第二章(4)
「じゃあ、次の講義は『精霊』についてだな。和馬、四大元素について説明してみろ。芸術分野なら、哲学思想も齧ってるだろ」
「ああ。四大元素。原型はエンペドクレスが唱えた、『世界はφωτιά(火)、αέρα(空)、νερό(水)。γη(地)の四つのリゾーマタ「真に存在するものは不生不滅」「真に存在するもの」すなわち「万物の根」からなる』とする説だ。その元には、古代ギリシャ哲学者たちの、万物の根源「アルケー」に関する考え方がある。ギリシャの哲学者タレスは万物の根源に「アルケー」という呼称を与えて、アルケーは水であるとし、その他、アルケーは空気であると考えた人、火であると考えた人、土だと考えた人たちがいた。エンペドクレスはさらに、四つのリゾーマタが結合・分離するのは、『愛(philia)』と『憎しみ(neikos)』の二つの力によるものとしていた」
「さすが、と言っておいてやるよ。よくもまぁ、知っているものだな」
「こういう話は、けっこう好きなんだよ。思想を深く知ると、芸術にも深みが出るって、俺の先生に言われたからな」
「おお、いい先生を持ったんだな。ついでに言うと、お前は間違いなく魔術師向けだよ。ついでに、変り者の称号を与えてやろう」
和馬は『変り者』の称号をゲットした。まったくうれしくない称号だが。
「じゃあ、ついでに、聞くが。16世紀の錬金術師パラケルススが、アリストテレスの四元素説を下敷きにして書いた、著書『ニンフ、シルフ、ピグミー、サラマンダー、ならびに霊的媾合についての書』、いわゆる『妖精の書』については知っているか」
「い、いや。錬金術までは、手を出してなかった」
「なら、これからはよく読んでおくんだな。錬金術も、魔術師になるには齧っておいて損はない分野だ。さて、四大元素は「4 elements」と書く。パレケルススはこの「4 elements」を四大元素と訳さずに、『四精霊』と呼んだ。それが『ニンフ、シルフ、ピグミー、サラマンダー』だ。ああ、少しだけ修正するが、魔術師はその発展の段階で、四大元素におけるニンフをウンディーネ、ピグミーをノームに後々変えている。『火のサラマンダー』『水のウンディーネ』『風のシルフ』『土のノーム』が、魔術師における基本の契約精霊だ」
「いや、ちょっと待ってくれ。質問がある」
「なんだ?」
「タレスもそうだけど、今の話しは全部ギリシャ哲学の話しだろ。んで、ギリシャは北欧神話じゃなくてオリュンポス十二神のギリシャ神話だ。精霊も、ギリシャ神話の方だろ。でも、ルーンは北欧神話じゃないか。なんか矛盾してる……っていうか、ごっちゃになってないか?」
「それは、さっき話したパレケルススの影響だな。パレケルススは医者で、医療のため旅に出ていた。その旅の途中に出会った魔術師が彼から知識を授かり、『ルーン文字』と『精霊』を合わせた『魔術の新たな常識』を作った。とされているのが有力な説だ。こればっかりは、本人に合わないことには確認できないからな。だが、タロットカードの『魔術師』はパレケルススをモデルにしていると言われている。もう少し付け加えるなら、パレケルススは錬金術師の最高峰にいた。『ホムンクルスを創り出した』『賢者の石を持っていた』『常に持ち歩いている剣には賢者の石が入っている』なんてのは、有名な話だ」
疑問は解決できたか?と聞きながら、ミラが煙草の灰を落とし、和馬が頷くのを見てさらに続ける。
「話を『精霊』に戻すぞ。私たち魔術師は『ルーン』を使って、『精霊』を契約、使役する。和馬、お前はまだ感じられないだろうが、世界には『精霊』が満ちてるんぞ」
「そう、なのか」
「ああ。お前はまだ『こっちの常識』に足を踏み入れたばかりだから、見えないし、感じられないだろうがな。だが、ここで二つ考えなければならないことがあるんだが、気づいているか?」
「考えなくちゃならないこと?」
和馬が首を傾げる、正直、そろそろ頭がオーバーヒート状態になってきて、受け入れるだけで精一杯。何かに気づくって言われても……。
その時、和馬の脳裏を、あの言葉が掠めた。
和馬とミラを襲った、エクソシストたちの言葉だ。
「『光の精霊』」
和馬の口から零れるようにして出た言葉に、ミラは「そうだ」と頷いた。
「魔術師の四大元素、つまり四精霊は、さっき言ったサラマンダー、ウンディーネ、シルフ、ノームの四体だ。だが、エクソシストたちはそのどれとも違う、光の精霊を契約、使役している。さすがに、その精霊の正体は知らないがな。エクソシストと魔術師は基本同じ階層の『常識』にいる。二つを分けているのは使役する精霊の違いだ。だから、エクソシストと魔術師に優劣があるわけじゃない。まあ、そうだな。画家志望君向けに説明するなら、水彩画か油絵ぐらいの違いに思っておけばいいさ。『使う技術の目的』は似ていても、『使う絵の具』が違うってことだ。ただし、結局完成した『絵』は、『絵』というジャンルに括られるから、まぁ、同種だが同等じゃない、って言ったところか。さて、一つ目は見つかったな。じゃあ、二つ目はなんだ?」
ミラの質問に、和馬の視線は吸い寄せられるように彼女が背中を預ける木の幹に向かい、ゆっくりと上昇して、青々とした葉の生い茂る天を仰いだ。
「木」
和馬の言葉に、ミラは自信と傲慢さを織り交ぜながらにんまりと口の端を吊り上げ立ち上がると、未だに指の隙間から和馬のことを除いているエイルを呼んだ。
「紹介しよう。私が契約している精霊。パレケルススが精霊とし、のちに魔術の発展の中で除外された木の精霊、『ニンフ』のエイルだ」
ミラに紹介され、エイルが慌てて背筋を伸ばしながらちょこんと礼をする。
「エイルの名は北欧神話に登場するアース神族の女神から取ってる。古エッダでは『最良の医者』とされ、あらゆる医療に精通し、特に薬草には詳しく、死者を復活させることもできたそうだ。お前の身体が回復したのも、この子のおかげだ。感謝しろよ」
「そうだったのか。ありがとうな、エイル」
和馬が左手を伸ばして、エイルの髪を撫ぜてやる。肩ほどで切られたその髪は、驚くほどサラサラだった。頭を撫でられ、少し恥ずかしげに、そして嬉しげにエイルが目を細める。
その様子を見て、意地悪く微笑んだのは、もちろんミラだった。
「ちなみに、今の話の流れでわかってると思うが、エイルの身体は女の子仕様だ。犯すなよ」
「犯さねぇよっ!」
「う~ん、どうだかな。なんせ、吸血鬼に恋する雑食さだ。子供、しかも精霊となれば、手を出しても不思議であるまい」
「十二分に不思議だっつーの。あ、エイル。そんな、警戒した目で見ないでくれるか? いや、そんな木の幹に隠れなくても……」
「パンツ一丁の男に言われてもな」
「こんな変態に誰がした?」
和馬がジトッとミラを睨みつける。
しかし、そんなことミラはどこ吹く風で、楽しげに鼻を鳴らしながらエイルを再び呼ぶと、ちょこんと自分の傍らに座らせた。
「とまぁ、見て分かるように、私は四精霊のほかにエイルという木の精霊と契約しているわけだ。これはな、『新しい魔術の常識』を作ったという意味であり、私はとてつもなく天才ということでもある。これは絶対に忘れるなよ」
「ああ、わかったわかった。忘れねぇよ。でも、それだと、なんでエイルは俺の目に見えてるんだ。俺には、精霊を見る力も、感じる力もないんだろう?」
「それは、私がエイルという『木の精霊』を入れれる器を作り、身体を与えているからだ」
「器? 身体?」
「そうだ。さっき言ったように、精霊の姿は、『こっちの世界の常識』にどっぷりつからないと、見えないし、感じれない。それは、『精霊という常識』が、『普通の人間の常識』の一つ上にあるからだ。だから、私は『精霊という常識』を『普通の人間の常識』のレベルに落とすための入れ物を作った。まぁ、作った過程は、今は省くがな」
「そんなこと、できるのか?」
「できる。それが、人間の武器だ。人間は誰しも想像力と創造力を持っている。そしてな、人間の想像、創造力っていうのは、『この世界の常識』の根源に作用するんだ。と言っても、難しく考えることはない。考えてもみろ、人は楽に移動できる手段を想像し、創造して、今までこの世界にはなかった車っていう道具を作り出しただろ。人は、誰でも自分の想像を、現実にできる創造の力を持っている。魔術師を目指すなら、創造力を磨くんだな。理想や発展なしに、世界は変わらないぞ。と、丁度いい、エイルの身体の話しが出たところで『媒体』の話しに入るか」
言いながら、ミラは軽くこぶしを握り、背中を預ける木の幹をコンコンと叩いた。
「いくら『ルーン』を学び、『精霊』を使役しても、無から有は生まれない。そんなことができるのは、魔術師じゃなくて魔法使いだ。だから魔術師は、魔術を使役するために『媒体』を使う」
ミラがポケットに手を差し込む。その指先に抓まれて出てきたのは、さっきミラが和馬の足元に投げた種だった。
「『触媒』に関しては、難しいことは言わない。本人の性質と、魔術の目的によるからな。私の魔術は木。触媒は植物。今はこんな種でも……」
掌に種を乗せながら、反対の手でミラが宙にルーンを刻む。ミラがエイルに視線を送る。エイルはミラの視線に頷くと、そっと両手で種を覆った。
エイルが手を引くと、ミラの掌に満開の花が咲き誇った。
「こうなる。『ルーン』、『エイル』という『精霊』、『媒体』となる『種』で、完成した『魔術が』この『花』だ」
驚く和馬に、ミラはご満悦といた様子で、優しく手の中に咲いた花を地面に埋める。
「私が、最初に聞いたことを覚えてるか?」
「空はなんで青いのか? だろ」
「そうだ。空がなんで青い? 草がなんで緑色? 土はなんで茶色? 火がなんで赤い?私たちは、なぜ生き、生かされている? その、本当の意味まで求めろとは言わん。だが、『私たちの常識の外』にその答えはあるかもしれない。『自分の常識の外』には、まだ『知らない世界』『知らない常識』があるかもしらない。いや、きっとある。『パンツ一生で山間の澄み渡る青空の下にいること』にだって、意味はあるかもしれない。そんな風に、『自分の常識』を超えた『常識』を受け入れること。それが、魔術を学ぶ第一歩だ。もうすでに、お前は『ルーン』『精霊』『媒体』『魔術』っていう、『常識の外』の物を手に入れた。でも、それだけじゃまだ足りない。この先は、『お前の常識の外』が大波に乗って押し寄せてくるぞ。そんな中で、いちいち跳ね返してたら、先に進まないからな。受け入れて、世界を感じろ。それが、今日の宿題だ。さて、私たちはもう小屋に戻るが、お前はどうする?」
立ち上がり、身体に付いた誇りを払いながらミラが和馬に尋ねる。
和馬は、少しだけ微笑みながら、首を横に振った。
「いや、もうちょっとだけ。ここにいるよ」
「そうか、まぁ、通報されない程度にな」
片手をあげで「頑張れよ」とエールを送りながら、ミラがエイルと共に小屋へと帰っていく。
一人残された和馬は、どこまでも澄んで、どこまでも果てしない青空と、その空へ向かって聳える山々へ目を向けた。
浅く目を閉じ、大きく息を吸い込む。胸いっぱいに新鮮な空気が満ち、飛び上がれば、どこまでも行ける気がした。
ゆっくりと目を開ける和馬。
そのとき、和馬の世界の何かが変わった気がした。