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めらめらと、群青の天をなめるほどにそびえ立つ炎は、木々が鬱蒼と茂る森の中をも昼間のように照らし出していた。熱と共に、濃く、獣の焼ける匂いが吹き付ける。怒声も悲鳴も運ぶこの風が、心底憎い。
振り切るように燃え盛る村に背を向け、霧にぬれた草を蹴った。
――走りなさい!
耳元に響く叫びに突き動かされ、森の奥へ、奥へとひた走る。
夜明け前の冷たい空気が肺を刺し始めた頃、突然目の前に大樹がそびえた。その幹の根元に開く空洞が目に入ったとたん、ふいに膝から力が抜け、暗闇に転がり込んだ。息を切らしながら、耳をふさいで身を丸める。
熱い涙と低い嗚咽が胸をせり上がり、一粒、また一粒とこぼれ落ちた。
三年前。
“Radon”と呼ばれる組織により、大量の銃器が日本に密輸入され、これが裏社会に流通した。日本政府は”Radon”撲滅を名目に、事件解決までの間、全ての者の海外渡航と世界各地からの来日を一切禁じる措置をとり、発達した通信手段による海外とのやりとりも極端に制限された。
事実上の、第二次鎖国時代の始まりだった。
食料の輸入すら不可能となったため、政府は日本に十箇所の食料基地を定め、その保全のための特殊部隊、”警軍”を組織した。
「皮肉だよな」
草をかきわけ、踏み倒しながら、隼人は言った。
「あの事件があったから、僕らはこうして、大手を振って拳銃をぶら下げられるわけだし」
警察官として地方の交番に配属されたばかりだった三年前、腰にあったのは警棒だけだった。子供の頃に刑事ドラマの拳銃に憧れていたことを思えば、この腰の重さは夢がかなった証だ。
「……なあ、そう思うだろ」
一向に反応がないことを不服に思い、唇を尖らせて振り返ると、黒く細身の戦闘服をまとった相方は、森の薄暗さと深い藪に半ばまぎれた位置で立ち止まっていた。
「玲治、何か見つけたのか」
声をかけるが、答えはない。やれやれとため息をつき、来た道を引き返して玲治に歩み寄る。
「何かあったなら、僕が無線で指揮官に連絡を……」
隼人は言葉を切った。玲治の腕が持ち上がり、藪の向こうに立つ木を示している。
「あの木が、なに」
玲治の切れ長の目がようやく動き、隼人を射る。
軍人にしておくには惜しい涼やかな顔立ちからは、しかし何の感情も読み取ることができない。温度のない玲治の瞳に子犬のようだと評される自分の顔が映る様を見上げながら、隼人は重ねて問う。
「あの木が、何だよ」
今度こそ、薄い唇が言葉をつむいだ。
「人の気配がする」
「……気配?」
隼人の眉間に皺がよる。
「あんた時々、胡散臭いことを言うよね」
「お前はいつも鈍感だな」
玲治が木に向かって歩き出す。跳ね返った草が隼人の顔面を叩いた。
「おい、危険な相手だったらどうするんだ」
「危険はない」
それは玲治の射撃の腕をもってした場合だ。
天才はいつも、凡人を理解しようとしない。価値観も、劣等感も、非力ゆえの恐怖も、目の前のこの男には分からないのだ。
「僕はここで待っている」
藪の中に座り込み、次第に遠ざかってゆく草が揺れる音に耳をそばだてる。
苛立っていた。
未だ多くの銃器を所持している犯罪組織の人間に恐れを抱き、座り込んだまま息を殺して気配を伺う自分にも、その弱さを理解し寄り添おうとしない相方にも、ふつふつと沸くような怒りを感じる。
草の揺れる音がやんだ。
次の瞬間、それは速度を増して近づいてくる。
背筋が凍った。息をのんで立ち上がったとたん、目の前に玲治が現れた。
こくりと、喉が鳴る。
「……驚かせるな」
「子供だ」
玲治の言葉に、隼人はさらに文句を言うため開いた口を、ゆっくりと閉じた。
「子供がいた。……おれは、子供が嫌いだ」