こんな夢を観た「ドーナツ事件」
桑田孝夫とショッピング・モールにやってきた。
「ミスドでも寄るか」桑田が言う。
「うん、いいね」わたしは賛成する。ちょうど小腹が空いてきたところだ。
わたしはチョコスコーンとイースト・シェルのカスタード、それにアイス・コーヒーにした。
「おれはやっぱり、ポン・デ・リングだな。それと米粉よもぎにしよう。飲み物は抹茶ミルクがいいな」
隣の芝は青い、というけれど、桑田のトレーを見ていると、そちらの方がおいしそうに思えてくる。一口、囓らせてもらおうかなぁ、などと思っていたところで騒ぎが始まった。
「きゃあーっ、あたしのっ、あたしのストロベリーリングがっ!」
「うわあっ、おれのエンゼルショコラっ!」
「ママーっ、わたしのココナッツチョコレートが……」
あちこちの席から悲鳴とすすり泣きが聞こえてくる。
「何が起こった?」桑田は不安そうに辺りを見回した。
「まさか、テロとか?!」恐怖にかられ、半ば腰を浮かせるわたし。
ふと、桑田のポン・デ・リングに目をやると、異変が生じていた。
「桑田のドーナツ……」
「ん? おれのドーナツがどうしたって?」桑田は、テーブルを見下ろして絶句してしまう。
「穴、どうしちゃったの? なくなってるじゃん」やっとのことで、わたしはそう言った。
ポン・デ・リングだけではない。米粉よもぎからも、ドーナツの穴がきれいさっぱり、消えている。
「何てこったい。誰だ、おれのドーナツから穴を盗んだ奴は。穴のないドーナツなんざ、コーヒーのないミルクみてえなもんじゃねえかっ」事態が飲み込めたとたん、腹が立ってきたらしい。しきりに文句を並べたてる。
「今日はスコーンとイースト・シェルにしといてよかった。だって、もともと穴なんて空いてないんだもん」いっぽうのわたしは、ほっと胸をなでおろす。
こう言っちゃ何だけど、穴の開いていないドーナツほど間の抜けたスイーツはない。
それにしても、たちの悪いイタズラである。いったい、誰が何のためにこんな事を?
「あれ見てっ。ほら、あそこ」向かいのテーブルで客の1人が叫ぶ。
わたし達はそちらを振り返った。ニホンザルがレジのすぐ下でうずくまっている。
「手に『ドーナツの穴』をあんなにたくさん持ってるぞっ。あんにゃろーが犯人だったか」桑田は拳を振り上げて怒りを露わにした。
「あ、逃げた。そんでもって、今度は別のお客さんのフレンチクルーラーから穴を盗ってった!」すばしっこく走り回るニホンザルを、わたしは夢中になって目で追う。
店内にアナウンスが流れた。
「皆様、どうか落ち着いて下さい。こんな事もあろうかと、我が社では秘密兵器を用意してあります。皆様から奪われた『ドーナツの穴』は、ほどなく取り返せるでしょう」
エルガーの「威風堂々」に乗ってカウンターの向こうから現れたのは、ポメラニアンほどの大きさのポン・デ・ライオンだった。
「さあ、ポン・デ・ライオン。あのイタズラザルを捕まえてきなさい」店員が命令すると、旋風のように客席を駆け巡り、椅子の下に隠れていたニホンザルをあっという間に咥えて返ってきた。
「おおっ、すげえ! さすが、ポン・デ・ライオン」桑田が歓声を上げる。
「うんうん、ほんと、たいしたもんだね。しかも、可愛いし」わたしもうなずいた。いっそ、連れて帰りたいほどである。
捕まえられたニホンザルは、電池の切れたオモチャのように、ぐったりとしなだれている。
「さ、『ドーナツの穴』を返しなさい」店員に促され、両手いっぱいの「ドーナツの穴」をしおしおと手放した。
「ふう、おれの『ドーナツの穴』、やっと戻ってきたぜ」桑田は満足そうに言い、ポン・デ・リングにかぶりつく。
「よかったじゃん、ドーナツの面目が保てて。やっぱり、穴があってのドーナツだもんねっ」わたしもチョコスコーンを手に取った。
「ありゃあ、お前、それっ」桑田が素っ頓狂な声を出す。
「どうかしたの?」
「どうもこうも。スコーンなのに、穴が空てるじゃねえか。さっき、店員が間違えて返してよこしちまったんだな」
「そんなぁっ」
まるで、ドーナツのようにぽっかりと穴の空いた、わたしのスコーン。のぞき込むと、気の毒そうに見返す桑田の顔があった。




