4.出会えてよかった
カメラが故障した。
電源も入らなくなったので、家電店に持っていったら、「メーカーに修理依頼しましょう」とのことだった。
サエコのことがあり、やや不安になった。
メーカーに出すと修理が長引く。
まあこれは致し方ない。
以前パソコンを別のメーカー修理に出したら、戻るまでに1ヶ月はかかった。
同じくらい、会えない可能性はある。
その程度ならまだいいのだが、もし「もう直りません」と言われたら・・・。
そのときはもうお手上げだ。
二度と彼女にはお目にかかれないのだ。
こんな風に、また、急に、彼女に会えなくなってしまうのか・・・。
そうしたら、今度こそ、今生の別れというやつじゃないか・・・?
一度増幅した不安はなかなか歯止めがかからずに、自身の脳内でどんどんと悪い想像が膨らんでいってしまう。
だがどうすることもできない。
自分で修理することなど到底無理だし、メーカーに任せるしかない。
仮に直ったとしても、部品交換等のさいに、中の彼女が失われてしまうかもしれない。
ああ。
どうしよう。
結局、修理に出さないという選択肢はない、と思いつつメーカーにそれを委ねたあとも、俺は悶々とした日々を送っていた。
1週間。
2週間。そして、3週間。
1ヶ月が過ぎようとしても、まだ戻ってくる気配はなかった。
正直、彼女に依存していた自分を表すように、徐々に元気をなくしている、と社内でも心配された。
溜息をつく回数が増えたり、イライラしているのがわかってしまったようだった。
帰宅しても勿論、声を掛けてくれる人はいない。
一人の部屋はとても広く、空疎で、ひどく味気が無かった。
TVをつけてもバラエティ番組のお笑い芸人たちの高笑いだけが壁と天井に響いていた、そんな気がする。
いつも屈託の無い笑顔を向けてくれたサエコ。
病気のときも、それ以前も変わらず前向きだったサエコ。
男という生き物は本当は女なくしては惨めな生き物なのかもしれないと思わざるを得ない。
彼女が特別で、そう思わせているだけなのかもしれないが。
修理に出して35日目。
ようやくカメラが戻ってきた。
修理不能だとかいうことはなかったようでひとまず安心した。
おそるおそる電源を入れる。
中にいたはずの彼女が失われてやしないか。
カメラの性能が戻るとかどうとか、むしろそういうことはどうでもよかった。
ぶっちゃけ、カメラがカメラとして機能するかどうかよりも、サエコに居てほしい。
撮影ができなくても、電源がついて彼女が出てきてくれればそれでいいのだ。
そんな自分の我侭な思いは、しかしまたも叶えられた。
「はあい♪」
天井を向いた自分の口元から安堵の息が、思わず漏れた。
「会えなくて寂しかった?・・・あれ?オサムさん、泣いてる~?」
にやにやしている。
悪いやつだな。
「うるさいな・・・」
「よしよし、良かったねえ」
画面の奥の彼女も、何故か涙声だった。
時折彼女は変なことを言っては俺を困惑させた。
俺が周囲から「早く昔の彼女のことは忘れていい女捜せ」とか言われてるらしいことを気付いてしまったようなのだ。
特に若い連中の多い自分の職場はそういう話題ばかりである。
「私と出会って後悔してない?」
サエコの表情は曇り気味だ。
別に液晶画面が曇っているわけじゃない。
彼女としては、自分と関わってしまったことで次へのステップが踏み出せずに居る(とおそらく思っているのだろう)俺のことを気遣っているのだ。優しい子だ。
「いいや、そんなことは」
「無理してなーい?・・・ね、センパイ」
「なんで先輩・・・」
急に学生時代の呼び方で呼ぶなよ・・・びっくりするじゃん。
「サエコはそんなこと訊かなくていいんだよ」
「そっかなぁ」
「そうさ」
「心配なのデスヨー」
「俺が?」
「もちろん」
思ったとおりの反応。
「早く忘れて次の人を探したほうが幸せになれるかも」
深刻そうになった。
「私はここから出れないし。もう貴方のパートナーになることは・・・」
「言うな」
俺の声にはっ、として彼女が口を塞いだ。
「もうそれ以上、言わないでくれ・・・」
「ごめんなさい・・・」
「サエコに関わったこと、今まで一度も後悔なんてしない。今もそれは変わっていない」
「うん・・・」
「俺はサエコを忘れたりしないし、サエコを捨ててどこかに行ったり、別に誰かと付き合うようなことは考えていない・・・迷惑かな」
「いや・・・そうじゃない・・・けど」
泣きそうな表情になるサエコ。
「このままじゃ、オサムさんがかわいそうな気がして・・・私は、なにもできずただこうして毎日おしゃべりしてるだけで・・・だから、新しいパートナーの人が現れたら、オサムさんもきっと」
「断る」
「オサムさん・・・」
サエコの瞳が潤んでいた。
「それでいいんだよ。サエコが居てくれるだけで落ち着ける。生憎、俺は人のつながりを大事にするタチなんだ。悪いが諦めてくれよな」
ふっ、とサエコの表情が柔らかくなり、全てを悟ったかのような穏やかな顔つきになる。
「うん、そうだった。貴方はそう言ってくれるんじゃないかなって・・・思ってた」
見ればサエコはぽろぽろと大粒の涙をこぼしていた。
「貴方のことを思えば、きっと新しい人と一緒になれたほうがって思うの・・・でも、私が本当を言うとそのことが不安で・・・もうここから出てくることもできないのにね・・・前と同じように、前の身体で、オサムさんと一緒には歩けないことも、わかっているのにね・・・」
仕方の無いことだ。
もう、考えるのはよそう。
俺だってどうにもならない。
「でも。出会った頃のこと、思い出した。私、そういう人だからオサムさんのこと、好きになったんだ・・・私はきっと世界一の幸せ者だね。こんな姿になってまで、愛してもらえてるなんて・・・」
画面の奥の彼女はしゃくり上げるように泣いていたがその面持ちは悲しみを伴わない、とても柔らかなものだった。
「俺も世界一の幸せ者だと思う。世の中には生涯独りを運命付けられた者も居るし、思いを遂げられない人だっていっぱいいる。でも少なくとも俺たちは、そうじゃなかったし、こうして再会できてからも何一つ変わってないことが分かった・・・住む世界は分かたれてしまったけど、思いを共有できるなんて、すばらしいことじゃないかな」
噛み締めるように胸元で手を組むサエコ。
「よくそんな恥ずかしい台詞を長々と言えるねー!」
泣きながら、笑ってる彼女がいた。
「ね、キスして」
「は」
「は、じゃないでしょー!貴方の彼女がそう言ってるんだよー!」
「いや、ここに、ですか?」
俺は画面を指差す。
まあ、その指の延長上に、サエコは居る、のだが。
「ここ以外のどこにするのー!はやくー!」
「はいはい・・・」
液晶を隔てて唇が重なった。
「こういうの人に見られたら絶対、異常者な」
「あはは!」
ふたりで笑った。
こんな奇妙な関係だけど、まだしばらくはよろしくな。サエコ。






