が鳴っている。
 隣の花と、その隣の花と、またその隣の花とが、柔らかくぶつかって鳴っている。
 さらら、さら。
 さらら、さら。
 女には、百合の花畑が、風に合わせて歌っているように聞こえた。

「綺麗ね」

 女は荷車から離れて、一番多くの花が集まっている所へ、ころんと背中から転がった。空気をたんまりと含んだ土は、女を花の仲間にした。

「見たかったでしょう?」

 決めつけるように、子供は長い髪をばさりと羽ばたかせながら、女の体を跨いで立つ。

「あーあ、知っちゃった」

「そうね、知っちゃった」

 女を此処まで導いた子供は、酷く退屈そうな顔をして、幸せそうに横たわる女を見下ろす。

「もうこれで、此処はつまらない場所。あなたやあたしが思う最高から、ずっと遠くに行っちゃったの」

「そう、可哀想に」

「そうでしょ。いっつも逃げるの、あとちょっとで届くのにあたしを置き去りにして、みんな知らない所に行っちゃうんだもの」

「どうしようかしら」

「知らないわ」

 たった二人を招き入れても、花畑は顔を変えないで、百合の花達の歌を奏でている。
 だから、変わったのはたった一人、その子供だけだった。
 子供は誰も知らないものを見ようとして、目を丸く見開いて、女の顔を凝視した。それから、少女の愛らしさと、蜘蛛の欲深さで、

「ねえ、知ってる?」

 女に覆いかぶさり、けだものの如く鋭い牙を突き立て、細首を食い破り、赤い飛沫で喉を満たさんと迫った。
 小さな唇の奥に、紅を固めたような赤さの舌が、渇いてのたうっている。

「食べるのね」

そうよ、と、少女が言ったような気がして、

「違う、違うの」

女は陶酔に漂いながら、続ける。

「あなたなんかに、言ってないわ」

 恋を知る唇は、優しくはなかった。
 少女のか細い体は、背後からの衝撃に突き飛ばされて、地面に落ちる事も許されず、空を仰ぐように掲げられた。
 めぎっ、と、鈍い音が鳴った。
 少女の体に、蛇が巻きついていた。
 少女の腕より太く、女の背丈を三つ並べたより長い体が、少女を絞め付けていた。
 ぎしっ。
 ごきっ。
 呆気ない二つの音の後で、少女は牙を剝き出しにしたまま、両腕をだらりとぶら下げた。すると大蛇は、少女の体を白い花畑の上に落とし、顎を外して開くと、少女を頭から呑み始めた。
 蛇体に人の形の膨らみが浮いて、それが喉元から腹へ、ずるぅり。

「綺麗ね」

 女は、歪に膨れた蛇体に寄り添いながら呟いた。
 蛇の尾が喜悦に震えながら纏わり付くのを、好きなように遊ばせたままで、女は一輪、花を摘む。

「やっぱり、見慣れたものが一番よね」

 しゅう、しゅう、と息を吐く。相槌を打つ〝声〟であった。

「景色だけじゃなくって、全部」

 胸一杯に花の香を吸い込んでから、女は蛇の頭を胸に抱いて、鼻先に軽く口付けた。
 それから、「子供にはわからないわ」と鮮やかに笑うと、長く連れ添った恋人に手足を絡め、白い花弁を敷物にして、ころころと寝転がった。
 幾百度目かの、夏が来る。

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